井出草平の研究ノート

Rでステップワイズ回帰

ステップワイズ回帰とは説明する変数(独立変数)に何を入れれば、最も説明力が高いモデルが作れるかを自動的に考えてくれるという方法だ。日本語ではSASのJMPのページの解説がよさそうに思えた。

www.jmp.com

PCで統計パッケージを使って行えば、自動的に最もフィッティングの良いモデルの選択ができる、という触れ込みだが、実際には使うべきではない。仮説の無いデータ分析をすることがNGであることはウェブにもよく書いてあることだが、技術的にも、リッジ回帰、LASSO、Elastic Netといった洗練された方法があるので、現代でステップワイズ回帰をわざわざ行う理由が見当たらない。

ステップ関数を利用したステップワイズ回帰

ステップワイズ回帰はRの標準機能で走らせることができる。

まずはデータを読み込む。よく利用しているAERパッケージに含まれるCPS1985を今回も使って説明してみる。

データの読み込み。

library(AER)
data(CPS1985)

CPS1985には下記の変数が含まれている。

  • wage...賃金
  • education...教育年数
  • experience...就労年数
  • age...年齢
  • ethnicity...エスニシティ
  • region...地域
  • gender...性別
  • 職業...occupation
  • sector...職種
  • union...組合加入
  • married....結婚

賃金を説明するモデルをステップワイズ回帰で求めてみよう。

fit1 <- lm(formula = wage ~ education + experience + age + ethnicity
            + region + gender + occupation + sector + union + married,
            data = CPS1985) # fit1に回帰モデルを格納する

res1 <- step(fit1) #格納した回帰モデルfit1をステップ関数で分析

summary(res1) #結果表示

回帰モデルをstep()に入れればそれでOKだ。非常に簡単。
Rだとフィッテングを判断するのはAICである。

Step:  AIC=1564.76
wage ~ education + experience + region + gender + occupation + union

             Df Sum of Sq     RSS    AIC
<none>                     9599.4 1564.8
- region      1     50.52  9649.9 1565.6
- union       1    163.53  9762.9 1571.8
- gender      1    362.48  9961.9 1582.5
- occupation  5    684.51 10283.9 1591.5
- experience  1    587.41 10186.8 1594.5
- education   1    845.68 10445.1 1607.8

説明モデルとして採用されたのは、以下の変数である。

  • education...教育年数
  • experience...就労年数
  • region...地域
  • gender...性別
  • occupation...職業
  • union...組合加入

下の部分は変数を投入した場合のAICが表示されている。
<none>と書いてある行が最適だと判断されたモデルの統計量である。AICは1564.8となっている。一つ下にあるregion(地域)を入れたもののAICが1565.6になり、モデルのフィッティングが悪くなっていることがわかる。

MASSパッケージを用いてステップワイズ回帰

MASSパッケージを使ってもステップワイズ回帰ができる。ノーマルなステップワイズ回帰であれば、ステップ関数を使ったものと同じものが出力されるのであまり出番はないかもしれない。

library(MASS)
res2 <- stepAIC(fit1, direction="both")
res2$anova

結果表示の最後に$anovaをつけないと、変数の入れ替えでのAICの変化が表示されないので、MASSパッケージを使う際にはつける必要がある。

direction="both"はデフォルト値なので入れなくてもよい。bothは変数増減法を指定するオプションで変数増加法と変数減少法もあるが、特に変えなくても良いと思う。ステップワイズ回帰は総当たり方式ではないので、この部分の指定によって違ったモデルが最適だと出力される場合があり、どのような順番で変数を検討しているかは統計パッケージで異なるので、どこかに結果を出す場合には、ソフトウェアとどのような方法で変数選択を行ったかを書いた方が良い。

stepAIC {MASS}
https://stat.ethz.ch/R-manual/R-devel/RHOME/library/MASS/html/stepAIC.html

選択されモデルの交互作用項のリストワイズ回帰

MASSパッケージでは、交互作用の分析もできる。
さきほど、分析で選択された変数で新しい回帰モデルをつくる。
scope=list(upper=~X1 * X2 * ... * Xn, lower=~1)の中に回帰分析と同じ変数をいれる。アスタリスクは交互作用を意味している。

fit2 <- lm(formula = wage ~ education + experience + 
                region +gender + occupation + union, 
               data = CPS1985)  
              # 選択された変数で構成した回帰モデル
res3 <- stepAIC(fit2,scope=list(upper=~education * experience *
                          region * gender * occupation * union, lower=~1),
                          direction="both")
                         # 交互作用の検討
res3$anova # 結果の表示

結果は以下のようになる。

Initial Model:
wage ~ education + experience + region + gender + occupation +
    union

Final Model:
wage ~ education + experience + region + gender + occupation +
    union + experience:gender + education:region + education:experience +
    education:union + education:occupation + experience:union +
    education:experience:union


                          Step Df  Deviance Resid. Df Resid. Dev      AIC
1                                                 523   9599.374 1564.757
2          + experience:gender  1 103.62041       522   9495.753 1560.961
3           + education:region  1  64.37861       521   9431.375 1559.328
4       + education:experience  1  57.80331       520   9373.571 1558.045
5            + education:union  1  64.71459       519   9308.857 1556.346
6       + education:occupation  5 204.93102       514   9103.926 1554.459
7           + experience:union  1  72.08144       513   9031.844 1552.214
8 + education:experience:union  1 106.19011       512   8925.654 1547.898

Final Modelが選択されたモデルである。交互作用項が7つ含まれている。

交互作用項を含めたVIFの出力

このようなモデルだと多重共線性も検討したい。VIFの出力はcarパッケージに入っているので、さきほどのステップワイズ回帰で出力されたモデルをそのまま入れてみよう。

library(car)
fit3 <- lm(formula =wage ~ education + experience + region +
                gender + occupation +  union + experience:gender +
                education:region + education:experience +
                education:union + education:occupation + 
                experience:union +  education:experience:union,
                data = CPS1985)
vif(fit3)

結果は以下のようになる。

                                   GVIF Df GVIF^(1/(2*Df))
education                  1.345057e+01  1        3.667502
experience                 2.725167e+01  1        5.220313
region                     2.880692e+01  1        5.367208
gender                     3.444389e+00  1        1.855907
occupation                 2.969113e+08  5        7.034977
union                      1.419677e+02  1       11.915022
experience:gender          4.597440e+00  1        2.144164
education:region           3.378791e+01  1        5.812737
education:experience       2.331528e+01  1        4.828590
education:union            1.343270e+02  1       11.589952
education:occupation       3.895536e+08  5        7.228642
experience:union           9.909437e+01  1        9.954616
education:experience:union 8.924635e+01  1        9.447029

全体的に数値が高い。VIFは大きさだけでは判断できないとはいえ、このモデルはおそらくダメなモデルである。

ロジットモデルのステップワイズ回帰

例として、結婚を推定する変数を探索するロジットモデルのステップワイズ回帰のスクリプトを書いた。
SPSSでは(おそらく)重回帰のステップワイズ分析くらいしかできなかったと思うがやってみたらできた。

fit4 <- glm(formula = married ~ wage+ education + experience + age + ethnicity
            + region + gender + occupation + sector + union, family=binomial,
            data = CPS1985)
res4 <- step(fit4)
summary(res4)

MASSパッケージを用いる場合次のように書く。

res5 <- stepAIC(fit4, direction="both")
res5$anova

調査における反応歪曲

Satisficeのことを書きながら、「ちゃんと調査を受けてくれない人がいる」というののは、MMPIでも似たような議論があったぞ、と思い出したので、メモをしておこうと思う。

心理尺度のつくり方

心理尺度のつくり方

MMPIについてはWikipediaなどを参照のこと。
ミネソタ多面人格目録 - Wikipedia

反応歪曲

村上本の69-71頁にかけて反応歪曲についての記載がある。

大部分の人は質問紙に正直に回答するが,1~2割の人は自分を偽って回答する可能性がある。建前的回答は意識に上らないことも多い。逆に自分を実際よりも悪いとみなし,精神病者のような回答をすることもある。このような現象を反応歪曲(response set)と呼ぶ。

