井出草平の研究ノート

井上洋一「思春期・青年期の「ひきこもり」に関する精神医学的研究」

井上洋一,2006,
『厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)総括研究報告書
 思春期・青年期の「ひきこもり」に関する精神医学的研究』


最近「摂食障害」の研究をやっている人と思われがち(そんな気はまったく無いのだが)なので、ひきこもり関係のエントリを重点的に。今年の春に『思春期・青年期の「ひきこもり」に関する精神医学的研究』という報告書が出ているので、この報告書からエントリ。


摂食障害は「特定疾患」という枠で1981年から医学的な研究がなされてきた*1が、「ひきこもり」に関しては継続的な研究はあまり無かった。この報告書は「ひきこもりガイドライン」を受けてガイドライン以後の研究報告ということになるのだろう。本論文は、研究書全体のスタンスを述べた解題部分。


以下は、この報告書の位置づけについて。

「ひきこもり」の経過、精神病理、精神医学的治療について思春期・青年期の発達論的、精神力動的観点からの検討し、精神医学的治療と他の領域からの支援活動との役割分担と連携についての根拠を明らかにすることを目指す。


以下は、ひきこもり問題における精神医学の位置づけについて。

 ガイドラインによって支援の大枠が示され、支援全体に方向性が与えられているが、現実の支援の過程は医学的、心理的、発達的、教育的、社会的な様々な問題を克服していかなければならず「精神的成熟」と「社会化」という複雑かつ個別的で多様性に満ちた領域が引きこもり問題の中核にあるために、対応は最終的には個別的であることを要請されている。これらの多様な問題性を理解し対応法を統合していくための重要な基盤の一つが精神医学的な検討である。


「多様な問題性を理解し対応法を統合していくための重要な基盤の一つが精神医学的な検討」という記述。「ひきこもり」という「状態」を改善するための幾つかのうちの基盤の「一つ」として「精神医学」を位置づけている。不登校運動の持っている医者嫌いでもなく、摂食障害にみられるような「医療化」でもなく、現実的でまっとうな位置づけのように感じられる。

 「ひきこもり」状態を示す若者で、一次的な原因として明らかに精神疾患があり,二次的に「ひきこもり」が生じている症例は、 「ひきこもり」から除外されている。 「ひきこもり」が社会的「ひきこもり」 (social withdrawal)と敢えて呼ばれるのは、その原因が精神疾患による「ひきこもり」とは異なることを示すためである。すなわち精神疾患に起因する「ひきこもり」は従来から知られており, 「ひきこもり」は疾患から生じる症状の一つとして教科書にも記載されている。それらの疾患によって生じた「ひきこもり」は改めて「ひきこもり」として取り上げる必然性はない。一義的には医学にかかわる問題であると考えられるからである。


斎藤環は『社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)』においてDSMの「症状」である「社会的ひきこもり」(Social withdrawal)を使用した。この言葉は障害名(病名)としてDSMに載っているわけではなく、幾つかの障害の症状として記載されている。例えば、「摂食障害」や「心的外傷後ストレス障害」の症状として「社会的ひきこもり」は登場する。(参照)


ここで、井上氏が言う「二次的に「ひきこもり」が生じている症例は、 「ひきこもり」から除外されている」というのは、例えば摂食障害になって「ひきこもり状態」にあるというようなケースのことである。このようなケースは摂食障害の対応を取ればよいので、「ひきこもり」として取り上げる必要はないと井上氏は述べている。


この点に関して、本ブログと井上氏はやや位置取りが違うように思う。「ひきこもり」という言葉を使う際には、井上氏のいう「二次的に「ひきこもり」が生じている症例」ではない「ひきこもり」を指し示しているが、それは、対処法が違ったり医学に関わる問題だからではなく、端的に括弧付きでの「ひきこもり」ではない=本ブログが「ひきこもり」という言葉を持って名指す対象ではないからである。その意味で、摂食障害から二次的に起こるひきこもり状態は「ひきこもり」ではない。


「ひきこもり」とは、精神医学の言葉を使うならば「精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」(斎藤環『社会的ひきこもり』25頁)という事になるし、社会学の言葉を使うならば「社会的行為を喪失したもの」ということになる。

 精神科医療の枠の中では、「ひきこもり」概念は中心的な役割からはずれて、「ひきこもり」は精神疾患に伴う一症状として認識され、付随する一症状としての地位が与えられる。医学的診断が下されると、「ひきこもり」概念は医学的診断学の中に吸収されてしまい、医療の中においてはその役割が終わってしまうと考えてよいのか、それとも「ひきこもり」概念は精神科医療の中にあってもその存在意義を強く主張し続けるのか。


注意すべきは「ひきこもりは精神障害ではない」「ひきこもりは病気ではない」ということではないということだ。ひきこもり状態にある人をDSMで診断名を付けることは可能である。少し誤解を生む表現になるかもしれないが、「精神状態が普通ではなく、その状態が継続している人」ならば、DSMを使って精神障害の病名を付けることはだいたいの場合は可能である。この意味で「ひきこもりは病気ではない」という表現は正確ではない。


「病気か病気でないか」というと、不登校運動(ASIN:4876521522)を想起するが、そのような所で争うのは現段階では建設的ではない。考えるべきは、DSMなどを使った診断をした方が利するところが多いか、「ひきこもり」という社会問題の構築をした方が利するところが多いのかと言うところである。

*1:厚生省特定疾患 中枢性摂食異常調査研究班研究報告書