井出草平の研究ノート

近世の就学率ばらつき

石山 秀和 
江戸近郊農村にみる手習塾の門人と教育内容(平成 12 年度定例会発表要旨)  
立正大学人文科学研究所年報 38, 95, 2001

下総国葛鋳郡藤原新田(現千葉県船橋市藤原)に開設された安川舎と称する手習塾について。文久4年(1863年)の宗門帳の調査から。江戸近郊農村である。

就学者のほんとんどが男子であって、女子は1割も満たなかった。就学年齢は数えで9才からはじまり、期間として3-4年間学ぶ事例が多くみられた。また、嫡男以外の就学もみられ、次男、3男の子どもも学習していた。階層としては、持ち高が10石以上の者が多く、経済的に安定した「家」が就学させている状況がわかる。構成人数4-9人と幅をみるが、単婚小家族の形態をとった、いわゆる小農家族が中心であった。

明治を前にしても教育がマス化していない地域であったらしい。手習も上位階層、男性が中心であったとのことである。