井出草平の研究ノート

井上洋一「大学の学生相談の現状」

井上洋一,2005,
「大学の学生相談の現状」
『思春期青年期精神医学』15(2) 175-180.


井上洋一は大阪大学の保健センターにいる精神科医である。また、大阪大学大学院医学系研究科 精神医学教室 精神病理研究室の教授でもある。
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/psy/www/jp/labo/byori.html


以下は「大学生」の記述である。いろいろな意味で非常に「よくわかる」ものである。

 新入生にとって大学入学はどのような体験であろうか。小学校以来 事実上義務教育化している高校を卒業するまでの間に彼らが経験したことがない新しい環境として大学は新入生の前に出現する。教室に縛りつけられていた高校時代とは異なり,学生には多くの自由が与えられている。自分の判断で授業を選択し,授業に出席し。試験を受けて単位をとる。親元を離れて初めての一人暮らしを経験する学生もいる。アルバイトをして収入を得る。多種多様なサークル活動が行われている。新入生は受験勉強中心の禁欲的な生活から抜け出し,一度に自由と責任を与えられ.本人の判断と実行にすべてが任される。そして4年後には就職活動,大学院入試など自分の将来を選択するための決断を迫られる。
 大学生活はそれまでの自分と将来の自分をつなぐ分岐点であり,新しい状況に次々に直面し,多様な悩みが生じる時期である。


井上洋一は保健センターでの学生相談を担当しており、その中で直面した状況を記述している。

(2)不登校・ひきこもりその他の問題
 筆者が担当している学生相談では,不登校,引きこもりといった内容の相談への対応に多くの力を割いている。不登校や引きこもりのきっかけは,様々であるが,多いのは交友関係のなさ,授業についていけない,目標喪失,意欲の低下などである。また大学生活上に生じた問題に対する現実的取り組みの弱さ,あるいは問題意識の乏しさを感じさせられることも多い。広汎性発達障害の概念に該当するほど明瞭ではないが,場の空気が読めないと訴える学生がいる。通常の対人葛藤ではなく,他人とのかみ合わなさを悩むかれらは,発達障害スペクトルとして理解することができるのかもしれない。また稀に広汎性発達障害の診断がつく事例もある。
 特徴的な問題の一つに研究室への不適応,あるいは研究実績が上がらないことを悩む大学院生の相談がある。筆者の勤務する大学は大学院大学であり.理系の学生の7割近くが修士課程へ進む。研究室は閉じられた狭い世界であり,学生は少人数の密な人間関係を初めて体験する。研究室内の人間関係に悩む学生も多い。また業績への圧力が強く,実験がうまくいかない場合には.学生は強いプレッシャーを感じる。修士課程に進んでも,勉強に専念できるわけではない。修士の1年目後半から就職活動が始まる。インターネットによる検索,エントリーシートの作成,会社訪問,数次にわたる面接などをこなしていかなければならない。内定が得られずに,就職活動が長引くと,その上に修士論文の作成といった重要な課題が重なってきて,精神的な疲弊や不安が生じやすい。
 長い受験勉強を経て大学に入学し,勉強に関してはベテランの学生であっても人間関係や社全体験に関しては一 極めて未熟な学生がいる。就職活動や大学院での研究で初めての挫折を体験すると立ち直りが容易ではない。不登校,休学,ひきこもり,退学といった経過をたどる事例もあり,適切なサポートが必要である。これらの事例では家族からの相談も多く,家族面接も学生相談の重要な仕事の一つである。勉強が分からない,あるいは単位が取れないといったことがきっかけとなって大学を休み始め,長期化する例にもよく遭遇する。本人が下宿している場合,家族は子どもの不登校に気づかないことが多い。


これについても「よくわかる」。


以下は、現在の大学の学生相談に関する記述。(1277校が対象の日本学生相談学会による調査)

 週40時間勤務を1人として計算すると実質カウンセラー数は全体平均で0.76人であった。在学学生数が1万人以上の大学に限ると実質カウンセラー数は2.13人であった。


日本での学生相談の歴史。基本的にはあまり根付かなかったようだ。

1951年に米国のSPS(Stuent Personell Service)の考え方がわが国に紹介されている4)。米国の大学では,知的にも人格的にも学生
の成長を促し.立派な市民にすることが大学の使命とされてきた。戦後間もなく,わが国の大学教育は厚生補導の概念の下に,すべての教職員の関与で.学生を全人的に育てるという新しい理想を掲げた。この理念の下に.学生相談室が徐々に全国の大学で開設されるようになった。しかしこのような新しい考え方は容易には根付かなかった。

 このような流れに転機をもたらしたのが2000年に文部省高等教育局から提出された「広中レポート」であった。「大学における学生生活の充実方策について」10回の審議を経て提出された報告書である。「学生の立場に立った大学づくりを目指して」との副題をつけた広中レポートはその後のわが国の学生相談を方向つけることになった。


広中レポートとは以下の答申だと思われる。

参考:大学における学生生活の充実に関する調査研究協力者会議

 広中レポートはいくつかの提言をしている.これらは現在各大学で行われつつある学生援助の具体的な内容でもあり,いくつかを紹介したい。

  1. ファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development)*1
  2. 入学時オリキンテーション
  3. 少人数教育

*1:教員の活性化なくして、大学の活性化はあり得ないという考え方から、大学の基本資産である大学教員の資質・能力の向上と開発を指す。英国では Staff Development と呼ばれている