近世の労働と教育の概観

中野 育男
近世職業教育訓練の系譜  
専修商学論集 (89), 127-141, 2009-07-00 

この論文はレビューに近い形式。興味があるところだけをピックアップしてみた。

18世紀末ころからの江戸の人口を支えた、年季奉公について。

江戸の人口は100 万人を越えていたが,その消費に応える米搗き(コメツキ)のための労力も必要であった。その米搗きのために江戸へは上州,信州,越後などから多くの農民がやって来た。そして米屋に雇われて米搗きに従事した。

農家の次男三男が都会に長期の年季奉公をしていたという記述。宮本常一,2004『生業の歴史』未來社.の記述から。

生業の歴史 (双書・日本民衆史)

生業の歴史 (双書・日本民衆史)

米搗きだけでも何千何万という出稼人を必要としたが,その他に冬の火の用心番,掃除人夫から薪割り,普請手伝い,商家の配送,風呂炊きまで含めると夥しい数の人夫がいなければ町家の運営はできなかった。
また出稼ぎの労働力は何らかの縁故を頼って都会へやって来る。そこで,おのずと一つの村の出稼ぎ先が一定して来るようになる。江戸の風呂屋の三助は能登から,左官能登から,これは農民ではなく鋳物師が夏場鋳物ができないので江戸に出て左官をやり,涼しくなると戻って仕事をした。越後からは大工がたくさん江戸に出た。火の用心番なども越後が多かった。江戸の端船乗りは房州から木更津の辺りのものが多かったが,その後,愛知県佐久島からたくさん出ている。
こちらは農閑期の稼ぎではなく,農家の次男三男が主で後にしだいに都市に定住していった。都会を中心にした手工業の職業はこうした人達によって発達した。
また,こうした人達を町に受け入れるための職業紹介機関として機能を果たす口入屋も多く見られた。縁故に頼るだけでは済まないほどに都会での労働力需要は増大していった(宮本150 頁)。

次に、奉公をする際の契約を往来物の一種で「用文集」というものが発行されていたようである。他の文献でも指摘があるように、最初は契約に関してはっきりと取り決めが無かった奉公は、時代が進むにつれて明確な契約関係として成立していく。牧英正『人身売買』からの記述。

人身売買 (岩波新書)

人身売買 (岩波新書)

当事者は契約について,ある程度の選択の余地を持っており,奉公人は農民,町人等が一時的にとる姿であった。近世の奉公人は社会身分ではなく債権法上の問題として位置づけられている。しかし権力による法は,奉公人としての契約がなされると主人と奉公人を主従関係として扱い,奉公関係の解除権は主人にのみあり,けっして平等な権利義務関係にはなかった。しかも年季の満了,解雇等により奉公関係が終了しても奉公人は旧主人との間に特別な義務を負わされた(牧46 頁)。
徳川時代法の特色として,法律行為のための必要な要件を定め,これに適合する書式を定めるのではなく,書式を一定することによって法律行為を定型化したとされている。往来物の一種で,「用文集」という証文雛型集がいろいろ出版された。そこに載せられた書式に則して書いてさえおけば必要な法律行為は具備されることになるわけである。奉公人請状の書式は,第1 項で先ず請人(保証人)が奉公人の身元が確かなことを保障し,次いで奉公の期間と給金を決め,その代金を受領したことを証し,奉公人について一切を引受け,雇い主に苦労を掛けないことを約している。第2 項では,公儀御法度はもちろん奉公先の規則・家法を遵守すること,奉公人に不始末があった場合は早速指図次第にし,また長患いのときは代理のものを差し出して奉公に欠けることのないようにする。第3 項では,宗旨は何宗でどこの寺を檀家にしているか,その寺請状は必要なときはいつでも差し出すことと,その後の住所変更や旅行のときの届出が約束されている。また一般的な事項である仕着せについて夏・冬それぞれ何を仕着せにするかという記載もなされていた(春原38 頁)。

以下、寺子屋について。中江克己『江戸の躾と子育て』からの記述。

江戸の躾と子育て (祥伝社新書)

江戸の躾と子育て (祥伝社新書)

江戸期の子どもは寺子屋に入門し「読み,書き,算盤」を習った。さらに実用的な多くの知識も身につけた。そのため世の中に出て仕事をするにしても,暮らしていくにもあまり困ることはなかった。江戸市中での識字率は男女とも70〜80% に達していたと見られ,当時の欧米諸国に比べても相当に高かった(中江144 頁)。

寺子屋では,まず「いろは」を学び,次ぎに漢字と手紙文を習った。文字を学ぶ目的が主に公文書や商業文の読み書きができるようになることであったため,楷書ではなく最初から草書で学び,男女それぞれ男文字,女文字を習った。
「いろは」を習った後は,生活に必要な知識を手紙文で書いた「往来物」と呼ばれる教材で漢字や熟語を学ぶ。その種類は多く,七千種にも及び,そのうち千種は女子用だった。


以下教育の実用性について。商業をするにも、農業をするにしても、読み書き計算は必要なものであった。高橋敏『江戸の教育力』からの引用。

江戸の教育力 (ちくま新書)

江戸の教育力 (ちくま新書)

寺子屋の学習は,一貫して「書くこと」を土台にすすめられる。書くことによって読みも身につくことになる。世間を生きる専門的知識が詰まった『商売往来』を学ぶことにより農家でも農業の傍ら商売もでき,村役の仕事も十分に務まった。『商売往来』は,読み書きを商品経済にマッチさせた優れたテキストであり,商売取引,貨幣金銀銭の両替に続き,あらゆる商品の名を列挙し,最後は商人たるものの道徳「正直」で締めている(高橋37 頁)。
子どもの中には,商家へ丁稚として奉公し,やがて手代,番頭として出世する者もいた。さらに独立して店を構える者,行商人になる者もいた。そうした子どもたちにとって『商売往来』は必須の教材であった。

農村では年間を通じた農作業のほかに,年貢の納入,飢饉や洪水への対応なども求められ,村の運営に携わると,触書の伝達をはじめ諸書類の作成,訴訟書類のとりまとめなどのために,「読み書き算盤」は必ず身につけて置かなければならなかった。農村地域にも寺子屋が設けられ,子どもたちはそこに通って「いろは」や算術をおぼえ,農業の基礎知識や心構えを学んだ。


こちらは、プロの大工の修行について。宮本常一の記述から。

いろいろな技術を身につけなければならなかった。木取りの方法,墨縄の打ち方,鋸の目立て,建物の設計,絵図面のひき方など,学ばねばならないことは実に多かった。それだけでなく,仕事を済ませたあとの後始末,道具の片づけ,こまごまとした作法も身につけなければならなかった。職人として恥ずかしくないだけのことを身につけると,地方から京,大阪の上方へ修業に出かけ,有名な師匠を訪ね,さらに高度な技術,新しい技術を学んだ(宮本202 頁)。

読み書き計算のもならず、道徳的な振る舞いについてもの学ぶ必要があった。寺子屋における学習に道徳的な項目が含まれていたのも、実際に就労したときに、必要となる振る舞いを学ぶ基本を伝えるという解釈もできよう。