鍋田恭孝「「ひきこもり」と不全型神経症 特に対人恐怖症・強迫神経症を中心に」


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鍋田恭孝,2003,
「ひきこもり状態を示す精神障害 「ひきこもり」と不全型神経症−特に対人恐怖症・強迫神経症を中心に」
『精神医学』Vol.45 No.3,247-53.

しかし,古典的な神経症においてみられる自分の弱点を何とかしようとする強力な側面や,それに伴う葛藤のメカニズムがひきこもりに伴う神経症類似状態には見いだしにくく,本質的に異なる側面があるとも考えている。

1.全般的な特徴
a)ひきこもり。外界に順応しようとしすぎて疲れる形で,物理的にも心理的にも外界と自分とを切り離している。
b)学童期までは成績優秀とか運動能力も高いなど目立つこともあるが,基本的には,良い子,従順,素直などの特徴がある。言い換えれば,これは自発性,自己主張能力の欠如にも通じる。
c)几帳面,パターンが硬くせまい。時に強迫傾向を示す。


2.対人関係の特徴
a)拒否的取り入れ(いやいやながら,不安ながら,言うことを聞いている)が親子関係も含め,人間関係の中心機制。そのため自分の心理的世界に入られることへの拒否,嫌悪感も強い。言い換えれば,自分の気持ちを否認する傾向が強いが,働きかけられることへは強い抵抗を示す。
b)他者の気持ちや反応に敏感,思った反応を得られないと傷つきやすい。相手を傷つけることにも用心深い。しかし,一方的に主観的に配慮していることが多い。筆者はこれを「一方的主観的配慮」と呼んでいる。
c)対人関係のスキルそのものが低下している。人とどのように付き合えば良いかわからない。方法を知らない。
d)自分の気に入った相手,対象,活動にのみ興味を示す。しかし,それを他者に主張しようという強さはない。興味を示してもらえないと引き下がる。


3.自己感覚や自分の世界や興味の示し方・かかわり方について
a)アニメなどの比較的豊かな自分の内的世界を持っている。しかも,多彩であったり,技術的にレベルが高いことも多い。一定の枠組みの中では創造性が発揮できる。
b)自分の気持ちもはっきりしない。何がしたいかもはっきりしない。ただ,冷ややかな感じはない。相手の気持ちへの過敏な配慮性や過剰に寄り添おうとするため自分感覚への感受性が鈍っている。自己同一性の障害にも通ずる。
C)主体的に動く力が落ちている。受身的あるいは待ちの姿勢が強い。


4.面接での様子
a)直面化されたり,働きかけられることは避けようとする。
b)事実的なことはしゃべれても,情緒や内容が出てこない。「わからない」「ふつう」というコメントが多く,また「沈黙」の多いCommunicationになりやすい。
C)一見淡々としているが,治療者の反応に敏感であったり,ある種の緊張感が漂うことが多い。

1.症候学的相違
従来の対人恐怖症にしばしば見いたされたさまざまな具体的な症状,患者がしばしば述べる「これがつらい」「これがあるから忌避される」「これが他者に不快を与える」という具体的なテーマがあいまいになっている。そして,漠然たる緊張感と戸惑いを抱えている。

 2.心理機制の相違
 古典的な対人恐怖症においては,他者に受け入れてもらうには自分の理想像を提示しなくてはならないという思いがある一方,自分がその理想像に達していないという思い込みがあり,しかも,それを見透かされているに違いないという対人場面における自我理想と自らの抱く自己像との解魔に伴う葛藤状況が見いだされる。そして,何とか,この自我理想に近づこうとしては失墜するという構造がある。しかし,ひきこもりに伴う対人恐怖症には,皆に好かれる自分とか,自分の好きな世界を受け入れてもらえる自分を求めている様子はあるが,はっきりした自我理想は見いだしにくく,しかも,何とかこの自我理想に近づこう・自我理想に合わない自分の部分を消去しようという強迫心性は見いだされない。(この自我理想に合わない自分の部分や,合っていないと思っている弱気な自分をあらわにする自分の部分を,切り離したい・打ち消したいという気持ちが強いと赤面・視線などの具体的な症状が明確になる。)


 3.苦悩の質の相違
 古典的な対人恐怖症においては,自分の納得のいく対人関係や他者の反応が見いだせない,あるいは実現できないという幻滅を中心とした苦しみが中心にある。しかし,ひきこもりにみられる対人恐怖症類似の苦しみは,見知らぬ他者や群れに対する子供が抱くようなおびえや戸惑いであり,納得のいく関係性が見いだせないあるいは実現できない苦悩というよりも,他者あるいは群れそのものに対するおびえに近い苦しみである。


 5.自己像・自己感覚の相違
 古典的な対人恐怖症においては,面接が深まると,「実は自分はこんなにもすばらしい存在だ」というような誇大的な自己像が現れることが多い。言い換えれば,誇大的・自己愛的ではあっても,かくありたい,あるいは,あるべき自己像・自我理想像ははっきりしている。しかし,ひきこもりの特徴でも示したように,彼らには自己同一性の障害に通ずる自己感覚のあいまいさ・自己像や自分のライフスタイルの形成があいまいになっているという特徴があり,結果,悩みそのものも漠然としたものとなりやすい。そのため,従来型の面接的アプローチのみでは改善しにくい。
 以上の相違点は結局二つの要因から生じていると言えよう。
 一つは“強力性”対“弱力性’’の相違,今一つは,“硬い自己像・自我理想”対“自己像やライフスタイルルの形成不全”という相違である.


 結局,この自己像の形成不全や基本的な自分感覚・選択性・主体性の低下(自己同一性の障害とも言えるが,この概念はあいまいすぎるのでここでは使用しない)が主たる病理にあるとひきこもり的な病理が生ずるものと考えられる。このような背景のもとに,ひきこもり以外にも逃避型抑うつが生じていると考えられるし,自己喪失感を自分の身体感覚で補おうとすると摂食障害に発展するとも考えている。また,孤独感や空虚感を他者にしがみつくことで何とかしようとする防衛的対象関係をひたすら求めると境界人格障害に発展するとも考えている。


 また,この自己像や自己の内的世界のあいまいさがイギリスで盛んに議論されているスキゾイドメカニズム・スキゾイドパーソナリティー障害と異なる点でもある。両者はひきこもるという現象では共通しているが,後者は,より自己愛的で,自分の世界を形成しその世界に自足する傾向が強く,時に誇大的な世界を抱いている点が決定的に異なる。そのためか,ひきこもり青年には彼らの示す冷ややかさはない。

 以上のことから,ひきこもりは神経症類似症状が伴っていてもいなくても,本質的には葛藤モデルよりも欠損モデルに近いものであるが,彼らは漣のような漂うような自分感覚は有しているので欠損とは言いがたい。もっとも適当なのは自己形成不全状態と考えられる。そういう意味で,彼らに伴う神経症も「不全型神経症」とすべきと考えている。