井出草平の研究ノート

間接法による年齢標準化と信頼区間[R]

直接法はこちら。

年齢調整罹患率(age-standardized rates)の求め方の一つ。

ides.hatenablog.com

 間接法により得られる値は、正確には年齢調整罹患率ではなく、期待値と観測値の比である。
対象とする地域(例えば市町村)の年齢階級別罹患率が、比較しようとする集団(例えば県全体)の年齢階級別罹患率と同じと仮定した場合の罹患数(期待罹患数)を計算し、実際に観察された罹患数(観察罹患数)との比[標準化罹患比(SIR): standardized incidence rate]を求める。対象とする地域の年齢階級別罹患率がわからなくとも、年齢階級別人口と全年齢階級での観察罹患数が得られている場合には、標準化罹患比を計算することができる。 http://www.jacr.info/publicication/tebiki/tebiki_s_4_2.pdf

eptoolsパッケージで実行

www.rdocumentation.org

library(epitools)

データの作成

dth60 <- c(141, 926, 1253, 1080, 1869, 4891, 14956, 30888, 41725, 26501,
5928)
pop60 <- c(1784033, 7065148, 15658730, 10482916, 9939972, 10563872, 9114202,
6850263, 4702482, 1874619, 330915)
dth40 <- c(45, 201, 320, 670, 1126, 3160, 9723, 17935, 22179, 13461, 2238)
pop40 <- c(906897, 3794573, 10003544, 10629526, 9465330, 8249558, 7294330,
5022499, 2920220, 1019504, 142532)
rate60 <- dth60/pop60
rate40 <- dth40/pop40
tab <- array(c(dth60, pop60, round(rate60*100000,1), dth40, pop40,
round(rate40*100000,1)), c(11,3,2))
agelabs <- c("<1", "1-4", "5-14", "15-24", "25-34", "35-44", "45-54",
"55-64", "65-74", "75-84", "85+")
dimnames(tab) <- list(agelabs, c("Deaths", "Population", "Rate"),
c("1960", "1940"))
tab

データ

, , 1960

      Deaths Population   Rate
<1       141    1784033    7.9
1-4      926    7065148   13.1
5-14    1253   15658730    8.0
15-24   1080   10482916   10.3
25-34   1869    9939972   18.8
35-44   4891   10563872   46.3
45-54  14956    9114202  164.1
55-64  30888    6850263  450.9
65-74  41725    4702482  887.3
75-84  26501    1874619 1413.7
85+     5928     330915 1791.4

, , 1940

      Deaths Population   Rate
<1        45     906897    5.0
1-4      201    3794573    5.3
5-14     320   10003544    3.2
15-24    670   10629526    6.3
25-34   1126    9465330   11.9
35-44   3160    8249558   38.3
45-54   9723    7294330  133.3
55-64  17935    5022499  357.1
65-74  22179    2920220  759.5
75-84  13461    1019504 1320.3
85+     2238     142532 1570.2
ageadjust.indirect(count, pop, stdcount, stdpop, stdrate = NULL, conf.level =0.95)

count: 年齢別イベント数のベクトル
pop: 年齢別の人年または人口推定値のベクトル
stdcount: 年齢別の標準カウントのベクトル stdpop: 年齢別の標準的な人口のベクトル stdrate: 年齢別の標準率のベクトル conf.level: 信頼度 (デフォルト = 0.95)

基準は1960年として、1940年の年齢調整値を計算する。

dth40: 1940年の死亡者 pop40: 1940年の人口 dth60: 1960年の死亡者 pop60: 1960年の人口

ageadjust.indirect(
  count = dth40, pop = pop40, stdcount = dth60, stdpop= pop60)

標準化罹患比(SIR): standardized incidence rate

$sir
    observed          exp          sir          lci          uci 
7.105800e+04 8.555689e+04 8.305351e-01 8.244509e-01 8.366642e-01 

$rate
 crude.rate    adj.rate         lci         uci 
0.001195286 0.001379415 0.001369309 0.001389594 

ブルデュー『ディスタンクシオン』輪読会第27夜 覚書

旧版p.261の8行目から。

ハビトゥスの説明、分類であり分類する動的なもの

経済的・社会的条件(すなわち共時的・通時的にとらえられた資本の量と構造)の関与的特徴と、生活様式空間においてそれに対応する位置に結びついた弁別的特徴とのあいだに事実上成立する関係は、分類可能な慣習行動や生産物と、これらの慣習行動や作品を弁別的記号の体系として構成するようなもろもろの判断(それら自身もやはり分類されている)とを両方同時に説明できるような生成方式としてハビトゥスを構築するのではないかぎり、理解可能な関係にはならない。(p.261)

以下の2つを両方同時に説明できるのがハビトゥス

  • 分類可能な慣習行動や生産物
  • これらの慣習行動や作品を弁別的記号の体系として構成するようなもろもろの判断

ハビトゥスは構造化する構造であるとともに、構造化された構造でもある

ハビトゥスは構造化する構造、つまり慣習行動および慣習行動の知覚を組織する構造であると同時に、構造化された構造でもある。なぜなら社会界の知覚を組織する論理的集合(クラス)への分割原理とは、それ自体が社会階級への分割が身体化された結果であるからだ。各々の存在状態は、そこに本来そなわっている諸特性によって規定されると同時に、これと切り離しがたいかたちで、もろもろの存在状態の体系----それはまた差異の体系、差異を表わす位置の体系でもあるわけだが----における位置づけしだいで決まる相対的諸特性、つまりその存在状態をそれ以外のあらゆるものから、とりわけそれが対立しているあらゆるものから区別するすべてによってもまた、規定されている。(p.263)

