井出草平の研究ノート

中野信子『サイコパス』

サイコパス (文春新書)

サイコパス (文春新書)

サイコパスについて書いた本だということで読んでみた。

日本ではサイコパス概念は広まっていないので、このような本が読まれるのは良いのではないだろうか。

サイコパス本を比較的読んでいることもあって、内容で特に新しいなと思うところはなかった。サイコパス概念は様々なものを含有しすぎているため、均質性がない。その混沌さがこの本にもそのまま現れていた。

中野本が良くないと言っているわけではなく、サイコパス概念でまとめ本を書くとこのように仕上げるしかないため、サイコパス概念に不満を持っていると言った方が妥当だろう。中野本への不満があるとすれば、自閉スペクトラム症との切り分けができておらず、半分くらいのの事例はおそらく自閉症スペクトラム症だと考えられることだ。

サイコパス概念が混沌としている理由はいくつかあるのだが、代表的なケースとされるテッド・バンディーの存在が大きいのではないかもしれないと最近は思うようになった。Netflixで『殺人鬼との対談: テッド・バンディの場合』というドキュメンタリが見れるのでそちらも見ると面白いかもしれない。

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現在ではサイコパスという診断ではなくCallous and unemotional traits(CU特性)という冷淡で共感性が欠如した症候のみを取り出した概念で研究が進んでおり、学術レベルでは、旧来のサイコパス概念は使われない傾向にある。ちなみに中野本は原典に当たっていないと思われる引用が多いため、引用される研究が最新のものまで含めることができておらず、CU特性の研究への言及はなかった。

中野本のには下記のように書かれていたが誤りである。

今日の精神医学において世界標準とされている『精神障害の診断と統計マニュアル』の最新版(DSM5)には、サイコパスという記述がありません。精神医学ではサイコパスというカテゴリーではなく、「反社会性パーソナリティ障害」という診断基準になります。(p.5)

DSM-5でサイコパスに相当するのは、素行障害のサブタイプの「冷淡さ-共感の欠如」である。

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おそらくCU特性までキャッチアップができていないのだろう。
ちなみに、サイコパス概念を広めにとると、後悔または罪責感の欠如、自分の振る舞いを気にしない、感情の浅薄さまたは欠如などのサブタイプもサイコパスに該当する。

サークルクラッシャー

サイコパスはほとんどが男性で、女性は圧倒的に少ないとされています。しかし、わずかながら私たちの日常生活の中でも、サイコパスではないかと疑われるケースはあります。 若者の間で「オタサーの姫」「サークルクラッシャー」と名付けられるタイプの人がいます。「オタサー」とは、漫画研究会やアニメ同好会のようなオタク系サークルを意味します。こうしたサークルには、奥手で女の子と話すのが苦手な男の子が集うものですが、童貞の男の子がいかにも好きそうな、一見清楚で汚れのなさそうに見える女の子が入ってくることがよくあります。男女比が極端なので自然とモテやすくなる。それが「オタサーの姫」です。(p.192)

精神医学がベースにある人間からすると、サークル・クラッシャーは境界性パーソナリティー障害(BPD)である。BPDの診断域はそれほど広くないので、安全に表現すると、境界性パーソナリティ構造(カーンバーグ)である。DSM-IV的表現するとB群パーソナリティ障害である。

サークル・クラッシャーまでサイコパスを拡張するのは原義から外れすぎているし、最近のCU特性に特化した研究動向とも一致しないように思うので、この辺りは同意しかねるところか。

パーソナリティかサイコパス

なお、女性のサイコパスが少ない理由について、ロバート・へアとポール・バビアクは以下のように推測しています。精神科医は、自己中心性、利己性、無責任さ、人を騙すといった特徴が見られる人聞に対して、男性であれば「サイコパス」と診断するが、女性の場合には「演劇性パーソナリティ障害」や「自己愛性パーソナリティ障害」「境界性パーソナリティ障害」など、異なった診断を下してしまっているのではないか。また、「サイコパスはタフで支配的で攻撃的だ」「女性はそういう存在ではない」という先入観が、女性のサイコパスを見落とさせるのだ、とも指摘しています。(p.195)

