斎藤環「精神医学、世論との距離保て」

朝日新聞2006年2月26日より。

世論に迎合した結果、精神科医にも「原因探し」や「犯罪の予測」といった「占師」役が押しつけられてきたが、それは不可能なことである。
 今回の事件に関して言えば、いじめや被害的感情につながりにくい共同体をどう構築するか、あるいは外国人の異文化不適応問題にどう対処するか、こちらのほうに精神医学の本領がある。

精神医学、世論との距離保て
斎藤環精神科医


 今月17日、長浜市で起きた登園中の2人の幼稚園児が刺殺されるという痛ましい事件は、車でグループ送迎していた別の園児の母親による犯行だった。この事件は、二つの点できわめて示唆的である。
 まず第一は、子どもの安全対策のための「付き添い」そのものに危険が潜んでいたという、やりきれない事実である。この事件は、子どもの治安対策に「万全」はありえないことを印象づけた。治安のために地域共同体を再構築するのはよい。相互監視と他者の排除も当事者が合意しているのなら仕方がない。
 しかし、当の共同体の成員にすら芽生えてしまう犯意はどうすればよいのか。これは、他者や異物の徹底排除が内なる他者を呼び出してしまうという、よく知られた逆説である。整備な潔癖性が免疫を弱める場合があるように。
 おそらくその後に来るものは住民同士の相互監視ないし疑心暗鬼ではないか。この種の「勘ぐり」にさらされることで、住民の一部がいっそう被害的になったり、あるいは排除やいじめの対象となったりすることば十分にありうることだ。
 治安のための共同体そのものが犯意の温床になりうるという意味で、これは兆候的な事件と言ってもいいのかもしれない。
 第二は「外国人」の問題である。殺人容疑で逮捕された鄭永善容疑者は、結婚仲介業者の紹介で日本に嫁いできた中国人女性だった。私はこの報道に摸して、05年11月に広島で起きた小1女児殺害事件を連想した。このとき逮捕されたのはペルー国籍の男性である。
 二つの事件に共通するのは、メディアの慎重すぎる処遇ぶりだ。確かにこの種の議論が差別感情を刺激しやすいといった危険はあるだろう。しかしそれにしても、この「外国人の犯罪」に対する無関心さは尋常ではない。
 要するにわが国では、いまだに世間の興味や関心の度合いに従って、物事の優先順が決まるのだ。統計上は減少傾向にある青少年による殺人や、存在するかどうかすら怪しい「おたくの犯罪」ない「有害メディアの影響」がこれほど論議されるのも、世間(=メディア)がいつでも「青少年の心の闇」や「有害メディア」には興味津々であるためだ。
 「事件の原因は事故そのものよりも興味深い」と述べたのは、紀元前のローマの政治家キケロである。数としては圧倒的に多い親による子殺し」や、「外国人の犯罪」が等閑視されるのは、原因のわかりやすい虐待や、わかっても仕方のない外国人はどうでもよいからではないか。メディアと世間が共依存関係にあるうちは、この傾向は変わらないだろう。
 世論に迎合した結果、精神科医にも「原因探し」や「犯罪の予測」といった「占師」役が押しつけられてきたが、それは不可能なことである。
 今回の事件に関して言えば、いじめや被害的感情につながりにくい共同体をどう構築するか、あるいは外国人の異文化不適応問題にどう対処するか、こちらのほうに精神医学の本領がある。真に有効な対策を議論するのなら、世俗的関心や世論の高まりとの距離感をどう維持するかについても、十分に意識的であるべきだろう。