少し前に「ヒトラーは“ジャンキー”?」というBSドキュメンタリーがあり、興味深かったので、購入した本。
ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足―神経内科からみた20世紀 (中公新書)
- 作者: 小長谷正明
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/05/01
- メディア: 新書
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ちなみにBSドキュメンタリーはこちら。
「ヒトラーは“ジャンキー”?」 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/253/2145614/index.html
小長谷の本では、ドキュメンタリーとは異なり、パーキンソン病と投薬について書かれてあり、これまた大変興味深かった。
ドイツではエレン・ギッベルスという神経学者の本が有名だそうだ。
ギッベルスによると、『ドイツ週間ニュース』にみられるふるえは、左手では四二年にはあらわれており、右手で左手を握りしめたり、からだにピッタリとくっつけていたことも観察されている。左足のふるえを抑えるために、テーブルに押しつけることもあった。
あまり重要なことではないかもしれないが、abラインが少しおかしい気がする(そもそも切片0というのは奇跡に近い)。切片は正の値をとるように見えるので、1939年から症状があったのたろう。
運動障害
ヒトラーに長いあいだ仕えた参謀将校によると、最後のころの様子は次のようなものだ。「総統は肉体的にみるからに恐ろしげな様子であり、苦しそうに、ぎこちなく足を引きずって歩きまわっていた。地下壕の自分の居聞から会議室へ行くときには、上半身を前方に投げ出すようにして、足を引きずって歩いていた。バランス感覚はなくなり、ごく短い距離(たかだか二〇~三〇メートル)を歩く途中で、立ち止まらなければならないときは、壁の両側に置かれた総統専用のベンチに腰を下ろしたり、話し相手にしがみついたりしていた。目は充血していたし、提出された文書はみな特製の『総統専用タイプライター』で普通サイズより三倍も大きな字で打つであったが、それでも拡大鏡を使ってやっと読めるようだった。しょっちゅう、口の両端からよだれが垂れていた」
かなり典型的なパーキンソン病である。
現代ではパーキンソン病に対して病気の進行を遅くする治療法がいろいろとあるが、当時は病気のメカニズムも治療法もよくわかっていなかった。パーキンソン病患者の線条体でドパミンが著しく低下していることがわかったのは1960年である。
小字症
運動障害の一つとしてあげられる症状である。パーキンソン病では病気の進行とともに書く字が小さくなっていく。ヒトラーのサインは次第に小さくなっていったようである。
保続(ほぞく)
また、この病気の精神的特徴の一つに保続という現象がある。一つの考え方や、やり方に固執することである。新しい事態がおこっても、途中から方針を修正することができない。融通がきかなくなるのだ。開戦当初、それまでの常識をやぶる用兵で、ヒトラーは華々しい戦果を次々と挙げていたが、途中からそれが通じなくなった。軍の参謀の進言にも耳を貸さなくなった。彼は作戦会議の最中でも地図の一点をじっと見つづけたままであり、軍の司令官や参謀の話などはかったように、最初からの自分の作戦遂行を命令する。失敗した作戦への反省もなく、ワンパターン化した作戦で戦争指導をつづけ、負け戦の連続となってしまった。スターリングラードの攻防戦などで、死ななくてもよかった若い兵士たちが何十万人単位で犠牲となった。精神の保続症状がこのような結果をもたらしたのだ。
これは確かにありそうな話である。
ヒトラーのパーキンソン症状が映像から確認できるのは1940~41年だそうだ。ロシア侵攻も同じ1941年である。ナチスドイツが戦略的に大きな失敗をし敗退をし始める時期と重なる。スターリングラードの攻防戦は1942~43年であり、この時期にはパーキンソン病はかなり進行していたはずである。 パーキンソン病や保続がドイツの戦略的失敗と関係しているというのは仮説になりうるだろう。
ヒトラーの運動障害についての将校の回顧からは、1944年にはかなりひどい状態になっていたことがわかる。スターリングラード攻防戦は映像でパーキンソン病が確認できる時期との間なので、わりと病気は進行していたはずである。
小長谷の本では記述がないが、ホロコーストが本格化(ガス室の使用等)したのは1943年である。
モレルの処方
モレルはヒトラーの主治医として有名な医師である。
ヒトラーはモレルから77種類の薬を処方されていたようである。「ヒトラーは“ジャンキー”?」と言われるのはその薬に麻薬が含まれているからである。
アンフェタミン、メタンフェタミン、コカイン、モルヒネと主要な麻薬をヒトラーは摂取していたようである。アンフェタミンのような中枢神経刺激薬を飲むと眠れなくなる。その副作用のためにバルビタール(睡眠・鎮静薬)が併用されていたのだろうか。
メタンフェタミンとドパミン
パーキンソン病はドパミン不足で起こる病気である。 アンフェタミン、メタンフェタミン、コカインを飲んでいたのはジャンキーというよりも、パーキンソン病対策と理解できるようなのだ。
ヒトラーの飲んでいた覚醒剤はメタンフェタミンである。これはヒロポン、つまりアンフェタミンと同じく、ドパミンによく似た化学構造をしている。もともとこれらの覚醒剤は脳の中ではつくられていないが、外から入ると、ドパミンが作用する細胞に、似たような効果をあらわす。またコカインは、化学構造式は似てはいないが、脳の中のドパミンの量を増やしたり、効果を強める作用がある。
アトロピン
もう一つ、ヒトラーへの処方でパーキンソン病と関係がありそうなのは、アンチガスという薬だ。これの主成分は、アセチルコリンの作用を抑えるアトロピンである。アセチルコリンは胃腸のはたらきを活発にしたり、汗を分泌させるはたらきがある。ヒトラーは、よくおならをしていて、またひどい汗かきでいつも臭かったという。彼の前では、悪臭の話題をもちだしてはいけないことになっていた。アセチルコリンのシステムがはたらき過ぎているので、それを抑えるためにアトロピンを飲んでいた。 アトロピンは自にも作用して、瞳孔を広げる。戦争末期のヒトラーが、異様に輝く目をしていアンチガスの成分のアトロピンのためだという。
アセチルコリン抗コリン薬のアトロピンも摂取していたようである。ベラドンナも成分はアトロピンなので、同じ目的で摂取していたのだろう。