この議論は裏返せば、男性のサイコパスとされている人の中には男性の境界性パーソナリティ障害がいるということなる。この点は非常に重要かもしれない。ただ、あくまでも精神医学的に、だが。

ヘアとバビアクの記述だが、こちらもサイコパス概念が広いために、どうとでもいえてしまうところがあるが、パーソナリティ障害とCU特性は併存することあれば、併存しないこともある、と考えた方が理論的に矛盾なく整理ができる気がする。

やや過度に不満を書いてしまった気もするが、サイコパスの一般的な入門書としては、中野本は比較的良い出来なのではないかと思った。この本を読んでから他の本を読むと理解が深まるだろう。

単純型・寡症状性統合失調症

単純型よりもさらにマニアックな類型になるが寡症状性統合失調症にもついて見ていきたい。

ci.nii.ac.jp 田中伸一郎,2012,「継往開来 操作的診断の中で見失われがちな,大切な疾病概念や症状の再評価シリーズ 単純型・寡症状性統合失調症」『精神医学』54(7): 734-737.

統合失調症のサブタイプのうち,単純型と寡症状性とは似て非なるものである。まずは,これらの概念の出自が異なることを確認しておこう。
単純型統合失調症は, 20世紀初頭にスイスの精神科医Bleulerが統合失調症概念を確立した際に取り上げた,破瓜型,緊張型,妄想型に続く,第4の臨床類型である。
一方,寡症状性(symptomarmないしsymptomkarg)は,うつ病統合失調症の軽症化に伴って, 20世紀半ば以後のドイツ語論文において頻用された言葉である。わが国でもこの潮流にしたがって,明確な幻覚,妄想,緊張病症候群といった特異的な症状を欠き,ゆるやかな経過をとる破瓜型と単純型を併せたものを「寡症状性統合失調症」と呼ぶようになった。

単純型と寡症状性は出自が異なるものであり、破瓜型と単純型を併せたものが寡症状性であるとされている。また、寡症状性は統合失調症の軽症化の結果みられるようになった概念として使用されているようだ。

単純型が最初に概念化されたDiemの記述は下記のようなものだ。

Diemが記述した単純痴呆型の特徴をまとめると,(1)思春期以後に精神変調が始まり,刺激性の冗進,協調性の喪失,自制心の欠如などを主体とした人格変化がゆるやかに進行する[=人格の静かな沈下(stilles Versanden)],(2)社会的に独立しかけるときや,事業の基礎が固まったようなときに事例化する,(3)作業能力が著しく減退し,精神水準の低下や一面的な思考が目立つようになり,仕事ができなくなる,(4)けっして自分の非を認めようとしないなどである。

  1. パーソナリティが変わることと
  2. 環境の変化によって出現しがち
  3. 機能低下
  4. 自分の非を認めない

Diemの単純痴呆型を自閉症スペクトラム症だと仮定した上での話だが、これらが事例化した自閉症スペクトラム症ではないならば、小児期発症ではない自閉症スペクトラム症があるということになる。

これをDiemの師であるBleulerが「早発性痴呆または統合失調症群」の一つとして位置付け,単純性統合失調症の概念が誕生した。その際,統合失調症の基本症状(Grundsymptome)のみが病像全体を覆い,幻覚,妄想,緊張病症状といった二次症状(sekundareSymptome)に乏しい臨床類型であるとした。さらには,患者の親戚や,たとえば行商人, 日雇い労働者,浮浪者の中にもしばしば紛れ込んでいるとされる潜在性統合失調症(latente Schizophrenie)も広くこれに含めた。 Bleulerのいう潜伏性統合失調症に対して,統合失調型障害 (schizotypal disorder,F 21)という 診断カテゴリーが与えられているが,そこには「一般的な使用は勧められない」と付記されている。

日雇い労働者やホームレスの中にこの種の人たちが紛れているというのは現代でも同じ状況のようだが、彼らを現在では統合失調症とは捉えることはない。統合失調型障害(Schizotypal Disorder)という診断名も、単純性統合失調症同様、現在のICD-11では削除されている。

