小田晋「社会をとりまく不安」

小田晋,2006,
「社会をとりまく不安--社会精神病理学的解釈」(特別企画 不安とむきあう)
『こころの科学』 (通号 128),64〜68


下記は、不登校統合失調症だったらというもの。

この形の行動の精神病理学的中核をなしているのは統合失調症であり、その基本症状の一つとして自閉がある。一九六〇年代の日本では、思春期の不登校事例は精神科医によって単一型または破瓜型の精神分裂病(当時の名称)と認知されることが多かった。その後、「不登校は管理教育に対する子どもの正当な抵抗」とみなされる傾向が、とくに冒頭に述べた動向と同調して強くなり、カウンセリング上も「登校刺激を与えないし「学校の存在を軽いものにしよう」ということが主流となり、不登校者の入院治療は「人権侵害」であるとして、それを行った医師に対して個人攻撃が集中するようになった。
 そのまま腫れ物に触るようにして三〇歳台まで放置した結果、統合失調症が発病していることが顕在化した場合、すでに社会復帰の資源はほとんど存在しない。


文中に出てくる「それを行った医師」とは稲村博氏のこと。登校拒否は病気かどうか?という点に関しては、一概に「病気ではない」と言い切るのは危険である。一つの例としては、ここにあがっている統合失調症だった場合で、早期に精神医学的治療を行った方が良い。不登校と精神医学を安易に切り離すべきであるという主張に警鐘をならすことに使えそうである。


とはいえ、すべてのケースで精神医学的な介入が必要というわけではない。病気だとして医学的処置のみを求める(これは親に見られがちなことだが)投薬のみで解決しようと思うのもあまりよくない。小田氏も1985年の「不登校現象と薬剤」という論文で以下のように言っている。

一般科の開業医及び薬局主諸氏にお敵いしたいことであるが初期の身体症状に対して<自律神経失調症>という病名や<軽度の肝臓障害><アレルギー体質>その他何でも適当な病名を貼りつけ,穏和安定剤や自律神経安定剤などを投与したり,「家伝の秘法」である漢方薬や強肝剤あるいは「アレルギーを脱感作」したり,「自律神経を強化」する毒物を売りつけることだけは止めて貰いたい.


不登校の場合は,こういう病名を粘りつけることによって当人にも親にも,「疾病への逃避」を行う口実を与えてしまい,「愁訴が取れたら学校に行く」という遁辞の吸熱になるからである.<学校恐怖症>とか<登校拒否>とかいう判定は,歯に衣を着せずに当人に告げるべきである.


以下は犯罪との関連について述べたところ。小田氏の小児性愛等への見解は横に置き、興味深い記述だけを引用。

 前記の滋賀の事件、および「男児投げ落とし、成人女性投げ落とし未遂事件」では、加害者はいずれも精神科受診歴があった。そのことについての詳細は報道されないだけに、かえって、精神障害者は一般に危険である、「うつ病で通院歴のある隣の奥さんには子どもを近寄らせたくない」といった不当で、理由のない偏見や不安を人々に生み出しているのではないか。こういう場合、報道を規制するほど、人々の間には不安が高まり、精神科患者一般に対する恐怖が駆り立てられることになる。


殺人事件で精神鑑定がされて診断がされると精神的な「病気」を持った人は怖いということが広まる。「うつ病で通院歴のある隣の奥さんには子どもを近寄らせたくない」ということが起こったなら不幸なことである。この問題で問われているものは、他害の危険性がある精神障害とそれ以外のものを切り分けていくのか、他害の危険性のある精神障害については報道するべきか、という話であろう。