この界隈では、YG性格検査などで反応歪曲についての論文はわりと書かれている印象がある。 ここで挙げられている反応歪曲のパターンは3つ。

1) 黙従傾向:質問項目がどんな内容であっても,同意する傾向を黙従傾向(acquiescence)と呼ぶ。つまり「はい」か「いいえ」ばかりで答える傾向である。

2) 社会的望ましさ:社会的に望ましいと思われる回答をする傾向である。このような反応傾向は社会的望ましさ(social desirebility)と呼ぶ。

3) 良いふり,悪いふり,でたらめ応答:MMPI関連で言及される反応歪曲で,社会的望ましさの概念と一部重複する。良いふりは「生まれて一度も嘘はついたことがありません」などという質問をいくつか用意して,肯定的回答を集計すると検出できる。古典的なL尺度である。悪いふりは,自己意識が非常に悪く,精神病者のように回答する傾向である。でたらめ応答は,テストを嫌々やったり,質問文の意味が理解できず,回答がでたらめになってしまった場合がある。これらの傾向はL,F,K尺度で検出できる。

精神病者と書いてあるが、精神病「質」者の間違いであろう。精神病者だと統合失調症などであり、回答もままならない。細かく言うと精神病質者は社会の何が善で悪なのかを知っているので、悪ぶっているわけではなく、その本質が邪悪なのである。悪ぶっているのは、ADHDを基盤として反抗的なパーソナリティを持つ一群である。

MMPIは本体とは別に妥当性尺度がある。

  • ?尺度(疑問点) 被験者が「どちらともいえない」と答えた項目の数を表しており、これが多い場合は妥当性が疑わしくなるため、判定の中止、あるいは再検査を検討する必要がある。
  • L尺度(虚構点) Lはうそ(Lie)を表し、社会的には望ましいが実際には困難で、被験者が自分を好ましく見せようとする傾向を示唆する。
  • F尺度(妥当性点) 正常な成人においては出現率の低い回答をした数を表しており、風変わりな回答や自分を悪く見せようとする傾向が現れる。
  • K尺度(修正点) 自己に対する評価、検査に対する警戒の程度を調べるもので、これが高いほど自己防衛の態度が高いといえる。また自己に対する評価、検査に対する警戒による回答の歪みを修正するための点数としても扱われる。

LはLie、Fはfaking bad、Kは何の頭文字かはわからない。Defensivenessと説明されることが多い。MMPIにK項目を追加のはMeehl & Hathaway(1946)だが、この論文を(かなり)ざっくり読んだがKが何を意味しているのかわからなかった。

BigFiveでは,300項目の試作版質問紙と同時にMINI性格検査を実施して,L,F,建前尺度が70点以上の者と,K尺度が30点以下の者を除外した。被検者は大学生で,当初496名であったが,除外すると443名となった(村上・村上,1997)。これだけで有効回答者の10.7%である。不完全回答者は前もって除外されている。 多くの研究者は被検者の洗練を意識的に行なっていない。作成する尺度の弁別力に影響するはずである。自己像が歪んだ,洞察力の乏しい被検者は1~2割いるので,可能ならば,試作版質問紙にL,F,K尺度などを含めておいて除外すべきである。

村上・村上(1997, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpjspp/6/1/6_KJ00001287054/_article/-char/ja/)をみれはL項目で引っかかった人数が書いてあるかと思ったが、確認してみても、この本と同様の記述しかなかった。各尺度での反応歪曲の割合はわからない。

L尺度は15項目で構成されている。MMPIには著作権があって貼ることはできないので、慣例的によく例示としてあげられる英語の文章を4つあげておこう。

15 Once in a while I think of things too bad to talk about.
45 I do not always tell the truth.
75 I get angry sometimes.
150 I would rather win than lose in a game.

話すのを憚れるほど悪いことを考えていると供述する可能性は低い(15)。いつも本当のことを言っている人と答える人は自分をよく見せようと嘘をついている(45)。まったく怒らない人はいないので、時々でも怒らないと回答する人は嘘をいている(75)。ゲームに負ける方が好きな人はいないので、勝つ方がよいと答えない人は嘘をついている(150)。

被検者の洗練が必要

L,F,Kでは使い道が違いそうである。特にポリティカル・コレクトネスが関係するものを検討する際には必要かもしれない。例えば、人種差別をしてもよいか、と質問をすると、内心はどう思っていたとしても、人種差別はダメなことだと言う人が多い。女性の社会進出なども同様で、女性はもっと社会進出をすべきと口では言いながら、女は仕事ができない、会社に来ても雑用だけしかやらせない、家事は女がするべきと固い信念(偏見)を持っている人は少なくない。

社会学の調査はこの種のことにはあまり関心を持っていない。「多くの研究者は被検者の洗練を意識的に行なっていない」と村上が述べるように、可能な限り、さまざまな形で嘘を書く人を検出するシステムを調査に組み込んだ方が良いように思う。自分をよく見せようとする人が1~2割くらいいるのは現実的だし、それだけの割合の回答が歪むと、分析をしても正しい結果が出るはずがない。わりと重要なトピックだと思う。

ウェブ調査におけるSatisfice

ウェブ調査で「ちゃんと答えない人」をどのように見極めるかという問題に関しての論文。ウェブ調査に限ったことではないのだろうが、ウェブ、オンラインといった新しい方法はケチがつけられるものなので、この種の研究は重要であろう。

もちろんウェブ調査で起こりやすいエラーは存在している。ウェブ調査では、会社のモニターがポイントなどの謝礼を受け取る代わりに、調査を受けるタイプのものが多いので、適当に書いてもバレなければ、適当に答えて、楽に報酬を受け取るケースは実際に生じている。

ci.nii.ac.jp

この研究はManiaci & Rogge 2014)を踏まえた研究であり、ARSとDQSという尺度はこの研究から邦訳されて使用されている。ただ、全体的な研究目的は異なっている。

Maniaci, M. R. & Rogge, R. D. (2014). Caring about carelessness: Participant inattention and its effects on research. Journal of Research in Personality, 48, 61–83. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S009265661300127X

Satisfice

Satisficeとは「調査協力者が調査に際して応分の注意資源を割かない行動」(Krosnick 1991)という意味だそうで、要するに質問文をきちんと読んで答えない、適当に答えるなどである。ウェブモニターなどではポイントなど報酬があることが多く、報酬を最適化して得ようということである。三浦・小林は「努力の最小限化」という訳語を充て ている。

Satisficeを日本語に翻訳してほしいと査読者からは言われたそうで、苦労の末「努力の最小限化」という訳語を作ったものの「正直あんまりぴったりしっくり来ているわけではない」と下記のインタビューでは答えている。確かに日本語でぴったりくる言葉はなさそうなので、このエントリでもSatisficeとしておく。

大学生はオンライン調査に“まともに”答えているか?

www.socialpsychology.jp

ARSとDQS

The Attentive Responding Scale(ARS; Maniaci & Rogge 2014)

Inconsistency尺度は、「私は活動的な生活を送っている」と「私は活動的な人間だ」など、意味は似ているが文章表現が異なる項目ペア(11組)間の回答値の差分を指標とするもので、値が大きいほど一貫性の低い回答をする努力の最小限化傾向が強いことを示す。
Infrequency尺度は、「人には好かれるより嫌われたい」「スピード違反の切符を切られるのは嫌だ」など回答値の度数分布が大きく歪む(前者は「まったくあてはまらない」、後者は「よくあてはまる」に回答が集中することが予想される)項目に対する回答と「回答が集中する選択肢」との差分を指標とするもので、値が大きいほど質問文を精読しない努力の最小限化傾向が強いことを示す。

Directed Questions Scale(DQS; Maniaci & Rogge 2014) 「これはダミーの質問です.何も選択しないで下さい」「「一番右」の選択肢を選んで下さい」などの質問から構成される尺度。

英語:
http://psy2.fau.edu/~maniaci/publications.html

日本語:
https://osf.io/ba6y9/
三浦・小林の論文のオンライン付録のページ。

Satisficerの検出力の高い2項目

Lasso: Least absolute shrinkage and selection operatorを用いた分析がされている。

ARSのInfrequency尺度に含まれる「スピード違反の切符を切られるのは嫌だ」という項目で、「あてはまる」と回答する人ほど映像関連設問での正答率が高かった。言い換えれば、スピード違反の切符を切られるのは万人にとって不快な体験であるため、「そう思わない」と回答する人は項目を精読していない可能性が高く、そうした人ほど正答率が低くなる(努力の最小限化をしやすい)ということになる。

