井出草平の研究ノート

ロカンたん


嘔吐

嘔吐


過食嘔吐は関係なくひきこもり関係の書籍として*1

これが自由であろうか。わたしの眼下に、庭々が無気力に街のほうにむかっておりていき、庭のひとつひとつに家がたっている。おもたく、うごかない海が見える。ブーヴィルが見える。晴天だ。
わたしは自由だ。なぜなら、わたしには生きる理由がなにひとつのこっていないからだ。わたしが得ようとした生きる理由はすべてにげさり、ほかの理由はもう想像さえできない。わたしはまだ十分わかいし、やりなおすための力をまだ十分もっている。しかし、なにをやりなおせというのか。……わたしの過去は死んだ。ド・ロルポン氏は死んだ。アニーがかえってきたのは、わたしからすべての希望をうばうためだった。庭々に沿ってつづくこの白い道で、わたしはひとりだ。ひとりで自由だ。しかし、この自由はいくらか死に似ている。


『嘔吐』のロカンタンという人物は、デュルケムのエコール・ノルマル(高等師範学校)時代の親友のヴィクトール・オンメーの自殺を考える上で重要だとの宮島喬の指摘があった*2


ロカンタンもオンメーもそしてデュルケムも地方のリセ(高等中学校)の教師として赴任するが、そこでは単調な生活と孤独な毎日が待っていたという。この日々が死への道を用意したのではないかと考えられる。


また、デュルケムの体験したリセでの孤独と親友のオンメーの自殺が、デュルケムを「自殺」(特に自己本位自殺)の研究に向かわせたのではないかともいわれている。


『嘔吐』が手元にないので、ひとまず長谷川宏でフォロー。



読んでみて、こちらもわりと良い本だと思った。

*1:ロカンタンは劇中実際に吐くことはないし、存在の不条理のもよおすむかつきのような意味であるので摂食障害とは直接の関係はない

*2:宮島喬デュルケム自殺論 (有斐閣新書 D 34)』20