表層研究における検定の必要性--全数調査に検定は必要か

もう1ヶ月以上前になってしまうけども(←書くならもっと早く書け)、札幌学院大学で日本社会学会の一般報告で質問をしたのだが、質問がすこし言葉足らずだった気がしたので、少し補足をしようと思う。
いろいろな部会で質問をしたのだけど、補足をするのは下記の合同発表。ハンドアウトが東園子さんのものしかないゲットできていないので、不正確になるかもしれないので、そこはご容赦を。

マンガ研究と社会学研究の接点 (2)(テーマセッション(7))
少女向けテレビアニメにおける主人公の表象分析
増田のぞみ・東園子

この研究は戦後にテレビ放映されたアニメーションのさまざまな表象をデータベース化して、そこからアニメーションのダイナミズムを捉えようという趣旨のもの。データを収集をやっと終えたところという現状だそうなので、これからの研究が相当楽しみである。今回の発表では、、少女向けアニメに焦点をあてたものになっていた。


部会におられた方にはわざわざ発表の内容を説明をするまでもないが、そうでない方もおられると思うので、薄れかけた記憶を頼りに不正確ではあるが、一例を出して説明をしてみたい。エントリーの趣旨は検定の必要性の有無なので、研究の内容が間違っていてもご容赦を(ご容赦ばかり・・・)。


この研究は「データベース化したアニメの表象研究」だと一言で表現できる。発表の中ではいろいろな仮説が提示されていたが、その中から「髪の毛」の色に関する仮説をとりあげてみよう。


初期の少女アニメは舞台が西洋であることが的なものが描かれることが多かったそうだ。「ベルサイユのばら」を思い浮かべてみるとわかりやすい。舞台は革命当時のフランス・パリ、そして髪の毛は金髪である。金髪は西洋性を表象する記号として使われていたと考えられる。


アニメが発展するとともに、少女アニメも発展する。そうすると、髪の毛のもつ意味も変化する。特にわかりやすいのが、「美少女戦士セーラームーン」ではないかと思う。主人公たちは様々な色の髪の毛である。IQが300でクールビューティーの水野亜美(セーラーマーズ)の髪の毛は水色。巫女である火野レイ(セーラーマーキュリー)の髪の色は黒。


これはどこかの国を表象している訳ではない。髪の毛の機能としては2つ考えられる。


(1)それぞの色分けはキャラクターが判別が一瞬でつくという機能。みんな同じ金髪、同じ黒髪であれば、誰が誰か分からなくなる。


(2)主人公のキャラクターの性格・個性を表しているという機能。セーラームーンのキャラクターに与えられた色をよく見れば、キャラクターに合った色が髪の毛に採用されている。クールビューティーには水色がよく似合うし、日本の歴史を背負った巫女であれば、当然髪の毛は黒になろう。


このように、少女アニメが放映される頃と比べると、現在はキャラクターの性格・個性を表していると言えそうである。もちろん少年アニメでも事情は同じだ。ツンデレキャラは金髪という定番表象があるし、ひきこもり系キャラには青や水色が多い。(一番の有名どころではアスカ、綾波)


おそらく男の子向け、女の子向けで色に抱く感覚は違ってくるのだろうが、髪の毛の色が個性や性格を表象するようになってるのは、アニメを見ている人であれば何となく「わかる」ことであろう。


さて、そうすると、ここで一つの仮説ができる。少女アニメの放映初期では、髪の毛、特に金髪は西洋を表象するものだった一方で、現在では個人の性格や個性を表象するものへと変化したというものだ。


発表では様々な仮説についても議論されていたが、今回は検定がテーマなので、少女アニメで表象研究についてはこの辺で切り上げて検定の話に移りたい。


まずデータの性質を見てみよう。この研究で使用しているデータは戦後にテレビ放映された全アニメーションをすべて網羅している。「全数調査」と呼んで構わないだろう。


従って、本エントリーの趣旨は全数調査に検定をかけるべきかということになる。


教科書などでは(あまり教科書を読まないので具体的な本がぱっと思いつかないが)、サンプルを使った調査をする時には検定をしましょうと書いてあると思う。つまり、母集団(例えば日本国民すべて)に回答してもらうのは不可能なので、そこから手続きに則り、均一になるように代表者を選ぶ。うまく代表者を選ぶと、母集団(例えば日本国民)と限りなく近い調査結果が得られる。


とはいえ、サンプルと母集団は異なることがあるので、検定をかけましょう。5%の確率で異なる場合がありますよ、1%の確率で異なることがありますよということがわかって、とても大切です、ということが書いてあるはずだ。(たぶん第一種過誤、第二種過誤という言葉が使われて初学者退治に大活躍するあたり)


このような理解で間違いではないのだけども、だからといって、全数調査で検定がいらないということにはならない。


全数調査の検定について誰か発言している人はいないかと検索してみたところ、太郎丸先生と筒井先生が発言をしていた。


太郎丸先生のブログエントリーはこちら。
http://sociology.jugem.jp/?eid=550


筒井先生はツイッターで書かれている。


2人との知り合いじゃないか(しかも1人は指導教官じゃないか)というのはさておき、お2人注目しているのが「測定誤差」の問題だ。


サンプリング調査であれ、全数調査であれ、(1)何度聞いても同じ回答が返ってくる質問と(2)回答するたびに異なる回答が返ってくる「可能性」のある質問項目がある。


(1)前者の代表的なものは生年月日である。記入ミスをしない限り、個人の生年月日が変わることはない。つまり、測定時の誤差は理論的には想定できないのである。


ところが、(2)測るたびに異なる結果を出すものもある。筒井先生のツイートのトピックの授業評価もその一つだ。この授業評価を例にしてみよう。


例えば、すごくわかりにくい部分・単元の授業をやった後に、学生が評価をつけるとしよう。授業評価に「この授業先生の教え方はわかりやすかった」という項目があれば低得点になりそうだ。もと、学期末テストが他の科目より易しく、その採点が戻ってきた後の評価であれば、全体の評価は上がりそうだ。天気が土砂降りで、その日が評価日だったとしよう。服がびしゃびしゃに濡れて気分が最悪。その気分が授業評価にも影響を与えるかもしれない。


このようなことを考えると、授業評価のような項目はたとえ全数調査であっても、測るたびに数値が異なっている可能性が理論的に想定できる。従って、検定は必要なのである。


では、全数調査の検定で想定をしないといけないのは測定誤差だけなのだろうかというと、それだけではないというのが、このエントリーである。それが「表象研究における検定の必要性」である。


「表象」という言葉に親しみがあれば、もうすでに話の展開はお分かりだと思う。表象研究で知りたいことは、個々の表象そのものではない。少女アニメの研究の例であれば、個々の表象は髪の毛の色になるので、それぞれのアニメキャラの髪の毛の色が知りたいのではなく、その髪の毛が何を表現しているかを知りたいのである。つまり、おのおのの表象を通して、その時代の送り手、受け手に共通した「髪の毛」に対する考え方、認識が知りたいのである。(送り手・受け手の議論はをしていると膨大に記述になるので、ここはさっくりと通り過ぎる感じで)


表象は表象であるために、いろいろな雑音が入り込む。想定できそうなのは、スポンサーの意向なども関係するだろう。スポンサーが保守的な色使いを好むということもありそうだ。逆にカラーテレビ発売当時は、商品の特性をアピールするためにカラフルな画面を要求する可能性もあるだろう(これは会場の質疑で上がっていた例)。送り手、受け手の年齢の差というのも関係してきそうだ。もともと古い考え方の古い人が権力を持っていて、若い感性が会議を通らないという可能性もある。舞台が日本なんだから、金髪はおかしいという考えの古い人と、いやもうそんな時代じゃないよと思っている若者の対立のようなものがあったかもしれない。


つまり、受け手と送り手に共通していただろう「認識」から「髪の毛」に表象へと形になるまでに非常に多くの不確実性があり、表現に至るまで攪乱をするものが多く存在するということだ。そのような不確実性を担保するための検定。表層研究であるために検定が必要となってくるのである。