動的モデルへのこだわりが主張されている部分である。

図8 の用語

図8自体はそれほど難しくない。ただ、図8がわかって本文が分かりやすくなるか、というと実はそうでもないという図版でもある。『ディスタンクシオン』にはこういった謎図版や謎写真が多い。

f:id:iDES:20211016150008p:plain f:id:iDES:20211016150019p:plain

単数形の趣味・複数形の趣味

p.262の図式にある「単数形の『趣味』」なる言葉。

日:知覚・評価図式の体系(単数形の「趣味」)
仏:système de schemes de perception et d'appréciation(«le gout»)

日:分類されかつ分類する慣習行動すなわち弁別的記号の体系としての生活様式1 (複数形の「趣味」)
仏:style de vie 1, comme système de pratiques classées et classantes i.e. de signes distinctifs («les goûts»)

単数形というのは«le goût»であり複数形は«les goût»である。 微妙な表現な気がするのだが、あえて言うと、le goûtは味や味覚といった感覚のことを指し、les goûtは味わい、嗜好など具体的な慣習や行為を示しているのではなかろうか、ということだろう。

訳者泣かせの記述である。
とはいえ、この部分はまったく無くても理解できないことはないので、どうでもいい部分かもしれない。

図式

図式はschèmeである。けっこう、これはカントっぽい所。

作品 « œuvre »

f:id:iDES:20211016150758p:plain

作品というと、絵画・音楽・文学などを連想してしまう。ただ、その意味だと「慣習行動または作品の生成」の「または」の前と後ろがアンバランスである。

système de schemes générateurs de pratiques ou d'oeuvres classables

« pratique »が慣習行動でouでつながれていてその後の« d'oeuvres »が作品である。« œuvre »は英語では"works"であり、日本語では「作品」である。

フランス語では下記のような意味があるようだ。

œuvre

www.larousse.fr

  1. 任意のエージェントによって実行される仕事、タスク、アクション:長い期間の仕事。
  2. 仕事、行為の結果としての物体、システムなど。
  3. 心の生産、才能の生産;文章、絵画、音楽作品など、あるいは作家、芸術家の生産物の全体。
  4. 宗教的、道徳的、社会的または慈善的な目的を持つ組織:慈善団体に寄付をすること。

œuvres

www.larousse.fr

  1. 道徳的または宗教的な観点から判断された人間の行動、特に自分の救済のために行われる行動のこと。
  2. 慈善的、博愛的な組織。

芸術作品の作品だけではなく、仕事、宗教的、道徳的、社会的、慈善的な行為といった意味がある。そういった広い意味で使われているのだとすると理解はできる。

メタフォール

ハビトゥスはたえず実践レベルでのメタフォールを生みだす。(p.264)

メタフォールはフランス語« métaphores »をカタカナにしたものである。英語ではメタファー、日本語では暗喩・隠喩である。英語のほうが一般的なのでメタファーと書いたらいいのに、と思ったりもしたが、これは、フランス現代思想を連想せよ!という訳者石井さんの親切心なのではないのか? とメンバー間でだいたい意見が一致した。

エクリチュール

エクリチュール キタ―――(゚∀゚)―――― !!

たとえば「筆跡」と呼ばれる性向、つまり文字を描く各々独自の方式(p.265)
la disposition que l’on appelle « écriture », c’est-à-dire une manière singulière de tracer des caractères,

この文章は「筆跡」の話もしているので、日本語訳は筆跡で良いのだろう。しかし、日本語の筆跡として読みすすめると、文章の意味が分からない。そのあたりは日本語では諦めるしかないのが、これはダブルミーニングだと考えたほうが合理的である。原文が« écriture »だとわかると、ブルデューの言わんとしていることが分かったと個人的には感じている。

いわゆる「匂わせ」である。

密かに引用されているのは、おそらくこの人の著作である。

f:id:iDES:20211016150106j:plain

デリダの『エクリチュールと差異』を社会の事象に援用しつつ、ハビトゥスの説明を現代思想風に説明をしているといった形だと、「ああそういうことか」と一応納得ができる。
ハビトゥスのメタフォールの説明を、現代思想のメタフォールで行う形になっていする。なんだかすごく現代思想的である。

ブルデューの文章には「匂わせ」が多く含まれている。
読解をするだけであれば、無視をすればいい。
そもそも今まで読み込んだところだけで言えば、「匂わせ」がわかったところで、なにか新しいことがわかったということはほとんどなかったからだ。

今回は、メンバーの言い方だと、これは「フランス現代思想マウンティング」とのことだ。

記号そのものでは意味をなさない

つまりそれらを相関的特徴の体系からはがしとって扱う傾向のある調査研究は、各々の点について階級間の隔差を、とくにプチブルブルジョワとの距離を縮小してしまう傾向がある。たとえばブルジョワ生活の普通の状態においては、芸術や文学、映画などについてのありきたりの意見でも、それを語る人の重みのある落ち着いた声、ゆったりとした麿揚な語り口、冷ややかなあるいは自信にあふれた微笑、節度ある身振り、仕立ての良い服、ブルジョワ的サロンなどがこれに結びついているのである。

記号そのものの持つ差異性というのは決定的ではないという話である。個心的にここは興味深いと思ったので、まとめに入れてみた。

2つ論点がある。

文化が時代とともに位置づけが変わっていくもの、という捉え方。ディスタンクシオン図5と図6(https://ides.hatenablog.com/entry/2021/09/26/141757)ではゴッホやウォーホルが文化資本が高いと書かれているが、現代ではすっかり位置づけが変わってしまっている。特に日本人はゴッホが好きと言われるくらいマスに訴求できるコンテンツになっており、クレラー=ミュラー美術館展になるところがゴッホ展になるほどである(https://www.tobikan.jp/exhibition/2021_vangogh.html)。ウォーホルは陳腐化してしまっている。

