井出草平の研究ノート

パネル調査は社会学にとって必要か

社会学はどこから来てどこへ行くのか

社会学はどこから来てどこへ行くのか

シノドスで書評するために読んでみた。
非常に面白い。
想定された読者は社会学者だろうが、社会学に興味があって多少知識がある人であれば、おもしろく読めるのではないかと思った。

全体的に勉強になるのだが、個人的には岸さんと筒井さんのパートが最も興味深かった。それは僕が社会調査をしているからだ。加えて、質的調査、量的調査を両方行っているため、質と量の考え方には非常に興味がある。

いくつもある議論の中から、社会学におけるパネル調査について筒井さんが必要性を感じていないところについて少し書いてみたい。筒井さんはパネル調査は一過性のブームだと考えている。

そもそもパネルデータは要らない。必要ないんですよ。社会学者からすると必要はないんだけれども、時代の要請におされるのか、なんかやらなきゃという感じになっている。

とくに計量経済学者には。経済学者にとっては基本的に因果がすべてなので。でも、社会学者は多少の迷いを持ちながらやっている。その迷いながらというのは、これはちょっと上から目線になってしまうんですけれども、計量社会学はまだ自己認識が足りていないと思うんですよね。つまり、自分たちが何をやってきたのかをちゃんと今まで考えてきていなかったので、迷っているだけだろうと思っているんです。開き直ればいいのに。

どう開き直るかというと、自分たちは異質なもの同士を比べるんだ、と。そう開き直ればいいのに、なぜか迷いが出てきて、「いいのかな、いいのかな」みたいなことになってしまう。

社会学では異質性(heterogeneity)に興味を持つことが多い。例えば、階層を規定する要因として大卒と非大卒があるのではないか、であったり、男女差があるかのではないかといったものだ。同一時点に存在する差異について興味を持つのである。

賃金に男女差があれば、それをさらに詳細にデータを取り、賃金格差を生み出している要因を探し出して、制度的に改善できないかと考える。それが社会学の典型的な社会政策の提言の方法である。

こういった考え方をする学問ばかりではない。例えば、薬の効果を確かめる場合のことを考えてみよう。

薬の効果を計測するときには、薬を飲んだ群(A)とプラセボを飲んだ群(B)を比較する。ここで重要なのは、経時的に起こる変化である。しばらく経ってBよりAの症状が改善していれば、その薬は有効だという結論が得られる。

経時的にデータをとって、変化を期待し投入する変数=薬があり、その効果をみる。経済学であれば、子ども手当という政策をしたら、少子化が改善したいった分析がこのモデルにあたる*1

この経時的なモデルの場合、薬を飲む群の中にどのような人が含まれるかということにはあまり興味を持たない。高血圧であれば、高血圧の診断を満たしていれば、OKである。男性か、女性かということはあまり問われないのである。サンプルの異質性ではなく、経時的な変化に興味があるのである。

このように興味を持つところが学問によって異なる。社会学のもともとの興味関心が異質性にあるのだから、経時的な変化には興味を持たなくてもいい場合がほとんどではないか、ということだ。

少し言い回しは違うが、だいたいこのような理由で筒井さんは、社会学におけるパネル調査は必須ではないと考えており、パネル調査のブームはそのうち下火になると予想している。

社会学が興味を持つ異質性についてもう少し考えてみたい。

筒井さんの指摘以外にも社会学にパネル調査があまり寄与しない理由がある。それは、社会学が計測するものは、数年では変化が起きないものが多いという点である。

長期追跡調査でみる日本人の意識変容―高度経済成長世代の仕事・家族・エイジング

27年経って同じ項目を調査したデータを基にかかれた本だが、ここでの成果を大まかに要約すると、長期間経っても人はあまり変わっていなかったということである。この調査で指摘されているのは、意識項目である。

パラサイト・シングルの時代 (ちくま新書)

パラサイト・シングルの時代 (ちくま新書)

流行語を生み出した本であり、しばしば批判の対象にもなるが、この本は社会学の重要な論点を指摘している。それは、実態は変わっても人々の意識はそう簡単に変わらないということだ。高度経済成長期は、結婚をすると生活レベルがあがることが多かった。しかし、高度経済成長期以降、特に、バブル経済以降が顕著なのだろうが、結婚をすると実家にいるときよりも、生活レベルが落ちることが多い(実態)。しかし、結婚感(意識)は依然として、結婚すると、現在の生活レベルかそれ以上の生活レベルの上昇を伴うものと考えられている。その結果、実家にとどまり続ける「パラサイト」が増えたという。

これらの研究から予想できるのは、数年間追跡調査をしても、社会学が興味を持っているものほとんどの項目には変化が起こらないことである。パネル調査とは、計量モデルに「時間」という要素を加えることだが、変化がないのであれば、新しい発見や成果は期待できない。

一方で、経時的なモデルを研究している人たちの方は、この20年くらいのあいだに、異質性に興味を持つようになってきているのではないかと思う。

最初にあげた薬の例であれば、男女で薬の効き方が異なるのではないかという研究がこの20年くらいで書かれている。僕がよく読んでいる精神医学の分野だと、抗うつ薬の聞き方には異質性が関係しているという研究が2010年代初頭から盛んにされ、現在私たちは誰(男女・年齢・並存症の違いよって)どの薬を入れれば効きやすいかという標準的投薬法が確立されている。

例えば、SSRIという最も使用される抗うつ薬は女性に効きやすいことがわかっている。SSRIの有効性を確かめる試験では、女性サンプルの方が多い論文がほとんどだった。女性比率が高くなれば、効果があるという結果を出しやすいからだ。薬の有効性を明らかにする精神医学や薬理学では、もともと、異質性にあまり興味を持ってこなかったため、有意差を出すために、異質性を利用する裏技が使われてきた。

ただ、最近は研究者レベルでは、異質性によって結果が大きく左右されることが知られるようになったため、裏技は使いにくくなっている。それよりも、誰にどの薬が効くのかという異質性の研究へ方向性が変化した。

性別の他にも年齢によって抗うつ薬の効き方に違いがあることがわかっている。女性の場合は閉経以後はSSRIがあまり効かなくなる。高齢者のうつ病には、パロキセチン以外のSSRIは有効ではないことが判明している*2

もう少し野心的な研究では、ゲノム情報を採取して、どのようなゲノムの人にはどのような薬が効くかといった研究も始まっている。

同じような理由で、経済学の人たちの一部には異質性に興味を持ち始めたのではないかと思う。筒井さんは、社会学者がパネル調査をすることに賛成をしてくれると述べているが、それはある意味当然のようにも思える。しかし、それは社会学に、あまり有益な結果をもたらさないようにも思う。

もちろん、時間によって変化があるものもあるはずなので、その場合には、パネル調査は非常に意義があると言えよう。

個人的に参加している研究では、ひきこもりの介入結果の測定だけはパネル調査で設計をしている。介入と結果という変化を期待する研究なので、パネル調査で行う必要がある。逆にいえば、パネル調査でしか結果が得られない調査以外は、クロスセクショナル(一時点)の社会調査でよいのだろうと思う。

*1:本当に改善するかは知らない

*2:ちなみにSSRIではミルナシプランとベンラファキシンは効かず、デュロキセチンのみにエビデンスがあり、高齢者への標準的介入はデュロキセチンとされている