中谷さんから話を振られたので、少し詳しく書いてみようと思う。
いろいろ指摘したい点はあるけれど「過度にゲームを続けると脳や行動に悪影響が及ぶことは研究レベルで証明」について明示的に根拠を示してもらえたら、その内容について井出草平先生に精査をお願いしたいhttps://t.co/FFztbuBAWx
— 中谷基志⋈ (@nakatanimotoshi) 2021年2月13日
明示的根拠がなければ科学的ではないですよ https://t.co/gPq5sZ3Yfn
メンタルドクターSidowさんのツイート
https://twitter.com/dr_sidow/status/1360527222423998464
彼の認識が特殊だというわけではなく、一般的な精神科医の認識もこのような感じではないかと思う。
ただ、一般的な認識が正しいとは限らないこともあり、このツイートには大きな誤りがある。
ゲーム障害=精神疾患
世界保健機関WHOのICD-11が発効するのは2022年からなので、厳密にいうと、ゲーム障害(ゲーム症)は現時点ではまだ精神疾患ではない。ただ、ほぼ間違いなく、来年からはICD-11が採択されると思われるので、現時点で精神疾患だと言っていたとしても、特に問題はないだろう。
精神疾患は病気を意味するのか
なんじょうさん(@nnanjoh)がICDの話もされているので用語回りを整理しておこう。
結論から言うと、精神疾患は病気や疾病といった意味を持っていない。
ICDを含め、公式に、英語・日本語とも述語が混乱しているので、このあたりの用語かなりわかりにくい。
専門家も混乱した述語で困っているため、WHOに直接ICD-11での述語の使い方を問いただしたが、回答は、矛盾なく統一しようと試みたがICDのカバーする範囲が広いため、断念した(大意)というものだった。
また、アメリカ精神医学会のDSMの翻訳はDSM-IIIの時から精緻だが、ICDのF項目(精神障害)の翻訳は間違いや矛盾が散見される。
このようにICD原版も混乱があり、日本語訳にも混乱があるので、二重苦なのだが、一応、下記のように捉えると、間違いはない。
- illness: 病気
- disease: 疾病
- disorder: 障害
疾患は対応する英語がない。日本では疾病も含んだ精神障害なども含意する用語である。
精神医学ではMental Disorderを「精神障害」と翻訳する時もあれば「精神疾患」と翻訳する時もある。DSMの本文では精神障害されているが、タイトルでは精神疾患が使用されている。このあたりも混乱を招いている原因の一つである。DSMの翻訳者によれば、精神障害という用語が日本語としてわかりにくいため、タイトルは精神疾患という表現にしたようなのだが、余計に混乱を来した感じはある。
と捉えておけば間違いはない。
ちなみに、ICD-10では比較的登場回数の多かったillnessという用語はICD-11ではおおむね削除することに成功したようである。
過度にゲームを続けると脳や行動に悪影響が及ぶことは研究レベルで証明されています。
ここが問題の部分である。
結論から言うと証明されていない。日本語の文献や久里浜の樋口進さんの本などを読んでいると、そう誤解しても仕方ないが、脳画像研究の論文を読んでいると、この認識が誤りであることがわかるはずである。
現在の脳画像研究の考え方と、その研究がどういう経緯をたどってきたかを簡単ではあるが、紹介しておこう。
脳の仕組み
脳の神経組織では白質と灰白質という用語が使われる。
脳神経細胞そのものは灰白質、その伝達になっているのが白質だと理解すると早い。
白質の画像研究では拡散テンソルイメージング(DTI)法を用いる。
灰白質の画像研究ではfMRIを用い、特にボクセルベースの形態計測法(VBM)が用いられている。
黎明期
白質の研究は1990年代末に始まり、本格的に論文が出るのでは2000年代に入ってからである。灰白質の研究は少し遅れ2000年半ばから後半くらいから始まる。白質の研究の方が少し研究され、それを追う形で灰白質の研究は進んでいったというのがざっくりとした研究の流れである。
今回は神経細胞の話なので、灰白質の研究に限定しよう。
本格的にゲーム障害と灰白質の研究の中で最初にまとまったものが出版されたのは2011年の下記の研究Yuan et al.(2011)だと思う。