このメカニズムの説明は『ディスタンクシオン』の中にもよく登場している。マーケティング用語でいうと、アーリーアダプターがもてはやしていたものが、レイト・マジョリティーに移ると、差異化のツールとして使えなり、ラガードが使い始めると、もはやダサいのである。

もう一つの捉え方が、状況的な捉え方だ。荻野昌弘先生が『文化遺産社会学』などで詳しく述べている。簡単に言うと、芸術品はそれそのものに価値があるから価値があるのか、美術館で価値があるように展示されているから、価値があると皆が思うようになるのか、ということである。

よく知られた例でいうと、便器にサインを書いて「泉」というタイトルで展示すると美術品になるといったケースである。マルセル・デュシャンは1917年に「ニューヨーク・アンデパンダン」展にこの出品しようとしたが協会に出品を断れている。協会側は買ってきた便器にサインをしたものが作品だと認められないと考えたのだろう。協会側は作品そのものに芸術性があるか否かで判断したわけだが、芸術というものは、状況によって規定されるものだというのがデュシャン的であり、現代美術的な視点なのだ。

一応、文化的な表象だけを調査しても、文脈依存だから誰がどういう状況でその表象を用いたか、という所を調べないとダメですよ、ということである。つまり、物は便器でも、泉という作品なので、物だけ調べても意味ないですよ、とブルデューは言っているわけだ。この比喩はハビトゥス全体に当てはまるものでもある。

趣味 « les goût » は連続的なものを質的に分断するもの

したがって趣味とは、事物から判明にして弁別的な記号への、すなわち連続的分布から非連続的対立関係への転換を操作する、実際上の作用因である。それは物体の物理的秩序のなかにしるされている差異を、意味をもつさまざまな区別の象徴的秩序へと接近させる。つまりそれは、客観的に分類された慣習行動----そのなかである存在状態が(趣味を介して)それ自身を意味するような慣習行動----を、分類する慣習行動へ、すなわち階級の位置の象徴的表現へと変容させるのだが、この変容はこれらの慣習行動をその相互関係のなかで、また社会的分類図式との関連においてとらえるということによっておこなわれる。(p.267)

重要そうではあるが、重要じゃないかもしれない。
質的に分断し、階級の位置の象徴的表現とするものが趣味« les goût »だということのようだ。文章は理解できるが、ちょっと何を言っているのかわからない。

趣味 « les goût » は与えられたもの

だが、こうした源泉に客観的に適合する慣習行動を支配しているのは、必要趣味であれ贄沢趣味であれとにかく趣味なのであって、収入が少ないか多いかといったことではない。つまり人が自分の好きなものをもっているのは、自分がもっているものを好きになるから、すなわち配分上実際に自分に与えられ、分類上自分に割り当てられている所有物を好きになるからなのだという事態を、趣味はもたらすのである。(p.268)

ある程度、ハビトゥスは再生産の過程において、継承されていくのだろうが、個人的な感覚からというと、後天的にかわる変わる気がする。少なくとも現代においては。

そうすると、ハビトゥス論は成り立たなくなるから、という話ではある。日本で、現代でハビトゥス概念がいまいちピンとこないと、様々な人が言っているはずだが、その原因はこのあたりにあるのではないだろうか。

禁欲的エートスとクレジット

今回、読解できなかった所である。

あるいはこう言ったほうがよければ、そのハビトゥスを実践にうつすための特殊条件によって要請される体系的移動を、生みだすのだ。たとえばつねに節約というかたちで現われるであろうと予想することもできたはずの同じ禁欲的エートスが、ある特定の文脈においては、クレジットを利用する特殊な方式のなかに現われてくることもありうるといった具合である。(pp.254-5) c’est-à-dire, dans un autre langage, des transferts (dont le transfert d’habitudes motrices n’est qu’un exemple particulier) ou, mieux, des transpositions systématiques imposées par les conditions particulières de sa mise en pratique, le même ethos ascétique dont on aurait pu attendre qu’il s’exprime toujours dans l’épargne pouvant, dans un contexte déterminé, se manifester dans une manière particulière d’user du crédit.

節約と禁欲的エートスが一緒にあるのは理解できるが、クレジットとは信用を対価とした資金の前借の話なので、むしろ逆の話なのでは?という疑問があるわけだ。疑問なのは特にこの部分。

le même ethos ascétique dont on aurait pu attendre qu’il s’exprime toujours dans l’épargne pouvant

節約 « épargne »

節約で私たちが思い浮かべるのは「今月はお金がないので節約します」みたいなものだと思うので、フランス語では« économiser »になる。しかし« épargne »なので、少し掘る必要がありそうだ。

épargne

www.larousse.fr

  1. 経済主体の収入のうち消費されない部分で、資本を蓄積するために使われるもの。
  2. 使わないお金を置いておくこと、節約すること: 節約の結果、彼は小さな資本を築いた。
  3. 何かを使用する際の経済:時間の節約。

節約というよりも余剰資本に近い意味合いととった方がよさそうだ。

禁欲的エートス « ethos ascétique »

おそらくマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の引用で間違いない。仏語で検索すると教会関係のページがたくさん出てくるが、キリスト教的な意味ではないだろう。

『プロ倫』のあらすじは以下のようなものである。カルヴァン派では予定説というものがあり、誰が救済され誰が救済されないかが事前にわからない。そのため、信仰を深めるには、自身の仕事に打ち込むことになった。いわゆる「天職」というものである。しかし、世代が変わるとそもそもの原動力となった信仰心というものが脱落してしまい、一所懸命働くというもの=禁欲的エートスは残ったという話である。ちなみにこのメカニズムがウェーバーにおける「合理化」である。

ある状況下でクレジットを使用する « particulière d’user du crédit »