スイスの精神科医Binswangerは, 1957年の著書『精神分裂病』の中で,典型的な破瓜型,緊張型,妄想型の症状を欠くが,表面的には多彩な非特異的な症状を示す症例を多形型統合失調症(polymorphe Form der Schizophrenie)と呼び,最終的には,単純型統合失調症の範曙に位置付けるべきではないかと考えた。このタイプの患者の数は,彼によれば,統合失調症の約5%を占めるという。
(中略)
臨床特徴をまとめると,「長期にわたるきわめて緩慢な経過あるいは数年間もの停止,知的な作業能力の障害,その社会的課題の頻繁な変更と最後にはそれの喪失,その社会的水準の低下」を認め,症候的には,「著明な躁うつ病的変動,一見精神病質的・強迫性性格的,強迫神経症的,ヒステリ一的あるいは神経衰弱的な症状,薬物依存への傾向,道徳的欠陥,性的異常(ことに同性愛)」が挙げられている。

統合失調症の専門家には怒られそうな気がするが、Binswangerの多形型統合失調症(5%程度)は、社会適応に失敗した自閉症スペクトラム症の成人例ではなかろうか。症候はだいたい自閉症スペクトラム症に起因するものだし、神経衰弱(に相当する精神疾患)も二次障害で併存することが指摘されている。経過も社会適応に失敗したケースそっくりである。

この論文の著者である田中は以下のようにまとめている。

f:id:iDES:20190813161409p:plain

Blankenburkの『自明性の喪失』も引用されている。

「単純型の経過や欠陥症候群においては非特徴的な機能廃絶しか問題にならないようにみえるとはいっても,そこにやはり何か質的に特異的なものがあるという印象は(中略)消え去らない。これらの病型では,広汎でおびただしいアポフェニー的症状がついには点状の異質性(punktuelles Aliter)にまで収縮しているだけであって,その場合この質的な異常はもはや展開を示さなくなっているとはいえ,『ことばではいえない何か』 (ein Ineffabiles)としてこういった症状全体の核心をなしているのではないか,と考えてみることができる。つまり,見かけ上では非特異的なものにおける特異性が問題になる。

言葉でははっきりとは言えないが、何か全体的におかしいということだろう。統合失調症に特有の奇妙さは無いが、何か変なのだ、ということを言わんとしているのだと思う。

実際の臨床現場では, 図に示したように,単純型を含む,寡症状かつ輪郭の不鮮明なタイプの統合失調症事例が多くなってきているのではないかと思われる。

この引用箇所では田中の別の論文が引かれている。
正常との境界域を診る 統合失調症のノーマライゼーションとポストモダン-いわゆる輪郭不鮮明型の精神病理についての一試論- | Article Information | J-GLOBAL

統合失調症の文脈では、統合失調症の現象と軽症化の議論である。以前には統合失調症になっていた人も、明確な陽性症状が現れずに、統合失調症ライクな何かとして現れるようになったということなのだろう。

もう一つの可能性は、自閉症スペクトラム症の成人例が外来にきているのではないか、というものだ。

ヴィネット調査とその意義

ヴィネット調査というものを知らなかったのでヴィネット調査とその意義について簡単に調べてみた。

ci.nii.ac.jp

松田茂樹,2009,「次世代育成支援策によって出産意向は高まるか--ヴィネット調査による政策効果の推計」『ライフデザインレポート』ライフデザインレポート (189), 16-23.