努力の最小限化傾向の自己評定尺度に含まれる「回答をなるべく早く終えようとする」という項目が選択結果に追加された。しかしこの項目は「回答をなるべく早く終えようとする」人ほど正答率が高く、解釈には曖昧さが残った。

ということで、下記の2項目が候補になるとのこと。

  • 「スピード違反の切符を切られるのは嫌だ」
  • 「回答をなるべく早く終えようとする」

ちなみにLassoは回帰分析の中での予測子を減らしたり、重要な予測子を発見したりする方法である。ステップワイズ回帰を改善したものというとわかりやすいかもしれない。

マーケティング畑には、ステップワイズ回帰はまだ現まだ役だと言われる人もたぶんいるのだろうが、それは少し時代錯誤であって、Lasso以前はリッジ回帰が予測精度を改善するために使われいた。ただ、オーバーフィットが起こることがあるため、Lassoの方が優れている時の方が多いとされている。また、2000年代に入りリッジ回帰とLassoを組み合わせたElastic Netという方法も発表されている。

考察

Maniaci & Rogge(2014)によると、Satisficerは3.5%(Johnson 2005)、10–12%(Meade & Craig, 2012)、35–46%(Oppenheimer et al. 2009)のようだ。Oppenheimer et al.(2009)の割合が多いのが気になるので、また読んでみようと思う。

Maniaci & Rogge(2014)によるとSatisficeは「努力の最小限化による不注意回答が研究知見を劣化させることを示している。一方で、顕著な努力の最小限化傾向をもつ協力者は3~9%とごく少数である」とのことだ。

大学生サンプルでは努力の最小限化の出現率が低い傾向が示された。
Maniaci & Rogge(2014)では大学生とAmazon Mechanical Turkでほとんど変わらず、Donnellan, Lucas, & Cesario(2015)ではむしろ大学生サンプルの方が強い努力の最小限化傾向を示している。

海外のテストでは、一般のウェブ調査モニターと大学生でSatisficerの数は変わらない、むしろ大学生の方が多いくらいだったが、三浦・小林の研究での調査モードでは、大学生のSatisficerは少ない傾向がみられている。大学間のSatisficeの違いがなかったということも書いてあり、個人的な印象とは異なっていたので、意外だった。

大学生サンプルを対象とする際は、回答者の特性依存的な努力の最小限化傾向の検出に「躍起になる」必要はなく、むしろ調査内容によっては回答環境や端末を制御する(例えば映像刺激を含む調査なら自宅からPCでの回答を指示するなど)ことの方が重要であると考えられる。

映像を見るにはスマホは忌避されるだろう。Satisficeというよりも、パケットの消費が心配で動画再生をしたくない学生が多い気がするのだがどうだろうか。

もし、可能であるなら、DQSの「一番右の選択肢を選んで下さい」といった種類の設問で一番右以外を答えている学生を従属変数にした分析を見てみたい。

Satisficerといっても意図的なタイプ、例えば、全問真ん中を選ぶなどの場合、正しい情報が得られないので、どのような人がSatisficerになりやすいかという分析は難しそうだ。Maniaci & Rogge(2014)によるとSatisficerは少なくて3%でその場合、少数者の研究になるため、サンプルサイズを多少大きくする必要がある。9%ならば一番嘘をつかないだろう面接を調査法に混ぜることもできるかもしれない。ただ、Satisficerと面接は一番相性が悪い気もする。Satisficerを発見、電話で追跡調査が実現可能なところだろうか。

不注意なタイプの場合、DQSの質問が複数固まってあると、質問の異質さに気づいて、もう一回読み直して答える可能性も考えられる。検出項目を1項目か2項目にして他の質問に紛れさせる設定の方が有効そうなので、その種の研究も探して読んでみたい。

あと、気になったのは以下のものだろうか。

調査会社にIMCを含む調査実施を委託すると「「正しく答えない」ことを求める設問はモニタの信頼を損ねる」と拒絶される場合がある

確かに、調査会社は嫌がりそうだ。

参考文献
Krosnick, J. A. (1991). Response strategies for coping with the cognitive demands of attitude measures in surveys. Applied Cognitive Psychology, 5, 213–236. https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/acp.2350050305

Johnson, J. A. (2005). Ascertaining the validity of individual protocols from webbased personality inventories. Journal of Research in Personality, 39, 103–129. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0092656604000856

Meade, A. W., & Craig, S. B. (2012). Identifying careless responses in survey data. Psychological Methods, 17, 437–455. http://www.gac-usp.com.br/resources/Identifying%20Careless%20Responses%20in%20Survey%20Data.pdf

Oppenheimer, D. M., Meyvis, T., & Davidenko, N. (2009). Instructional manipulation checks: Detecting satisficing to increase statistical power. Journal of Experimental Social Psychology, 45, 867–872. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022103109000766

パブロフの犬はベルに反応したのか

AmazonのPrime会員になっていると無料で読めるAmazon Readingを利用してみた。内海聡『大笑い!精神医学』がラインナップにありを少し読んでみた。

大笑い!精神医学

大笑い!精神医学

精神医学への誹謗中傷はメインテーマだが、他にも、子宮頸がんワクチンが無効で害があるかもしれない、ワクチンで自閉症が生まれる、ポリオも破傷風も同じだと主張されている。

パブロフの犬について次のような記述があった。

さて、パブロフの犬の実験、何が捏造だったのかを説明しましょう。 頰に穴をあけられた犬の中で、ベルが鳴らされたあと、唾液を出して食事を優先した犬は、30頭中2頭しかいなかったのです。犬たちがもっとも多く取った行動、それはベルを鳴らされ自由になった瞬間に研究者たちに噛みついたことでした。 このような情報の捏造、誘導行為は現代の精神医学、心理学においても日常的に行なわれています。こうした行為を精神医学や心理学は、果てしなく繰り返してきたわけです。

この話はSNSで昔流れていて情報のソースが気になっていた。インフルエンサー内海聡であることがわかった。内海聡が流しているということは、おそらく日本語で内海よりも先に書いた人がいるはずなのだが、そこまでは見つけられなかった。

言うまでもなく、この話も当然デマである。

ジョンズ・ホプキンス医学部の医学史の研究者であるダニエル・トーデスがパブロフについての伝記を書いている。

Ivan Pavlov: A Russian Life in Science (English Edition)

Ivan Pavlov: A Russian Life in Science (English Edition)

私たちが良く知っているとパブロフの実験はベルを鳴らすとエサがもらえるので、犬は唾液を垂らしたというものだ。内海聡もそのエピソードに基づいて書いているが、そのエピソードそのものが誤りなのだそうだ。

トーデスによるとパブロフはベルの音に反応させて唾液を流す訓練をしたことはないそうだ。また条件反射という言葉をパブロフは使たこともないそうである。トーデスの研究が一般的に知られるようになれば、現在の心理学の教科書も書き換える必要を迫られそうである。
ちなみに、こうった誤解が生まれた原因は、ロシア語からの翻訳が粗悪であったことにあるそうだ。

単純型統合失調症のまとめと8050問題

単純型について過去にエントリを入れたが、その中で書き残している項目をまとめてこのエントリに入れておきたい。

疫学

単純型統合失調症に該当する症候を持つ者の疫学調査が存在するようだ。アイルランドの一地方で実施されたもので、DSM-IIIから基準Aを除いたもの(つまり陽性症状を沿いて陰性症状のみの者)が対象である。1万人あたり5.3人の発症率であったという。かなり珍しい状態像であることかわかる。

www.ncbi.nlm.nih.gov

Kendler K. S. et. al, 1994, "An epidemiologic,clinical,and family study of simple schizophrenia in County Roscommon Ireland." Am.J.Psychiatry,1(5) :27-34.