禁欲的エートスによる余剰資本の蓄積とある状況下でのクレジットの使用は下記の具体例として出てくる。

ある一人の行為者がおこなうすべての慣習行動や仕事は、さまざまな場にそれぞれ固有の論理が要請する転換操作によって、同一の構造化する構造(作りだす方法)が生みだす多様な構造化された生産物(作りだされた作品)であり、ことさらにそこに一貫性を探そうとしなくてもそれらのあいだでたがいに客観的に調和しているし、また意識的に他と協調させようとするまでもなく、同じ階級のあらゆる人々の慣習行動や仕事と客観的に協和しているものである。ハビトゥスはたえず実践レベルでのメタフォールを生みだす。つまり別の言いかたをすればもろもろの転移(推進力となる習慣の転移はそのひとつの特殊例にすぎない)を、あるいはこう言ったほうがよければ、そのハビトゥスを実践にうつすための特殊条件によって要請される体系的移動を、生みだすのだ。

このパラグラフもかなり意味が取りにくい。「ハビトゥスはたえず実践レベルでのメタフォールを生みだす。」というのが重要なので、そこだけでもOKのような気がする。

ディスタンクシオン』では「別の言いかたをすれば」みたいに、一見、親切に具体例や言い換えをしていくれる箇所が多数ある。しかし、私たち読者の期待を裏切り、具体例や言い換えをした箇所こそ、むしろさっぱりわからないのだ。結論としては、ブルデューの書き癖だ、ということなのだが「あまりこういう書き方は良くないよねー」と当たり前のことながらメンバー間で意見は一致した。

暫時的な結論

メンバーの仮説を少しまとめてみよう。

ビジネスを考えると余剰資本を上げることを目的として営利企業は存在するが、時にクレジットによって資金調達をして設備投資などをする。営利企業のなかでは、相反するものが、行動原理として成り立つこともある。ブルデューが述べているのは会社組織ではなく、個人の行動・ハビトゥスについてだが、個人レベルでの話に落とし込めばよいのではないだろうか。

一応、考えつく限り、こういったことを言っているのではないか、という話にはなった。

しかし、これが正しい保証はない。

少なくとも「クレジットを利用する特殊な方式」の「特殊」とは何かがわからない。ブルデューをイタコ芸で降ろしてみなたいと分からん、ということにはなった。

"se manifester dans une manière particulière d’user du crédit"を「クレジットを利用する特殊な方式のなかに現われてくることもありうる」と石井さんは翻訳しているが、「クレジットのある特定の使用方法に現れることもある」くらいで翻訳しておけば、ひっかかりは少なかったかもしれない、とは少しおもった。

余談

1979年のクレジット・カードの利用と現代のクレジット・カードの利用は言うまでもなく、大きく変わっている。欧米だと、現金を持ち歩かない生活がかなり前から一般化していて、日本でも電子マネーやクレジットカードの普及によって近年、決済方法が大きく変わった。

最近、お店で買い物をするときに、時々悩むことがある。

「クレジット・カードも使えます、suicaEdyも使えます、paypayも使えます、どれにしますか?」というものだ。楽天カードがあれば、楽天カードで1%、Edyにチャージすると0.5%、合わせて1.5%還元があるので、還元率がコストに比例して比較的高い。個人的な基本戦略はEdyを使うことなのだが、paypayという少し厄介なものもある。

paypayは始まったころは、高額の還元があったが、最近は、キャンペーンをしている時くらいしか、まともな還元がない。執筆時現在の最大20%還元キャンペーンは店側から手数料をとるようになった対策をしているが、このキャンペーンも早晩終わるはずなので、paypayはどこで使うんでしょうね、というのが割と謎になってきている感じがする。

もちろん、インターネット通販でカード情報を入れるのはできるだけ控えた方がいいので、paypayの使いどころはある。海外通販でpaypalを使うようなものだ。

現代の私たち(ではなく僕かもしれない)は現金を使わないためにクレジット・カードや電子マネーを利用し、ポイントを細々と稼ぐために、決済手段の選択をしている。通販では安全性を考え、決済手段の選択をしている。

クレジットの持つ意味も大きく変わってしまった。

弁証法的関係

前回の積み残しで主催の先生に説明いただいた部分。具体的な箇所は以前のエントリで挙げたところだ。

ides.hatenablog.com

端的にまとめると、プラトンの「ディアレクティケー」まで考える必要はなく、ヘーゲル的な理解でいいんじゃないかとことである。 「正反合」はよく聞く話だが「ボケ・つっこみ・オチ」が弁証法の一つと言っている人もいるという新情報も得た。「つっこみ」といっても多種多様なので、つっこみとはと語るのは間違いの元なのだが、だいたいの場合、つっこみはボケがいかにしてボケているかを明示しつつ、観客に正しいボケの理解の仕方を教えてくれるものと位置づけられ、そのことによってボケが笑いに昇華するので、ちょっと違うのかもしれないとはおもった。しかし、つっこみの理解次第では、この解釈への評価もかわるのだろう。

ヘーゲルマルクスの違いについても触れられたが、唯物論的な弁証法を知るには、個人的にはこの本が良いのではないか、と思ったのだが、言い忘れたのでメモっておこう。

この中に、「ヘーゲル哲学の批判」という論考が収められていて、ヘーゲルってキモいよね、的な話をしているので、輪読会の中で話していたことに近い内容が含まれている。

マルクスだと下記の本が代表例。「ヘーゲル法哲学批判序説」の方だ。

当時は、弁証法的関係みたいな言いまわしが流行っていたんでしょう、ということに。

システム論と言い換えてもよさそう(ルーマンじゃないやつ)と個人的にはおもった。

当時の流行で言えば「構造化する構造」みたいな言い方も流行った、みたいな話が出た。構造主義を引用する現代思想でそういう言い回しが出てきた記憶があるので、時代性を感じる会だった。

森建資『雇用関係の生成 イギリス労働政策史序説』

honto.jp

マルクスの話の流れで、いい本なんだけど絶版で手に入らないという話題で出てきた本。読んでないので想像の域を出ないが、日本でも農業資本主義が江戸中期には確立していて、日雇い労働・賃労働が確立していたことが実証主義的な歴史学者たちによって明らかにされている。『ディスタンクシオン』とは関係ないが、このあたり掘るといろいろ面白そうだとは思う。

女性の話が出てこないのはなぜ?

