ロベール・カステル『社会の安全と不安全』

社会の安全と不安全―保護されるとはどういうことか (同志社大学ヒューマン・セキュリティ研究叢書)

社会の安全と不安全―保護されるとはどういうことか (同志社大学ヒューマン・セキュリティ研究叢書)


ホッブスやロックの分析から始まり、現代社会の持つ問題を考えてるというコンセプトの本。国家による「保護」というのがこの本のキーワード。70年代にはフーコーに接近していた学者であるので、フーコーとはまた違った表現でフーコーの洞察かちらほら見え隠れしていた(福祉国家論を論じている点と書いてしまうとあまりにも単純化しすぎだが)。


さて、最初の章は、ホッブスやロックなどの古典の分析から始まる。下記は、ホッブスリヴァイアサンから導かれる洞察。

絶対的国家は、人言支配をするためなら必要なあらゆる手段を動員することによって、すなわちあらゆる政治的権力を独占することによって、恐怖から諸個人を解放し、彼らが私的領域において自由に生きていくことを可能にする。

この前提を踏まえて「安全」と「保護」という考え方が生まれる。その一つの形が「社会学」だとカステルは言う。

デュルケームがよく見ていたように、「契約においてはすべてが契約によるというわけではない」のである。彼は、一九世紀末における自由主義的近代の破綻の明晰な証人であり、この破綻を受けて社会学の確立に向かうのである。社会学とは、すなわち集団の力の自覚である。諸個人の集団組織のシステムへの編入や再編入は、近代がもたらす社会の解体というリスクへの回答であり、安定的かつ統合的社会の確立が自由主義の原理ではもはや不可能であることが意識されるようになって以来、避けがたいものとなった保護問題への回答でもある。

社会学は「保護」への回答という分析は面白い。「社会的なるもの」の発生はいかにして生まれたかということを考えさせられる。これはデュルケームが規準論文や『自殺論』で展開したカント主義とは違った歴史的解釈とした考えられさせるところがある。


下記の所はルペン主義につながる部分。ルペン主義についてはあまり詳しく、日本の状況にはあまり当てはまらない(ネット右翼などはあるのだが)下記の記述は、社会問題全般を考える際に参考になる。

それこそが不安全化の大きな要因である。今日不安全の高まりについて語るのは、大部分は、徐々に変化する世界の中で自分の未来を支えることができず、道端に捨て置かれたと思い込んでいる一部の人々が存在しているからである。したがって、この一部の人たちが大切にしている価値は、彼らが恐怖感を抱いている未来に向けられるのではなく、むしろ過去にあるということがよくわかる。


これは準拠点の問題である。個人化・保険社会・リキッド・モダニティなどさまざまな言い方は存在しており、現在の社会状況は変化しつつある。その中で起こっている社会運動が理想としているのは「過去」の状態ではないのだろうか。そもそも希望者は正規雇用をされるという社会はあり得ない。しかし、それに拘泥した言説はちらほら見られる。そういうことを考えさせる記述である。