宮台真司『この世からきれいに消えたい。』あとがき


宮台転向の切っ掛けとなった本。



宮台真司この世からきれいに消えたい。―美しき少年の理由なき自殺 (朝日文庫)』あとがきに「ひきこもり」について幾つかの言及がある。

 「引きこもり系」ホームページには「精神系(ココロ系)」と「自殺系」の二種類がある。前者は「どうすれば発に生きられるか」を、後者は「どうすれば楽に死ねるか」を問題にしていて、ホームページ上の電子掲示板は多くの訪問者でにぎわっている。


クスリ系とか自殺系はひきこもりとは関係はあまりない。

 援助交際・キレる少年をはじめ、どんな現象でも、それが目に見えるようになる十年以上前に、問題の萌芽が見出される。「引きこもり」に代表される社交能力の低下もそうで、私が十年以上前に『中央公論』連載で問題にした「島宇宙化」がそれに当たっている。


ひきこもりは確かに社交能力が低いと思われるが、一般の社交能力の低下現象と同じだと捉えるのは不適当。ひきこもり現象は不登校現象に付随して現れるのが過半数。従って、ひきこもりの原因指摘は不登校の原因指摘と同根でなくてはならない。


よって、社交能力の低下が不登校を生み出す、島宇宙化が不登校を生み出すということが言えない限り、社交能力の低下がひきこもりを生み出すとも言えない。


宮台真司のこの記述は世間に良くある間違えた「ひきこもり」理解の一つである。

「引きこもり」の人は共通して、対面コミュニケーションで人にどう見えるかを理解して制御することに、困難を感じる。だから、相手に伝わる情報の量が、対面状況よりも圧倒的に少ないインターネットなどの匿名メディアだと、とたんにアクティブになれるのだ。


これもよくある誤解。ひきこもり=ネット依存の類似理解である。


むしろ、ひきこもりはネットを敬遠し、生のコミュニケーションを強烈に志向する傾向にある(とはいうものの対面コミュニケーションが上手い訳じゃない)。

僕が関わった経験で言えば、一般的に長くひきこもっている人は、現実とバーチャルなものが過剰にきちんと区別されているところがあります。インターネットはひきこもりを助長するという議論がよくありますが、僕の経験では最初からインターネットをやっている人は1割もいません。何故やらないのか聞くと「そんなバーチャルなコミュニケーションはいけない」と言う(笑)。

−−斎藤環『OK? ひきこもりOK!』142頁


ネットでアクティブなひきこもりは非常に特異な例。ブログとかつけてても、今日食べたものとかを淡々とつけてるのか。ひきこもってたら、他者との関わり合いが激減して、ブログに書けるようなことは起きない。これは仕方ない。


ネットは忌避される傾向にある。ネットを持ってても読むだけとか。チャットなんかはとっても嫌がられる(^_^;