白河夜舟


吉本ばなな『白川夜船』文庫版あとがきより。

 私は本当によく寝ていた時期があった。あまりにも寝ていたので足は弱くなり、歩き方も変になり、お肌も調子が悪くなり、性格は暗くなり、なにひとついいことはなかった。復活したときには、冬眠後の熊のように、世の中と自分を調整することがしばらくむつかしくてたいへんだった。まるで目が覚めたかのように、私は立ち上がった。それからはずっと、あんなふうには寝ていない。


白河夜船 (新潮文庫)

白河夜船 (新潮文庫)


『白河夜船』本文70-1ページより。

 朝、早く起き、仕度をして家を出る。そんな簡単なことが、ずっと家でただ電話を待っていた私にとってはものすごく苦しいことだった。たった三日間の研修と、三日間の本番なのに、つらくて仕方がなかった。なにをしていても眠くて眠くていつもとろけそうだったし、同い歳くらいの女の子に混ざっていることも、いっぺんにいろんなことをおぼえることも、説明文の暗記も、立ち仕事も、悪夢のようにヘビーだった。ものを考えるひまもなかった。引き受けたことをどれほど後悔したことか。 しかし私ほ、ほんの短い期間に自分の中のいろいろなことが、いつの間にかどれほど退化していたかを思い知った。働くことなんていつだって大嫌いだし、アルバイトなんてもともとどうでもいいという気持ちには全然、変化はないけれど、そんなことではなくて……なにか、背すじのようなもの、いつでも次のことをはじめられるということ、希望や期待みたいなこと……うまく、言えない。でも、いつの間にか私が投げてしまっていたこと、自分でも気づかずに、しおりも投げてしまっていたことが、きっとそれだった。遅さえ良ければ、それでもそのままずっと生きてゆけたのかもしれないけれど、それに耐えてゆくにはしおりは弱すぎた。流れも彼女をまるごとのみ込んでしまうほどに強かった。
 だからといって私になにかめどが立ったわけではない。でも、むりやり毎朝七時に起きてあわてて部屋を出て、一日中自分の眠い心と体をいじめることには、部屋で眠り込むつらさよりももっと生々しいものがあった。私は疲労し、口もきけなくなって彼からの電話も三回に一回くらいしかまともに出られなかったが、それも気にならないくらいへとへとだった。その六日間が終わったら、またただの眠り女になるかもしれないと思うことが、目の前が暗くなるほど恐ろしかったが、つとめて考えまいとした。彼のことさえ、全く考えない時間があった。うそみたいだ。そしてそうしているうちにあの、おかしなまでの、狂暴な眠けが少しずつ、本当に少しずつ体から引いてゆくのがわかった。足はばんばんにむくみ、部屋は汚れ、目の下に隈ができた。お金がほしいわけではなく、目的のない労働だったので本当にただつらかった。


なんとなく通じるものがあるような気がしたのでコピペ。



5年ぶりくらいに再読。3つの短編のうち『夜と夜の恋人』が面白かった。