このブログでも(解説記事)をエントリした論文だ。確かに、この論文には、ゲーム障害=ゲームのやりすぎは脳にダメージ(特定の部位の脳の容積が低下する)と示唆されるいう趣旨のことが書かれている。久里浜の樋口さんなどの論調はこの2010年代前半の論文によく登場する考え方である。
研究の蓄積による論調の変化
灰白質の画像研究は新しい領域の研究であったため、2000年代、2010年代を通して、多く研究がされた。もちろん、さまざまな分野・疾患で実施された。研究が積み重なっていくうちに、次第に論調が変化してきた。
ゲーム障害はADHDとの併存(ADHDが先んじる)ことが多いが、ADHDとゲーム障害で問題となる箇所が酷似していることが判明している。(解説記事)
精神病性障害を除いた精神障害の灰白質の減少箇所は共通していることも判明している。(解説記事)
共通してみられるのは前帯状皮質(ACC)と背外側前頭前野(DLPFC)と島(insula)であるが、精神障害によって特定の分野の脳の容積が少ないといった対応関係が同定はされていない。
では、もともとADHDであり、その後ゲーム障害になった児童に脳画像研究をした場合、そこで写しているのは、ADHDの画像なのか、ゲーム障害の画像なのかという疑問が当然浮かぶ。
この疑問を解決するには、多変量解析が必要だが、fMRIで脳画像を撮影する値段が馬鹿高いためサンプル数が集められず、今のところ実現していない。できれば、コホートでゲーム障害が生じる前から実施すると一番理想的だが、こちらも資金面から困難である。
現在は以下の3つの可能性が示唆されている。
現在では2を指示するエビデンスが次第に増えている。例えば、2019年のアルコール使用障害の研究では、灰白質の体積の少なさが原因かもしれないと指摘されるようになっている。(解説記事)
2010年代前半の研究は、精神障害が原因で特定部位の脳の容積が低下しているのではなと推論される傾向があったが、現在では逆転した理解がされるのが標準的である。
つまり、生まれつき、もしくは成長の過程で、脳の特定部位の容積が少ないことが、ゲーム障害を含め、他の精神障害のリスクになるのではないか、というものだ。
最近のゲーム障害の脳画像研究
久里浜の樋口さんもよく引用する、ゲーム障害のボクセルベースの形態計測法のレビュー、メタアナリシス論文がある(Yao et al. 2017)。執筆年は2017年である。(解説記事)
この論文を読めばわかるが、ゲームのやりすぎによって脳の特定部位の容積低下が起こったなどとは一言も書かれていない。
この論文の結論は1)ゲーム障害では、行動面のみならず脳における神経変異があるということ、2)両側前帯状皮質がバイオマーカーになるのではないかというものだ。
ただ、この論文は日本では、久里浜・樋口式のアレンジが加わり、2010年代前半に議論されていた、ゲームのやりすぎによって脳に影響が生じると喧伝されるされているのが現状である。
時代の変化
2011年の論文(Yuan et al. 2011)と2017年の論文(Yao et al. 2017)を実際に読み比べれば、時代の流れはすぐに把握できる。Yuan et al. (2011)は久里浜の樋口さんやゲーム害悪派の主張に割と近い論調であるが、Yao et al.(2017)は全く異なっている*1。
現在では、Yao et al.(2017)のゲームの論文だけではなく、他の精神障害の論文でも、精神障害が原因で脳の特定部位の容積が低下したと書く論文はない。
脳の特定部位の容積の低下は精神障害の結果であるという見解は2010年代初頭にあった考え方で、最近は、1)原因、もしくは2)精神障害を見つけるバイオマーカーという2つの論調で論文が書かれているのが普通である。
メンタルドクターSidowさんの問題
シンプルに勉強不足である。また、精神科医という肩書は専門家とみなされるので、発言をするときには、しっかりと英文で最新情報を押さえたうえで、発言するべきである、ということだろうか。
Twitterの名前には脳のアイコンもついており、脳にこだわりも持っているようなので、是非、脳画像研究の論文もしっかりと読んでいってもらいたいものである。
*1:2011年の論文(Yuan et al. 2011)でも「ゲームのやりすぎで脳に悪影響がある」と言い切っているわけではない。