井出草平の研究ノート

ゲーム時間は抑うつ、学業成績低下、問題飲酒、素行問題といった否定的な結果とは関連していない

pmc.ncbi.nlm.nih.gov

文献整理をしていたら、長く長くなったので、小分けにポストすることにした。
このブログでも何度か言及しているBrunborg et al.(2014)について。この論文は10年ほど前の論文で、DSM-5の参考基準インターネット・ゲーム障害の基準が決まったころである。

  • Brunborg, G. S., Mentzoni, R. A., & Frøyland, L. R. (2014). Is video gaming, or video game addiction, associated with depression, academic achievement, heavy episodic drinking, or conduct problems?. Journal of Behavioral Addictions, 3(1), 27–32. 10.1556/jba.3.2014.002

背景と目的:

ビデオゲームの利用と負の結果との関連性は議論の的となっているが、ビデオゲーム依存症と負の結果との関連性は比較的よく確立されている。しかし、これまでの研究には方法論的な弱点があり、偏った結果を引き起こした可能性がある。省略変数バイアスを回避する手法を活用するさらなる調査が必要だ。

方法:

ノルウェーの13~17歳の青少年1,928人を対象とした2回の調査から、2波のパネルデータを使用した。調査には、ビデオゲームの使用、ビデオゲーム依存症、うつ病、過度の飲酒、学業成績、行動問題に関する測定項目が含まれていた。データは、時間不変の個人要因の影響を受けない回帰分析手法である第一差分法を用いて分析した。結果: ビデオゲーム依存症はうつ病、学業成績の低下、行動問題と関連していたが、ビデオゲームに費やす時間は、いずれの負の結果とも関連していなかった。

議論:

結果は、ビデオゲームに費やす時間と負の結果との関連性を確認できなかった研究の増加と一致していた。本研究は、ビデオゲーム依存症が他の負の結果と関連している点で過去の研究と一致しているが、その関係が時間不変の個人効果の影響を受けない点を追加した点で貢献している。ただし、今後の研究では、仮定される因果関係の時間的順序を確立することを目指すべきだ。

結論:

ビデオゲームに時間を費やすこと自体は負の結果を伴わないが、ビデオゲームに関連する問題を抱える青少年は、人生の他の側面でも問題を抱える可能性が高い。

本研究は、ノルウェーの青年1,928人(調査開始時13~17歳)を対象とした、2時点(2年間隔)のパネルデータを用いた縦断研究である。「Young in Norway」という調査データが用いられている。

研究の主な発見として、ビデオゲームに費やした時間は、調査された抑うつ、学業成績低下、問題飲酒、素行問題といった否定的な結果とは関連していなかったと結論付けられている。一方で、「ビデオゲーム嗜癖」(video game addiction)とされた状態は、抑うつ、学業成績低下、素行問題と関連が見られた。依存状態の判断には、臨床診断ではなく「ビデオゲーム嗜癖」という用語と、DSMの依存基準に基づいた尺度「Game Addiction Scale for Adolescents (GASA)」の7項目版が用いられた。

分析手法には「階差分析(First-differencing)」という回帰分析が採用された。これは、各個人の2時点間の変化量を分析することで、時間を通じて変化しない個人的な特性(安定した性格や知能、社会経済的背景など)の影響を統計的に除去するものである。この手法により、抑うつは主要な結果変数として分析されたが、ADHDが他の精神疾患が時間を通じて安定した特性であれば、直接測定・コントロールせずともその影響は除去されていると考えられる。自閉症に関する言及はなかった。

37年ひきこもる息子、支えてきた母が限界に…「生きていても希望がない」

news.mynavi.jp

荷物であふれかえる部屋の中で、1日のほとんどをテレビの前で過ごす、52歳のまさきさん。中学生まではサッカー選手を目指していたが、膝を痛め断念。追い打ちを掛けるように学校でいじめに遭い、15歳で自宅にひきこもるようになった。以降、音楽にのめり込み、CDや音楽雑誌を買い集め、小さな食卓にも荷物が積み上がり、家の中は足の踏み場もない。

取っ手のないドア--韓国のひきこもりについて書かれたBBCの記事

www.bbc.com

保健福祉部が全国1万5000人の青年(19歳~34歳)を対象に実施した「2023年孤立・引きこもり青年実態調査」によると、回答者の5%以上が孤立・引きこもり状態にある。 全青年人口に換算すると、約54万人が他人と交流せずに過ごしていることになる。 彼らが孤立・引きこもりに陥った主な理由は、就職の失敗が24.1%で最も多く、対人関係の問題(23.5%)、家族問題(12.4%)、健康問題(12.4%)が続いた。

就職の失敗というところは日本とはかなり違う事情がありそうだ。 2025年1月時点での15~29歳青年層の雇用率は44.8%とかなり低い。

高等教育機関(専門大学、4年制大学、大学院等を含む)卒業者の就職率は69.6%(2022年12月31日)である。高卒の全体就職率は55.7%(2023年卒業者)であり、大卒者よりかなり低い。ただ、正規職・非正規職を含めてである。

経済活動人口調査(EAPS)とその付加調査によれば下記の結果になっている。

学歴 正規職 (%) 非正規職 (%)
高校卒業 57.0 43.0
大学卒業以上 62.0 38.0

キョンヒョン大学社会学科のチョン・ゴウン教授は、韓国社会の一断面が引きこもり問題を悪化させていると説明した。
「韓国では、学業、就職、結婚など、特定の時期に特定の成就を成し遂げる標準的な生活が望ましいと考えられています。いわゆる正解社会です。経済的な低成長と低雇用の時代に、この標準的な軌跡から外れると、不安感はさらに大きくなります」。 また、子供の成就が親の成就とみなされる社会的雰囲気は、家族全体を引きこもりの沼に陥らせる。 両親は育児の失敗とみなし、罪悪感を感じながら一緒に沈没することが多いからだ。

儒教的な価値観と受験システムの影響は日本で指摘されることがある。
ただ、子どもが就職せず行くところがなければ、実家に居続けるというのは日本や韓国に限ったことではなく、欧米でも同様のようなので、この特徴は日韓に限ったものではないようには思う。

政府が今年から孤立した若者のための「ワンストップ窓口」を設置し、若者と家族を支援すると発表したが、彼らはまだ混乱しているという。 ジン氏は「政策が発表され、様々な支援策が用意されているが、地域によってばらばらだ」とし、「情報を管理する統合されたコントロールタワーがあり、苦労して探し回ることなく、誰でも簡単に支援方法を知ることができればいい」と話した。

若者のための「ワンストップ窓口」については知らないので調べないといけない。 そもそも、韓国の保健福祉の体制などは日本と比べて違いはあるのだろうか。

青いクジラリカバリーセンターのキム・オクランセンター長は、孤立・引きこもりの子供がいる家庭の状況を「取っ手のないドア」に例えた。
「引きこもりである子供は、一人で外に出る勇気も持てず、親は外からドアを開けることもできない状況だ。双方にドアノブがないため、出られないし、入れない状況だ」と説明している。
これを「家庭の問題」と捉える社会風潮も、彼らをさらに萎縮させる要因となっている。そのため、親も人間関係を断ち切ってしまう場合が多い。

これは日本でも同じ。「取っ手のないドア」というのは秀逸な比喩に思える。

IRTのGRMのテスト情報関数の可視化

mirt パッケージとデータの読み込み

library(mirt)
data(Science) 

データの構造

str(Science)

データ。

'data.frame':   392 obs. of  4 variables:
 $ Comfort: int  4 3 3 3 3 4 3 3 3 4 ...
 $ Work   : int  4 3 2 2 4 4 2 2 3 3 ...
 $ Future : int  3 3 2 2 4 3 3 3 4 3 ...
 $ Benefit: int  2 3 3 3 1 3 4 4 2 3 ...