単純型統合失調症のグループは、陽性症状のある統合失調症のグループに比べ、顕著な否定思考障害(Negative Thought Disorder)と、慢性的な経過を示したとある。社会的・職業的機能は両者で差がなかったとある。経過が現代的な意味での統合失調症より軽いわけではないようだ。否定思考障害は論文を読んだだけでは統合失調症に起因するものかはわからない。他の疾患でも起こりうる症状である。統合失調症の第一度近親者のリスクは陽性症状のあるグループが4.6%、単純型が6.5%と多かったことから、単純型の中核群がおそらく自閉症スペクトラム症だという推測は誤りであろう。この疫学調査が拾った統合失調症らしきものはやはり統合失調症に遺伝的に近い何かなのだろう。

治療

単純型では少量の抗精神病薬が有効とされている。

自閉症スペクトラム症の診断と紛らわしいという点は残るが、治療法では、両者に違いはない。リスペリドン、クロザピン、アリピプラゾールなどの薬が使われている。どちらの診断名であっても、対応は変わらないのである。少し意外であったのは、クロザピンの使用だろうか。ちなみに自閉スペクトラム症へのクロザピンの投与は数本論文がある(Chen et al. 2001 :https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11465533 など)

濱田秀伯『精神症候学』

症候学の教科書として有名な濱田秀伯『精神症候学』における単純型統合失調症の記述は以下のようになっている。

単純型統合失調症では,仕事そのものはできても,自己流にこだわって立場をわきまえず,「何となく周囲から浮いてしまう」「一緒にやっていてタイミングが合わない」などと評されることが少なくない。(p.201)

第2版の記述である。第1版は持ってないのでわからない。

周囲から浮いてしまうなど周りとうまくできなてのは、オット・ディエムの段階でも「自分の非を認めない」という特徴があげられている( http://ides.hatenablog.com/entry/2019/08/13/162125)ように、周りと合わせたりするのが苦手であったり、自分に非がある場合でも認めない、といった性質だからだろう。

この文章だけを読むと、現代では自閉スペクトラム症だとみなされる可能背が高い気がする。現代でも自閉症スペクトラム症概念は臨床では行き渡っていないため、単純型統合失調症(疑診)あたりの診断を行う医師は多いものの、少なくとも、20年前であれば、どのような医師であれ統合失調症っぽさを読み取っていたはずである。

単純型統合失調症 = 自閉スペクトラム症なのか

単純型統合失調症 = 自閉スペクトラム症ではない。部分的には重複していたとみるのがおそらく正しいだろう。先に見たように、単純型は疫学調査をすると、1万人あたり5.3人と非常に稀である。

ディエムにしろ、ブロイラーにしろ、その後継者にしろ、単純型はもう少し広く使用している。日本の臨床医も同じである。従来、単純型ではないかと考えられてきたものは現代では、自閉症スペクトラム症の成人例に相当するものが多った可能性は少なくない。

先のエントリの仙波・神山「統合失調症(単純型)の典型例」で扱われている症例は、文章だけを読む限り、自閉症スペクトラム症だと言われても、変なところはない。

ides.hatenablog.com

児童期の、友達も少なく、きょうだいによれば「何を考えているのかわからない子ども」というエピソードは統合失調症病前性格のようにも読めるが、自閉症スペクトラム症のようにも読める。

現代の精神医学は単純型の診断を削除したが、もし復活を狙うのであれば、第一に、小児期に自閉症スペクトラム症とは異なる症候と経過があることが必要である。

もし、小児期に自閉症スペクトラム症の症候がないにも関わらず、かつ陽性症状がなく、陰性症状があることを示す必要がある。

ADHDコホート研究は成人ADHDは小児期から持続したものであるという旧来の見解をひっくり返し、ほとんどの小児ADHDと成人ADHDは異なったグループであることをしめした。

単純型と自閉症スペクトラム症の関係にしても同様にコホート研究を行うと概念の妥当性が示せるかもしれない。しかし、単純型の概念は一部の研究者にしかニーズがないため、おそらくこの種の研究はされないだろう。

単純型統合失調症は長期化したひきこもりではないのだろうか

仙波・神山「統合失調症(単純型)の典型例」にある、単純型は「パーソナリティ障害だけでは通常本症例ほどの荒廃には至らない」(http://ides.hatenablog.com/entry/2019/08/19/135209)という記述には個人的には疑問が残る。ひきこもりが長期間続いたケースはこのような状態になっているためである。

荒廃、という言葉は精神病性症状のことを意味するので、社会的機能低下と言い換えた方がよいだろう。ひきこもりはさまざまな結果のとして生じる社会的機能の低下である。ただ、ひきこもり続けることによって、社会的機能は低下する。誰とも話さず、何もせず、ただ食べて寝るだけの生活を長期間続けると、廃人のようになる。

ちなみに、この点については、自閉症スペクトラム症があるかないかはあまり関係がないと個人的には考えている。

精神医学的に言うと、うつ病の症状であるアンヘドニアがあれば、何事もする気がなくなり、食べることすらできない状態に陥るだろうし、強迫性障害やためこみ障害(Hoarding Disorde)があれば、家がごみ屋敷のようになることもある。社会的機能の低下には統合失調症意外にも様々な原因が想定される。

生活機能や社会的機能の低下は特定の精神疾患によって起こると考えるか、社会と隔絶された環境下=ひきこもり状態で起こると考えるかの違いが第一にある。第二に精神症状だとしても、それが精神病性のものか否かという問題がある。社会的機能の低下を精神病性症状以外の言葉を使って説明できるのではないだろうか。

ひきこもりは病院の生活指導で改善するが

引き続き、仙波・神山(2012)のケースである。

入院中は強力な生活指導により徐々に身の回りのことを自ら行えるようになり, 他の患者との会話も増えてきた。
治療に関してはrisperidoneをはじめとした第2世代の抗精神病薬が使用され,その有効性が報告されているが,いずれも小数例の報告である。しかし,おそらく薬物療法よりも,生活指導を含む精神科リハビリテーションや地域介入が有効であろう。したがって,薬物療法としては中等量ないし少量の抗精神病薬ということになるであろう。

機能低下は生活指導で回復したようだ。また社会的機能の向上とともに、他者との会話との会話も増えたとある。

この文章だけを読むと、長期間のひきこもりによる社会性の低下と社会的機能の低下が、病院というコミュニティの中で回復してきたと読める。

このようなケースを読むと、単純型であれ、何であれ統合失調症という病名の診断をして、病院に入院させれば社会的機能が回復し、ひきこもりからの離脱に有効なのでは、とも思う。ただ、このケースはかなり重症化していたことが良かったのだろう。通常、ひきこもりの健康度は比較的高く、入院にも同意しないことが多い。同意のない入院は百害あって一利なしなので、選択肢にはなりえない。本人にとっては拉致監禁以外の何物でもないからだ。このケースのように死にかけているところを辛うじて助けられると、入院というルートに自然に乗せられる。皮肉かもしれないが、ひきこもりは病院への入院という資源を使うには、健康すぎるのである。

8050問題

個人的には統合失調症にはあまり興味がないのだが、単純型統合失調症の問題をエントリを入れてきたのは、1) 高機能の自閉症スペクトラム症(=アスペルガー症候群)のかつての診断名として使われてきたと推測されること、2) 長期化したひきこもりに非常に酷似した症例があるためである。ひきこもり問題は、最近は8050問題がクローズアップされることが多いが、介入法に行き詰まりを見せているように思える。精神医学的な問題だけでも以下のような問題がある。

  1. 介入者に精神医学的知識が欠落している
    ...いわゆる民間団体のほとんど
  2. 介入する医師に自閉症スペクトラム症の知識が欠落している
    ...旧来の精神医学的知識で臨床をしている医師
  3. 介入者が何を見ても自閉症スペクトラム症だと考える
    ...過去15年間に臨床心理学の教育を受けてきたものに多い
  4. 介入する医師が幅広い精神医学的診断ができず、適切な介入ができない
    ...診断のバリエーションが多い医師は少ない。介入のバリエーションが多い医師はさらに少ない

課題を並べるだけでも、かなりハードルが高いことがわかる。ただ、単純型統合失調症の歴史的な経過などをみることによって、介入例に必要な知識が何かというヒントがあったように思う。

統合失調症(単純型)の典型例

www.seiwa-pb.co.jp 仙波純一,神山園子,2012,「統合失調症(単純型)の典型例」『精神科治療学』27(7): 897-901.

