サブ政治


篠原一の『市民の政治学―討議デモクラシーとは何か』(ISBN:4004308720)を読んでいて「サブ政治」の解説部分が簡潔で分かり易かったのでメモ。「サブ政治」という用語はベックの『危険社会』(ISBN:4588006096)でも後半に頻出している。

 しかし、社会国家という形の公的介入が限界に達し、他方、経済的技術的発展が未知の危険をもたらすようになって、事態は変貌する。つまり一方では、これまで中央の政治システムによって行われてきた決定の有効範囲が狭められ、たとえば市民運動や社会運動や自発的結社など、外からの「入力」という形で政治参加をすることが必要になり、政治の境界線が曖昧になる。他方では、経済=技術が非政治としての性格を失い、そこから新しい政治と思われるような現象が生まれる。つまり新たなる社会の輪郭は議会の合意や行政府の決定によって決められるのではなく、むしろ電子工学、原子炉技術、遺伝子学などの発達によって決められるようになる。こうして、ペックのいうように、政治と非政治の他に第三の政治、いわば「サブ政治(亜政治・下位政治)」というカテゴリーが生まれる。
 一九七〇年代末に、イデオロギー政治と利益政治という、これまでの近代政治の形に対して、生と生活に関するライブリー・ポリティクスの時代が到来しつつあるということを示唆した政治学者がいたが(スーザン・バージャー)、サブ政治はこのライブリー政治と重なる概念である。「第三の道」のイデオローグの中には、ギデンズのように、これを生活(ライフ)政治とよぶ人もいる。(54-5)


この本に関してはベックやハーバーマスといった社会学者の議論がベースになっているのでさらっと読めるが、方法論的立場としては、自分とは相容れないものが書かれているという感想。「主義」が先にありきという議論に馴染めなくなっているようだ。「主義」を先に位置づけ後から事実を肉付けするのではなく、事実から最適解を生み出す方法に思考パターンが変化している。いつから思想ではなく社会科学を足場に物事を捉えるようになったのだろうか。内容とは関係なく少々感慨深くなった。