井出草平の研究ノート

近藤直司「青年期ひきこもりケースと「ひきこもり」概念について」

近藤直司,2006,
「青年期ひきこもりケースと「ひきこもり」概念について」
『精神科治療学』21(11);1223−1228.


「ひきこもり」という概念についての論文。
近藤直司氏というと「ひきこもり」はすべからく診断名がつくという立場の人。


以下は斎藤環によって広く一般化した「ひきこもり」という概念についての検討。

 いずれにしても,精神医学ではひきこもりを症状ないしは状態と捉えるのが一般的であり,症状・状態の背景には,その原因となる疾患・障害が存在するというのが基本的な考え方であった。しかし,こうした精神医学的常識は,社会的ひきこもりの「定義」が普及した頃から,にわかに混乱し始めたように思われる。たとえば斎藤は,「社会的ひきこもり」を「二十代後半までに問題化し,六カ月以上,自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続しており,ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」と定義し,同時に,「社会的ひきこもり」は診断名ではなく,自らが「社会的ひきこもり」と呼ぶ事例は,国際診断基準では社会恐怖と回避性パーソナリティ障害のいずれかに分類されるとも述べた。この説明は確かにわかりにくいのだが,むしろ,かなり多くの専門家が,その妥当性についての検証を欠いたまま,上述の「定義」を一つの診断カテゴリーのように解釈したことに大きな問題があったように思う。厚生労働科学研究「地域精神保健活動における介入のあり方に関する研究」(主任研究者:伊藤順一郎)の中間報告において同様の「定義」が示されたことも影響が大きかったようである。
 こうして,「社会的ひきこもり」という用語が症状や状態像を指すのか,あるいは診断名なのか,社会的交流や社会参加の機会をもとうとしないが,病理的とも言えないような若者たちを指す用語なのか,混沌とした状況に陥っていったように思われる。これと同時に,個人精神病理(生物的一心理的側面)と家族状況や時代・文化・社会的背景(社会的側面)など,さまざまな要因が関連しているという問題認識から生物学的な視点が欠落し,心理一社会的な側面ばかりが強調されるようになった。「ほかの精神障害が第一の原因とは考えにくい」という記述を,「社会的ひきこもりの本人には病理性がない」と解釈した臨床心理学領域の論評や,「ひきこもりは精神科医療の対象ではない」と言い切る精神科医も現れた。診断名として「社会的ひきこもり」を用いた学会発表に対して,海外の精神科医がひきこもりは症状であり,診断には国際的な診断基準を使用するべきであると厳しく批判する場面に居合わせたこともある。一部のNPOなどにみられた「ひきこもりほ甘えである」「ひきこもりには厳しく接しなければならない」という偏った画一的解釈や犯罪的な活動の発生にも,このような概念の混乱が一因となったように思われるのである。


近藤氏の整理によると3つの「ひきこもり」理解があるという。

  1. 「ひきこもり」にすべて診断名をつける立場
  2. 診断名のつくものと、診断名のつかないものに分ける立場=「ひきこもり」という新カテゴリの設立
  3. 「ひきこもり」には診断名がつかない

ひきこもり概念の再整理

 次に,精神医学におけるひきこもりの捉え方について,改めて検討してみたい。現在,社会的ひきこもりの捉え方や,現行の診断体系との関連をどのように理解するかといった点については,いくつかの立場があるように思う。
 第一は,「ひきこもり」「社会的ひきこもり」を症状・状態像として捉え,その原因となる精神障害を従来の精神科診断分類に沿って同定しようとする立場である。たとえば近藤らは,精神保健福祉センターで受け付けたひきこもりケースの精神医学的診断について報告した。この研究では,『社会的ひきこもり』を「対人関係を回避し,孤立している状態」を指すものとし,「ごく限られた範囲の社会参加にとどまるもの,あるいは家族やインターネット上の交流だけが保たれているもの」も含めることとした。2001年4月から2005年3月の間に受けた新規相談ケースのうち,社会的ひきこもりがみられた青年期ケース(16歳〜35歳)は88件,このうち初回相談の時点で6カ月以上にわたって『社会的ひきこもり』が持続しており,支援経過において,本人が1回以上来談した24ケースを対象にDSM−Ⅳに基づいて診断を検討した。その結果,情報不足のために診断を保留した3件以外には,すべてのケースに何らかの診断が付与された。


近藤氏らによる論文。該当する論文は以下のもの。

 第二に,一部のひきこもりケースの精神病理を記述・診断するためには,現行の診断分類以外の新カテゴリーが必要であるとする立場がある。こうした仮説の学術的検証を試みている研究としては,諏訪らの報告がある。この研究では,精神保健福祉センターで実施しているひきこもり青年の活動グループに参加していた14例の精神医学的診断が検討されており,社会恐怖強迫性障害,妄想性障害,広汎性発達障害がそれぞれ2例ずつ,身体表現性障害,うつ病性障害,注意欠陥/多動性障害,境界知能が1例ずつであったとしている。そして従来の診断カテゴリーには分類できないとされる「一次性ひきこもり」の2例は,スキゾイド,回避,自己愛などの性格傾向を有するものの,パーソナリティ障害と判断できるような固定的な性格病理はみられず,ひきこもり以外には人格の偏りに起因する他の症状や問題行動は認められなかったという。
 DSM−Ⅳに準じれば,「一次性ひきこもり」はパーソナリティ傾向personality traitとしてII軸に記載するのが適当ではないかと思われる。筆者自身は,新カテゴリーを提唱するよりも国際的な診断基準を尊重する方がよいと考えているが,諏訪らは,ひきこもりを症状・状態として捉え,その原因となる疾患・障害を診断する立場を明確にしており,その点においては第一の立場と同じである。


諏訪氏らの論文は以下のもの。

  • 諏訪真美・鈴木國文:「一次性ひきこもり」の精神病理学的特徴.精神経誌,104:1228−1241,2002.

 第三に,広瀬,清水が指摘したような,社会的ひきこもりをきたしている青年期ケースの「中核群」は現行の診断カテゴリーには当てはまらない,疾病でもなければ,狭義の医学的治療の対象でもないという見解があるが,これは現場の臨床経験とは隔たりが大きい。「一次性ひきこもり」やDSM−Ⅳにおける「パーソナリティ傾向」が「疾病でもなければ,狭義の医学的治療の対象でもない」ケースに相当するのかもしれないが,近藤,諏訪らの報告では,主診断として一次性ひきこもりやパーソナリティ傾向が付与されたケースは全体のごく一部である。


広瀬・清水氏の論文は以下のもの。

  • 清水將之:ひきこもりを考える.精神医学,45;230−234,2003.

近藤氏の整理は「診断名」が(1)「つく」(2)「つくものとつかないものがある」(3)「つかない」という整理になっている。つまり、「診断名」がつくのか?つかないのか?という所に焦点がある。


DSMに準拠した精神医学では対象の「状態」を見て、その状態に近いものをマニュアルの中から探してきて、診断名をつけるというのが基本的な「診断」の手順である。DSMにはPTSD適応障害などには「因果的」な考え方があるが、基本的には「状態」をみるものになる。


一方で、社会学というのは基本的には「因果」について語るものである。つまり「原因」についての探求が社会学の行うものである。近藤氏の整理は「状態」と「診断」に準拠して行われているので、社会学による整理とは相容れないものになるように思われる。