統合失調症(単純型)の典型例」という論文があるため、少し長くなるが症例込みで見ていきたい。

単純型とは下記のように定義されている。

単純型統合失調症とは,感情鈍麻,乏しいセルフケア,社会からの引きこもりなどの症状が緩徐に進行しながらも,いわゆる幻覚妄想などの陽性症状を欠き,明らかな思考障害やまとまりのない会話なども見られない統合失調症の亜型をいう。

症例

〔症例〕初診時64歳男性,無職
家族歴: 5人同胞の第4子として生まれる。遺伝負因はない。
既往歴・詳細不明。飲酒歴なし。
生育歴: 地域の素封家に生まれる。実家は商店を営業していた。幼少の頃から無口で自己主張せず,友達も少なかった。きょうだいによれば「何を考えているのかわからない子ども」であったが,特別な問題なく育つ。言語の発達に問題はなかったようである。小中学校の成績は中くらい。地元の高校を卒業してからは,進学を希望せず,家業の手伝いをしていた。高校生のころはハトを飼うのが趣味で、あった。

生活史: 店番をしていても客と口をほとんどきかず,品物の配達を頼まれでも,黙って玄関の前に置いたまま去ってしまうなど,気のきかない行動が多く見られた。そのうちに,仕事はせず,家でぶらぶらする生活になった。人づき合いはほとんどなく自閉的な生活であった。何回かお見合いをしたものの,ほとんど相手から断られてしまったという。両親やきょうだいは,本人が成人してからの無為な生活態度に気づいていたが,とくに病気とは考えていなかったようである。X-10年に父親が死亡した。店は形式的には続けていたものの,ほとんど客はなくなっていた。道路に面して設置した自動販売機からのわずかな売り上げだけで生活していた。その自販機の管理も業者任せであった。きょうだいは敷地内の別棟に住み,本人と母親は店舗のある母屋に住んでいた。ときどき庭に出ている本人をきょうだいは見かけていたが,積極的な関わりは本人が拒絶していた。ほとんど母親が本人の面倒を見ていたらしい。X-4年に母親が死亡したときにも,家から出ず葬式には参加していない。その後,食事はスーパーの弁当やインスタント食品などで済ましていたようである。きょうだいを絶対に部屋に入れず, 家の中はゴミ屋敷のようになっていた。入院半年ほど前に,足がむくんでいる本人をきょうだいが見かけ,病院を受診するように伝えたが拒否されている。最近姿を見せていないことにきょうだいが気づき,母屋の玄関から声をかけた。しかし,うずたかく積まれたゴミの向こうから返事がないために異変を感じ,救急車を要請した。救急隊員がゴミをかき分けて室内に入ったところ, 糞尿まみれになって仰向けに動かずにいる本人を発見し,そのまま当院救急に搬送された。

来院時所見:来院時, 顔面蒼白で著明なるい痩がある。JCSI-2. BP 105/45. PR 78,B T 343℃。
著明な貧血(Hb6.5g/dl) と低栄養(総蛋白5.9g/dl) が認められた。輸血や栄養補給によって第5病日までには意識障害はほぼ改善した。その後旺盛な食欲を示し,全身状態は急速に改善した。神経学的異常所見はなく,MRIでは萎縮や粗大な病変は認められず,年齢相応の所見であった。貧血は大球性でビタミンB12欠乏が疑われた。悪性疾患によるるい痩が否定されたことから精神疾患を疑われ,精神科に往診の依頼があった。

精神科初診時所見:無気力にベッドに横臥している。奇妙な表情や態度はなく,質問には即答できる。形式的には話の筋は通っており,明らかな思考障害は見られない。しかし,内容は表面的で深まらない。父親死亡後の10年間どのような生前を送っていたかについて聞いても,はっきりとしない。今回の入院については.「半年くらい前からなんとなく食事を買ってくるのが面倒くさくなってきた。あまり食べなくても平気になっていた。家でぼんやりしていたらそのうちわからなくなり,気づいたら病院にいた。栄養はとれていたはずなので,ビタミンが足りなかっただけだ」という。入院について拒否的ではないが,現状を深く心配する様子もない。幻覚や妄想については否定する。
その後の経過:本人や家族に統合失調症を含む精神疾患の可能性の高いことを説明した。栄養状態が回復した後,きょうだいとの話し合いで,入院17日後に精神科病院に転院となった。転院直前の長谷川式簡易認知機能スケールでは29/30であった。

転院後の経過:転院先の担当医によれば,転院に驚く様子もなく平然としており,ごく自然に入院生活に溶け込んだように見えたという。ほかの忠者と自発的に話をすることはなく,視線も合わせない。病棟内行事などにはいいわけをして参加したがらない。入浴や爪切り,ひげ剃りなどの身の回りの清潔は強く勧めないと行わない。食事以外はベッドで臥床がちな生活である。担当医とは通常の会話であれば可能で、あり,感情の表出も見られるものの,会話は浅薄で、深まらない。薬物はolanzapine 15mg/日が継続して投与されている。転院後に家族が母屋を調べたところ,道路に面した一坪だけ第三者に売却されていたことが判明した。しかし,払われた金がどこに行ったのか,本人に聞いても判然としなかった。入院中は強力な生活指導により徐々に身の回りのことを自ら行えるようになり,他の患者との会話も増えてきた。社会復帰施設で生活することを目標とし, X+3年の時点ではなお入院中である。

やはり、特徴としては社会的機能の低下である。
ただ、一度下がった社会的機能や生活機能は、生活指導で機能は上昇するということなので、疾患による低下にしては容易に回復している印象がある。ひきこもり状態が起こす問題なのでは、と思ったりもする。

一応、このケースの鑑別診断の部分を引用しておこう。

単純型統合失調症は,自我障害の症状,幻覚や妄想,緊張病症状や著しい陰性症状などが,経過の中で先行性のエピソードとしてはっきりと出現したことがないために,妄想型,破瓜型,緊張型,残遺型のいずれにも分類できない。しかし,いわゆる陰性症状は潜行性かっ緩徐に進行し,社会的な機能は著明に低下していく。内省や自発性を欠くために,みずから医療機関を受診することは稀である。また,陽性症状もないために,家族や周囲が単なる変わり者とか怠け者とみなし,精神疾患とみなさないこともある。一方で,陰性症状の著しい統合失調症のように,人格的な荒廃までには進まない。
(中略)
鑑別診断として,統合失調型障害や統合失調質パーソナリテイ障害を考える。対人接触は好まないものの,会話からは冷淡でよそよそしい印象はない。奇異で風変わりな信念や行動も見られず,猜疑的で、もないことから,統合失調型障害にはあたらない。統合失調質パーソナリティ障害と診断しでもよいかもしれないが,パーソナリティ障害だけでは通常本症例ほどの荒廃には至らないであろう。また,家族の情報によれば,高校卒業後から陰性症状は緩慢ではあるが進行性に低下している。このような機能の低下は,統合失調症との類似を示している。

抗コリン作用への対処法

イントロダクション

抗コリン作用は抗うつ薬の副作用として生じる。抗コリン作用によって強い副作用が出るため、服薬を続けることができないことがあり、うつ病の治療において大きな問題となっている。

短期間であれば耐えられる程度の副作用だったとしても、抗うつ剤は少なくと半年間は服薬する必要があるし多くの場合は、数年単位での服薬をすることになる。抗コリン作用のマネージメントをすることは、治療をする上でも治療結果を左右する重要な要因である。

抗コリン作用の副作用は多岐にわたる。主なものは、便秘、胃腸障害、口渇、虫歯、歯周病緑内障、排尿困難などである。これらの症状は生活の質を大きく下げる。

抗コリン作用のマネージメントを怠ると、抗コリン作用が不快であるために、患者が服薬を拒否したり、医師に黙って服薬をしていないこというこにつながる。いわゆるアドヒアランスの低下である。結果として治るはずのうつ病が治らない、不十分(部分寛解)となる。

抗コリン作用が多くあらわれるのは、三環系抗うつ薬である。また、SSRIではパロキセチン(パキシル)、SNRIではデュロキセチン(サインバルタ)、エフェクサー(ベンラフェキシン)で発現頻度が高い。三環系抗うつ薬もまだまだ現役である。三環系抗うつ薬の使用頻度が減ったとは言え、現代でも未だに大きな問題として存在している。

1.一般的にとられている副作用の緩和策

まずは一般的に行われている対処法について記したい。抗コリン作用のマネージメントについての統計調査があるわけではないので、ここで書いているのは、見聞きした範囲で臨床で行われている方法であるが、異議はおそらく出ないだろう。