データ型の変更

Science_num <- as.data.frame(
  lapply(Science, function(x) as.numeric(x))
)

グループの作成

total_score <- rowSums(Science_num)

# 中央値で二分
med <- median(total_score)
group_low  <- Science_num[ total_score <= med, ]  # 低得点群
group_high <- Science_num[ total_score >  med, ]  # 高得点群

1因子 GRM モデルの推定

graded(段階反応モデル)を指定する

mod_total  <- mirt(Science_num,  1, itemtype = "graded")
mod_low    <- mirt(group_low,    1, itemtype = "graded")
mod_high   <- mirt(group_high,   1, itemtype = "graded")

テスト情報関数の可視化

θ(潜在特性値)のテスト情報量をプロット

par(mfrow = c(3,1), mar = c(4,4,2,1))
plot(mod_total, type = "info", main = "TIF: Total Sample")
plot(mod_low,   type = "info", main = "TIF: Low Score Group")
plot(mod_high,  type = "info", main = "TIF: High Score Group")

ggplotを持つ板重ね書きプロット

# ライブラリ読み込み
library(ggplot2)
library(tidyr)

# θ のグリッドを作成
Theta <- matrix(seq(-4, 4, length = 201))

# 各モデルのテスト情報量を取得
info_total  <- testinfo(mod_total,  Theta)
info_low    <- testinfo(mod_low,    Theta)
info_high   <- testinfo(mod_high,   Theta)

# データフレームにまとめる
df <- data.frame(
  theta   = Theta[,1],
  Total   = info_total,
  Low     = info_low,
  High    = info_high
)

# 縦長フォーマットに変換
df_long <- pivot_longer(df, cols = -theta, 
                        names_to  = "Group", 
                        values_to = "Information")

# ggplot2 で重ね描き
ggplot(df_long, aes(x = theta, y = Information, color = Group)) +
  geom_line(size = 1) +
  labs(
    x     = expression(theta),
    y     = "Test Information",
    title = "Test Information Function by Group"
  ) +
  theme_minimal()

フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』読書会 #06

p45上段うしろから2行目〜2章最後まで。

誤訳一覧

「drôle」の誤訳について

原文: il ressemble au putto familier de Titien, il a l’air de trouver la situation très drôle : les putti sont souvent représentés pendant leurs jeux.

翻訳: この幼児はティティアンの絵によく出てくるピュットに似ていて、場違いな印象をあたえる。ピュットたちはたいてい遊び戯れているところを描かれているからである。

問題点: drôle は「面白い、おかしい」という意味であり、「場違いな」という意味はない。文脈上、幼児(フェルディナンド)がその状況(勝利の女神に差し出されている状況)を面白がっている様子を表している。

理由: 訳者は drôle を「奇妙な、場違いな」と解釈した可能性があり、ここでは「面白い、愉快な」と解釈するのが適切である。

修正案: この幼児はティティアンの絵によく出てくるプットに似ていて、その状況をとても面白がっているように見える。プットたちはたいてい遊び戯れているところを描かれているからである。


ヴェロネーゼ作の絵画に描かれた大人の人数について

原文: En 1560 Véronèse peignait, selon la coutume, devant la Vierge à l’enfant, la famille Cucina-Fiacco, réunie : trois hommes, dont le père, une femme — la mère, six enfants.

翻訳: 一五六〇年に、ヴェロネーゼは慣例にしたがって、聖母子の前に集められたクチーナ・フィアッコ家の人びとの肖像を描いた。そこには夫と妻である母親を含め三人の大人と六人の子供たちがいる。

問題点: 原文では、大人は「男性3人(父親を含む)、女性1人(母親)」、つまり合計4人であると明記されている。翻訳では「夫と妻である母親を含め三人の大人」となっており、人数が異なっている。

理由: 原文の trois hommesune femme を正しく数えられていない。

修正案: 一五六〇年に、ヴェロネーゼは慣例にしたがって、聖母子の前に集められたクチーナ・フィアッコ家の人びとの肖像を描いた。そこには父親を含む三人の男性、母親である一人の女性、そして六人の子供たちがいる。


ヴァン・ダイク作の肖像画の子供について

原文: Le dernier des enfants de Charles Ier de Van Dyck, de 1637 est à côté de ses frères et sœurs, nu, à demi enveloppé dans le linge sur lequel il est étendu.

翻訳: 一六三七年のヴァン・ダイク作のチャールズ一世の子供たちの肖像画では、長男が他の兄弟姉妹とは別にかれの上に拡げられたリンネルになかば包まれた裸の姿で描かれている。

問題点: Le dernier des enfants は「子供たちのうちの末っ子」を意味するが、翻訳では「長男」と訳されている。これは完全に逆の意味になっている。

理由: dernier を「最後の」ではなく「第一の」やそれに類する意味と誤解したか、あるいは単純な読み間違いの可能性がある。

修正案: 一六三七年のヴァン・ダイク作のチャールズ一世の子供たちの肖像画では、末っ子が兄弟姉妹のそばで、横たえられたリンネルに半ば包まれた裸の姿で描かれている。 (補足:翻訳の「他の兄弟姉妹とは別にかれの上に拡げられた」という部分も原文 à côté de ses frères et sœurs ... sur lequel il est étendu(兄弟姉妹のそばで...その上に横たえられている)とは少しニュアンスが異なるが、最も明白な誤りは「長男」の部分である。)


「les bas mal tirés」の誤訳について

原文: il nous montre cet homme puissant, vêtu sans apparat, les bas mal tirés, qui commente à sa femme et à son fils sa dernière acquisition…

翻訳: ル・ブランはこの権勢家がなんら着飾ることもなく腕は曲げたままの格好で、妻と息子に最近かれの手に入れたものを説明しているところを描いている。

問題点: les bas mal tirés は「(靴下が)だらしなくたるんで、きちんと引き上げられていない」状態を指す。翻訳の「腕は曲げたままの格好で」とは全く意味が異なる。

理由: bas(靴下)を別の単語(例えば bras (腕))と見間違えたか、あるいは全く異なる解釈をした可能性がある。

修正案: ル・ブランはこの権勢家が、なんら着飾ることもなく、靴下もだらしなくたるませた姿で、妻と息子に最近手に入れたものを説明しているところを描いている。


ジャバックの赤ん坊のポーズに関するニュアンスについて

原文: Le petit Jabach, mieux que les enfants nus d’Holbein, de Véronèse, de Titien, de Van Dyck, même de Rubens, a exactement la pose du bébé moderne devant l’objectif des photographes d’art.