ディスタンクシオン』を読んでいて最近、思っていたのは、ブルデューはずっと男性の話をしていることである。1979年といえば、フランスにはボーヴォワールもいれば、時代的には第2次フェミニズム運動の影響も受けていたはずである。差異化の最たるものの一つは服装であって、女性を外して語るのには無理があるのではないか、というのが現段階での感想だ。

ファッションと階級

女性はズボン(パンツ)が履かなかった・履けなかったという話。

www.elle.com

フェミニズムでは、コルセットについてよく書かれるのだが、その後の、ガブリエル・シャネルイヴ・サンローランの存在は忘れがちである。女性がズボン(パンツ)を履くことができるようになったのはこの2人の影響が大きい。シャネルのことを言う人は時々いるが、サンローランについて語る人がいないのは謎の一つである。サンローラン人は、パンツルックも功績の成期の一つだが、他にもランウェイで有色人種を初めて起用したりと、様々な改革をしてきた人である。ファッション業界という差異化のメカニズムの真っただ中にいた人ではあるが、差異化のメカニズムで社会変革に貢献した人物でもある。

ファッションにおけるジェンダーレスは女性が男装をすること、とちゃんと書いてある記事を見つけた。

www.elle.com

全体的にはガリアーノのメゾン・マルジェラの話だが、ちょっと特殊すぎるように思う。

服作りを通して階級にアプローチをしようとしている人たちもいる。
ルメール」のクリストフ・ルメールとサラリン・トランのインタビューから。

www.houyhnhnm.jp

世の中にはいまだ階級というものが厳然としてあり、その階級をあらわす服があることも知っています。私たちは、そういうものも取っ払って、人間の内面に迫りたいんです。

これが実現してしまうと、これはこれで大変だな、とは思うが、興味深い取り組みだとは思う。

次回

p.268 諸空間の相同性から。

直接法による年齢標準化と信頼区間[R]

epitoolsパッケージを用いた直接法による年齢標準化(調整)率および「正確な」信頼区間の算出。

こちらの例から。

www.rdocumentation.org

データはこの本からとられている。

3版、640ページの表。

f:id:iDES:20211014031349p:plain

詳細

異なるグループ(地域、民族など)の率を有効に比較するためには、しばしば年齢分布の違いを調整して、年齢による交絡の影響を取り除く必要がある。イベント数や率が非常に少ない場合(地域研究ではよくあること)、信頼区間を計算する通常の近似法では、信頼下限が負の値になることがある。この一般的な落とし穴を避けるために、正確な信頼区間を近似することができる。この関数はこの方法を実装している(Fay 1997)。オリジナルの関数はTJ Aragonによって書かれ、Anderson, 1998に基づいている。この関数は、MP Fayにより、Fay 1998に基づいて書き直され、改良された。

library(epitools)
## Data from Fleiss, 1981, p. 249/ 3rd version 2003, p. 640
population <-
  c(230061, 329449, 114920, 39487, 14208, 3052,
    72202, 326701, 208667, 83228, 28466, 5375, 15050, 175702,
    207081, 117300, 45026, 8660, 2293, 68800, 132424, 98301, 
    46075, 9834, 327, 30666, 123419, 149919, 104088, 34392, 
    319933, 931318, 786511, 488235, 237863, 61313)
population <- matrix(population, 6, 6, 
dimnames = list(c("Under 20", "20-24", "25-29", "30-34", "35-39",
"40 and over"), c("1", "2", "3", "4", "5+", "Total")))
population

populationデータ。

                 1      2      3      4     5+  Total
Under 20    230061  72202  15050   2293    327 319933
20-24       329449 326701 175702  68800  30666 931318
25-29       114920 208667 207081 132424 123419 786511
30-34        39487  83228 117300  98301 149919 488235
35-39        14208  28466  45026  46075 104088 237863
40 and over   3052   5375   8660   9834  34392  61313
count <- 
  c(107, 141, 60, 40, 39, 25, 25, 150, 110, 84, 82, 39,
    3, 71, 114, 103, 108, 75, 1, 26, 64, 89, 137, 96, 0, 8, 63, 112,
    262, 295, 136, 396, 411, 428, 628, 530)
count <- matrix(count, 6, 6,
                dimnames = list(c("Under 20", "20-24", "25-29", "30-34", "35-39",
                "40 and over"), c("1", "2", "3", "4", "5+", "Total")))
count

countデータ。

              1   2   3   4  5+ Total
Under 20    107  25   3   1   0   136
20-24       141 150  71  26   8   396
25-29        60 110 114  64  63   411
30-34        40  84 103  89 112   428
35-39        39  82 108 137 262   628
40 and over  25  39  75  96 295   530

平均人口を基準とする

standard<-apply(population[,-6], 1, mean)
standard

年齢階級別の平均値

   Under 20       20-24       25-29       30-34       35-39 40 and over 
    63986.6    186263.6    157302.2     97647.0     47572.6     12262.6 

