井出草平の研究ノート

昨日

id:iDES さんからも、同じような質問(肯定されるべき(と僕が考える)生の内実とは何か)を受けた。これからじっくり考えなければいけない問いのように思う。
http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060312

もちろん問いっぱなしとかではなくて、自身の取り組んでる問題を通して「生の肯定」について考えていきたい。おそらく、この「生の内実」の問題が最終的にid:x0000000000さんとの(良い意味での)立場性の違いがでてくるのではないか、と思ったので問うてみました。

貴戸理恵さんの論座4月号の記事「「生きづらい私」とつながる「生きづらい誰か」――「当事者の語り」再考」に、「安心して「生きづらく」なってね」という趣旨の文章がある。


貴戸さんの文章は、「生きづらく」なってしまう、そうならざるを得ないという面と、いま「生きづらく」てもそれはあなたが悪いのではないよ、という面を混乱しているように僕には思えてしまう。

貴戸さんの文章を読んでいないので、まだコメントできない。貴戸さん、それはちょっと違うんじゃないか、という意見をちらほら聞いたので、是非読まねば。論座買ってきます、><