翻訳: ここで描かれているジャバックの赤ん坊は、ホルバイン、ヴェロネーゼ、ティティアン、ヴァン・ダイク、そしてルーベンスも含めたこれら画家たちの裸の幼児よりすぐれていてまさしく芸術写真のレンズの前にいる現代の子供のポーズをとっている

問題点: 原文は、ジャバックの赤ん坊のポーズが、他の画家の描いた幼児よりも「より正確に (mieux que ... a exactement)」現代の写真の赤ん坊のポーズに似ている、と述べている。翻訳の「よりすぐれていて」は、絵画としての質の優劣や幼児自体の優劣について述べているかのような誤解を招く可能性がある。ポーズの類似性の度合いについて述べている箇所である。

理由: mieux que を単なる比較級「より良く」ではなく、「~より優れて」と解釈し、ポーズの類似性ではなく質の比較と捉えた可能性がある。

修正案: ここで描かれているジャバックの赤ん坊は、ホルバイン、ヴェロネーゼ、ティティアン、ヴァン・ダイク、さらにはルーベンスが描いた裸の幼児よりも、より正確に、芸術写真のレンズの前にいる現代の赤ん坊と同じポーズをとっている


「serpe」の訳語及び原文記述と図像解釈の齟齬について

原文: comme cet enfant de Largillière qui tient une serpe ;

翻訳: ラルジリエールの子供像のように鈍錬を手にしている。

問題点: 1. 翻訳の「鈍錬(どんれん)」は意味不明であり、serpe(鎌、なた、小刀)の正しい訳ではない。 2. 原文の serpe(鎌、なた)という記述自体が、参照されるラルジリエールの肖像画(例:《ジャン=バティスト・ルソーの子供時代の肖像とされる絵》)に描かれたモチーフと一致しない。絵画のモチーフは、現在では「竪琴の装飾部分」と解釈されるのが有力である。

理由: 1. serpe という単語の意味の取り違え、あるいは不明な語を当てたこと。 2. 原文著者がモチーフを誤認した可能性、あるいはこのモチーフが歴史的に鎌(serpe)と誤認されることがあったため、その記述を用いた可能性が考えられる。

修正案: ラルジリエールの子供像のように鎌(なた)を手にしている(注:原文はserpe(鎌、なた)と記述しているが、ラルジリエールの《ジャン=バティスト・ルソーの子供時代の肖像とされる絵》などでは、子供は竪琴の装飾モチーフのようなものを持っている。このモチーフは時に鎌(serpe)と誤認されることもあるが、竪琴の一部であるという解釈が有力であり、原文の記述と図像解釈に食い違いが見られる)


「chemise légère」の訳語について

原文: le duc de Bourgogne de Mignard, simplement vêtu d’une chemise légère.

翻訳: 薄い下着をつけただけのミニャールのブルゴーニュ公爵像がある。

問題点: chemise は一般的に「シャツ」を指し、légère は「軽い、薄い」という意味である。当時の服装習慣として chemise が下着の役割を兼ねることもあったかもしれないが、必ずしも「下着」と断定することはできない。「薄いシャツ」と訳す方がより原文に忠実である。

理由: 文脈や当時の服装習慣から「下着」と解釈した可能性があるが、原文の語義からは「シャツ」が第一義である。

修正案: 薄いシャツをつけただけのミニャールのブルゴーニュ公爵像がある。


「chemise transparente」の訳語について

原文: petits garçons, petites filles qu’on habillait pour la circonstance juste d’une jolie chemise transparente.

翻訳: また小さな男の子や女の子たちは写真をとる機会には、透けて見える可愛い肌着を着せられている。

問題点: chemise transparente は「透けるシャツ」という意味である。上記7と同様に、chemise を「肌着」と断定するのは訳者の解釈が加わっている。

理由: 「透ける」という記述から、下着に近いものと判断した可能性があるが、原文はあくまで chemise(シャツ)としている。

修正案: また小さな男の子や女の子たちは写真をとる機会には、透けて見える可愛いシャツを着せられている。


「n’aura pas manqué de noter」のニュアンスについて

原文: Le lecteur de ces pages n’aura pas manqué de noter l’importance du XVIIe siècle dans l’évolution des thèmes de la petite enfance.

翻訳: 以上のページに目を通した読者は、子供期のテーマの進化における十七世紀の重要性にいやでも注目させられたであろう

問題点: ne pas manquer de faire quelque chose は「必ず~する、忘れずに~する、きっと~したに違いない」という意味の慣用表現である。読者が自発的に、あるいは必然的に重要性に気づいたであろう、というニュアンスである。翻訳の「いやでも注目させられたであろう」は、やや受動的で強制的なニュアンスが含まれており、原文の意図とは少し異なる。

理由: 慣用表現のニュアンスを正確に捉えられていない可能性がある。

修正案: 以上のページに目を通した読者は、子供期のテーマの進化における十七世紀の重要性にきっと気づいたことだろう(あるいは「注目せずにはいられなかっただろう」など)。


神曲』引用部分の訳抜けについて

原文: « Quelle gloire auras-tu de plus si tu quittes une chair vieillie, que si tu étais mort avant d’avoir cessé de dire pappo et dindi, avant qu’il ne soit passé mille ans. »

翻訳: 「老いさらばえた肉体だけ残すのと、パッポとかディンディとか言うのをやめないうちに死んでしまうのと、どちらがより栄光あることと汝は考えるか」。

問題点: 原文の引用の最後にある avant qu’il ne soit passé mille ans (千年が経つ前に)という部分が翻訳から抜け落ちている。これはダンテが煉獄での浄化の期間について言及している重要な部分である。

理由: 単純な訳し忘れ、あるいは引用箇所の解釈における見落としの可能性がある。

修正案: 「老いた肉体を(そのまま)残すことで、千年が経つ前にパッポとかディンディとか言うのをやめる前に死んでしまっていた場合よりも、どれほど多くの栄光を汝は得るだろうか」。 (注:この訳は文脈を考慮した意訳を含む。より直訳的には「...パッポとかディンディとか言うのをやめる前に、千年が経つ前に、死んでしまっていた場合よりも、老いた肉体を(そのまま)残すことで、汝はどれほど多くの栄光を持つだろうか」となる。)


骰子遊びの場面の題辞の解釈について

原文: Des putti jouent aux dés, l’un est hors du jeu : Et l’autre, s’en voyant exclu (du jeu) Avec son toutou se console.

