井出草平の研究ノート

佐藤幹夫『自閉症裁判』


自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」

自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」


レッサーパンダ事件(浅草事件)のルポ。加害者が犯罪に至るまでの人生を了解できるし、事件についても非常に詳細に書かれてある。非常に興味深く、読む価値のある本であると思う。ちなみに、この事件の加害者加害者に焦点を当てて書かれてある。


裁判での争点の一つは「広汎性発達障害」だったようである。「広汎性発達障害」が大きく取り上げられた初めての裁判であったということである。
この裁判では2人の精神科医の主張が「広汎性発達障害」をめぐって対立している。簡易鑑定をした精神科医の米元利彰氏は次のように述べている。

米元氏は、自分が鑑定を依頼されたのは、主として知的能力の問題、動機の不可解さ、精神疾患の有無、刑事責任能力の有無、それが鑑定の、主旨だったと断りながらも、一貫して「被告は自閉的傾向をもつが、精神遅滞という範疇で理解可能である」と述べた(77ページ)


鑑定医は、自閉的な傾向は持つものの、広汎性発達障害という診断は下ろす妥当性はないと考えている。それに対して弁護側の証人である精神科医高岡健氏の主張は次のようにまとめられている。

 そして広汎性発達障害は、通常の自閉性障害、アスペルガ一障害、特定不能の自閉性の障害と分類されるが、被告は自閉性の障害の可能性が高いのではないかと高岡氏は述べた。(79ページ)


争点は、責任能力の問題でも、減刑の問題でもない。精神遅滞があることは前提として、広汎性発達障害であるかどうかということが争点になっているのである。もちろん、広汎性発達障害であったとしても責任能力がないということにはならないので、減刑や免罪になったりはしない。


個人的な感想だが、加害者の記述と両精神科医のやりとりを読んでも加害者が広汎性発達障害という診断をおろすことが妥当であるという判断には至らなかった。鑑定医の米元氏の認識である「精神遅滞」という診断に付随的に「自閉的傾向」があるという認識にはそれほど問題があるようには思えないし、少なくとも米元・高岡の両精神科医の応答を読む限り「精神遅滞」という診断の正当性は担保されていると思われる。


また、DSMに従う形で、加害者に広汎性発達障害に属する具体的な診断名をつけるだけの根拠は読み取れなかった。というよりも、診断に必要な情報がほとんど記載されていないのである。加害者が広汎性発達障害ではないのではないか、ということが言いたいわけではなく、記述がないので判断できないと言った方が正確だろうか。診断基準に従う形で、広汎性発達障害があることを明確に示す記述が欲しかった。


とはいえ、加害者が自閉症と無関連だったという可能性はかなり低い(診断名はつくか、つかないかは別にして)。「自閉症スペクトラム」の中に入るというのはおそらく間違いないと思われる。詳細をもう少し知るために高岡健自閉症スペクトラム・浅草事件の検証』(ISBN:4826504284)を読んでみたい。


上記のこととは関係なく、本文中の広汎性発達障害に関連する記述で気になるものがあったので書いておきたい。

 まず、米元氏は公判中、平成六年より七〇〇例ほどの簡易鑑定を行ってきたが、広汎性発達障害自閉症と診断したケースは皆無であり、多くが反社会性人格障害精神遅滞として判定できたと答えていた。これは広汎性発達障害の子どもたちは全体の六パーセントを超える数が算出されると言われる点から見ても、統計的にありえないことであり、やはり「不自然」である。(89ページ)


広汎性発達障害が6%という部分である。


児童犯罪者全体の6%か、一般の児童の6%かは文章からは判断出来ないが、発達障害の調査で6%という数字が出ているのは文部科学省による調査(通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童・生徒に関する実態調査)ではないかと思われる。


この調査では全児童の中では「軽度発達障害」が疑われる割合が6.3%と言われている。「軽度発達障害」というのは、「学習障害(LD)」「注意欠陥多動性障害(ADHD)」「高機能自閉症アスペルガー症候群などの広汎性発達障害(PDD)」「軽度の知的障害」「発達性協調運動障害」を含めた概念*1である。従って、6.3%という数字は広汎性発達障害の割合ではない。もし、この本での「広汎性発達障害の子どもたちは全体の六パーセント」という根拠が文部科学省の調査ならば、この記述は「軽度発達障害」と「広汎性発達障害」を混同している誤記ということになろう。


また、この調査そのものにも問題がある。なぜなら、精神科医による診断がなされたのではなく、教師によって数えられている調査だからである。そのためかこの調査には非常におかしな問題が起きている。全国と東京で大きな数値の差が存在するのである。


東京都 全国
学習面か行動面で著しい困難を示す 4.4 6.3
学習面で著しい困難を示す 2.9 4.5
行動面で著しい困難を示す 3 2.9
学習面と行動面ともに著しい困難を示す 1.5 1.2
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2003/11/60dbr300.htm


全国は東京の1.5倍の割合になっている。軽度発達障害の児童は東京では少ないことになっている。生まれつきの障害と言われている発達障害で、地域によって1.5倍の差がつくのは明らかにおかしい。データとして差が出ているのは「学習面での困難」であるので、東京には学習障害(LD)と軽度の知的障害の児童がなぜか少ないことになる。


おそらくこの原因は社会的な経済的地域格差・教育環境にあるのではないかと思われる。つまり、東京の方が教育環境が他の地方より恵まれているため、「学習面での困難」があると教師の目に映る生徒が他の地域よりも少ないのではないかという可能性である。この調査は特別支援教育の予算を取るために行われた側面が大きく、調査設計が軽度発達障害者の割合を水増できるようになっている。この水増し方法が思わぬ所で、医学的に説明出来ない地域格差の数値の差を出してしまったのでは無かろうか。


ちなみに、正当に科学的に数えられたものによると、「自閉性障害」の有病率は0.05%(報告によって0.02%〜0.2%までの幅がある)とされている(DSM-IV-TR)。またアスペルガー障害の有病率はDSMでは資料がないとされている(DSM-IV-TR)。


もちろん、この6パーセントの記述はこの本の本筋とは離れたものであるので、この本の評価を下げるものではないことは明記しておきたい。

*1:杉山登志郎によるもの