野村哲也「都市高校生の生活態度と価値観」

野村哲也,1967,
「都市高校生の生活態度と価値観-その分化と学校差-」
『教育社会学研究』22,70-88.


大阪府下の公立高校についての分析。それぞれの学校が持ってる生徒文化と価値観についての論文。自分も大阪府下の公立高校の出身なので、よく分かる話だった。


A〜E校までが登場する。Aが一番偏差値が高い進学校で、Eが一番低い。大阪では完全な公立優位の地域である。

 学校での教育の重点において目立つのは、A校で、「余りやかましく云われず自由である」という答が五三%と非常に高く、生活指導面での注意が皆無に近いことである。


進学校では「自由」が担保されている。

学習面で、もっともやかましいのはむしろC校(五七%)である。C校のような中位の高校では(もちろんどの高校にも大なり小なりあるが)一流校転対し「○高に追付き追越せ」という言葉が生まれる位、大学合格者数による学校ランクを気にする僚向があり、それが反映したものと見られるが、こうした教師の側の態度は、高校生の態度形成に大きな影響を与えるであろう。


中位の学校では、より上位へというトレンドが生まれる。上位というのは勉強においての上位だが、それが転じて「校則」をより厳しくするという方向に移動することもある。

A、E校において「非常に反発を感ずる」ものが多く、両校が共に学校では割合自由にされているだけにに、その符合は興味深い。然し校則等の遵守については、A校が大体よく守られているのに、E校は殆んど守られておらず著しい対照をなす。この差異は後に述べるように、A校が比較的内面的原理的な反発であるのに、E校では単に拘束を嫌い逸脱的享楽的傾向にあることから来るものであると考えられる。又B校は成人への反発を感じる度合が小さく、校則等もー番よく守られているが、この傾向は後の質問のすべてを通じてみられることであり、もっとも適応的な型を示すものと考えられる。


進学校のA校では内発的に拒否があるが、底辺校であるE校では外発的な理由によるようだ。

男子の場合A、B二校はマイホーム主義的平凡型において他の西校よりほるかに少なく、成就型において逆に多い。



上位校では、平凡ではなく、人生で何事か成就させようと思っているようだ。周りからの「期待」があり、それに「応えよう」(もしくは「答えてきた」)という経験からくる反応であろう。


そのこともあって、よくする話題の種類にも特徴が出る。


特にA校では思想の話が良くでるようである。この論文は1967年のものであり、学生運動期のものだけに、学生運動に興味を引かれる学生が多々いたのであろうと考えられる。現在ではまた違った傾向が見られるのではないかと思われる。



以下は論文の趣旨とは外れるものだがメモ。

義育年限の延長は、家族への依存を長期化させる自律性への逆作用となり、社会の分化に対応するところの開かれた職業選択の範囲と、競合する多元的規範は、一種のアミノーに近い状態として青年に強い困惑を与えることになる。


「ひきこもり」の大きな原因は「学校化」であろうと思われる。「学校に行くのが当然」という価値観の浸透が「不登校」という逸脱を生みだしている点、家族・学校への依存がたの集団への適応を困難にしている点などが想定される。

アメリカでは、この分化がかなり、はっきりしているようである。それは、アメリカにおいては、社会全体に、「人とうまくやって行くこと」(get along with people)が、専門的能力と同じ位、成功の条件として重視され、親も又、子どもが同輩集団の中で称賛を得ることや、友好的であることの必要性を認めているからである。


パーソンズが書いているようだ。

  • Parsons, T., Toward a General Theory of Action, 1952 : p. 129, p. 151, 223~5

Toward a General Theory of Action: Theoretical Foundations for the Social Sciences (Social Science Classics Series)

Toward a General Theory of Action: Theoretical Foundations for the Social Sciences (Social Science Classics Series)