翻訳: ちびさんたちは骰子遊び、ひとりを除いて、それを見ている仲間外れが、もうひとり、トゥトゥ (わんわん)が、お慰めしてる

問題点: 1. l’autre は、ゲームから外れている l'un とは別のもう一人の子供を指す。翻訳の「それを見ている仲間外れが、もうひとり」という表現は、「仲間外れ」が二人いるかのような誤解を招き、文の構造が不明瞭である。 2. se console再帰動詞で「自分自身を慰める、気を紛らわせる」という意味である。翻訳の「トゥトゥ (わんわん)が、お慰めしてる」では、トゥトゥが慰める主体になっているが、原文では子供がトゥトゥ(犬のおもちゃなど)を使って自分を慰めている状況である。

理由: 文の構造と再帰動詞の意味を正確に捉えられていない可能性がある。

修正案: (サイコロで遊ぶプットたち。一人は仲間外れ。) そして、(仲間外れになった)もう一人は、自分のトゥトゥ(わんわん)で気を紛らわせている


「petit peuple」のニュアンスについて

原文: Dans le même sens enfantin, Mme de Sévigné dira en parlant des enfants de Mme de Grignan : « Ce petit peuple. »

翻訳: 同じ子供じみた意味をこめて、セヴィニエ夫人は、グリニャン夫人の子供たちについて語るさい「この小市民」といっていた。

問題点: petit peuple は文字通りには「小さな人々」であるが、ここではセヴィニエ夫人が孫たちを指して使う、親しみを込めた(あるいは少しからかいを含む)愛称のようなものである。翻訳の「小市民」は、社会階級的なニュアンス(ブルジョワジーの下層など)が強く、原文の文脈における愛情や親しみのニュアンスが失われている。

理由: petit peuple という表現の持つ文脈上の意味合い(愛情表現、子供たちへの呼びかけ)よりも、辞書的な意味や社会的含意を優先して訳した可能性がある。

修正案: 同じ子供じみた意味合いで、セヴィニエ夫人はグリニャン夫人の子供たちについて語る際に「この小さな人たち(この子たち)」と言っていた。 (注:「この小さな連中」のような訳も文脈によっては考えられる。)


「copain」のカナ表記について

原文: elle lui préfère le plus vieux mot copain, le compaing médiéval.

翻訳: 俗語ではもっと古い「コペン」という言葉の方が好まれているが、これは中世のコンパンが変化したものである。

問題点: フランス語の copain は、一般的に「コパン」と表記される。翻訳の「コペン」は一般的な表記とは異なる。タイプミスか、あるいは特定の表記規則に基づいている可能性も考えられるが、標準的ではない。

理由: 一般的なカナ表記との差異。

修正案: 俗語ではもっと古い「コパン」という言葉の方が好まれているが、これは中世のコンパンが変化したものである。


「pas plus grand que cela」の誤訳について

原文: ainsi que l’expression « beau comme un ange », ou « pas plus grand que cela », qu’emploie Mme de Sévigné.

翻訳: セヴィニエ夫人が用いている「天使のように素晴らしい」とか「それ以上のことはないわ」といった表現も同じである。

問題点: pas plus grand que cela は、文字通りには「それより大きくない」という意味である。子供の小ささ(背丈など)を指して「これっぽっちの大きさ」「こんなに小さい」といったニュアンスで使われた表現と考えられる。翻訳の「それ以上のことはないわ」は、原文の意味から完全に外れている。

理由: 表現の意味を取り違えている。

修正案: セヴィニエ夫人が用いている「天使のように美しい」とか「こんなに小さい(これっぽっちの大きさ)」といった表現も同じである。


原文と翻訳の対応関係のずれについて (構造的問題)

問題点: 提示された原文の第3段落、第4段落、および第5段落前半に対応する日本語訳が、本来あるべき場所に記載されていない。具体的には以下のずれが生じている。

  • 第3段落の原文 (Jusqu’aux onomatopées...) に対する翻訳が欠落している。
  • 第3段落の翻訳として記載されている文章は、第4段落の原文 (Déjà au début du siècle, Heroard...) に対応する内容である。
  • 第4段落の原文 (Déjà au début du siècle, Heroard...) に対する翻訳が欠落している。
  • 第4段落の翻訳として記載されている文章は、第5段落の原文の前半 (Quand elle décrit... des heures entières.) に対応する内容である。
  • 第5段落の原文 (Quand elle décrit... bredouillage.) のうち、後半部分 (Beaucoup de mères... bredouillage.) のみが第5段落の翻訳として記載されており、前半部分の翻訳が欠落している。

理由: 文章の編集・構成段階での誤りと考えられる。原文の段落と翻訳の段落が正しく対応していない。

修正案: 原文の段落構成に合わせて、翻訳文を正しく配置し直す必要がある。以下に、ずれを修正した場合の指摘箇所を示す。


(修正後の対応箇所) セヴィニエ夫人の孫娘に関する記述内の誤訳 (原文第5段落前半 / 誤って第4段落の翻訳として記載された箇所)

原文: « Notre fille est une petite beauté brune, fort jolie, la voilà, elle me baise fort malproprement, mais elle ne crie jamais. »

翻訳: 「私たちの娘は、黒髪の小さな美人です。もちろんとても可愛らしい。あの娘がやって来ました。私にすぐとびついてきて接しますが、決して叫んだりしません」。

問題点: elle me baise fort malproprement は「彼女は私にひどく無作法に(あるいは汚く)キスをする」という意味である。子供がキスをする際に、よだれをつけたり、顔を汚したりするような様子を指していると考えられる。翻訳の「私にすぐとびついてきて接しますが」は、原文の意図する具体的な描写(キスの仕方)を捉えておらず、意訳としても不正確である。

理由: fort malproprement (ひどく汚く、無作法に) という副詞句の意味を正確に訳出できていない。

修正案: 「私たちの娘は、黒髪の小さな美人で、とても可愛らしい。ほら、あの子が。私にひどく無作法に(汚く)キスをしますが、決して泣き叫んだりはしない」。


(修正後の対応箇所) セヴィニエ夫人の孫娘に関する記述内の誤訳 (原文第5段落前半 / 誤って第4段落の翻訳として記載された箇所)

原文: « On m’embrasse, on me connaît, on me rit, on m’appelle maman tout court » (et non pas bonne maman).

