数とカテゴリーの差異

ニート」は教育も受けて「いない」、働いても「いない」、職業訓練も受けて「いない」という「ないないづくし」(樋口明彦)である。だから「ニート」というのは「数的」に導き出されてきたものなのだ。


「犬ではない」「猫ではない」「馬ではない」と永遠続けていっても、何か特定の動物を名指すことは出来ない。同じように「ニート」という言葉も意味のレベルではそういう問題点を含んでいる。つまり、何物も名指すことをしていない言葉なのだ。そうすると、「ニート」は「概念」だというのも苦しくなってくる。


数と概念は一致しないという戦略もあり得る。例えば、学生のひきこもりは数的には学生だけども、意味的にはひきこもりに入れましょうとか。このように、データと概念の差異を意図的に誤差とみなす選択もある。


そのような選択をとって、概念だけを考えてみても、やっぱりスッキリとはいかない。


「ひきこもり」は怠惰だから、働きたくもないし、社会参加もしたくないよ、と本人たちは思ってるかというと、そんなことはなくて、社会から脱落したことを非常に気にして、どうにかして社会参加をしたいと強く望んでいたりもする。


そうすると、「働く意欲がない」の中に内包されてるのに「就労意欲バリバリのひきこもり」があり得る。


このへんでうじうじと指摘した、「所属」「意欲」「行動」が同じ次元で整理されてるから、上手くいかないんだってことに尽きるか。