斎藤環「暴力で「ひきこもり」は治らない」

斎藤環,2006,
「暴力で「ひきこもり」は治らない」
『Voice』2006年6月号


アイ・メンタルスクール拉致監禁致死事件」についての斎藤環氏の論考。

 杉浦容疑者自身、メディアでも露悪的に「拉致」という表現を使用している。ここには専門家ですら対応できない問題を、自ら手を汚してでも引き受けるのだという、いわばアウトロー的正義感が垣間見える。「私がやらなければ誰がやる」というわけだ。こうした姉妹の「支援」活動を、面白がって取り上げつづけたメディアも共犯である。
 もっとも「世間」は、この種の事件にはかなり同情的だ。起きたことは紛うことなき犯罪なのだが、それでも人々は、どうしようもない困った「子ども」(被害者はもちろん成人である)を救うためにはやむをえなかったのだと、まるで善意の失敗であるかのような解釈をしたがるのだ。しかし、ほんとうにそうだろうか。


 専門家に九段げでは何も解決しない。解決のためにはまず家族自身が変わる必要がある。あえていうが、「丸投げ」は「子捨て」 に等しい。その意味で私が懸念するのは、事件以降もくだんの施設に留まった「子ども」たちが、まだ数十人もいるという事実である。彼らがすでに親からも見放された存在ではないことを願うばかりだ。


 あらためて確認しておこう。治療や支援の現場でなされるいかなる暴力ないし強制は、否定されるべきである。奇麗事ではない。私は日々の臨床のなかで自問自答しながらそのことを確認してきた。暴力や強制はたんに反治療的なのだ。「当事者の自尊心を最後まで尊重する」という姿勢なしには何も始まりはしない。


ここで示されているのは3点。

  1. ひきこもり支援に「暴力」を持ち込むのは反治療的である
  2. ゆえに子供を救うための善意の失敗ではない
  3. 専門家への丸投げは「子捨て」に等しい

ひきこもり支援というものに「暴力」を持ち込むのは杉浦氏の姉である長田百合子氏も同様である。


参考: