近世における教育のマス化

今回は江戸中期から末期にかけての教育のマス化について。

利根 啓三郎 
近世における民衆の教育的欲求とその影響  
東京家政学院大学紀要 30, 245-257, 1990-07-31 


近世の教育は上層から始まる。農村であれば、裕福な農民が手習をしていたが、江戸の末期にかけて教育の下降現象が起こる。

上箱田村の資料から,文字学習の必要性を認識し,読・書・算の能力を求めた階層の大部分は村の中農層以上であることが明確になるが,ここに,土地所持面積2反2歩とか, 4反6畝という小前層の存在が注目されてくる。

田畑は零細であっても,読・書・算の芸業によって生きぬく,そのためには芸業の修得をという教育的志向の高まりが明確になってくる。大門宿の場合は,煮売商的な生活の中で,賢明に生きようとする農民が,農間渡世からの収入によって,芸業を身につけようとする涙ぐましい志向が如実に知られてくる。1石程度の石高所持者はその1例である。
江戸末期の之しい資料からも,江戸中期まで地方三役層に限定された識字層が,一般百姓などの小前層へと拡大し,教育の下降化現象が予想されてくる。

下記は、吉田勉「村の学問・文化・教養と寺子屋教育の普及」『第4集文書・絵馬・石造物に見る近世大宮の生活・文化・教育』において推定された就学率とその階層。

江戸初期は室町時代と似た様相であったが、中期に教育は広範なものとなる。

そして,推定就学率15%をとし,村落で土地所持高10石以上の上農層(氏は先駆的「大前層」と定義している)と考えたらよいであろうとしている。すなわち,商品経済の農村への浸透を背景に,土地と富の集積に勤め,社会的上昇をとげつつあった階層が寺子屋就学者の中心的階層であったろうと推測するのである。

そして、教育はマス化していく。

寺子屋就学階層は,時代がくだるにつれて,農民階層の上層から下層へと拡大していき,とりわけ末期には,就学者の過半を15石未満」の下層農民が占めるに至ったとする理論は,表現方法には相違のあるものの,私がさきに公表した論文, 「民衆の教育需要の増大と寺子屋」における論旨と, ほぽ相共通するものを見い出すのである。

ついでに、貨幣経済の浸透を書いたものがあったので引用。『政談』は1727年(享保12)の成立、『民間省要』は1721年(享保6)成立。

荻生徂徠が「昔は在々に殊の外銭払底にて,一切の物を銭にて買はず,皆米麦にて買ひたること某田舎にて党えたること也。近来の様子を間合するに,元禄の頃より田舎へも銭行渡りて,銭にて物を寅ふ事になりたり」(政談)と述べ, 田田中丘隅が享保の頃,「七十年以前迄は小判と云ふ物一枚有ば,近隣の村々より人来りて手あらふて拝しぬ。今は馬士,船頭,かごとりの類にも津山あり」(民間省要)と記して,農村にまで貨幣経済の浸透してきた姿を如実に表現している。

貨幣経済の浸透は元禄から始まり享保までには農村にいたるまで浸透していたようだ。