翻訳: 「あの娘は私に接吻し、私を見つめ、笑いかけ、私のことを(《おばあちゃん》でなく) 《ママン》と呼びます」。

問題点: on me connaît は「(彼女は)私を認識する、私のことがわかる」という意味である。祖母であるセヴィニエ夫人をちゃんと認識している、という喜びを表す文脈である。翻訳の「私を見つめ」は、原文の意味とは異なる。

理由: connaître (知る、認識する) という動詞の意味を取り違えている。

修正案: 「(あの子は)私にキスをし、私のことを認識し、私に笑いかけ、私のことを(おばあちゃんではなく)単に《ママン》と呼ぶ」。

鉈鎌(なたがま)

https://hyacinthe-rigaud.over-blog.com/2020/06/largillierre-rigaud-et-de-troy-peintres-d-apllon.html

serpeを鉈鎌と翻訳するのは大きな間違いではない。注釈39(Rouches. Largillière, peintre d’enfants. Revue de l’Art ancien et moderne, 1923, p. 253.)を検索してみたが、資料はデジタル化されていなかった。画像をみる限り、竪琴の装飾モチーフであり、serpeと表現するのは誤りである。これは、翻訳者というよりも引用文献の著者かアリエスかが誤認したのであろう。引用文献をみることができれば、どちらの誤認かは明らかになる。

「聖母奇跡劇」引用部分

この部分は原文が明解ではないので、調べ物をしないと意味が確定しない。

原文: « Si lui a mis le papin sur la bouche en disant : papez, beau doulz enfes, s’il vous plaist. Lors papa il ung petit de ce papin : papez enfes, dist le clergeon, si Dieu t’ayde. Je voys que tu meurs de faim. Papine un peu de mon gastel ou de ma fouace. »

翻訳: 「この幼児はこう言いながらパパンを口のところに置いた。《幼な児のイエスちゃま、パパンを食べて下ちゃい、お願いちまちゅ》、この幼児がこのパンのかけらを食べさせたとき、イエスはこのパンを食べ、この聖歌隊の幼児にいった。《神が汝をお助け下さるように。私は汝が飢えて死ぬことを知っている。私のお菓子とせんべいを少しお食べ」。

問題点: 1. Lors papa il ung petit de ce papin は「そこで彼はそのパン(パパン)を少し食べた」という意味だが、翻訳では「この幼児がこのパンのかけらを食べさせたとき、イエスはこのパンを食べ」と、幼児が食べさせ、イエスが食べたと解釈されている。原文の il が誰を指すか(幼児か、奇跡的に動いたイエス像か)は解釈の余地があるが、訳のように明確に「幼児が食べさせ、イエスが食べた」と断定するのは原文から飛躍している。文脈上は、イエス像が食べた(奇跡が起きた)と解釈する方が自然かもしれない。 2. dist le clergeon は「と聖歌隊の少年(幼児)は言った」という意味であり、これに続く言葉(「神が汝をお助け下さるように...」)は、翻訳のようにイエスが言ったのではなく、パンを与えようとしている幼児 (clergeon) 自身のセリフ、あるいは幼児がイエス像に語りかけている言葉の続きと解釈するのが自然。翻訳ではイエスが話したことになっている。

理由: 中世フランス語の構文や語彙の解釈、特に代名詞 il の指示対象や dist le clergeon の位置づけを誤解している可能性がある。

子どもがイエス像に食物を与えるモチーフについて

子供が幼子イエス(またはその像)に食物を与えるというモチーフは、中世の物語文学コレクションの中に明確に存在することが確認された。特に、15世紀のジャン・ミエロによる散文集と、13世紀の韻文集『父祖たちの生涯』に見られる例が重要である。

ジャン・ミエロ『聖母奇跡譚』(15世紀、Douce MS 374)

15世紀にブルゴーニュ公フィリップ善良公(またはシャルル突進公)のためにジャン・ミエロが編纂した散文の『聖母奇跡譚』(Miracles de Nostre Dame)には、「貧しい女の子供が、聖母の御子にパンを与えた奇跡」(Miracle de lenfant a la poure femme, qui donna de son pain a lenfant nostre dame)と題された物語(写本 fol. 97)が含まれている。

"Miracles de Nostre Dame collected by Jean Mielot ..., https://archive.org/stream/MielotMiraclesDeNostreDame/Mielot_Miracles_de_Nostre_Dame_djvu.txt

この物語の分析から、以下の要素が明らかになる:

  • 主人公: 貧しい女性の息子である「小さな聖職者」(petit clerc)。聖母マリアへの信仰心は篤いが、同時に教会内で他の幼い子供たち(「enfans de petit eaige qui sauoyent pou de lettres... si petis et de si petit eaige quilz ne pouoyent dire leurs heures」)と共に、まだ典礼を十分に理解していない様子も描かれる。
  • 供物: 家から持ってきた「ガステル」(gastel、ケーキ)または「フアス」(fouace、フォカッチャ風のパン)。後に二度目の供物としてフアスが捧げられる。
  • 交流: 子供は祭壇の前で遊び、聖母マリアが幼子イエスを抱く像(「limaige de la vierge Marie et de son filz」)に近づき、イエス像に直接ガステルを差し出し(「tendit le gastel a lenfant Jhesus」)、食べるように願う(「priant quil le voulsist mengier」)。
  • 奇跡: 奇跡は明確に描写される。聖母マリアが手を伸ばしてガステルを受け取り(「la vierge Marie tendit la main et print le gastel」)、それを息子の像の口元へ運び、像は子供の前でそれを全て食べた(「le porta a la bouche de son filz, qui le menga tout en la presence du clerc」)。この奇跡は二度起こる。
  • 結末: 子供は大喜びし、仲間たちに話すが、司教には信じてもらえず、叱責され脅される。子供は像に近づくのをやめるが、祈りは続ける。やがて病気で亡くなると、聖母マリアとイエスが彼の魂を迎えに来て天国へ導く。

ミエロ版の物語は、子供の素朴で繰り返される信仰行為(食物の供儀)に対する報酬として、直接的で物理的な奇跡(像による食物の摂取)を強調している。教会権威(司教)の不信や禁止にもかかわらず奇跡が起こる点は、制度的権威と民衆的・子供らしい信仰心との間の潜在的な緊張関係を示唆し、最終的には後者が神の介入と死後の報酬によって正当化されることを示している。像が実際に「食べる」という奇跡は、非常に具体的であり、他のより壮大な奇跡と比較して日常的ですらあるが、これは子供の日常的な食物という素朴な供物の価値を強調しているのかもしれない。

『父祖たちの生涯』(Vie des Pères、13世紀):物語「パン」("Pain")

13世紀に編纂された韻文の宗教物語集『父祖たちの生涯』(Vie des Pères)にも、類似のモチーフを持つ「パン」("Pain")と題された物語が存在する。この物語に関する二次資料 及び引用された原文の分析から、以下の点が明らかになる。

Images et fonctions de la petite enfance dans quelques contes de la ..., https://mrsh.unicaen.fr/hce/index.php_id_548.html