1.1 便秘

酸化マグネシウム(マグミット)が処方されることが多い。 安価な薬剤であるため、薬剤費の負担も少ない。また、腎結石の治療薬でもあるため、結石予防などの副効用も期待できる。

サプリメントとしては、水溶性食物繊維である難消化性デキストリンの効果が期待できるかもしれない。難消化性デキストリンは飲料系のトクホによく含まれるので最近知名度が上がっている。トクホでの承認は、食事の時に血糖値の上昇を抑えるという効果が認められているので、便秘解消効果が認められているわけではない。 血糖値にしろ、便秘解消にしろ、効果はあまり高くない。また、効果が出るほど大量に摂取すると、高価であるため、合理的な選択とは言いづらいだろう。

1.2 胃腸障害・胃腸の不快感

臨床では有効な薬剤が出されていることはあまりない。

胃腸障害は様々な機序で起こる。抗うつ剤の場合は、セロトニンが過剰になっている場合と、抗コリン作用によって起こるものが多い。アセチルコリンの濃度が減少すると腸の蠕動(ぜんどう)運動が弱まるため、消化がうまくいかなくなる。

胃腸薬にもさまざまなものがあり、特に注意が必要なのは、薬局でも売っているスコポラミン(ブスコパン)である。この薬は、抗コリン作用で生じた胃腸障害を悪化させる。スコポラミンは抗コリン作用を生じさせる薬であり、三環系抗うつ薬で生じる抗コリン作用と同じであり、症状が深刻になるのだ。

胃腸薬という名前がついていても作用機序がことなり、機序を把握した上で投薬する必要がある。

一般的に精神科ではファモチジン(ガスター)が出されていることがあるようだ。ファモチジンは胃酸の分泌を抑制する薬剤であり、胃腸障害を改善することとは関係がない。PPI(プロトンポンプ阻害薬)であるラベプラゾール(パリエット)ランソプラゾール(タケプロン)も同様である。

これらの薬は抗コリン作用による胃腸障害には有効ではない。また、PPIは長期使用(2年以上)をする際には、骨粗しょう症につなながる副作用がある。骨粗しょう症のリスクが高い女性の場合は投与の必要性を十分に考慮するべきである。PPIによる骨折リスクは医師にも患者にも、もう少し周知されるべきであろう。

www.ncbi.nlm.nih.gov Andersen et al., "Proton pump inhibitors and osteoporosis." Curr Opin Rheumatol. 2016 Jul;28(4):420-5.

AndersenらはPPIの投薬をせざるを得ない場合にのみ最低有効量を使用するべきと書いている。

精神症状に伴って胃潰瘍逆流性食道炎などが生じる場合がある。その場合には、ファモチジンPPIを投与する必要がある。これらの症状が無い場合に、ファモチジン(ガスター)やPPIが無意味だということだ。

その他、テプレノン(セルベックス)レバミピド(ムコスタ)などが投与されることもあるが、抗コリン作用による胃腸障害には無意味である。

1.3 口渇・虫歯・歯周病・口腔感染症

これらの症状は口腔内の唾液量が現象することで生じる。臨床では患者からの訴えは頻繁に起こるが、放置される副作用でもある。口腔内のトラブルの重要性はあまり周知されていないようだが、個人的には対処の必要なトラブルだと感じている。

経過を知っている三環系抗うつ薬の投薬を受けた者は全員、虫歯や歯周病といった歯のトラブルを抱えている。場合によっては、カンジダや細菌性の感染症を引き起こすこともある。歯を失うことはQOLの低下のみならず、健康寿命への影響もある。どの程度の信頼性があるかはわからないが、歯周病菌がアルツハイマー認知症に影響があるという報告もある(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11628.php)。仮にこの仮説が正しいなら、抗コリン作用を放置は、アルツハイマー認知症の誘発を意味している。

口腔内トラブルはニュージーランド厚生労働省に相当するMedsafeのページでまとめられている。
Medicines, Dry Mouth and Tooth Decay - New Zealand Medicines and Medical Devices Safety Authority(Medsafe)

向精神薬を使用した時の口腔内トラブルにいては下記の論文が詳しい。

www.ncbi.nlm.nih.gov Fratto G, Manzon L, 2014, "Use of psychotropic drugs and associated dental diseases." Int J Psychiatry Med. 48(3):185-97.

唾液の分泌量が減少すると口臭がひどくなる。医科学的に軽度な副作用だが、対人場面が多くある営業職などの場合には、口臭で営業がうまくいかなくなることも容易に想像できるので、社会的には深刻な副作用と言えよう。

歯周病まで進行しなくても、患者が困っている場合には、口渇の副作用には何らかの対処をした方がよい。

抗うつ剤の副作用に対して、臨床では漢方薬が処方されることがあるようだ。

白虎加人参湯は、ジソピラミドなど抗コリン作用による口渇に関して、麦門冬湯はシェーグレン症候群のドライマウスに関しての論文が複数存在している。ただ、漢方薬の効果は限定的であり、白虎加人参湯も麦門冬湯も気休め程度にしか効果が期待できない。

先のニュージーランド政府機関リンク(Medsafe)にはライフハックとして下記の方法が示されている。

  • 食事と一緒にに水(または無糖飲料)を多めに飲む。
  • 無糖チューインガムを噛むか、無糖キャンディーをなめる。
  • カフェイン入りの飲み物、アルコール、タバコを避ける。
  • 夜に加湿器を使用する。
  • 辛いまたは塩辛い食べ物は痛みを引き起こす可能性があること注意。
  • 唾液代替物の使用を検討する(注:日本では人口唾液のサリベート等)。
  • 塩と重炭酸の口内洗浄剤の使用を検討する。

別の原因(例えば更年期障害)などで口渇で困っている場合にも、このライフハックは有効である。ライフハック以上の効果が期待できる口渇への有効な介入は、下記のコリン作動薬、コリンエステラーゼ阻害薬を使用するしかない。

1.4 排尿困難

抗コリン作用によって排尿困難になる場合がある。この副作用が出やすいのは男性であり、高齢であればかなりの割合で生じる。

高齢男性は前立腺肥大を抱えており、もともと排尿が難しくなるが、そこに、抗コリン作用が重なると、尿が出にくくなる。場合によっては、尿閉、つまり、完全に尿が出なくなることもある。短期的に非常に深刻な副作用であるため、抗うつ薬を変えるか、排尿困難の薬が追加されることが多い。

高齢者にはSSRIは効きにくいことがわかっており、三環系抗うつ薬を使うか、デュロキセチン(サインバルタ)を使うかしかない。いずれも抗コリン作用がある薬であるので、高齢男性のうつ病患者の場合には、ほぼ、この副作用について対処をすることに迫られる。

もっとも使用頻度が高いのはα1阻害薬である。中でも、タムスロシン(ハルナール)が多いのではないかと思う。もう一つの候補はナフトピジル(フリバス)である。シロドシン(ユリーフ)は勃起不全の副作用があり、忌避される可能性が高い。

α1阻害薬にも副作用はある。この3剤はアドレナリンα1A/1D選択的阻害薬である。そのためα受容体に関連がある低血圧や腹圧性尿失禁などの副作用がある。血圧を下げる効果があるため、高血圧にも有効な薬であるため、高血圧の人が血圧を抑えるために(つまり一石二鳥を狙い)使うこともできるが、高血圧であるがハルナールやフリバスを飲んでいるために、高血圧であることを認知できないケースがあることにも注意が必要である。

前立腺肥大に6~7割程度併存する過活動膀胱・頻尿という点で言えば、α1阻害薬と抗コリン作用のある薬の併用は泌尿器科ではよく行う治療法であり、エビデンスもある。下部尿路症状がある場合には、抗うつ剤の抗コリン作用を緩和するために、α1阻害薬を投与するというのは副次的にもたらされる良い状態である。

www.ncbi.nlm.nih.gov Kim HJ et al., 2017, "Efficacy and Safety of Initial Combination Treatment of an Alpha Blocker with an Anticholinergic Medication in Benign Prostatic Hyperplasia Patients with Lower Urinary Tract Symptoms: Updated Meta-Analysis." PLoS One. 10, 12(1).

