ウィークタイズ

中央公論2月号、玄田×宮崎の対談での、玄田有史の発言より。

玄田
希望が失望に変わったときの修正過程において、自分の力だけで修正できるのはレアケースで、誰かが問わるということが非常に大きな意味を持っている。
もちろん親や教師が関わるということもあるだろうけど、重要なのは広い意味での友人でしょう。転職や独立がうまくいく人というのは、何が違うかというと、ウィークタイズが多いんです。ウィークタイズというのは、たまにしか会わないくらいの友人や知り合いとのゆるやかなつながりのことです。そんな間柄の人の何気ない一言をきっかけに、前に進んだりやめたりを判断することが多い人ほど、転職や独立にも成功しやすいんです。

有名なグラノベッターの調査では、転職とその情報をもたらしてくれた人の関係について調べていた。(ボストン郊外のホワイトカラー転職経験者54人に対する調査)

しばしば(週に2回)……16.7%
たまに(年に1回以上、週に1回以下)……55.6%
まれに(年1回かそれ以下)……27.8%

(『社会を“モデル”でみる―数理社会学への招待』118頁、友知政樹さんの記述より引用)


濃密な関係より、たまに会う関係の方が転職には有利だ。日本だとここまでの違いは出なかったと記憶しているが、やはり重要なことには違いはない。

玄田
若者の多くは潜在的に自分たちにウィークタイズが欠如していることを実感していますが、それはストロングタイズを求めて生きざるをえない現実の裏返しでもある。今、若い人たちの地元志向は驚くほど強い。自分の居場所みたいなものを強く求めています。だから家族に対する欲求はこれからもけっして衰えることはないんじゃないでしょうか。


「ストロングタイズを求めて生きざるをえない」というのが示唆的。


ラノベッターは、ウィークタイズによって2つのネットワーク間に新たな結びつきが生み出され、情報の流動性が高められると説明していた。「ひきこもり」は自分一人をネットワークから切り離すこと、家族のひきこもりは家族単位のネットワークを社会のネットワークから切り離すこと。そういうネットワークからの切り離しが起こると言うことは、「ストロングタイズを求めて生きざるをえない」ということと関連性があるんだろう。


そのような状況を改善するには、ウィークタイズをいくつか持ち合わせることが必要である。しかし、一方で、近代においてストロングタイにズに固執してしまうことは必然的に起こっている。ここにあるのは、必然と必要の乖離か。