  • 主人公: 「小さな男の子」(petit garçon)。ミエロ版と同様に、典礼の知識は乏しいが遊びや食べ物を好み(「joant / gastel et fouace mengant」)、後に聖母マリアから「クレルソン」(clerçon)と呼ばれる。
  • 供物: 「パン」(pain)、特に「フアッシュ」(fouache、フォカッチャ)。子供はこのパンを愛情を込めて「パパン」(papin、子供言葉で食べ物・おやつ)と呼ぶ。
  • 交流: 子供は教会を歩き回り、聖母子像を見て幼子イエスを本物の子供と思い込み、自分のパンを差し出す(「Menguë, dist il, de mon pain.」)。さらに、「Papés, biax fiex, de cest papa」(お食べ、可愛い坊や、このパパンを)、「c’est boine fouache pure」(これは本当に美味しいフアッシュだよ)と言って食べるよう促す。
  • 神の応答:エスは食物に触れることを拒む(「l’enfant Jésus, tout en se refusant à toucher à la nourriture」)が、少年の信仰心を認め、3日後に天国へ迎え入れることを約束する(「Dedenz tierc jour el ciel venras, / Moi et mon enfant i verras」)。イエスは供物についても言及する(「Pieça si bon papin ne fist」、こんなに美味しいパパンは久しぶりだ)。
  • 結末: 子供は3日後に亡くなり、天国へ迎えられる。

この13世紀の韻文版は、ミエロ版とは異なる結末、すなわち食物の物理的な摂取という奇跡ではなく、神による承認と救済の約束を提示する。これにより、焦点は行為を正当化する物理的な奇跡から、精神的な報酬へと移行している。特に「パパン」(papin)という語の使用は、供儀と交流の子供らしい性質を際立たせ、形式的な儀式ではなく、愛情と親密さの観点から信仰を描写している。聖母マリアが少年を「クレルソン」(clerçon)と呼ぶことは、彼の素朴な信仰心を、たとえ末端であっても教会の役割へと結びつける。このバージョンは、物理的な顕現よりも意図や信仰心を重視する、わずかに異なる神学的強調を反映している可能性がある。

小括

「子供が幼子イエス(像)に食物を与える」というモチーフが、中世フランスの宗教物語文学に存在することが確認された。

フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』読書会 #05

今回はp41上段うしろから3行目~p45上段うしろから3行目

誤訳

「ゲニニーヌ」という表記について

原文: Des relevés de Gaignières montrent...
翻訳: ゲニニーヌの記録では...
問題点: 人名のカタカナ表記が一般的ではない。
理由: François Roger de Gaignières は、歴史研究において一般的に「ゲニエール」と表記されます。「ゲニニーヌ」は誤記と考えられます。(ただし、後の段落で「ゲニエール」と修正されている箇所もあります)
修正案: ゲニエールの記録では...

「1530年」の訳抜けについて

原文: Ces tombes sont toutes du XVIe siècle : 1503, 1530, 1560.
翻訳: こうした墓碑は全て十六世紀のものであって、それぞれ一五〇三年、一五六〇年と記されている。
問題点: 原文にある「1530」が翻訳から抜け落ちている。
理由: 年代を列挙している箇所で、一つ欠落しています。
修正案: こうした墓碑は全て十六世紀のものであって、それぞれ一五〇三年、一五三〇年、一五六〇年と記されている。

「Sur le devant」および「minuscule tombe」の訳について

原文: Sur le devant de sa tombe, figurent à petite échelle la statue agenouillée du marquis son époux, et la minuscule tombe d’un enfant mort.
翻訳: この墓碑と向かい合せて、夫の侯爵の等身より小さな跪いた彫像と、亡くなった子供の小さい墓が置かれている。
問題点: 「Sur le devant」 (墓碑の前面に)を「向かい合せて」と訳している点、また「minuscule tombe d’un enfant mort」(亡くなった子供の極小の墓碑/像)を「小さい墓」と訳している点が不正確。
理由: 位置関係と対象物が原文と異なっています。「à petite échelle」(小さな縮尺で)のニュアンスも十分に反映されていません。
修正案: その墓碑の前面には、小さな縮尺で、夫である侯爵の跪いた像と、亡くなった子供の極小の墓碑(あるいは「小さな墓の像」)が表されている。

「robe et le tablier des filles」の限定的な訳について

原文: ...la robe et le tablier des filles et un grand bonnet empanaché de plumes.
翻訳: ローブと女児用の前かけと羽根飾りのついた大きなボネ
問題点: 「des filles」を「女児用の」と限定している可能性がある点。
理由: この時代の幼児服(特にローブ)は男女共通で着用されることが多かったため、「女児用の」という限定は不正確な可能性があります。文脈によっては「(一般的に)女児が着るような」という意味合いかもしれませんが、男女共通の幼児服を指している可能性も考慮すべきです。
修正案: ローブと(女児が着るような)前かけ、そして羽根飾りのついた大きなボネ(あるいは、文脈や図像資料に基づき「幼児用のローブと前かけ」など)

「une masse mal différenciée de six garçons entassés」の訳について

原文: ...et une masse mal différenciée de six garçons entassés, ...
翻訳: さらに、はっきりと識別こそできないが六人の男の子が一群となって詰め合され、...
問題点: 「une masse mal différenciée」(はっきりと区別できない塊)、「entassés」(ぎゅうぎゅう詰めにされた)の訳として「一群となって詰め合され」はやや不自然。
理由: 原文の持つ、個々の区別がつきにくく密集している状態のニュアンスが伝わりにくい。
修正案: さらに、はっきりと区別できない塊となった六人の男の子がぎゅうぎゅう詰めに描かれ、...

「si bien que certains sont à peine visibles」の訳について

原文: ...si bien que certains sont à peine visibles.
翻訳: 何人かはどうにか判別できるほどである。
問題点: 原文の「ほとんど見えないほどである」という否定的な意味を、「どうにか判別できる」という肯定的な意味に誤って訳している。
理由: 原文の意味を取り違えています。
修正案: そのため、何人かはほとんど見えないほどである。

「Il s’agit bien d’une coutume」の訳について

原文: Il s’agit bien d’une coutume qui est devenue commune au XVIe siècle jusqu’au milieu du XVIIe...
翻訳: ここで、十六世紀に一般的になり、十七世紀中葉まで続くある慣習をとりあげてみよう。
問題点: 「Il s’agit bien de...」(それはまさしく〜である)という断定的な表現を、「とりあげてみよう」という提案・導入のように訳している。
理由: 文の導入方法が原文の意図と異なり、前後の文脈との接続が不自然になっています。
修正案: これは、十六世紀に一般的になり十七世紀中葉まで続いたまさしく一つの慣習なのである:...(あるいは、単に「十六世紀に一般的になり、十七世紀中葉まで続いた慣習がある。」として次に繋げる)

au moins les hommes」の訳抜けについて

原文: ...le roi et les princes sont à demi nus — au moins les hommes — comme les dieux de l’Olympe.
翻訳: この絵は国王と王子たち、ともかくも男性が、オリンポスの神々のように半裸体であることで有名である。
問題点: 原文のダッシュ内にある補足説明「— au moins les hommes —」(— 少なくとも男性は —)が訳出されていない。
理由: 原文にある情報の欠落。翻訳文では「ともかくも男性が」という表現で補おうとしているようですが、原文の挿入句のニュアンスとは異なります。
修正案: この絵は、国王と王子たちが — 少なくとも男性は — オリンポスの神々のように半裸体で描かれていることで有名である。

「Nous retiendrons ici un détail」の訳について

原文: Nous retiendrons ici un détail : ...
翻訳: ここで詳細に吟味してみよう。
問題点: 「retenir un détail」(細部に注目する、留めておく)を「詳細に吟味する」と訳しており、やや強い表現になっている。
理由: 原文のニュアンスよりも踏み込んだ表現になっています。
修正案: ここで一つの細部に注目(留意)しよう:...