1.5 眼圧上昇・緑内障

抗コリン作用は眼圧を上げる。眼圧の上昇は自覚することが難しく、ほとんどのケースでは短期的にも問題が起きないことから、気にされないことが多い。

もちろん、中長期的には眼圧の上昇は問題を引き起こす。最も注意が必要なのは、緑内障の発症である。抗うつ剤は長期間服薬することが多いため、眼圧の上昇にも気を配る必要がある。

医原性の緑内障の原因は、抗コリン作用の薬剤、サルファ剤、ステロイドの3つである。 www.ncbi.nlm.nih.gov Razeghinejad MR et al., 2011, "Iatrogenic glaucoma secondary to medications." Am J Med. 124(1):20-5.

Seitzら(2012)がカナダ・オンタリオ州で行った解析によると、高齢者(平均74.3歳であり、66%は女性)では抗うつ剤を飲むと1.62倍(95%信頼区間、1.16-2.26)急性閉塞性緑内障(AACG)を発症しやすいというデータがある。

www.ncbi.nlm.nih.gov Seitz DP, 2012, "Short-term exposure to antidepressant drugs and risk of acute angle-closure glaucoma among older adults.", J Clin Psychopharmacol. 32(3): 403-7.

SSRI投与によって短期的に急性閉塞性緑内障が生じることも判明しており、SSRIのあまり知られていない副作用として注意喚起が一部の研究者が行っている。抗コリン作用があまりないとされているSSRIでも緑内障の副作用が起こっていることは、三環系抗うつ剤を想定している本稿の目的からは逸れるが、注意が必要である。

www.ncbi.nlm.nih.gov Kirkham J, Seitz D., 2016, "Evidence of ocular side effects of SSRIs and new warnings.", Evid Based Ment Health. 20(1): 27.

臨床場面では眼圧や緑内障への影響はあまり気にされていないが、少なくとも抗うつ剤の服薬している患者には、眼科医への定期的な受診を精神科の医師は勧めるべきである。若年でも気を付けた方がよいが、40歳以上では20人に1人が緑内障であるため、特に中高年以降は緑内障や眼圧の上昇には注意すべきである。

眼圧を下げたり緑内障の治療に使用するのは目薬である。眼圧は眼の中の房水の量で決まるため、房水の量をコントロールすることで眼圧を下げることができる。

房水の生産量を抑える薬
- β受容体遮断薬...チモロール、カルテオロール、ベタキソロール、ニプラジロール
- 炭酸脱水酵素阻害...ドルゾラミド
- α2刺激薬...ブリモニジン

房水の排出
- プロスタグランジン関連薬...ラタノプロスト、タフルプロスト、トラボプロスト、ビマトプロスト、ウノプロスト
- α2刺激薬...ブリモニジン
- α1受容体遮断薬...ブナゾシン
- ROCK阻害薬...リパスジル

合剤
- コソプト
- ザラカム
- デュオトラバ

2.1 アセチルコリン濃度を上昇させる

以下では、一般的に行われていない方法の説明を行う。

抗コリン作用とは体内のアセチルコリンの濃度が低くなっていることである。従って逆の作用を持つ薬、つまりアセチルコリンの濃度を上昇させる薬を入れて打ち消しあうことも選択肢に入る。

薬の副作用に対して薬を入れることに抵抗感もあるだろうが、三環系抗うつ薬を服薬する場合に、副作用を抑える薬なしに服薬することはほとんど不可能なのである。だいたい3~4剤ほど副作用を押さえる薬を飲むのが普通である。一般的な処方は下記のようなものである。

  • 便秘...酸化マグネシウム
  • 胃腸障害...胃腸薬(効果はないが患者から求められることが)
  • 口渇...漢方薬など
  • 排尿困難...タムスロシンなど
  • 眼圧上昇...リスク認知が進んでいないの対応はされていない

アセチルコリンの濃度を上昇させることができれば、薬の量を減らすことも可能である。そもそも、

また、一般的に副作用を抑えるために飲む薬はアドレナリンやヒスタミンの受容体に働きかける薬であるため、それらの薬によって新たな副作用が起きるリスクがある。下がっているアセチルコリンの濃度を上げるだけであれば、他の受容体への悪さをしなくて済む。

注意すべきは、アセチルコリンの濃度を上昇させる薬であっても、個々の薬で差異があり、副作用が起こることも当然想定しておくべきことだ。コストベネフィットを考え服薬の是非を検討する必要がある。

2.1.1アセチルコリンの濃度を上昇させる2つの方法

アセチルコリンの濃度を上昇させるには2つの方法がある。アセチルコリンコリンエステラーゼによって分解される。第1の方法は、単純にアセチルコリンの量を増やす方法である。第2の方法は、アセチルコリンを分解するコリンエステラーゼの効果を阻害してアセチルコリンの量を一定に保つ方法である。

2.2 胃腸薬

2.2.1 モサプリド(ガスチモン)  

モサプリド(ガスモチン)は精神科でも処方がよくされる薬である。5-HT4受容体作動剤であり、セロトニン系の薬である。しかし、5-HT4ないし、5-HT3の増加によって、アセチルコリンは増加するため、二次的にコリン作動薬として働く。ただ、効果は穏やかであり、三環系抗うつ薬の抗コリン作用を抑えることはこの薬単体では不可能である。

ちなみに、SSRIセロトニン増加によっても胃腸障害が起こりうるが、それに対してモサプリドは効果を示さない。SSRIもモサプリドもセロトニン作動薬であるため、効果の方向性が同じだからだ。

この際には、過敏性大腸炎の薬であるラモセトロン(イリボー)を使用する。ラモセトロンは5-HT3受容体拮抗剤である。従って5-HT4によって起こった胃腸障害は無効である。ラモセトロンは下痢症状には著効する印象がある。セルトラリンが下痢の副作用で飲めないという典型例にこの方法は非常にフィットする。

抗うつ薬による胃腸障害が起こる際には、アセチルコリンによるものなのか、セロトニンによるものなのかを見極めることが重要である*1。胃腸が悪かったら胃腸薬を入れるという雑な対応が一般的だが、このような対応では飲める薬も飲めず、抗うつ剤の継続的な服薬は難しい。

なお、5-HT4の阻害薬として開発されているのはPiboserod(https://en.wikipedia.org/wiki/Piboserod)であるが、入手はできない。入手ができるのはリジン(リシン)である(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC307574/)。Ki値はわからないが、効果はサプリメントの域を出ない印象である。5-HT4阻害効果が必要であれば、現在は他の選択肢がないため、トライするのは悪くはないとは思う。

2.2.2 ベサコリン(ベタネコール)

ベサコリン(ベタネコール)は胃腸科で処方される薬である。コリン作動薬に分類される。三環系抗うつ薬による抗コリン作用に対しても、ある程度改善がみられるため、選択肢に入れるべき薬である。ただ、三環系抗うつ剤の抗コリン作用を完全に押さえるほどの能力はなく、1~2割が改善する程度のものという人が多いように思う。

また創薬年が古く薬価も安い。気管支喘息甲状腺機能亢進症など服薬に適さない人もいるため、服薬ができるかを事前に確認する必要がある。
コリン作動薬であるため排尿困難にも効果が認められている。

2.2.3 アコチアミド(アコファイド)

アコチアミド(アコファイド)は胃腸科で処方される薬である。コリンエステラーゼ阻害薬に分類される。効果は穏やかであり、抗コリン作用を抑えることは不可能である。体感では改善されたという気が全くしないらしい。薬価も高く、効果の面から言うとベサコリンを選ぶ方が良いだろう。

2.3 排尿困難治療薬

2.3.1 ジスチグミン(ウブレチド)

ジスチグミン(ウブレチド)は排尿困難の薬である。抗コリン作用による胃腸障害改善薬としても使用できる。しかし、副作用には注意が必要である。1968年から2009年までに10例の死亡例がある。投薬量が10~15mgと高容量であり、現在の添付文書の上限である5mgでの死亡例はない。高齢者では副作用であるコリン作動性クリーゼが起こりやすく、高齢者の服用は避ける方が望ましい。