ヴィネット調査とは

本調査では、個人の属性や就労状況等を尋ねた後、調査員が回答者1人に対して、さまざまな子育て支援の政策案を書いた25枚の「ヴィネットカード」を提示した。各カードには、今後拡充する少子化対策の候補とみられる、(1)児童手当の金額、(2)育児休業期間、(3)育児休業中の所得保障率、(4)保育園への入園のしやすさ、(5)幼稚園の月謝、(6)有給休暇の取得率の6つの政策変数の内容を記入した。

それぞれの項目について選択肢を用意する。

以上の6つの政策変数は、全部で3×3×3×2×3×3=486通りの組み合わせがある。本調査では、各政策変数のパターンを無作為に組み合わせて、全486通りの約5%にあたる25パターンの組み合わせを作成した。この25パターンを書いたヴィネットカードを全ての回答者に提示して、現在各カードに書かれた政策が実行された場合に、現在いる子どもの数に加えてあと何人子どもを産むか(人数)を尋ねた。

この調査では122人が対象者だが、25パターンを聞くと3050個の票が得られる。
このデータを基に、何人子どもを産むかというアウトプットに何が影響しているか、ということを分析することになる。

この論文では%の比較しかされていないが、普通に多変量解析をすればよいのではないかと思う。データの構造は入れ子になっているので、マルチレベルを想定した分析手法が望ましいのだろう。

ヴィネット調査の意義

松田(2009)ではヴィネット調査の意義を次のように説明している。

有効な次世代育成支援策を検討するための主な方法には、次の3つがある。第一は、過去の出生行動の変化から少子化を進めた要因を特定し、その要因に対処する政策を導き出す方法である。例えば、従来少なかった非正規雇用が増えたことが少子化を進めたのであれば、雇用環境を改善する政策を行うことがこれにあたる。ただし、この方法では、従来にはない政策が出生行動にどのような変化をもたらすかはわからない。 第二は、少子化対策が効果をあげた国において実施された政策を参考にする方法である。例えば、出生率が上昇したフランスや北欧で行われている政策を日本でも導入するというものである。ただし、この方法には、他国で効果をあげたといわれる政策が、わが国でどの程度の効果をもたらすかはわからないという問題がある。 これらに対して、第三に、現時点では実施されていない政策が実施された場合の効果を測定する方法にヴィネット調査がある。ヴィネットという言葉は本来まわりをぼかした肖像写真のことであるが、ヴィネット調査におけるヴィネットは、ここから転じて、ある架空の個人や世帯についてさまざまな情報を記述したカードのことを指す(織田 1992)。すなわち、ある特定の状況や特定の政策が実施された場合等の架空の状況を設定して、それに対する回答を求める方式の調査である。この方法は、1990年代前半に行われた出生行動と社会政策の関係の分析(織田 1994)のほか、適正な年金給付額の算定(織田 1992)、介護休業の利用状況の推定(末盛 1998)などに用いられている。通常の調査では、これから新たに行う次世代育成支援策の効果を測定することはできない。しかし、ヴィネット調査では、架空の状態であるが、新たにある政策が実施された場合の出生行動の変化を定量的に把握することができる。

政策を立案していくために取りうる手段としては3つあるという。

  1. 過去のデータの分析
  2. 他国のデータの分析(OECD加盟国データなど)
  3. ヴィネット調査

ヴィネット調査では、架空の状況を作り出すことができるため、新しい政策の評価などに使える利点があるようだ。1の過去のデータの分析では実際に起こった事実に基づいて、人々の行動を評価できるか、架空の状況に対して対象者が回答を行う場合には、「Aという状況ではBという行動をするつもりである」と答えるに過ぎないため、実際の行動と一致するかはわからない。おそらくこれが欠点であろう。

1や2で分析できない事柄についてヴィネット調査の登場する余地はあるように思えた。

また、行動をアウトプットにすると、上記のような欠点が指摘されるため、どのように捉えるか、どのように考えるかというような反応を計測する場合などにはよさそうな技法である。仕様用途によっては興味深い方法になるように思う。

コーエンのκのサンプルサイズの推定

前回は、クロンバッハのαのサンプルサイズの推定の方法について述べた。

ides.hatenablog.com

今回はコーエンのκ係数である。
以前にコーエンのκについてエントリを入れているので、知りたい方はこちらから。

ides.hatenablog.com

今回はこちらの論文を扱う。
https://psycnet.apa.org/record/1996-04469-003
Cantor, A. B. (1996) Sample-size calculation for Cohen's kappa. Psychological Methods, 1, 150-153.
PDFで全文公開されている。
https://www.ime.usp.br/~abe/lista/pdfGSoh9GPIQN.pdf

