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1. 今回の主題と時代的流れ
1.1 扱われている時代と変化の方向性
- 中世から16世紀にかけては、子供は「小さな大人」と見なされ、下品な冗談や性的な話題から隔離されることはなかった。
- 16世紀末から17世紀を通じて、子供を大人の世界の「汚れ」から遠ざけ、純潔を守るべきだという発想が強まる。
- この動きはカトリック(イエズス会、ポール・ロワイヤル)とプロテスタントの両方に同時期に見られ、宗派を超えた大きな潮流だった。
1.2 各時代の位置づけ
| 時代 | 特徴 | 代表的人物 |
|---|---|---|
| 15世紀末 | 孤立した先駆者のみ存在 | ジェルソン |
| 16世紀 | 比較的寛容だが羞恥心の芽生えも | エラスムス、ヴィヴェス、モンテーニュ |
| 16世紀末〜17世紀 | 子供向けの検閲・校訂版の誕生。子供の無垢が常識化 | コルディエ、イエズス会、ポール・ロワイヤル、グルナイユ |
2. 主要人物と思想
2.1 ジェルソン(Jean Gerson, 1363–1429)
- パリ大学総長。中世末期の神学者。
- 学園に属さない子供を学童と同居させてはならないと規定した。
- 理由:「我々の子供たちが悪い習慣を身につけないため」。
- 時代を先取りした孤立した先駆者として位置づけられる。
2.2 エラスムス(Érasme, 1466頃–1536)
- ルネサンス人文主義者。著作に対話篇(『コッロクィア』)がある。
- 何が問題だったか:
- 性的なほのめかし、身体機能に関する下品な話題、教会への風刺を含んでいた。
- 「自由意志」をめぐってルターと対立し、カトリック・プロテスタント双方から孤立した。
- テクスト検閲の文脈では、子どもの純潔を守るには不適切と判断され、教育現場から排除された。
- 弁明:現実の悪徳を描写することで教訓になると主張したが、17世紀には通用しなくなった。
2.3 ヴィヴェス(Juan Luis Vives, 1492–1540)
- スペイン出身の人文主義者。
- 対話篇で「最も恥ずべき部分は前か後ろか」といった下品なやりとりを収録しつつも、「理由は汚らわしいから教えない」と羞恥心も示した。
- 寛容と抑制の過渡期を示す存在。
2.4 コルディエ(Mathurin Cordier, 1479頃–1564)
- フランスの人文主義者・教育者。カルヴァンのラテン語教師で、後にプロテスタントに改宗。
- 主著『対話篇(Colloques)』(1564年)は、エラスムスらのものより道徳的に格段に清潔。
- 「誰の手にも渡せる」教材として、プロテスタント系アカデミーで広く使われた。
- テクスト「浄化」を体現した先駆的教育者。
2.5 ポール・ロワイヤル(Port-Royal)
- 17世紀フランスのジャンセニスムの拠点(女子修道院+「小舎学校」)。
- 厳格な道徳と先進的教育(少人数制、母国語教育、校訂版テクスト)を実践。
- テレンティウスの喜劇を「たいへん上品に」校訂した版を出版。
2.6 モンテーニュ(Michel de Montaigne, 1533–1592)
- フランスの思想家。『エセー』で教育論を展開。
- 二つの顔を持つ:
- 現実主義者として「百人の学童がアリストテレスの節制以前に梅毒にかかっている」と、子供の性的堕落を冷徹に認識。
- 同時に、難破の際に「少年の無垢が神の加護を呼ぶ」というアルブケルクの逸話を紹介し、新しい感受性の芽生えを示す。
2.7 グルナイユ(François de Grenaille, 1616頃–1680)
- フランスの著述家・修道院長。
- 主著:『良き少女(L'Honneste Fille)』(1639年)、『良き少年(L'Honneste Garçon)』(1643年)。
- 革新性:
- 礼儀作法書のような断片的マナー集ではなく、「誕生から若者まで」を体系的に扱った。
- 親や教育者向けに書かれた教育学書である。
