山登敬之「若者文化、ダイエットと摂食障害」

山登敬之「若者文化、ダイエットと摂食障害―美の強迫と成熟の困難さのはざまで」,
『こころの科学』日本評論社,22-27.

 現在この国の女性たちを摂食障害に追いやっているものは、いったいなんだろうか。ひとつには美の強迫という目に見えぬ力であり、もうひとつには、現代における成熟の困難さであろう。
 一言断わっておくが、私は、これらが摂食障害の原因だと言いたいわけではなく、病気の方向へと女性たちの背中を押している、ある種の文化的な力について述べるつもりでいる。これに押されて病気になる者はなるだろうし、同じように押されてもならない者はならない。


私たちの生には社会というものがインストールされている。その社会の生きづらさは、必ずしも全成員にまんべんなく出るものではない。「摂食障害」や「ひきこもり」などは社会の生きづらさの一つの「表現形態」である。社会の中のあるグループが、社会の一つの特質を表現をする。恐らくは、社会の中で男性として生きることの難しさを表現したのが「ひきこもり」であろうし、逆に女性として生きる難しさを表現したものが「摂食障害」なのだろう。どこにどのように現れるかは可変であり、誰に現れるかは確率論的な問題でしかない。


「これに押されて病気になる者はなるだろうし、同じように押されてもならない者はならない」という山登氏の言明は社会学(特にデュルケム的)なものだと思える。

 現代の日本社会における成熟の困難性といった問題は、なにも女性に限ったことではない。本誌の中でも、おそらく斎藤環が、「ひきこもり」との関連からこの間題に言及するのではないかと思う。成熟のモデルを失った時代、男はひきこもり、女はダイエットに走る。かれらは、男女を問わず、他人の視線に怯え、社会に出ることを怖れながら、「終わらない思春期」を生きているのである。


ここにも「摂食障害」と「ひきこもり」を同じ視点で捉えようという動きがある。