Cantor(1996)はRのirrパッケージで計算が可能である。 https://rdrr.io/cran/irr/man/N.cohen.kappa.html

パッケージのインストールと読み込み

install.packages("irr")
library("irr")

k0...κの帰無仮説の値 = 0.7 (kappa > 0.7で採用)
power...κの期待値 = 0.85
rater1...評価者1がポジティブだとする確率(期待値) = 0.5
rater2...評価者2がポジティブだとする確率(期待値) = 0.6

N.cohen.kappa(0.5, 0.6, 0.7, 0.85)
[1] 92

必要なサンプルサイズが92であることが判明した。

わかりやすさのために、評価者1と評価者2の値を変えているが、通常同じ比率を設定することがふつうである*1

このケースでは、κの帰無仮説の値を下げると必要とされるサンプルサイズが小さくなり、κの期待値を上げると同じく小さくなる。評価者のポジティブと判断する確率を下げるとサンプルサイズは大きくなる。

実際の研究計画で注意すべきところは、ポジティブの確率である。ポジティブの確率とは、うつ病の診断であれば、サンプルの中からうつ病と診断をする割合のことである。例えば、一般人口でうつ病の診断をする場合、うつの人が5%とするとN.cohen.kappa(0.05, 0.05, 0.7, 0.85)となり必要とされるサンプルサイズは530となる。

逆に気分障害外来で95%がうつ病の人だ、というようなサンプルだとN.cohen.kappa(0.95, 0.95, 0.7, 0.85)となる。うつ病の人ばかりなのでサンプルサイズが小さくなるように思われるかもしれないが、結果はさきほどと同じ530である。

論理的にはポジティブとネガティブが逆転しているだけなので、値は同じとなる。よって、最も小さなサンプルサイズにするには中央の0.5がよいということになる。

これは大きな落とし穴となっているかもしれない。うつ病の人ばかりが来る気分障害の外来や、うつ病の人だけを集めて、うつ病の診断の評価者間信頼性を出している論文が大半だと思うが、それは統計学的には誤りである。もちろんそれらの論文でサンプルサイズが530くらいあればよいのだが、100に満たない研究が多いのは周知のとおりである。おそらく、ほとんどの研究者はこの点を誤解をしている。

うつ病の診断の併存的妥当性はうつ病の人ばかり集めて出してはいけないのである。半分くらいはうつ病ではない人を混ぜることが重要である*2。要するに、併存的妥当性では、うつ病であるという判断が一致することも重要だが、うつ病ではないという判断が一致することも同等に重要だということだ。

*1:この値を変更するケースとしては、かつてアメリカではイギリスの2倍くらい統合失調症を診断していたことがあったが、その際にサンプルサイズの推定をするならば、アメリカ(評価者1)はイギリス(評価者2)の2倍と設定するのが妥当である

*2:もちろん、まったく精神的に問題がない人が入っても意味はない。精神の問題はあるが、うつ病ではない人であったり、うつ病のようだがうつ病に満たない人のような閾値を下回る人が研究に含まれていることが最も望ましい。

クロンバッハのαのサンプルサイズの計算方法

新しい質問紙・尺度(主に心理系)を作る際や翻訳をする際に求められることが多い内的整合性・内的妥当性の尺度で比較的有名である。今回は、サンプルサイズの計算方法についてである。

Bonettによる計算式を紹介しよう。

Bonett DG., 2002, "Sample size requirements for testing and estimating coefficient alpha." J Educ Behav Stat. ;27(4):335–340. https://journals.sagepub.com/doi/10.3102/10769986027004335

クロンバッハのαの比較2つの値を比較する実験にも使われる。どちらの尺度・どちらの構成の方が値が高いか(=内的整合性が取れているか)といった使い方だ。その場合は、サンプルサイズはかなり小さくてよい。尺度を作成する先に、どの項目をいれたらよいかという判断材料のになる。

