井出草平の研究ノート

表象される幼少児嗜好

秋山高範『表象される幼少児嗜好――雑誌記事言説の検討を中心に』

2004年度大阪府立大学卒業論文として出されたもの。卒論として出されているが、「卒論としては」という冠は不要に、論文として良くできている。


内容は「幼少児嗜好(ロリコン)」についての雑誌記事を丹念に追っていくもの。1930年代から現代に至るまでのロリコン言説を整理し、流れとして提示している。


要旨

1930 年代から1980 年代にかけては、幼小児嗜好の人間は「変質者」と呼ばれ、精神薄弱者が主であると考えられていた。


しかし70 年代にはまじめなタイプの人間も変質者になる(中略)変質者が精神薄弱者からまじめタイプの人間に変わってきたとの認識は、80 年代のロリコンブーム(中略)とのギャップを埋めることになっている。


80 年代になると(中略)学校の成績がよい若者が大きく取り上げられることになったのだ。ロリコン人間の若者が発生する原因としては、女性が強くなり逆に男性が弱くなった・受験戦争の激化・母子密着といった社会的要因が取り上げられていた。


90 年代に入ると(中略)わいせつ目的誘拐事件については取り上げられる機会が増加し(中略)、「引きこもり」「おたく」という語彙が、誘拐事件と誘拐犯を結び付ける際に有意味な説明となっている。どちらの語彙も、「対人関係が苦手」ということと結びつき、「大人との関係を結べない」ために「子どもを狙う」ということになる。


言説の流れが丹念に整理されてあって非常に理解しやすい。


また、未成年略取の数が実態としては増えていないにも関わらず、言説では増えているということも指摘されている。


もしこの論文に弱点があるとするなら「驚き」が無かったということだろうか。つまり、正確には知らないが、おそらくそうなんだろうなと思っていたことが書かれていたということだ。


しかし、だからと言って、きっちりと資料を確かめて、それに基づいた立論をすることが不必要になるわけではない。このような作業は軽視されることが多いが、必要不可欠なもののはず。「幼小児嗜好」についての言説を検討した論文が存在しないという状況にあっては、非常に参照価値のあるものだ。


以下、妄想。


不可視な「逸脱」は可視状態にならなければ見えることはない。私たちは、心の中まで見通す力を持たないからだ。会った瞬間にこの人はロリコンだなどと分かるということはまずない。


従って、ロリコンブームが起こる81年以前では「犯罪」を通してのみロリコン」について語ることが出来る。


その後、「ロリコン」というものが社会問題化されるものの、性的嗜好は他人から見ることは出来ない。「ロリコン」というものは依然として不可視である。しかし、一方で、社会問題化はされてしまっている。そこで、パッと見ておかしな奴とくっつけられて理解されるようになった。それが「ひきこもり」であり「おたく」だった。


この辺りは自分のテーマとも関わるところ。「ひきこもり」も不可視な存在だ。


そういえば「ひきこもり」の言説研究って誰かやらないのかな。きっと、今まで誰もやってないはずなんだけどなぁ。