- 「子供を育てることは天使に倣うこと」と述べ、子供の無垢を教育論の核に据えた。
2.8 アウグスティヌスと聖王ルイ(引用の意図)
- 聖アウグスティヌス(354–430):古代教会の教父。子供のための論考を書いたとされる。
- 聖王ルイ(ルイ9世)(1214–1270):フランス王。息子への教訓書を残した。
- 両者は教育学成立以前の人物だが、グルナイユは自らの教育書の正当性を権威づけるために彼らを「先例」として引用した。
- アリエスの主張:この引用自体が、体系的・独立した教育学がようやく17世紀に誕生したばかりである証拠である。
3. 教育実践とテクスト検閲の変化
3.1 体罰と羞恥心への配慮
- イエズス会の規則では、体罰の際もショース(ズボン)を脱がせてはならないと明記。
- 「身分や年齢を問わず」「必要な分だけ皮膚を露出させる」――生徒の羞恥心への異例の配慮。
3.2 古典テクストの「浄化」
- 子供向け校訂版(expurgated edition)という発想の誕生が、まさに「子供時代への敬意」の始まり。
- テレンティウスが教育課程から外され(イエズス会)、校訂版が作られた(ポール・ロワイヤル)。
- エラスムス、ヴィヴェスらの対話篇がコルディエのものに置き換えられた。
3.3 教育学文献の登場
- 礼儀作法書(子供向けマナー集)とは別に、親・教育者向けの体系的な教育論が17世紀に成立。
- グルナイユがその代表例。
4. 子供の無垢(l'innocence enfantine)という観念の確立
- モンテーニュ(16世紀)は、現実の子供の堕落を知りつつ、無垢の観念に触れた過渡期の人物。
- 17世紀:子供の無垢が常識化。
- グルナイユ:「幼子を育てることは天使に倣うこと」
- 詩(F・ゲラールの版画に添えられたもの):「人の世の黄金時代」「天の門が開かれている」「教会の若き苗木に優しい敬意を」
- マタイ18:6「小さい者をつまずかせる者は天の怒りに触れる」への言及。
- 子供を天使に準える比喩が教化の定型句として一般化した。
5. その他
5.1 「adolescentum」の意味と用法
- ラテン語で「若者たちの(複数属格)」。
- フランス語本文中だが、ラテン語の規則原文を引用・挿入したものであり、フランス語としての普通の用法ではない。
5.2 ショース(chausses)とショーツ(shorts)の語源
- chausses:ラテン語「calceus(靴・脚衣)」に由来するフランス語。
- shorts:古英語「sceort(短い)」に由来する英語。「短さ」が語源。
- 両者は偶然の音の類似であり、直接の派生関係はない。
5.3 梅毒の逸話の詳細
- 出典:モンテーニュ『エセー』第1巻第26章「子供の教育について」。
- 内容:「百人の学童が、アリストテレスの節制の講義より先に梅毒にかかっている」
- 意図:道徳教育の理想とは裏腹に、学童の性的風俗は現実には乱れているという皮肉。
- アリエスは、モンテーニュが「子供は無垢」という理想と現実の落差を認識していたことを示すために引用。
5.4 アネクドート(anecdote)の日本での受容と寓話との違い
- 日本での広まり:フランス文学・思想の翻訳を通じて。「逸話」では表せない「秘められた真実」「裏話」のニュアンスを保持するためにカタカナ表記が使われた。
- 寓話(fable)との違い:
- アネクドート:ノンフィクション(実話が前提)、教訓は必須ではない、特定の人物の話。
- 寓話:フィクション(作り話)、明確な教訓が目的、動植物や匿名の人物が主人公。
5.5 子供を卑猥なものから遠ざける原因(まとめ)
- 「子供の無垢」という新しい観念:子供は純潔で守られるべき存在だという認識。
- 宗教改革と対抗宗教改革の厳格主義:カトリック・プロテスタント双方で子供の魂を守る意識が高まった。
- 教育観の変化:自由な人文主義から規律重視・道徳重視の教育への移行。
- 中世の「小さな大人」という子ども観から、近代的な「無垢な子ども」観への移行の出発点。