一方で、よく使われるのは、単独でα係数を使用する研究である。その際に必要とされるサンプルサイズの計算式は下記のものである。

f:id:iDES:20190808212745p:plain f:id:iDES:20190808212756p:plain

 \alpha ...第一種の過誤(偽陽性)
 \beta...第二種の過誤(偽陰性)
 k...項目数/評価者数
 CA0...クロンバッハのαの帰無仮説の値
 CA1...クロンバッハのαの期待値

Zは標準正規分布、lnは自然対数である。 下記の値を入れてみよう。項目数は15であり、クロンバッハのαの期待値は0.7と設定している。Zの値は手計算でする際には、標準正規分布表を参照する。

 \alpha ...0.05

 \beta...0.1

 k...15

 CA0...0.0

 CA1...0.7

 \delta=\frac{1-0.0}{1-0.7}=3.333

 Z_{0.05/2} ...1.96

 Z_{0.1} ...1.282

計算式に入れると下記のようになる。

f:id:iDES:20190808212836p:plain

 n=17.53 \approx 18

結果は約18ということが判明した。
帰無仮説の値であるCA0を0にすると比較的少数のサンプルサイズで良いことがわかる。
クロンバッハのαの値は相場感的には0.5以下だと低いとされているので、CA0=0.5にするとサンプルサイズはやや大きくなる(Bujang et al. 2018)。

クロンバッハのαのサンプルサイズにいての下記のレビューは無料で全文閲覧できる。 www.ncbi.nlm.nih.gov

計算方法が統計パッケージでは用意されていないようなのでExcelシートで作成した。
クロンバッハのαのサンプルサイズの推定計算シート

大学の卒業率・中退率

公立高校の全日制の卒業率は9割程度というのは比較的有名だが、大学の卒業率はどのくらいなのだろうか。

ちなみに卒業率は9割程度ということは1割程度は高校入学をしても中退をしているということであり、高校に入ったら全員が卒業できているというわけではないということである。もちろん、その後に通信制定時制に移動して卒業するということはよくあるので、最終的な高卒資格を得ている人はもう少し多い。

大学も同様である。大学に入学したら卒業できると親御さんなどは思いがちだが、実際にはそうでもない。

入学試験があるため再チャレンジがしにくく、卒業大学のレベルが就職まで響くので高校とは少し事情が違うところもある。また、大学の場合は国公立でも50万円以上、私学でも100万円以上の学費なので、経済的損失があり、また中退をするとし就職にも響くので大きな問題なのである。

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/k_detail/1407849.htm

平成30年度学校基本調査に掲載されているのが下記の図である。

f:id:iDES:20190808170630p:plain

この表は縦に見るようだ。

例えば、平成23年度入学(左から4列目)の卒業年27年度は79.9となっている。これは、平成23年入学でストレートで留年することなく27年度に卒業するのは79.9%だということだ。

次の行にある7.3%は1年留年して卒業する率である。2年留年は1.5%、3年留年は0.4%である。

最終的に卒業できるのは、89.1%ということになる。

他の年度と比べても例年だいたい同じ数値であり、留年なく大学を卒業できるのは8割程度、留年を含め大学を卒業できるのは9割弱である。

つまり1割程度は中退をしていることになる。

大学によって留年の難易度は異なると推測されている。

例えば理系は前回の無いように積み重ねて進んでいく授業が多いため、3回くらい授業を休んでしまうと内容がわからなくなることがあるとよく言われている。小規模で再履修が難しい大学・学部では、一度単位を落とすとリカバリーが難しい。偏差値によっても中退率はおそらく異なってくるだろう。

ともあれ、全体を平均すると卒業率は9割程度であり、高校と同じような割合であるようだ。

ICDとDSMにおける単純型統合失調症の扱い

ICDとDSMにおける単純型統合失調症の扱いについてメモをしておこう。

ICDでの扱い

1977年のICD-9の段階でも「可能であれば控えめに行うべき」と書かれている。1970年代の段階で国際的にこの診断基準は推奨されていなかったことがわかる。

1990年のICD-10での記述はさらに否定的であり、懐疑的な位置づけである。

単純型統合失調症(F20.6)
このカテゴリーは,いくつかの国々でまだ使われていること,およびそれ自体の本質の不明確さや統合失調質パーソナリティ障害と統合失調型障害との関連性にあいまいさがあり,その解明のためにさらに情報を付加する必要があろうと考えられるので,残されてきた.その診断基準は,実際的な用語でこの障害群の全体の相互の境界を定める問題を強調した鑑別として提示されている.

