オープンダイアローグによる介入によりひきこもりが著効した例

以下は斎藤環さんが実際に介入した事例である。

最初の事例はひきこもりの男性だった。家族内暴力を振るい、家族を閉め出して自宅にたてこもっていた男性事例。二週に一度、同僚医師と外来でOD(オープンダイアローグ)的な面接を試みたところ、わずか半年間で目覚ましい変化があった。結果のみ記すと、彼は現在、専門学校に通いつつ、その技能を活かして起業すベく、ネットワーク作りに奔走している。初診の段階では想像もつかなかったような社会性が発揮されつつある。これとともに家族関係も改善し、当初は面接室で親を怒鳴り上げることもしばしばあったが、現在は比較的穏やかに、今後のことが話し合えるまでに変わりつつある。
ひきこもりの社会参加は、とにかく時聞がかかる。従来のやり方では、たとえ治療がきわめて順調に進んでも、社会参加には数年かかるのが普通だった。ひきこもりにかかわって30年近くなるが、このレベルの重篤度で、わずか半年間でこれほど自発的な変化が起きた事例は記憶にない。
もうひとつ喜ばしかったのは、家族に対して高圧的な指導をしなくて済んだ点である。専門家としてひきこもりの家族にかかわっていると、よくないと知りつつも、ついアドバイスが指導的あるいは叱咤激励的になってしまいがちだ。家で本人にそんな接し方をしていたら改善するわけがないという思いが先走って、どんどん言葉が強くなる。なにしろ「親は健常者」が前提だから、ついつい容赦ない断罪になってしまう。

ひきこもり事例でこれほどの短期間の回復は聞いたことがない。著効例といっていいだろう。

批判より納得

どれほど家族を叱ろうと、家族はなかなか変わらない。つまるところ「叱咤や批判で変わる人はいない」ということに尽きる。私やあなたがそうであるように。その批判が正しいかどうかはほとんど関係ないのだ。

斎藤さんはオープンダイアローグの家族への効果を以上のように分析している。

個人的には以下の3つにわけるとわかりやすいと考えた。

  1. 家族システムへの介入。親-子の関係性の修復
  2. 親への介入
  3. 本人への介入

相互に重なり合うがまずは一つ目。

家族システムへの介入

ひきこもりを抱える家庭の場合、親はしつこいくらいに子どもに説教をしていることが多い。「働きなさい」「学校に行きなさい」といった類の説教である。その説教の中身はだいたい正しい。しかし説教をされてなおるくらいなら、ひきこもりになどなっていないので、正しさを押し付けるアプローチは効果がない。

むしろ負の効果しかなく、親子関係が悪化する。家族関係の悪化はひきこもりを悪化させる。負の連鎖とでもいったようなものであろうか。家族システムの健全化がひきこもりの治療になるというのは、家族関係が良くなると、ひきこもり状態にある本人にも良い影響を与えるためである。

病理を個人化させると、ひきこもりは個人、本人の問題になる。しかし、ひきこもり状態の改善を考える際には、病理を個人化していくのは得策ではない。親もひきこもりの一部だと考えた方がよい。親が子供を扶養しないとひきこもりは成立しないから片棒を担いでいるといった話ではなく、親もひきこもりという病理の一部であると考えた方が対処しやすい、問題を掴みやすいということである。

病理のレベルとしては、個人病理から社会病理までの間の病理である。家族の病理だと書くと「あるべき家族像」などの話が湧いてくるので、家族の病理といった表現は避けたいのだが、レベルは家族で間違いない。

家族への介入

2つ目。家族への介入である。
斎藤さんの文章の中に「家で本人にそんな接し方をしていたら改善するわけがない」と書かれてあるように、ひきこもり家庭での親の振る舞いはだいたい不適切である。子どもへの説教、冷たい態度、罰、喧嘩、などなど、よい所がない。それらの行動の結果、ひきこもりは悪化する。主治医という立場上、それは止めさせなくてはならない。

叱責が好きな治療者にとって、叱るのは苦痛ではなく人によってはストレス発散にもなるそうだが、斎藤さんには苦痛なのだろう。これは治療者のパーソナリティによって苦痛の度合いは異なる。引用箇所のあたりでの斎藤さんの文章では、オープンダイアローグの家族への介入の有効性について力点が置かれてある。

もし、親への介入のみにオープンダイアローグの効果が限られたとしても、十分に検討する価値はありそうだ。なにせ、ひきこもりを抱える親に子どもへの批判を止めるようにといっても、実際には難しいからだ。人は心から納得していないことは守ろうとしない。特に、子どもとの喧嘩のような場面では、ついつい本音が出てしまうので、主治医が止めても、正しさの押し付けはなかなか止まないのだ。

親が説教をしないだけでも、ひきこもり支援としてはかなりの有効な支援である。

本人への介入

3つ目。本人への介入の効果である。
批判で変わらないのは本人も同じである。本人も、自分はまずい状態にあると認識している。ひきこもり生活を否定的に捉える当事者、経験者にしか、僕は会ったことがないので、これは間違いないと思う。

自分で自分の境遇が良くないと捉えていが、抜け出せない状況にあるとき、認識は歪むことが多い。何事も自身への批判だと捉えがちになるのである。

支援者・治療者がどのように考えていたとしても、本人の思い込みが先行していて、支援者や治療者の言葉が頭に入ってこない。結果として、彼らを締め出してしまうのだ。

優秀な支援者でも近づけない時に、ピア(=ひきこもり経験者)がさっと近づけることがあるのは、仲間だとある種の誤解が生じるからである。つまり、本人の思い込みの先行がないから近づけるのである。ただ、残念ながらピアは臨床力に欠ける。臨床力の高いピアは稀に存在はするが、臨床力が高くなる実際には治療者であり、ピアと治療者は両立しないのだ。

ピアではない支援者・治療者の場合、批判を含まない進め方というものが必要である。オープンダイアローグでは、批判ではなく「納得」ができる形でものごとを進めるということなので、本人的にも、防御行動には出にくいのではないだろうか。

本人支援でのポイントというのは、何事も批判的に捉える本人の思い込みをニュートラルに戻し、防御行動である他者の締め出しを起こさせない仕掛けが必要だということである。オープンダイアローグはその点で、ひきこもり支援に向いているように思えた。