Fay and Feuer, 1997の表1の再現

ageadjust.direct()を用いる。

stdpopのデフォルトは0.95。

birth.order1<-ageadjust.direct(count[,1],population[,1],stdpop=standard)
round(10^5*birth.order1,1)

birth.order2<-ageadjust.direct(count[,2],population[,2],stdpop=standard)
round(10^5*birth.order2,1)

birth.order3<-ageadjust.direct(count[,3],population[,3],stdpop=standard)
round(10^5*birth.order3,1)

birth.order4<-ageadjust.direct(count[,4],population[,4],stdpop=standard)
round(10^5*birth.order4,1)

birth.order5p<-ageadjust.direct(count[,5],population[,5],stdpop=standard)
round(10^5*birth.order5p,1)
crude.rate   adj.rate        lci        uci 
      56.3       92.3       80.4      105.8 
crude.rate   adj.rate        lci        uci 
      67.6       91.2       82.4      100.9 
crude.rate   adj.rate        lci        uci 
      83.3       85.1       77.2       94.2 
crude.rate   adj.rate        lci        uci 
     115.5       92.7       80.0      114.7 
crude.rate   adj.rate        lci        uci 
     167.1       75.5       67.7      188.3 

crude.rate
粗(未調整)レート
adj.rate
年齢調整後のレート
lci
下限信頼区間限界
UCI
上側信頼区間限界

参考文献

Fay MP, Feuer EJ. Confidence intervals for directly standardized rates: a method based on the gamma distribution. Stat Med. 1997 Apr 15;16(7):791-801. PMID: 9131766 Steve Selvin. Statistical Analysis of Epidemiologic Data (Monographs in Epidemiology and Biostatistics, V. 35), Oxford University Press; 3rd edition (May 1, 2004) Anderson RN, Rosenberg HM. Age Standardization of Death Rates: Implementation of the Year 200 Standard. National Vital Statistics Reports; Vol 47 No. 3. Hyattsville, Maryland: National Center for Health Statistics. 1998, pp. 13-19. Available at http://www.cdc.gov/nchs/data/nvsr/nvsr47/nvs47_03.pdf.

アンケートにおけるマルチアンサーの処理[Excel]

ウェブアンケートツール、例えば、Googleフォームで「チェックボックス」を指定して、マルチアンサー形式にした場合、一つのセル内に、選択したものすべてが表示される。

アカウントを持っているサービスをすべてチェック
Google, Microsoft, Zoom
Microsoft, Zoom

これを下記のように整理したい場合。

アカウントを持っているサービスをすべてチェック Google Microsoft Zoom
Google, Microsoft, Zoom 1 1 1
Microsoft, Zoom 0 1 1

下記のようなコードを書くと処理できる。

=IF(COUNTIF(A2,"*Google*"),1,0) 

通常"Google"と書くところを前後にアスタリスクを入れて"*Google*"と入れる。

子どものネット依存脱却へ リアルなつながり、周囲の支えが鍵(毎日新聞)

mainichi.jp

ほめることです。それも、子どもが具体的にしたことをほめる。ネット依存傾向の子どもたちは「私なんか」と自己否定感が強いです。「野菜が上手に切れたね」などとほめていくと自信につながり、目標を作り、実現しようという力が生まれるんです。小学生がネットゲームがやめられず相談に来ることが増えました。「欲に負けちゃう」と。子どもの悲鳴です。知った大人には手助けする責任があります。(竹内和雄・兵庫県立大准教授)

ほう。

ゲーム障害と自尊心の研究はそれほど多くない。おそらく一番有名なのはこれ。

bmcpublichealth.biomedcentral.com

親の夫婦間の葛藤は、父と子の愛着の低さを通じて子どものIGD特徴の増加と関連しており、ひいては子どもの自尊心の低さと関連していた。
結論 親、特に父親は、子どもがIGDを発症するリスクを減らすために、子どもとの絆を深める努力をすべきである。

夫婦間の葛藤、父親とのつながりの希薄さにより自尊心が低下して、インターネットゲーム障害が増加するという研究があるので、家庭の問題なのでは?と思うが。

アスピン・オーセットの自己紹介動画

Espen Aarsethさんが何かを受賞した時のインタビュー。


www.youtube.com

ノルウェーの人のようだ。北欧の人とか東欧の人の名前は基本、読めないのだが、YouTubeの普及で自己紹介動画や講演動画を見つけて確認できるようになった。 アスピンなのか、エスピンなのかは日本人の耳次第だが、僕には「ア」と聞こえている。

社会福祉で有名なイエスタ・エスピン・アンデルセンはGøsta Esping-Andersen。ちなみにデンマーク人。

インタビュー日本語訳

私の名前はアスペン・オーセットです。もともとはノルウェー出身で、2003年からデンマークに来ました。。ずっとコンピュータゲームの研究をしています。

私の研究は、コンピュータゲームを基礎的な観点から理解することで、つまり基礎研究ですね。小説、詩、演劇、芝居、彫刻、芸術全般を見るのと同じように、コンピュータゲームを見ようとする人文学的な基礎研究ですね。

ESCアドバンスト・グラントを受賞したからといって、私の人生が変わるわけではありませんが、実際にはこの言葉は正しいと思います。なぜなら、これは最高の栄誉だからです。コンピュータゲームにはノーベル賞がありませんからね。