この診断名を使うな、という警告のようにも読める。
ICD-9での診断基準は以下のものである。

F20.6 単純型統合失調症 Simple schizophrenia
これは行動の奇妙さ,社会的な要請に応じる能力のなさ,そして全般的な遂行能力の低下が,潜行性だが進行性に発展するまれな障害である.妄想と幻覚ははっきりせず,破瓜型,妄想型および緊張型の統合失調症よりも,精神病的な面が明瞭でない.明らかな精神病性症状の先行をみることなく,残遣統合失調症に特有な「陰性」症状(たとえば,感情鈍麻,意欲低下)が少なくとも1年以上にわたって進行する.社交(対人)機能低下が増大するにつれ,放浪することがあり,自分のことだけに没頭したり,怠惰で無目的になる.

診断ガイドライン
単純型統合失調症は,確信をもって診断することが困難である.なぜなら,先行する精神病性エピソードとしての幻覚,妄想,あるいは他の症状の病歴がなく,残遺統合失調症に特有な「陰性」症状(上記F20.5を参照)が緩徐に進行性に発展することを確認しなければならないからである.
〈含〉単純統合失調症(schizophrenia simplex)

なお、現在のICD-11では削除されている。

DSMでの扱い

アメリカ精神医学会の診断基準DSMが単純型を掲載していたのはDSM-IIまでである。

DSM-IIIでは統合失調質パーソナリティ障害として診断をすることになり、IIIおよびIII-Rでは掲載がない。再び掲載されたのは、DSM-IVである。ただし診断基準ではなく、今後の研究の基準案として単純型荒廃性障害(単純型統合失調症)として掲載されている。

DSM-IVでは,病像がこの研究用基準案を満たす人は,特定不能精神疾患と診断されるであろう.」と書かれ、正式に診断する際にこの診断名は使用ではないとされている。この診断名に限らず研究の基準案は研究用に用意されるもので、まだ研究とエビデンスが少ないなどの理由から予備的に掲載され、後の正式に診断基準の候補と位置づけられるものと、過去に使われていた診断基準を掲載し、後に削除といった経過を辿るものが多い。

この病型は,顕著な陽性精神病症状が欠如している点で,「統合失調症および他の精神病性障害」の章に含まれる障害から区別される.それらの障害とは,統合失調症,統合失調感情障害,統合失調症様障害,短期精神病性障害,妄想性障害,共有精神病性障害,および特定不能精神病性障害を含み,これらすべてはある期間に最低1つの陽性症状が存在することを必要としている.提案されているこの障害は,パーソナリテイの明確な変化と機能の顕著な荒廃が必要であるという点で,他のパーソナリテイ障害だけでなくスキゾイドパーソナリティ障害および統合失調型パーソナリティ障害から区別される.(DSM-IV-TR)

重点が置かれているのは、1)パーソナリテイの明確な変化、2)荒廃であることがわかる。もちろん、陽性症状が1度も確認されていないというところも重要である。現代の精神医学では、統合失調症精神病性障害となるには、陽性症状が少なくとも1度は経験されることが必要である。その点からいっても、単純型荒廃性障害(単純型統合失調症)は精神病性障害統合失調症として認められることはない。

また、パーソナリティに変化がなく、荒廃を伴わないものは、統合失調質パーソナリティ障害となるため、DSM-IIIとも実は矛盾がない。なお、現在のDSM-5では単純型荒廃性障害も削除されている。

最新のICD、DSMでは単純型の掲載はなく、診断基準としては認められないのが現状である。