井出草平の研究ノート

働く女性に広がる「鬱」 落ち込む、眠れない、自殺願望…

働く女性に広がる「鬱」 落ち込む、眠れない、自殺願望… 
朝日新聞 2001年3月22日 朝刊 1家庭  

 「泣きたいと思ったことはない?」。昨年九月、医師からそう問われ、こみあげてくる涙を抑えられなかった。うつの診断は、だれより自分を驚かせた。
 決算が過去最悪に陥り、売り上げ目標値は高くなるばかり。上司と部下との板ばさみも頭痛の種だった。そして二人の子どもの世話。朝六時半に家を出て夕方早めに帰宅するスケジュールをやり繰りし、夫と姑(しゅうと)の協力のもと、明るく乗り切ってきたつもりだったが、「どこかで我慢してたのかな……」。


職場の鬱+摂食障害はある意味のセットのようなもの。負荷のかかる環境ではひきこもりも起こる。就労現場からのひきこもりだ。


ただ、ひきこもりという行為は「○○さんが調子を崩して仕事を辞めた」というような形で見える。ひきこもってしまうと不可視だが、ひきこもる時には可視的になる。しかし、摂食障害を抱えつつ仕事を続行するという場合は、不可視になりがちだ。なぜなら、過食嘔吐というような行為は誰にも見られないように隠れて行われることが多いからだ。一見、何も問題を抱えていない人に見えても、実は鬱であり摂食障害でありということはある。もしかしたら、摂食障害は、ひきこもり以上に不可視な存在なのかもしれない。




働く女性に広がる「鬱」 落ち込む、眠れない、自殺願望…


 気分が落ち込み、仕事が手につかない。眠れない、物が食べられない。時に襲ってくる自殺願望……。こんな症状のうつ病と女性の社会進出との関連が、専門家の間で注目されている。責任ある仕事に就く働き盛りの女性たちにとって、昇進に伴う上司の期待や家事・育児との両立などがからみあい、ストレスになる傾向があるようだ。三十代の三女性の例を紹介する。
 
 ○焦り、頑張っても 化学メーカー社員39歳
 「ようやく喪が明けまして」。最近、病気について語れるようになった。二年前まで足かけ八年間、うつに苦しんでいた。
 最初に変調に気づいたのは二十九歳のとき。東京都内の会社に勤め、花形職場とされる商品開発のチームで活躍していただけに、会社を休み自宅療養を始めてすぐ、無力感に襲われた。新婚の夫の両親とのつきあいでもつまずき、思い詰めて手首を切った。その後、会社に復帰し、人事異動や出産など環境は変わったものの、自殺未遂と入院を繰り返す。
 一番ひどかった三年前には、買い物中に子どもから欲しい物をせがまれたことに恐怖心を覚えた。台所に立てなくなり、ビルから飛び降りかけた。ちょうど宣伝関係の仕事で忙しかった。
 再発するたび、何とかしなければと焦る。頑張る。深夜に公園を走ったこともある。
 「悪循環でしたね」
 人に甘えられない性格だったと振り返る。出産後も仕事のペースを落とさなかった。子どもがいる人というイメージを持たれ、大きな仕事から外されるのがこわかった。家でもだらしないのは嫌い。ぱりっとした格好をし、こまめに掃除を欠かさなかった。
 「長いトンネル」から抜け出せたのは、首つり自殺をしかけて浮かんだ家族の顔。医者から自殺も癖になるぞとしかられ、癖ならつきあえばいいと思い、気が抜けた。
 その後始めたバンド活動で、価値観の違う仲間たちと出会い、上司の顔をうかがうのがばかばかしくなった。
 
 ○泣けなかった私 マーケティング会社課長39歳
 「泣きたいと思ったことはない?」。昨年九月、医師からそう問われ、こみあげてくる涙を抑えられなかった。うつの診断は、だれより自分を驚かせた。
 決算が過去最悪に陥り、売り上げ目標値は高くなるばかり。上司と部下との板ばさみも頭痛の種だった。そして二人の子どもの世話。朝六時半に家を出て夕方早めに帰宅するスケジュールをやり繰りし、夫と姑(しゅうと)の協力のもと、明るく乗り切ってきたつもりだったが、「どこかで我慢してたのかな……」。
 二年前に女性として初めて管理職に抜てきされた。地位に関心はなかった。しかし、「上司の期待にこたえなければ。後輩のためにもがんばろう。今思うと金縛りにあったようでした」。
 発病後は早朝出社をやめ、家事も手抜きを心がける。出張を申し出て一人の時間を作った。通院は続けているが快方に向かっている。
 この間、部下たちが責任感を持つようになり、急成長。自分が自分が、との思いこみもちょっぴり反省した。
 
 ○「強い私」演じる アクセサリー店経営33歳
 不眠、食欲不振などの症状を感じ始めたのは一昨年の夏。恋人との別れをきっかけに、仕事への覇気がなくなった。自信家のはずなのに、先の不安だけが募った。でも従業員に弱いところは見せられない。しゃきっとした態度を通しつつ、書類を書くフリばかりしていた。
 精神科を無性に訪ねたくなった。いつも「強い私」を演じ、人を警戒してきて、悩みをうち明ける相手などいないことに初めて気づいた。
 ストレスを酒で解消してきたという知り合いの女性経営者(三二)と二人、口をそろえる。「年々、『男らしく』なってくるんですよね」
 
 ●完ぺき主義は禁物 専門家助言
 うつ症状を訴える働く女性たちが、カウンセリングに訪れる東京メンタルヘルス・アカデミーの村上章子・東京センター長は、「目立つのは『いい子』度の高い人」と指摘する。
 きまじめで、トラブルが起こると自分を責める。常に周囲に配慮する。企業社会でがんじがらめな男性に比べると、これまで女性はうつになりにくいと言われてきたが、社会進出が進み、女性もうつになりやすい土壌ができてきた。男性以上に、人間関係のこじれが引き金になって支障をきたす場合が多い、という。
 村上さんは「完ぺき主義は禁物。他人にうまく甘えることも大切」と助言する。
 心療内科医の生野照子・神戸女学院大教授は、治りたい一方で仕事への復帰を渋る患者の多さを通して、「自己分裂」した現代女性の一つの姿をみている。女性の社会進出が進み、責任あるポストに就く機会が増えたとはいえ、活躍の場が限られているのも現実だ。女だからという甘えと、男性と同等に働きたいという気負いとのはざまで、常に揺れている。「うつは心の風邪ひき。ちょっと腰掛けて、逆に利用してみて」と話す。
 
 【写真説明】
 カウンセリングをする村上章子さん(右)。家族にもいえない悩みに耳を傾ける=東京都豊島区の東京メンタルヘルス・アカデミー東京センターで