また、コンピュータゲーム研究の分野が、私だけではなく、この分野がそのような投資に値すると認められたことを意味します。

コンピュータゲームは非常に多くの異なる要素を持っているので、私たちがコンピュータゲームをどのように理解しているかを理解すること自体が画期的なことなのです。

なぜなら、あまりにも多くの異なるものがあるため、長い間、非常に混乱していたからです。

wikipedia

en.wikipedia.org

ブルデュー『ディスタンクシオン』輪読会第26夜 覚書

階級脱落と再階級化の弁証法的関係

あらゆる種類の社会過程の原理になっている階級脱落と再階級化の弁証法的関係は、関係しているすべての集団がみな同じ方向に、同じ目的に向かって、同じ特性をめざして走っているということを前提とし、また要求する。その定義からして後続集団には到達することのできぬものである。なぜならそうした特性はそれ自体どんなものであるにせよ、他の集団から先頭集団を分かつ弁別的稀少性によって限定され特徴づけられるものであって、その数が増加し一般に広まってゆくことによって下位集団にも手の届くものになってしまうやいなや、それらの特性はもはや本来の姿のままではなくなるであろうからだ。だから一見逆説的なことではあるが、秩序=順序の維持、つまりさまざまな隔差、差異、順位、席次、優先権、独占権、卓越性、序列的特性、したがって社会形成にその構造を与えるさまざまな順序関係の総体の維持は、実体的な(というのはつまり関係的ではない)諸特性の絶えざる変化によって保証されているのである。


このメカニズムを理解すること、それはなによりもまず、永続か変化か、構造か歴史か、再生産か「社会の産出」か、といった学問上の二者択一をめぐって生じる議論のむなしさを知ることである。こうした議論は実際のところ、次のような諸事実を根本的になかなか容認することができない。すなわち、社会的矛盾と闘争はかならずしもつねに、既成秩序の恒久化と相容れないわけではないということ。「二項対立的思考」の対照法を超えて、永続性が変化によって、恒久的構造が運動によって、それぞれ逆に保証されることもありうるのだということ。(pp.254-255)


このメカニズムを理解することは、基数的〔基本的・実体的〕と呼ぶことのできる諸特性を根拠として労働者階級の「ブルジョワ化」を口にする人々も、序数的〔序列的・相対的〕な諸特性をもちだして彼らに反駁しようとする人々も、自分たちのとりあげている現実のたがいに矛盾した側面が、じつは同じひとつのプロセスの切り離せない側面なのだということに気がつかないという点では、明らかに共通しているということを理解することでもある。(p.255)

今回は主催の先生が体調不良でお休みだったので、こちらは次回へ持ち越し。
ブルデューマルクスの補完的な理論展開をしているという流れの部分の一つ。

進化論者

(進化論者のたてたモデルが意味深いものであることがわかる)(p.253)

特定はできないがハーバート・スペンサー
スペンサーはあまり勉強していないので、よくわからない。

クレジット

このシステムがクレジットによる購入という方式に大きな価値を認めているのは偶然ではない。(p.253)

差異化の中で先行者に追いつくために、クレジット払いで今買えないものを、買っていくという表現。
高度経済成長下ではインフレが起こり、借金をしても額面はそのままに実質的には減額されるため、利息は負担にはならない。経済システムだけで考えても、様々な購入を促すような動きになる。
ブルデューは経済的側面については触れておらず、差異化に用いるチート的なツールとして「クレジット」を持ち出している。

ブルデューの記述からは逸脱するが、経済と文化はある程度、共犯関係にあるということ、成長とインフレが背景にあるからこそ、差異化の動きが活発化するのではないか、と読書会ではこの部分は読んだ。

ブルデューが『ディスタンクシオン』を出版した1979年から時代は大きく変化した。
経済成長が安定化し、日本では特にこの20年あまりのあいだ、デフレの期間が長く、差異化のチートツールであるクレジットが使いづらい状況が続いた。そういう時代では単線的な「正統性」を皆で追いかける差異化の運動は起こりにくく、価値観の多様化が進んだのではないか、というようにも読んだ。

「正統性」はある程度存在はしているものの、山は一つではなく、いくつもの山があり、それぞれの差異化が生じるようになったのではないか、という話をした。

余談、サブカルしぐさと差異化

サブカルしぐさ」の話をしつつ、僕が「下北沢って何がいいのかわからなかった」と言ったので、下北とはなんぞや、ということをメンバーからいろいろと教えてもらった。

後々、思ったこと。『花束みたいな恋をした』の麦と絹(主人公たち)は修羅の世界で生きているのだろうか、とやや怖くなった。互いが好きなコンテンツが不思議なくらい多かった二人だが、コンテンツの消費は差異化のメカニズムによって増大・高度化していくので、2人のあいだでも差異化は生じていたのだろう。

eiga.com

2人は京王線の府中と飛田給に住んでおり、明大前で終電を逃すところから物語が始まっている。明大前にいたのでは明大の学生なく、明大前はサブカルの人たちの生息地だからだろうと理解していた。例えば、下北沢歩いて行って、 本多劇場スズナリで演劇でも観ているのかなと勝手にイメージしていた。東京のサブカル好きの人たちの文化と動線についてよくわかっていないので詳しい人に確認してみたくなった。

方法論的全体主義

ある人々の行為はあらゆる相互作用や波及作用の外で、ということは客観性のなかで、集団的・個人的支配統御の外で、そして多くの場合は行為者の個人的・集団的利益に反して他の人々の行為にさまざまな外的効果を及ぼすが、そうした効果によって統計的にしか合計されない作用や反作用を通して、この社会構造の再生産は実現されうるのだ(注43)(p.255)。


注43 こうした統計的行動プロセスの最たるものは、パニックや、戦闘における潰走のプロセスである。これらのプロセスにおいては各行為者が自分の恐れている効果によって決定される行動をとってしまうことで、かえって自分の恐れているものに加担する結果になるのだ(財政上のパニックのケースがそれである)。これらすべての場合において、たがいに連関していない個人行動の単なる統計的総括にすぎない集団行動は、集団の利益にも、また個人行動が追求している個々の利益にさえも還元できないような、あるいはそれらに背反するような、集団的な結果に至ってしまうのである(このことは、階級の将来についての悲観的な見通しがその階級に属する人々のやる気を失わせ、階級全体の下降へとつながってゆくようなときにはっきり見てとれる----つまり下降階級の人々は数々の行動によって集団全体の下降に加担してしまうのであり、たとえば職人層が学校教育制度にたいして、若者たちを本来つくべき職からそらせてしまうものとして非難を加えながらも、自分の子弟にはちゃんと学業を修めるようにさせようとしたりするケースがその例である)。(p.428)