ジスチグミン臭化物による コリン作動性クリーゼ報告の解析 https://www.jshp.or.jp/banner/oldpdf/p46-11.pdf

他の薬の方が副作用が少ないため、ジスチグミンは選択肢から外した方がよいだろう。

2.4 シェーグレン症候群治療薬

胃腸薬などは処方が抗うつ剤によって起こされた副作用であっても処方が容易だが、シェーグレン症候群の治療薬は、シェーグレン症候群の診断がなければ医療保険を使用した処方はできない。シェーグレン症候群は有病率が低く(0.05%)、女性しか罹患せず、専門性の高い疾患であるため、精神科でシェーグレン症候群の薬の処方はできない。抗うつ剤の抗コリン作用を抑えるために使う場合には自由診療で100%自己負担で購入するか、個人輸入で購入する必要がある。

2.4.1 セビメリン(エボザック・サリグレン)

半減期が3.9±1.2時間と比較的長く1日3回の服薬で管理できる。薬価は1カプセルあたり106.5円(30mg)であり、1日3回の服薬が指示されているため、28日で8946円の費用が必要である。

禁忌
心筋梗塞狭心症気管支喘息慢性閉塞性肺疾患、消化管や膀胱頸部に閉塞のある人、てんかんパーキンソン病虹彩炎のある人。  

副作用
承認後における使用成績調査2,020例中報告された副作用は483例(23.9%)で、主な副作用は、悪心6.4%(130件)、下痢1.7%(35件)等の胃腸障害、多汗3.9%(78件)等の皮膚及び皮下組織障害、めまい0.9%(19件)等の神経系障害、頻尿1.2%(24件)等の腎及び尿路障害、倦怠感0.4%(7件)等の全身障害、ALT(GPT)上昇0.5%(9件)等の臨床検査値異常であった。

添付文書
www.info.pmda.go.jp

副作用の発現率は23.9%であり、薬の中では非常に少ない。気を付けるのは悪心6.4%であろうか。悪心はアセチルコリンの濃度が減少することによって起こっているため、抗コリン作用を打ち消す際には、現れにくいはずである。もし対処が必要な場合には、ドンペリドン(ナウゼリン)やメトクロプラミド(プリンペラン)がおそらく有効である。この2剤は胃腸薬であるため、組み合わせは悪くない。

2.4.2 ピロカルピン(サラジェン)  

半減期が1.586±0.397時間と早いため、効果が出て、しばらくすると減弱する。添付文書では1日3回の投薬を指示しているが、おそらく1日5mgを3回では1日の半分くらいは効果が実感できないはずである。投薬の工夫としては、2.5mgにして1日6回服薬するなどであるが、管理は難しくなる。
薬価は127.5(5mg)であり、1日3回の服薬が指示されているため、28日で1万710円の費用が必要である。  

禁忌
セビメリンに同じ。

副作用
製造販売後に実施された使用成績調査の安全性解析対象症例2,155例中,副作用が報告されたのは685例(31.8%)であった。その主なものは,多汗21.8%(469/2,155),嘔気1.8%(38/2,155),下痢1.3%(27/2,155),頻尿1.1%(24/2,155)であった。

添付文書   www.info.pmda.go.jp

多汗はアセチルコリン濃度の増加によって起こるため、抗コリン作用を打ち消す際には、現れにくいはずである。

なお、5mgを2.5mgにして投与回数を増やしたりしてはいけないのではないかという疑念を持つ人もいるかもれないが、血中濃度の観点から言っても実は好ましい。少量多分割投与療法によって副作用を抑えるという論文も書かれている。

ci.nii.ac.jp 岩渕博史他,2010,「ピロカルピン塩酸塩の副作用軽減法に関する研究-少量多分割投与療法による多汗軽減の可能性-」『日口粘膜誌』16(1): 17-23. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjomm/16/1/16_1_17/_pdf/-char/ja

2.5 抗うつ薬

2.5.1 フルボキサミン(デプロメールルボックス)

抗うつ薬の中で唯一コリン作動薬になるのがフルボキサミンである。フルボキサミンがコリン作動薬として働くのは、5HT3、5HT4受容体が強いためであり、モサプリドと同様の機序でアセチルコリンレベルが上昇する。服薬量によっても異なるが、モサプリドよりも効果は強いことが多い。

日本以外の臨床では、口渇の副作用はブプロピオン(ウェルブトリン)で最も多く(上記Medsafe)、その場合、ブプロピオンとフルボキサミンのコンビネーションは有効かもしれない。ブプロピオンのコンビネーションといえば、セルトラリン(ゾロフト)が最も有名である。ウェルブトリンのウェルとゾロフトのロフトを併せて、ウェルロフト(welloft)という名前がつけられている。ちなみにwellは「よく」という意味であり、loftには「打ち上げる」なので、「(気分が)よく打ち上げられる」とゴロがよいため英語圏では割と知られている。

抗うつ薬を2つ同時に使うメリットはあまりないと言われる中でブプロピオンのコンビネーションが検討される理由は、ブプロピオンはノルエピネフリンドパミンへの作用があるが、セロトニンへの作用がないためであり、SSRIであるフルボキサミンセロトニンへの作用を補完するためである。STAR*DでSSRI(シタロプラム)にブプロピオン付加が有効であったということもコンビネーションを広めるきっかけになったのではないかと思う。

ただ、日本ではブプロピオンは認可されていないため、フルボキサミンを治療と副作用の抑制に使用することを検討する機会はまずないだろう。

3. 結論

有効性が高く副作用が少ない方法は、シェーグレン症候群治療薬の2剤である。また効果は薄いもののベサコリン(ベタネコール)を検討してもよいだろう。ベサコリンは胃薬であるため、処方は簡単だが、シェーグレン症候群の治療薬は手に入れることが難しい。

3.1 シェーグレン症候群治療薬の入手

入手方法は2つある。

3.1.1 自由診療

1つは自費で診療を受け処方を受けることである。半減期が長いほうが効果が長く、管理が楽であるためセビメリン(エポザック)がよいだろう。費用はさきほど計算したように28日で8946円である。

比較的高価な薬となるが、眼圧上昇による緑内障や口渇による虫歯・歯槽膿漏のことを考えれば、高くないと考える人もいるだろう。

セビメリンの自費購入は、更年期治療では比較的行われているため、薬局では日常的にあるが、精神科ではセビメリンの自費購入が比較的多いことは知られていないため、精神科医の説得に少し骨が折れるかもしれない。

3.1.2 個人輸入

シェーグレン症候群で個人輸入できるのは、知る限りピロカルピンのみである。半減期が短くセビメリンより管理が難しい(=少量をこまめに服薬することが必要)。信頼度の高いインドジェネリック(Sun Pharma製)が販売されており、あるサイトでは5mg×50錠で1843円と日本で自由診療で購入するするよりはるかに安価である。

3.2. 抗コリン作用の副効用

抗コリン作用がある抗うつ剤を飲んでいるために健康的に益が生まれる場合にもある。

3.2.1 過活動膀胱(OAB)

過活動膀胱(OAB)とは頻尿、夜間頻尿や、切迫性尿失禁などの症状である。有病率は成人の1/6程度と言われていたが、現在では8%程度といわれている。過活動膀胱の治療薬は抗コリン剤である。従って、抗うつ剤の抗コリン作用があれば、過活動膀胱もある程度押さえられる。α1阻害薬とのコンビネーションは上記の通りである。

journals.plos.org Kari A.O. Tikkinen et al., 2007, Is the Prevalence of Overactive Bladder Overestimated? A Population-Based Study in Finland, PLoS One 7.

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3.2.2 胆石の痛み止め

胆石による痛みに対して鎮痙薬(ちんけいやく)が使われる。鎮痙薬とは抗コリン薬のことである。抗うつ剤の抗コリン作用は、常に鎮痙薬が入っているのと同じ状態であるため、胆石などの痛みが起こりにくい。胆石の保存療法(積極的に治療をせずに見守る)をする際には、痛みが起こりにくい状態が作り出されるので、都合がよい。

胆石症の保存療法をする際には抗コリン作用は有効だが、鎮痙作用があるために病気の発見が遅れる可能性も考慮すべきである。鎮痙効果によって収まる症状は、胃・十二指腸潰瘍(かいよう)、胃痛、胃けいれん、腎・尿管結石、肝・胆道疾患などである。

抗うつ薬の服用によって、消化器系の疾患の発見が遅れる可能性には注意すべきである。

*1:もちろんノルアドレナリンドパミンによって起こるので検討が必要なのはこの2つだけではない