Social withdrawalについての幾つかの考察


Social withdrawalとは社会的ひきこもりを英語で表現した言葉だ。斎藤環は『社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)』において以下のように述べている。

「社会的ひきこもり」という言葉をご存じでしょうか。Social withdrawalという、本来はさまざまな精神障害にみられる、一つの症状を意味する精神医学の言葉です。


また、爽風会佐々木病院のウェブページでは以下のような説明もしている。

私は一昨年上梓した著書中で「社会的ひきこもり」という言葉を用いたが、これはアメリカ精神医学会の編纂した診断と統計のためのマニュアル「DSM-IV」の中で、”social withdrawal”と呼ばれる症状名の直訳である。DSM-IVの普及率や、比較的ニュートラルな名称なので受容されやすいと考えて採用した。
http://www.sofu.or.jp/hikikomori.html


ここから、斎藤環は「社会的ひきこもり」という言葉を(表向きは)DSMの訳語として採用したことがわかる。しかし、気をつけなければいけない点がいくつかある。

DSMの中には「社会的ひきこもり」の項目はない


DSM精神障害の判断マニュアルである。一方、斎藤環が引用したSocial withdrawalというものは症状名であって障害名ではない。ひとまず、障害名と症状名の区別が必要である。


例えば、309.81「外傷後ストレス障害」(Posttraumatic Stress Disorder)の項目には以下のような記述がある。

その症状には,感情調整の障害:自己破壊的および衝動的行動:解離症状:身体愁訴:無力感,恥,絶望,または希望のなさ;永久に傷を受けたという感じ;これまで持ち続けていた信念の喪失;敵意:社会的引きこもり;常に脅迫され続けているという感じ;他者との関係の障害;その人の以前の人格特徴からの変化などがある.(DSM-IV)

原書のDSMの記述はこちら。

The following associated constellation of symptoms may occur and are more commonly seen in association with an interpersonal stressor (e.g., childhood sexual or physical abuse, domestic battering, being taken hostage, incarceration as a prisoner of war or in a concentration camp, torture): impaired complaints; feelings of ineffectiveness, shame, despair, or hopelessness; feeling permanently damaged; a loss of previously sustained beliefs, hostility; social withdrawal; feeling constantly threatened; impaired relationships with others; or a change from the individual's previous personality characteristics.(DSM-IV)


確かにDSMには「社会的ひきこもり」(social withdrawal)が登場する。しかし、それは、障害の項目名ではなく、さまざまな精神障害の症状として、文中に出てくる言葉としてである。


また、DSMではsocial withdrawalが統合失調症の一症状であるというようなだとことがいわれることがあるが、これは間違いである。上記にも示したとおり、PTSDの項目にも登場している。

DSMの用語があるということは、西欧にも「社会的ひきこもり」と同様の現象があると推断するのは間違い

さまざまな精神障害の症状である「社会的ひきこもり」という言葉を翻訳して斎藤環などが使用したとしたとしても、そこで言われる意味内容は、DSMのというsocial withdrawalとは別のものである。


DSMのsocial withdrawalは単に特定の症状を名指している。しかし、斎藤環の言う「社会的ひきこもり」は単に症状を指しているとは考えづらい。

「社会的ひきこもり」は診断名ではない。これを臨床単位とみなすことは出来ない。それは「不登校」が臨床単位ではないのとほぼ同じ理由からである。それは一つの状態像であり、問題群である。精神医学の中で類似の概念を見つけるなら、「アルコール関連性障害」がもっともこれに近い。これは「アルコール」をめぐって生ずる依存症、臓器障害、暴力、交通事故などといった、精神・身体・社会など複数の領域にまたがる諸問題の総称である。私の考える「社会的ひきこもり」の問題は、「ひきこもり関連性障害」として理解することが、さしあたり最も正確であるように思われる。
http://www.sofu.or.jp/hikikomori.html


DSMにおけるsocial withdrawalは例えば、PTSDの結果としてsocial withdrawalという症状が出ているというものだ。しかし、斎藤環の場合、上記の記述から、何かの障害の結果として「ひきこもり」を捉えるというのではなく、ひきこもり状態との関連する問題群として「社会的ひきこもり」を捉えている。ここで「ひきこもり」を「原因」とした症候群というと恐らく言いすぎになるだろう。


また、やや余談になるが、DSMでは「特定の文化、年齢、及び性別に関する特徴」という項があり、世界各地で同じように精神障害が表出するとは考えていない。


有名な項目でいうと「対人恐怖」*1は日本独特の症候群であるという項目がある。

taijin kyoufusho対人恐怖症
日本における文化特異的な恐怖症であり,DSM-IV社会恐怖とある意味で類似している.この症候群は,その人物の身体,その一部またはその機能が,外見,臭い,表情,しぐさなどによって,他の人を不快にさせ,当惑させ攻撃的になるという強い恐怖のことである.この症候群は,公的な日本の精神疾患の診断システムに取り入れられている.(DSM-IV)

問題の把握をDSMに準拠した形でするか、否か?