「lingeries」の限定的な訳について

原文: dentelles des lingeries et du bonnet.
翻訳: 産衣やボネのレースの縁飾り
問題点: 「lingeries」(下着類、リネン類)を「産衣」と限定している可能性がある。
理由: 生後3日の赤子なので文脈的に間違いではないかもしれませんが、「lingeries」はより広範な布製品を指すため、限定しすぎている可能性があります。
修正案: 下着類やボネのレース飾り。(あるいは文脈を考慮し「産着やボネのレース飾り」)

「personnalité définitive」の訳について

原文: ...sentiment pieux qui donnait à cet enfant de trois jours une personnalité définitive : ...
翻訳: 生後三日で死去したこの子供に明確な人格を認めている敬虔な感情を...
問題点: 「définitive」(最終的な、決定的な)を「明確な」と訳している。
理由: 「définitive」には、もはや変わることのない、確定した存在としてのニュアンスが含まれます。「明確な」ではそのニュアンスが薄れます。
修正案: 生後三日で死去したこの子供に(もはや変わることのない)決定的な人格を認めている敬虔な感情を...

「bourgeois aisés」の訳について

原文: ...d’autres des bourgeois aisés comme ceux de Le Nain ou de Ph. de Champaigne.
翻訳: また他の画家たちはル・ナンやド・シャンパーニュの絵画に見られるようにゆったりとくつろいだブルジョワたちの姿を描いている。
問題点: 「aisés」(裕福な)を「ゆったりとくつろいだ」と訳している。
理由: 原文にない「くつろいだ」という状態を描写しており、本来の意味である「裕福な」が訳出されていません。
修正案: また他の画家たちは、ル・ナンやフィリップ・ド・シャンパーニュの作品に見られるような裕福なブルジョワたちを描いている。

「grandes personnes」の訳について

原文: ...comme c’était l’ancienne coutume pour les grandes personnes.
翻訳: 偉大な人物に対する古くからの慣習を踏襲して...
問題点: 「grandes personnes」を「偉大な人物」と訳している。
理由: フランス語で「grandes personnes」は単に「大人」を意味します。「偉大な人物」は誤解です。
修正案: 大人に用いられていた古くからの慣習のように...

「sentiment」の訳について

原文: ...le sentiment n’a pas changé.
翻訳: しかし、その感覚は変らなかったのである。
問題点: 文脈上、「sentiment」は「感情、気持ち、考え方」などを指すと考えられるが、「感覚」と訳されている。
理由: 「感覚」(sense perception)ではなく、「感情・意識」(feeling, sentiment)の意味合いが強い文脈です。
修正案: しかし、その感情(意識、気持ち)は変わらなかったのである。

「ex-voto」の限定的な訳について

原文: ...les représentations d’enfants sur ex-voto, ...il en existe au musée de la cathédrale du Puy, ...un étonnant enfant malade, qui doit être aussi un ex-voto.
翻訳: 絵馬に描かれた子供の像...そのいくつかはピュイの大聖堂の美術館にあり...やはり絵馬に相違ない、驚いたことに病気の子供を描いたものが...
問題点: 「ex-voto」(奉納画、奉納品)を日本の「絵馬」と限定して訳している。
理由: 「ex-voto」は西洋の宗教文化における奉納物を指し、日本の絵馬とは異なります。文脈によっては誤解を生む可能性があります。
修正案: 奉納画(あるいは「エクス・ヴォート」)に描かれた子供の像...そのいくつかはル・ピュイ大聖堂付属美術館にあり...やはり奉納画(エクス・ヴォート)に違いない、驚くべき病気の子供を描いたものが...

「étonnant enfant malade」の訳について

原文: ...un étonnant enfant malade, ...
翻訳: 驚いたことに病気の子供を描いたものが...
問題点: 形容詞「étonnant」(驚くべき、素晴らしい)を副詞的に「驚いたことに」と訳している。
理由: 「étonnant」は「enfant malade」を修飾しています。
修正案: ...驚くべき病気の子供(を描いたもの)が...

「état d’esprit」の訳について

原文: ...ce soin contre la variole implique un état d’esprit qui devait...
翻訳: 種痘にたいするこの配慮は...ある意識の変化を含んでいる。
問題点: 「état d’esprit」(精神状態、考え方、心構え)を「意識の変化」と訳している。
理由: 「意識の変化」は結果として生じる可能性はありますが、「état d’esprit」そのものを指す訳としては不正確です。
修正案: 天然痘に対するこの配慮は、同時に他の衛生習慣をも促進したであろうある種の考え方(心構え)を含意している。

出生管理に関する部分の誤訳/訳抜けについて

原文: ...et permettre un recul de la mortalité, compensé d’ailleurs en partie par un contrôle de plus en plus étendu de la natalité.
翻訳: ...また以前には一部では次第に上昇してくる出生率を高死亡率が相殺していたが、この死亡率を低下させたに相違ないある意識の変化を含んでいる。
問題点: 原文後半の「compensé d'ailleurs en partie par un contrôle de plus en plus étendu de la natalité」(それはまた、一部はますます広がる出生管理によって相殺されたが)という重要な情報が完全に抜け落ち、翻訳文後半は原文に対応しない内容になっている。
理由: 完全な誤訳、あるいは翻訳の際の脱落と考えられます。
修正案: ...そして死亡率の低下を可能にした(それはまた、一部はますます広がる出生管理によって相殺されたのだが)ある種の考え方(心構え)を含意している。

「l’Eros hellénistique retrouvé」の訳について

原文: ...il faut y reconnaître l’Eros hellénistique retrouvé.

翻訳: この現象にはあきらかにヘレニズム時代のキューピットの再発見が認められる。

問題点: 「Eros」を「キューピット」と訳している点、また「retrouvé」(再発見された)が修飾する対象が不明確になっている点。

理由: エロスはギリシャ神話、キューピッドはローマ神話の神であり、厳密には異なります。「retrouvé」は「Eros」を修飾しています。「再発見」という名詞ではなく、「再発見されたエロス」とすべきです。

修正案: この現象には明らかに、再発見されたヘレニズム時代のエロスが認められる。

「Van Marie」の表記について

原文: Van Marie se demande...

翻訳: とヴァン・マルは自らに問いかけている。

問題点: 人名のカタカナ表記が一般的ではない可能性がある。

理由: 美術史家 Raimond van Marle を指していると思われますが、「ヴァン・マリー」または「ファン・マルレ」などがより一般的な表記かもしれません。「ヴァン・マル」も使われる可能性はありますが、確認が推奨されます。(これは厳密な誤訳とは言えないかもしれません)

修正案: とファン・マルレ(あるいはヴァン・マリー)は自問している。

「envahir la peinture」の訳について

原文: ...les putti vont envahir la peinture, ...

