井出草平の研究ノート

日本の味 醤油の歴史

日本の味 醤油の歴史 (歴史文化ライブラリー)

日本の味 醤油の歴史 (歴史文化ライブラリー)

醤油が生まれたのは中国である。

中国では明の時代に大豆、小麦を原料とする醤油の製法が確立し、醤油という名称もこのころから一般化したのではないかとされている。日明貿易によって、中国南部の湘江省、福建省の沿岸から日本の堺などに中国醤油が渡来し、その製法も伝えられ推測されている。

中国から伝播した醤油は日本でさまざまな形に進化していく。

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濃口醤油

この醤油の起源は明確ではないが、吉田ゆり子氏の研究によれば、こういった製法で造られる醤油の史料上の初見は中世末の『多聞院日記(たもんいんにっき)』だという。しかしこのような醤油造りが産業として成り立つのは近世に入った17世紀半ば以降で、現在の主要儂口醤油メーカーである関東のキッコーマン、ヤマサ、ヒゲタのもととなった造家はいずれもそのころに創業している。

『多聞院日記』の1565(永禄8)年7月の記述には「醤 大麦三斗、マメ九升、塩九升、水二斗四升入了」とある。『多聞院日記』は国立国会図書館のデジタルライブラリで読むことができる。

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十六世紀中葉の南部では、醤油に相通ずる製法で唐味噌が作られており、その液成分を搾取した、事実上醤油に相当する唐味噌汁が使用されていたと考えられる

『多聞院日記』では醤油という言い回しは使われていない。唐味噌とは豆粒の形が残っているもの、鼓(くき)とも言われるものだ。鼓は私たちの食べる物のなかにはほとんどのこっていない。スーパーにあるものだと中国料理の調味料の豆鼓が鼓である。日本のものでいうと大徳寺納豆や浜納豆などになる。

豆鼓や大徳寺納豆はカラカラなので汁はでない。唐味噌はもっと水分があったのだろうと思われる。しょうゆがとれるのであれば、もろみに近かったと思われる。

1597(慶長2)年には『易林本 節用集』で「醤油」と漢字で書いて「シヤウユ」と読ませる用法が登場しているそうだ。

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淡口醤油

1666(寛文6)年、播州龍野の円尾孫右衛門によってはじめられたと言われる。近世後期の1809(文化6)年には甘酒を使用する製法も発明された。甘酒を用いるのは、京料理でよく用いる味醂と合うからだという。

溜醤油

おもに愛知・岐車・三重の東海三県で造られ、使用されている醤油で、日本国内の醤油生産量の約2%をしめている。

穀物原料としては基本的に大豆のみしか用いないのである。大豆という単一の穀物から造られるという意味で、原初的な「穀醤」から派生したことが想定され、醤油の原点ともいわれる。ただ、商品化されたのは1699(元禄12)年であるとする説もある。

白醤油

製法は溜醤油と正反対、すなわち穀物原料としては小麦のみ用いて造る。起源については、1802(享和2)年に三河国新川の現ヤマシン醤油からはじまったとする説、1811(文化8)年に尾張国愛知郡山崎村ではじまったとする説などあるが、いずれにしても19世紀初頭に現在の愛知県下ではじまったということになる。

再仕込醤油

主として西中国から北部九州にかけて生産、使用されている醤油で、別名「甘露醤油」とも言われる。その生産量は国内の醤油生産量の1%足らずである。ややどろっとして濃く、甘味を帯びているので、甘露煮や刺身・すしなどのつけ醤油として利用される。製法は、先に紹介した濃口醤油の製法の「塩」の部分が「醤油」に代わると考えればよい。すなわち、すでにできあがった醤油(濃口)を使って仕込むのである。

こうしてみるといろいろな醤油があるものだ。

最近「透明醤油」というものも発売されている。

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