「社会不安」という言葉の拡散


ニートという言葉の拡散が進行中である。先日も、ホリエモンのことを斎藤環氏が「富豪ニート」と「視点・論点」で語っていた。このように、ニートという言葉の意味はますます拡散している。日本語なら、含まれる漢字なり熟語で、意味の限界が生まれてくるが、外来語では拡散は止まりようもない。


稲葉振一郎はむしろ拡散させることを奨励している。

稲葉
でもそれもまた玄田さん一流のコピーライト能力と「慣行」の産物なので、「ニート」という言葉自体を排除するのは難しいでしょう。逆に「社会人ニート」だろうと「団塊ニート」だろうと、どんどんお笑いネタに使って、「ニート」を陳腐化させるしか手がないでしょうね。「ニート」の持つあやふやな言葉の意味を、ハイパーインフレーション化によって価値下落を引き起こさせよう――というのが、今日の結論でしょうか。
――稲葉振一郎本田由紀・若田部昌澄「ニート「85万人」の大嘘」『諸君』2006.03.


さて、それで、少し考えたのは「対人恐怖」という言葉。


この言葉は、公的な日本の精神疾患の診断システムに組み入れられているし、一般的にも広く使用されている言葉である。しかし、込められている意味合いが大きく違う。日常会話では「人見知り」くらいの意味で使われていることが多い。


テクニカル・タームが一般に広がったのか、もともとも対人恐怖ということばが広く使われていたのかは知らないが、同じ言葉が使われていることには違いがない。


しかし、言葉が同じであるからと言って、意味内容が同じだとは限らない。専門家によるテクニカル・タームとして使われている場合には意味の拡散は起きないが、言葉が専門家の手を離れると意味も拡散する。


「社会不安」という言葉も同じ憂き目にあうのではないかと思う。「社会不安」という言葉はこれから浸透していく言葉であることはおそらく間違いない。ただ、その時に今と同じ意味で使われているとは限らないのではないかと思うのだ。