翻訳: これら「ピュット」たち絵画に進出していき...

問題点: 「envahir」(侵入する、殺到する、席巻する)を「進出していき」と訳しており、やや弱い。

理由: 原文の持つ、急速かつ広範囲に広がるニュアンスが十分に伝わっていません。

修正案: これら「ピュット」たちは絵画を席巻していき...

「répété à satiété」の訳について

原文: ...et devenir un motif décoratif répété à satiété.

翻訳: 倦むことなく反復される装飾のモチーフになる。

問題点: 「à satiété」(飽きるほど、うんざりするほど)を「倦むことなく」と、逆の意味に訳している。

理由: 原文の持つ過剰さ、ありふれたものになるニュアンスが反映されていません。

修正案: ...そして飽きるほど繰り返される装飾モチーフになる。

「éphèbe」の訳について

原文: Désormais l’ange ne sera plus (...) cet éphèbe qu’on voit encore sur les toiles de Botticelli, ...

翻訳: それ以後には天使たち(...)はボッティチェルリの絵画に今日も見られるような少年の姿ではなくなるであろう。

問題点: 「éphèbe」(古代ギリシャの青年、美しい若者)を「少年」と訳している。

理由: 「éphèbe」は思春期を過ぎた若者を指し、「少年」よりも年上のイメージです。ボッティチェリの描く天使の姿を考えると「青年」がより適切です。

修正案: それ以後には天使(...)は、ボッティチェリの絵画になお見られるような(優美な)青年の姿ではなくなるであろう。

「évoquer sa nudité」の訳について

原文: ...qu’il n’est pas possible de représenter l’enfance sans évoquer sa nudité.

翻訳: 裸の子供に着眼することなく子供期を描くことができないことを...

問題点: 「évoquer sa nudité」(その裸体性を想起させる、それに言及する)を「裸の子供に着眼することなく」と訳している。

理由: 「着眼する」という訳は不自然で、原文の意味合い(子供らしさと裸体性の連想)を正確に伝えていません。

修正案: ...その裸体性(に触れること)なしに子供時代を描くことはできないと...

関連図版など

Norfolk, Holkham

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【青年の発言台】危機にあるひきこもり・家族介護の若者たち…「まず手を差し伸べられる社会を構築すべきだ」

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チームストーリーアクティング パク・イスル engenim@naver.com

【青年日報】 「ひきこもり」とは、家の中にだけ閉じこもり、家族以外の人とは人間関係を結ばず、通常6ヶ月以上社会的接触を持たない人々を指す言葉である。以前は、これらは個人の社会不適応問題と見なされてきたが、現在は国家レベルの問題として扱われている。

2022年に韓国保健社会研究院と韓国統計振興院が実施した「若者の生活実態調査」によると、満25歳でひきこもりを始めた人一人当たりの社会的費用の推定値は約15億ウォンに達する。

孤立・ひきこもりの若者の最大の問題は、彼らの生活が短期間で終わらないという点に注目すべきである。我々より先にひきこもり問題を経験した日本では、1990年代の就職氷河期に求職活動を諦めた青年世代が親に依存して生きていく、いわゆる「8050問題」として、1990年代の青年期のひきこもりが50代になった現在に至るまで、80代の親の年金に依存して生活しているのである。つまり、30年余りが過ぎても、彼らはひきこもり生活から抜け出せずにいるのである。

これまで光州広域市では、全国で初めて「光州市ひきこもり支援条例」を制定し、ひきこもり支援センターを補助事業として運営している。また、多くの地方自治体が支援策のための研究委託に着手したり、実態調査を行うなど、全国的にいわゆる問題を認識し、対策の策定に苦心している状況である。

筆者自身も個人的な事情により、昨年一年間、不本意ながらひきこもり生活と同様の経験をしたことがある。しかし、孤立とひきこもりを経験する期間が長くなるほど、極端な思考をするようになる思考様式が形成されることが最も恐ろしいことだと分かった。

保健福祉部が発表した「2023年 孤立・ひきこもり青年実態調査(19~34歳青年)」によると、全回答者の75.4%が自殺を考え、26.7%が自殺を試みたことがあると答えており、自殺念慮と試行の割合は、孤立・ひきこもり期間が長くなるほど徐々に増加することに注目できた。ひきこもり期間が3ヶ月未満の場合、自殺念慮は64.3%、1年を超える場合は75.2%、10年以上の孤立・ひきこもり青年は89.5%が自殺を考えていることが分かった。

「良くない兄にも自分のことを少しでも好きになってもらいたくて、ずっと一緒に病院へ行っていました。両親には申し訳なさすぎて何も言えず、治療もやめました……。私はただ社会で無視されている存在のような気がします。私はなんの役にも立たない。必要とされていないのだから、死にたいし、つらくても死ぬことすらできないような気がします」(若者インタビュイー H)

▲ 2023年 孤立・ひきこもり青年実態調査。[出典=保健福祉部]

急いで介入しなければ、実際の自殺につながりかねない危険な状況である。そのため、このような現象に早期に介入しなければ、個人の不幸にとどまらず、ひいては若い人材を失う国家的損失につながるほかない。

これに対し、保健福祉部は昨年9月19日、政府与党協議会を開き、家族介護青年、孤立・ひきこもり青年、自立準備青年などのための「青年福祉5大課題」を確定・発表した。新たに浮上した脆弱階層の青年世代(家族介護青年や孤立・ひきこもり青年など)に対する政府レベルの総合支援対策という点で歓迎すべきことである。

この中で核心となるのは、今年からモデル事業として仁川、蔚山、忠北、全北の4市道に青年未来センター(仮称)を設置し、家族介護・孤立ひきこもり青年を専門に支援する事業だと言えるだろう。

該当地域の孤立・ひきこもり青年は、今年「青年未来センター」が担当して管理することになり、彼らに専門のケースマネージャーを通じて心理カウンセリングを行い、集まりに参加させて対人接触の機会を増やし、求職にまでつなげるよう支援する予定である。ひきこもりに加え、家族介護青年には年間最大200万ウォンの自己ケア費を支給し、彼らが介護する家族にも日常のケアサービスを連携するとのことだ。

しかし、機能的なサービスに近い国家的アプローチにのみ頼るのではなく、私たちの周りに孤立・ひきこもりの若者がいれば、私がまず手を差し伸べてみることを提案したい。

自分の意志かどうかにかかわらず、ひきこもりになった若者にとって本当に辛いことは、関係から離脱したという心理的な不安感と、不信社会に生きているという重圧感が大きな部分を占めているだろう。

人間は本来、関係の中で生きていく動物であり、たった一人の支持者がいれば、より豊かな人生を送ることができるため、私からその支援者になってみてはどうだろうか。

文 / チームストーリーアクティング パク・イスル