「社会的ひきこもり」という言葉を使わずとも、DSMに含まれる精神障害で診断可能であるという指摘がある。「社会的ひきこもり」を使わないなら、「社会恐怖」か「対人恐怖」か「強迫神経症」などに相当するのだろう。精神科医ではないので、判断がつかないし、判断をつける権限も持ち得ない。


斎藤環は『社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)』で以下のように述べている。

 社会的ひきこもりに伴うさまざまな症状は、しばしば二次的なものです。つまり、まず「ひきこもり状態」があって、この状態に続発する形で、さまざまな症状が起こってくるということです。やはりもっとも重要で、一次的な症状としては、「ひきこもり状態」を考えるべきではないでしょうか。
(中略)
少なくとも、ひきこもった状態について本人がいだいている劣等感、それに対する配慮を抜きにして、治療をすすめることは難しいでしょう。臨床的な実用性から考えるなら、やはり「社会的ひきこもり」の状態を第一に考えて、診断・治療に取り組む必要があると私は考えています。

DSMなどによって行う診断と、それに相当する障害は「社会的ひきこもり」の「結果」として(少なくとも関連して)生み出されたものであると斎藤環は述べる。そして、治療的な益がこの言葉にあると斎藤環は判断している。


社会学の立場からだと、文化的に偏りのある現象は「心理」変数のみでは説明がつかないと言うことが可能だ。つまり国によって現れ方が違うということは、文化的な差異によって説明される面がどうしても出てくる。*2


現象面で他国には見られない社会現象が実態として起こっていると言える。ここから社会学は「社会的ひきこもり」という言葉を使う根拠を得るし、そのような現象を問題化する権限を持つ。


「ひきこもり」という言葉は斎藤環DSM翻訳語として採用する以前に広く一般に知れ渡っていた。
またひきこもり現象の認知も進んでいた。


「ひきこもり」という単語が活字化されたのは、雑誌『こころと社会』において岡堂哲雄が「ひきこもり現象と家族心理」という論文を書いた1980年であると言われている。これは、斎藤環DSM翻訳語として「社会的ひきこもり」を採用する18年前である。


この記述は誤りである。
武藤清栄「ひきこもり概念の変遷とその心理」『現代のエスプリ (No.403)』:36において、ひきこもりという言葉は、一九八〇年に岡堂哲雄の「ひきこもり現象と家族心理」(こころと社会23・3 日本精神衛生会)によって初めて用いられたということを記述しているが、この記述は誤りである。岡堂の該当論文が掲載されているのは1994年『心と社会』25巻3号(日本精神衛生会)であり、この論文は最初期に「ひきこもり」という言葉を使った論文ではない(参照)。また、武藤は『心と社会』という雑誌名を『こころと社会』を誤記、巻号が「25・3」であるところを「23・3」と誤記している。
ちなみに、データベース上で確認できる最古のものとしては北尾倫彦,1986,「落ちこぼれ・無気力・ひきこもり」『教育と医学』34(5): p439-43.である。


言葉そのものが流通するにはもう少し時間が必要であったようであるが、1991年に当時の厚生省によって策定された「不登校・ひきこもり対策事業」*3で「ひきこもり」という言葉が使われている。つまり、斎藤環DSM翻訳語として「社会的ひきこもり」を採用する8年前に日本政府によってこの用語は採用されている。


また、1992年にカウンセラーの富田富士也が『ひきこもりからの旅立ち』(ハート出版)というこの問題において重要となる書籍を出版。1993年には斎藤環の師匠にあたる稲村博が『不登校・ひきこもりQ&A』(誠信書房)を出版している。


従って、斎藤環DSMにあるSocial withdrawalの翻訳語を輸入して「社会的ひきこもり」という問題をぶち上げたというのは誤りである。そのはるか以前から現象として存在し、実際に「ひきこもり」という単語が使われる形で社会問題化されていたのである。

*1:余談だが、対人恐怖は1つの症状につけられた診断名ではない。対人状況において生じる不安や緊張を持つ各症状群と結びついた症状である

*2:ここで注意すべきは、社会的な変数のみで説明がつけることが出来るという一元論的説明ではなく、一つの説明変数として想定すべきということである。

*3:「ひきこもり・不登校児童福祉対策モデル事業」http://www.jpha.or.jp/jpha/soudan/40/40_05.html