井出草平の研究ノート

パリス『現代精神医学を迷路に追い込んだ過剰診断』

現代精神医学を迷路に追い込んだ過剰診断 -人生のあらゆる不幸に診断名をつけるDSMの罪

現代精神医学を迷路に追い込んだ過剰診断 -人生のあらゆる不幸に診断名をつけるDSMの罪

DSMと過剰診断について書かれた本。 DSMが過剰診断を生み出すという主張はよく見るが、パリスは不適切な使用によって過剰診断は増加すると主張している。

もし精神医学に関する過剰診断が心配ならば,実践する臨床家に注目すべきで,マニュアルに注目すべきではない。端的に言えば, DSM-5自体は問題ではなく,それに過大な価値を置く我々に問題がある。

これは非常に重要な指摘である。 典型例ではない症例が過剰診断になる場合には何らかの原因があるとパリスは考えている。例えば、うつ病双極性障害ADHDの場合であれば、薬物によって治療が可能である誘惑となり過剰診断となる。

PTSDの場合は、祖国のために命を懸けて戦った軍人への負い目や心理療法家が子ども時代に原因を求める傾向などがあげられる。

原書のタイトルはOverdiagnosis in Psychiatry, How Modern Psychiatry Lost Its Way While Creating a Diagnosis for Almost All of Life’s Misfortunesである。邦訳の「DSMの罪」というタイトルはミスリーディングである。

パリスはDSMは聖書では単なる不完全なマニュアルに過ぎないが代わりなるような有望な診断システムは存在せず、問題はあれど使わざるを得ないという立場である。別の言い方では、DSMはコミュニケーシンの手段であるとも言われている。問題は使用者の方にあるということを何度も言っており、よくあるDSM批判とは一線を画している。

PTSDの章は非常に勉強になった。

死に瀕するような闘いの中で人がPTSDになる一方,戦争帰還兵にはしばしば薬物乱用やうつが見られた。このような薬物乱用やうつは必ずしも兵役と関係しているわけではなく,軍に所属する以前から患者が抱えていた問題だった(Young,1997)。またアメリカ退役軍人援護局で兵役関連のPTSDのための治療を受けていた患者の中には,戦闘の経験がない者もいた(McNally, 2007)。しかしこれらの病院にいる患者に治療を受けさせるのには, PTSDは都合の良い診断名であった。

イスラエルの研究者たちによると,ほとんどの兵士は想像を絶するほど過酷な戦闘を経験した後でもPTSDを発症しないという(Zoharet al., 2009)。

一般の人々の心的外傷では,オーストラリアの消防士の前向き研究(McFarlane,1989)と大規模な一般人口(Breslauet al.,1991)で,PTSDの患者の多くが以前から高レベルの神経症的傾向や心的外傷などの脆弱性を抱えていることが明らかになった。したがって,このようにすでに順応性が不安定な人にとって,不運な出来事は「転換点」となる。

つまり、トラウマを受ける以前から心的な問題を抱えていた人が、外傷体験をきっかけに状態がひどくなったり、場合によって、トラウマ体験以前の状態を不問に付して「外傷体験が現在の自分の状態が悪い根源である」という説明を生み出している可能性がある。パリスの本では「心的外傷はあくまでトリガーであり,PTSDを発症する十分な理由にはならない(McNally, 2003)」と書かれている。

そのうえでパリスは「PTSDと診断したいという原動力の背後には,サイコセラピスト(心理療法家)の存在がある。彼らの多くは,臨床現場で心的外傷を中心的課題として見ている」と指摘している。

心理療法家は、何かしらの体験が精神障害の原因であることを想定しがちである。一般的には、幼児期の体験を原因に説明することを好むが、それは思い込みであることが多い。「「抑圧された記憶」を明らかにしようという流行があった。また保育園の職員を無実の罪で刑務所送りにしたりということもあった(McHugh,2005)」。

もちろんPTSDがないという話ではない。トラウマティックな出来事を体験したからといって、必ずしもその出来事が精神状態の不調の原因とは限らず、現在はあまりにもトラウマへの還元がされすぎているという指摘である。