森田洋司『「不登校」現象の社会学』


こちらの研究会のレジメというか、議論の参考にするための引用たち。メモとして。


第III部 現代社会と不登校問題
第8章 学校社会の私事化
 第1節 社会の近代化と私事化現象

こうした現代社会の主要な動向を社会学では「プライバタイゼ-ション(privatization)」と呼び, 「私化」または「私事化」という訳語をあてている.
 この概念を日本社会の分析にあてはめ,現代社会が直面するさまざまな問題を解(キーワードの一つとして提起したのは丸山真男である.彼は,まず日本社会の「近代化」に焦点をあて, 「近代化」を,共同体の紐帯から個人が解放されてゆく「個人析出」 (individuation)のプロセスとして捉え,この「個人析出」のパターンとして図8-1のような「自立化」(individualization) 「民主化」(democratization) 「私化」 (privatization) 「原子化」 (atomization)の四つを抽出している.そして,このパターンが,個人が社会との関係について抱く意識を規定するものとして位置づけている.


第2節 第一次私事化過程

個人を直接全体社会や地域社会へと接合する献身価値の回路の衰退と,中間集団を媒介集団として全体社会や地域社会へと献身する回路の衰退によって,個人と中間集団との関係だけに献身価値が一元化したのが戦後社会の「第一次私事化」現象である.


 第3節 第二次私事化過程

「第二次私事化」は,中間集団である企業や学校社会 に対する献身価値すらゆらぎを示し,充足価値へと「価値の秤」が傾斜する段階である.「新人類」「ミーイズム」「私生活尊重主義」などはこうした第二次私事化の表徴である.

  • 第一の揺らぎ……社会的地位に関する評価体系のゆらぎ
  • 第二のゆらぎ……地位の上昇だけが将来の幸せではないという考え方が現われてきたこと
    →生活の安定と豊かさを背景として生まれたもの
  • 第三のゆらぎ……いい成績→いい大学というラインの結びつきの局面においてである.


第9章 ボンド理論による不登校生成モデル
 第1節 意味を求める子ども達

 この傾向は子どもたちにも広がっており,現在の生活を将来のために位置付けるという風潮は薄れ,「明日は明日でなんとかなる」という感覚を身につけてきている.豊かさの中で常に欲求は満たされ,場合によっては望んでもいないのにまわりから先回りして与えられる生活を送ってきた現代の子ども達にとって,それは当然の傾向であろう.豊かさは,将来の物質的な動機づけの力さえも弱体化する.


第2節 ボンド理論

ボンド理論とは,犯罪行動が行動として表われるのを抑制している要素,いいかえれば人びとを規範的な世界に押しとどめている要素に着目する理論であり,犯罪はこれらの要素が弱まったり,欠如する場合に発生すると考える.マートンをはじめとする緊張理論などの従来の原因論が「なぜ人びとが規範に従わないのか」あるいはなぜ逸脱に走るのかを説明しようとする理論であるとすれば,ボンド理論は,この間いを逆転させ,「なぜ人びとは規範に従っているのか」,あるいはなぜ人びとは逸脱に走らないのかを説明しようとする理論である.


 第3節 対人関係

現代の子ども達には,この空間さえもが気の合う同年齢のごく少数の人間に限定されているということは,異質な人間との対人関係の取り方を社会化する場が縮小していくことを意味する.業間・放課後の親密な関係への内閉化が,アジール機能をもつという点では子ども達の欲求を充足させ,やすらぎを与えているが,他方では,社会化機能を縮小するという問題を抱え,それが不登校問題にも影響していることは考慮しておく必要がある.


 第4節 手段的自己実現

不登校生徒に,成績が低いという認知が顕著に多いということは,それだけ不登校群の生徒に,目標の実現に際して問題を呈する生徒が多く含まれていることを予想させる.


 第5節 コンサマトリー自己実現と触脱の回路

自主的な活動の場であり,自己実現を図りつつ生徒の資質や能力を伸ばして個性化を図っていく場である部活動に対して,不登校生徒の半数が苦痛や無意味さを訴えていることである.また,学校行事は,単調になりがちな学校生活のサイクルにアクセントをつけるイベント的な色彩をもつ活動である.遠足,文化祭,体育祭などは,そのためお祭り的な要素をもち,いわば学校生括の「ハレ」の部分として機能している活動である.しかし,日常性の「ケ」を破り,再び「ケ」への活動を促進する学校行事が,多くの子ども遠からは,「ハレ」のもつ伸びやかさとしてではなく,窮屈なものとして受け止められていることには注意しておかなければならない.


 第6節 規範的正当性への信念

 表からも明らかなように,校則の中におかしいと思うものが「たくさんある」と答えている生徒は,出席群では19.1%であるのに対して不登校群では三分の一の33.8%に達している.これに「すこしはある」と回答している生徒を含めると,不登校生徒群の実に8割近くに達している.このように,不登校生徒は,出席群の生徒に比べて,校則の中に正当性を欠いた納得できないものがあるとする生徒を多く含んでいる.もちろんここでは校則の具体的な内容にまで立ち入って聞いているわけではないので,不当だとしている校則が出欠扱いに関する規範や遅刻指導などに向けられたものであるのか,それとも,服装やその他の領域の行動規範に向けられた意識かを弁別することはできない.しかし,いずれにしても,規範への正当性の欠如と不登校行動とは関連があることをこのデータは示している.


第10章 学校社会における「私」性の存立構造
第1節 日本社会における「公」と「私」の関係

 この無際限な「欲望主義」は,欲求が解放されながら,新たな「公」ないし「public」の観念も「私」ないし「private」の観念も,また両者の関係に関する理念もが未成熟なことによる.個人と個人とが共有する公的領域に関する関係概念としての「public」の観念を欠き,私的領域の中核に位置すべき不可侵な放棄することのできない個我としての人格も育っていない.そのために,安永が指摘したように,欲望主義がもたらす私権の主張には執着するが,他者の私権には無感覚であり,容易に相手の人格を踏みにじる体質を形成することになる.「公」と「私」の境界は相変わらず曖昧であり,「私」性は軽視され,「公」の「ワタクシゴト化」は依然として続いている.欲望だけは解放されたが,プロトタイプの基本特性には大きな変化はない.本書が,西欧近代市民社会の理念を背景として登場してきた現象学的社会学やシンボル的相互作用諭の「私化」という訳語を採用せず,現代の日本社会の現実を「私事化」と規定したのは,こうした日本社会の動向を考慮したためである.


森田は有賀を引用している。有賀についてはこちらでも取り上げたことがある。


 第2節 学校社会の中の「私」性

もし,学校生活の中に子ども達が自己実現できる空間や機会が提供されていれば,問題はそれで解決するのであろうか.これまでに検討してきたように,現在の学校生括のさまざまな領域は必ずしも多くの子ども達にとって満足すべき場ではなかった.したがって,子ども達の意味の探求を引き出すような機会や場が学校社会の中に与えられていれば,たしかに問題は解消されるように見受けられる.しかし,学校社会の中で,依然として「私」性が否定され,個性化が図られていなければ,自立した欲求主体となることはできない.つまり、「私」性の存立基盤が脆いままに,いくら自己実現を図る機会や場を提供したとしても,そこに自分なりの意味を求めて関わり,充足された自己実現を図る主体となることができない.


 第3節 残された課題