岡尾将秀「「おふでさき」において用いられる単語の推移」

岡尾将秀「「おふでさき」において用いられる単語の推移」
http://keisya.hus.osaka-u.ac.jp/kawabata/2/HiTei222.pdf (PDF)


「おふでさき」とは天理教の原典の1つで教祖中山みき自身によって執筆された。形式は和歌の形をとっている。この「おふでさき」の中から「神」を表す「神」「月日」「をや(親)」の変遷をテキストマイニングで分析した論文。使用されているのは川端亮・谷口敏夫によって作成された「KTCoder」である。

みきは、特に「月日」から「をや」への神名の変更を14 号における歌ではっきりと宣言したように、たしかに神を呼び替えようとしたのだが、その意図は完全には遂行されず、古い呼称も用いつつ呼び分けるにとどまったということも不可能ではないだろう。

「おふでさき」14 号の29首目にそういう箇所があるようだ。

「いままでは 月日とゆうて といたれど もふけふからは なまいかゑるで」

(今までは「月日」と言ってきたけれど、もう、今日からは名前変えるで)


以下、岡尾が論文中で行っている記述から離れる。



分析の結果を見ると、6号〜11号まで「神」という語が消え、代わりに「月日」という語が頻出する。この6〜11号というのは、天理教にとってどういうものだったかというと、ちょうど創世記が書かれている号に相当している。


つまり「創世記」の部分に「月日」という呼称が集中しているのだ。


見田宗介(真木悠介)は『時間の比較社会学』の中で次のような記述をしている。

 ヒジリやツキヨミの名称にも示されるように、権力がその始源において多く他ならぬ時の支配者であったということは、原始共同体における権力の発生の機序を示唆するものとして注目される。「橿原のひじりの御代ゆ……」〔万葉二九〕というように、このころ天皇を指すものとなった「ひじり」は「日・じり」の複合とみられているが、「しる」とは古語においてたんに知ることであるのみならず「領る(しる)」、支配するという意味であった。つまりひじりとは「時を支配する者」、時を司る者である。


言わずもがな、6号からの「月日」の頻出の理由は「神」に「時を支配する者」としての性格をつけるためだと解釈できる。「ヒジリ(聖)」や「ツキヨミ(月読)」と同じような位置づけを「神」にも与えるために、「神」が「月日」と言い換えられているのだ。


ここから分かるのは、この6号以前では、「神」は超越的な存在「のみ」として想定されていたということ。そして、6号以後では「時を支配する者」としての性格が付与されたということであろう。ここに天理教の「神」の捉え方のターニングポイントを見ることが出来る。*1


見田は次のようも述べている。

 ここでは〈時間〉が、事物からひきはがされ(abs-tract)、自存する対象として観念されたうえで、さらにこの観念の時間がぎゃくに、眼前にあるものごとの意味を規定する主体=実体とされる。このような時間のいわば対象化的な主体化を、ここでは〈時間の物神化〉とよぼう。

見田のいう「時間の物神化」が「おふでさき」6号を境に始まっているといえよう。「時間」が個別の事象から切り離され「神」という超越的なものの所有物として抽象化されている。この作業の次には、時間から物事が規定されるようになる。つまり、過去から現在に渡る時間の中での「今」、そして、「今」という地点にいる「私」という位置づけが与えられるのである。

岡尾は論文中「まとめ」の部分で次のような記述をしている。

例えば「月日」という呼称が突如頻繁に用いられ始める6号において人間創造についてのより詳細な話を始めている事実などから、3つの呼称それぞれを用いる教義上それなりの理由があったことは間違いないだろう。

中山正善は「親しみやすさ」を理由に「神」の呼び名が変わったと説明しているし、その後に出版されている天理教関係の本でもそのような注釈が与えられていることが多い。しかし、3つの呼称が「わかりやすさ」を理由に時系列で呼び方が変わったという説明は岡尾も指摘するように、合理的とは言い難い。

  1. 最初期に登場する「神」というのはおそらくそのまま超越的存在を意味している。
  2. 次に登場する「月日」は「時を支配する者」として「神」を再定義している。
  3. 最後の「をや」は「親子」関係(儒教ではなく神道に見られる親族構造)のアナロジーとして「神」を再定義していると考えられる。

要するに、それぞれの呼称は幾つか存在する「神」の性質の1つを表象(強調)するものだと考えられる。


天理教の「神」は「月日」と「をや」という2つの言葉とその2つの言葉とともに使われている言葉によって定義されている。それらの言葉たちを通して「神」というものを見ることによって、天理教の「神性」を見通すことが出来るのではないだろうか。


このことを実証的に行うには、時系列での言葉の使用頻度を見るだけでは不可能である。一つの和歌の中で3つの「神」を表す言葉が他のどういう言葉と同時に使われていたかということを調べる必要がある。


そして、そのことを量的に表すことに成功すれば、天理教のまれに見る巨大化現象に対して、教義を説明変数とした理論の構築が可能になるのかもしれない。







*1:「おふでさき」6号〜11号が1874年12月〜1875年6月というわずか半年あまりの期間に集中して書かれている。内容は創世記。そして、時間的教義の整理に数年先んじる形で「ぢば」と呼ばれる世界の中心(=天理市)という空間的規定が行われている。つまり、この時期というのは、時間と空間が教義的に整理された時期だと捉えら事が出来る。このような教義整理を迫られたのは、教会が分裂の危機に直面したからだと説明されている。傍流が正統を名乗るということは宗教がしばしば直面する課題だが、それに対して、教義の整理で正統性を主張し、対抗したのではないかという推定である。具体的には天理教では、1865年から「本地垂迹説」を唱え、教祖の中山みきの住む場所を垂迹(すいじゃく)であると主張した有力信者がいたとのことである。ただ、この垂迹説の登場は「おふでさき」6号が書かれる時期と10年あまり空いている。垂迹説が「ぢば」をはじめとした空間的な教義規定を作成する要因の一つになったのはおそらく間違いないが、その整理が時間的なものにまで及んだ理由はさらなる説明が必要である。