中国と日本の制度の比較


有賀喜左衛門著作集〈4〉封建遺制と近代化

有賀喜左衛門著作集〈4〉封建遺制と近代化


有賀喜左衛門著作集(4)「日本の考え方」より引用。高校の倫理社会の教科書のために執筆されたものを収録している。有賀の著作の中では出来良いとは言えないが、非常に端的にまとまっているところを発見したので引用。


 幕藩体制下の封建社会では、一般に主人や親に対する「義理」が重んじられた。歌舞伎などをみても、自分の愛情(人情)を抑えて、主人や親への奉仕(義理)に生きるといった筋立てが多い。こうした「義理」の意識は、封建社会の構造にもとづき、儒学思想の影響によって出てきた意識であるといわれている。たしかに「義理」という言葉は、封建社会の支配階級である武士階級が、当時の階層的な社会秩序を維持し、それを正当化するために、儒学から取り入れて強調した言葉であろう。しかし、その意味内容は、かならずしも中国の儒学における場合と同じではない。とくに忠・孝といった基本的な倫理観念においてそうである。中国ではつねに孝は忠に優先しているが、日本では忠はつねに孝に優先している。同じ「義理」でも主人へのそれの方が親へのそれよりも上位におかれたのである。これには日本古来の伝統的な考え方がはたらいている。

 それは、日本の特殊な社会構造と結びついて形成されてきた公と私を区別し、公を私に、上位の公を下位の公に優先させる考え方である。日本では古くから個人自身のことは私事と考えられ、各自がその私(人情)を家という公(義務)のために捧げることが最高の道徳的行為と考えられてきた(滅私奉公)。親への孝も、こうした見地から、たんなる私情にもとづく行為としてではなく、家の代表者への奉仕として公的な意味をもつものと孝えられたのである。これは、日本では家が個人の生活を守る最後のとりでとしての役割をはたしてきたことに由来するものであろう。しかも日本では、家族集団を越えた大きな社会秩序が形成されるに当って、各集団ごとに公が存在し、下位の公は上位の公に支配される形で、上位の公が大きく成立する形をとった。これに結びついて、上位の公への奉仕(忠)を下位の公への奉仕(孝)よりも優先させる者えが出てきたと者えられる。

――「日本の考え方」『有賀喜左衛門著作集〈4〉封建遺制と近代化』323-4頁


中国は「忠」より「孝」を重視、日本は「孝」より「忠」を重視という指摘に単純すぎるという批判はあるが、非常に見るべきものは多いと思う。特に、日本では親への「孝」は公的な意味合いが強いというのは非常に示唆的。