- 作者: 香山リカ
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2009/12/11
- メディア: 新書
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Q&A形式でうつの疑問に答える本。とても良い本だと思ったが「Q17「セロトニン」の入った食品を食べた方がいいの?」に間違いがある。経口投与でセロトニンは増やすことができないと書かれているが、実際には可能である。香山本の該当箇所は以下の記述である。
しかし実際には、葉酸やアミノ酸をちょっと口から摂っただけでは、それが脳内のセロトニンやその代謝経路に直接、何らかの影響を与えることは期待できない。口から入って消化管からうまく吸収され、血流に乗ったとしても、それは「脳血液関門」という誰にでもある体内バリアシステムに阻まれ、脳の中に移行することはできない。
ところが最近は、さらに手の込んだ解説がつけられたサプリメントやジュースが販売されている。「糖分といっしょに摂取することで、セロトニンの材料であるアミノ酸トリプトファンは脳血液関門を通過しやすくなる」として、「うつ病に効く高トリプトファンジュース」といった"新顔"が登場してきた。
さらに、栄養学者や医者の中にも、「うつを防ぐ食事療法」を雑誌で発表したりクリニックで実践したりしている人がいる。その多くは、「バランスの取れた食事」「鉄分を多く摂って貧血を改善するのが基本」などいわゆる"毒にも薬にもならない指導″なのだが、中には「葉酸、トリプトファンがセロトニンを増やす」と食事が薬のかわりになる、と受け取られかねないアドバイスも見られる。
こういった栄養指導や特定の食品摂取によるうつ病治療、予防の効果は、現在の医学では実証されていない。おそらくこれからも実証されることはないだろう。はっきり言って、暗示効果や気休め以上の効果は期待できない。
もし、口から摂った食品で脳内のセロトニンが増えたとしたら、それはそれで危険だ。脳内のセロトニンは、肝臓病などで代謝異常が起きた結果として異常に増加することもあるのだが、その場合は「うつ病が治る」どころか、高血圧、けいれん、意識障害をどきわめて危険を症状が起きる。セロトニンは、増えさえすればいというわけではないのだ。
一言で言うと、セロトニン(5-HT)自体は脳血液関門を通過できないが、セロトニンの前駆体は脳血液関門を通過することができるのである。この点を間違えている。香山さんに限らず経口投与でセロトニンを増やすことができないと思っている人は多いようなのだが、L-トリプトファンと5-HTP(ヒドロキシルトリプトファン)という薬剤で脳内のセロトニン量を増やすことが可能である。この2つの薬剤は日本では店頭で買えないので、もし使用するならばサプリメントとして個人輸入することになる。
トリプトファン関係の脳血液関門の通過に関しては以下の文献を参照。
- Gomes P, Soares-da-Silva P., L-DOPA transport properties in an immortalised cell line of rat capillary cerebral endothelial cells, RBE 4.Brain Res. 1999 May 22;829(1-2):143-50.http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10350540
L-トリプトファンは様々なものに代謝され、効率が悪いため、現在ではセロトニンの前駆体である5-HTPを使用するのが一般的である。トリプトファンの付加治療に関しては、イギリスの投薬ガイドラインのモーズレイでも難治性うつ病への提案で長らく第1選択とされてきた方法である(第8版では150頁に記載がある)。
The Maudsley 2005-2006 Prescribing Guidelines
- 作者: David Taylor,Carol Paton,Robert Kerwin
- 出版社/メーカー: CRC Press
- 発売日: 2005/05/12
- メディア: ペーパーバック
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今年の第10版(参照)では第3選択に転落をしているが、それでも「長きにわたる成功使用例」という評価がされている。転落の理由は難治性うつ病への提案としては効果が低すぎるからである。つまりトリプトファン付加治療は効果が弱く、SSRIをはじめとした抗うつ剤の効果には及ばないのだ。トリプトファン関係の研究をいくつかピックアップしてみる。
- Shaw K, Turner J, Del Mar C.,Tryptophan and 5-hydroxytryptophan for depression.Cochrane Database Syst Rev. 2001;(3):CD003198.http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11687048
トリプトファンと5-HTPのうつ病への効果は現在のところ限定的である
- Pöldinger W, Calanchini B, Schwarz W.A functional-dimensional approach to depression: serotonin deficiency as a target syndrome in a comparison of 5-hydroxytryptophan and fluvoxamine.Psychopathology. 1991;24(2):53-81.http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1909444
5-HTPとフルボキサミン(ルボックス・デプロメール)は同程度の効果。二重盲目試験。6週間。対象63人。5-HTP(100mgを一日3回)、フルボキサミン(50mgを一日3回)
- WA Nolen, JJ van de Putte, WA Dijken and JS Kamp, L-5HTP in depression resistant to re-uptake inhibitors. An open comparative study with tranylcypromine, The British Journal of Psychiatry 147: 16-22 (1985)http://bjp.rcpsych.org/cgi/content/abstract/147/1/16
フルボキサミン(ルボックス・デプロメール)とトラニルシプロミン(MAO阻害薬)への5-HTPの投与。トラニルシプロミンのみ反応。
成績の良い論文ではフルボキサミン(ルボックス・デプロメール)程度の効果を出している。
ただし、全体的な研究傾向としては、モーズレイにも記載があるが、支持をするエビデンスは三環系抗うつ剤とMAO阻害薬との併用をした論文が主体となっている。以下は個人的な意見だが、三環系抗うつ剤よりもSSRIが使用される現在の臨床ではトリプトファンはあまり使い所がないように思える。三環系抗うつ剤でノルアドレナリン優位の薬剤を飲んでいる人の補剤、ほぼ回復した時のSSRIの代薬程度の使い道しかないのかもしれない。
香山本には「口から摂った食品で脳内のセロトニンが増えたとしたら、それはそれで危険だ」と書かれているが、実際に増えるのでトリプトファン・5-HTPの経口投与には注意が必要である。脳内のセロトニン濃度が高すぎるとセロトニン症候群が起こる可能性があるため、SSRIや三環系抗うつ薬でもクロミプラミンなどとの併用に際しては状態を観察しておく必要がある。
ちなみに、前半で触れられている葉酸でうつが治ったり予防できないというのは香山本の通りである。うつを治す健康食品等にはあまり期待をしない方がいい。「うつを防ぐ食事療法」などは偽科学の類である。うつ病になった人が「食事法を始めたので向精神薬を飲まない」ということになると悪い結果がでるのは目に見えている。おそらくうつ病は悪化するはずなので、こういうものには騙されてはいけない。
ただし、葉酸にはSSRIの反応率を上げる(参照)など機能も報告されているので、これらのサプリメントに全く意味がないと断言することはできない。葉酸は大塚製薬や小林製薬のサプリメントシリーズで薬局で安価に買えるので、飲みたい人は飲めばいいのではないかと思う。効かなかったとしても、健康被害はなく、高級ジュースよりははるかに価格が安いため経済的被害も少ないからだ。