方法論的個人主義ではないものがあるという記述である。
フランス社会学だけにというか、デュルケームの「集合意識」「社会的潮流」的な話である。
ただ、意図するところは、文意としては、マートンの「逆機能」とか「意図せざる結果」といったものに近いことが書いてあるようだ。

3章 ハビトゥス生活様式空間

切りの良いところで終わらず、だいたい1回10ページは進むことを目的にしている会なので、そのまま続行。

ハビトゥスとは

ハビトゥスとはじっさい、客観的に分類可能な慣習行動の生成原理であると同時に、これらの慣習行動の分類システム(分割 principium divisionis)でもある。表象化された社会界、すなわち生活様式空間が形成されるのは、このハビトゥスを規定する二つの能力、つまり分類可能な慣習行動や作品を生産する能力と、これらの慣習行動や生産物を差異化=識別し評価する能力(すなわち趣味)という二つの能力のあいだの関係においてなのである。(p.261)

比較的重要な部分。

それはさておき、「趣味」という訳語は少し気をつけなければいけない。原文は"goût"であり、第一義には「味」「味覚」だが、もう少し多様な意味を持つ。例えば、仏仏辞典には次のような意味が掲載されている。

www.larousse.fr

  1. 五感のひとつで、食べ物の味や成分を知ることができる。
  2. 何かの味、味覚で認識できる特性 。
  3. 集団や時代の美的基準に沿って、何が美しいか、何が醜いかを見分ける能力。
  4. 食べ物や飲み物、何かや誰かに惹かれること。

ここでの翻訳語はどちらかというと「嗜好」が近いのではないかという指摘があった。また「趣味がいいですね」の「趣味」であり、英語でいう"hobby"ではない、ということのようだ。英語でも"taste"は「味」を意味しつつ、「嗜好」「審美眼」「センス」「味わい」「おもむき」「分別」といった意味もある。"goût"に該当する日本語はないが、英語であれば"taste"でよさそうだ。

謎の物体

今回の範囲には「察してくださいね」という意図で挟まれた6枚の写真がある。生活空間に置かれた物や衣服などを通して「階級」がわかるという写真なのだが、今回「謎」として残ったのは下記の物体である。

f:id:iDES:20211010025138p:plain

サスペンダーとは何か

6枚の写真の中にサスペンダーを着用している人がいた。

f:id:iDES:20211011022120p:plain

そういえば最近の人はサスペンダーをしないですね、という話になって、サスペンダーは文化的にどんな位置づけのものなのだろう、と調べた。

bancraft.ocnk.net

1910年代、労働者のジーンズにはサスペンダー用の吊り止めボタンと、ベルト用のベルト通しの両方が付くようになりますが、1930年代頃から労働者や労働者以外の人もサスペンダーに代わってベルトを用いる事が増え、ズボンも徐々にベルト通しのみが付いたものへと移り変わり、1940年代頃になるとサスペンダーはフォーマルウェアとしてのみ使用されるようになっていきます。

なるほど。

単なる個人的な思い込みに過ぎないが、アメリカ映画で登場するサスペンダーをつけた人は銀行勤めの人が多い気がしている。もしくは弁護士か。

ウォール街』のマイケル・ダグラス

f:id:iDES:20160821141511j:plain

AppleTV『ザ・バンカー』のアンソニー・マッキー

f:id:iDES:20211010025158j:plain

階層の高めの労働者ということなのだろうか。

80年代を舞台にした『ウォール街』のマイケル・ダグラスのサスペンダーはベルトループに付けられるタイプである。サスペンダーの先がベルトループに付けられるように二股のパーツが確認できる。色味からも分かるが、これはオシャレ・アイテムである。おそらく、やり手の金融マンの演出アイテムである。
60年代を舞台にした『ザ・バンカー』のアンソニー・マッキーのサスペンダーはベルト・ループにもつけられるタイプではなく、スラックスもサスペンダー用の穴が開いた専用のものだったと思うので、正装の意味合いが大きいのではないかと思われる。この時点ではまだ銀行は買収しておらず、白人専用の不動産を買い付けて黒人に売るという仕事をしていて、良い物件を物色して回っていたので「正装」が求められたのだと考えられる。

人々が高台に住む理由

住居に関する差異化の話について。他にもいろいろと引用できる文献はあるものの、個人的に印象深いものを一つ。

明治25年の『東京遊学案内』の紹介がされている箇所。

上京したら衛生に注意しなければならない。とくに肺結核は不治の病である。風邪のとき感染しやすいから風邪をひかないこと。また脚気も危険な病気である。湿度の高い下町を避けて、高台にある山の手に宿をとるのがいい。とくに学生は運動不足になってさまざまな病気の原因になる。学校から遠隔の地に宿所を定めるのがよい。(旧新書版pp.59-60)

湿度の高い下町は結核脚気の原因になると考えられていたという例。金のある人は高台に住んでいたが、この20年くらいで、交通の便の良いところに住むようになってきたという話をした。田園調布や芦屋も価値が下がった、など。歴史のある学校はしばしば高台にある話はしなかったが、古くからある教育施設が高台にある理由のいくらかは、衛生を考慮してのことである。

さて、最近人気の住宅地について。首都圏は大きな街が多くあるので、分かりやすい例を挙げるのが意外に難しい気がするが、京阪神だと梅田・京都・三宮という比較的分かりやすい少し離れた人口密集地があるため、分かりやすい気がする。

www.nikkei.com

京阪神では、西宮北口が最近はだいたい首位を取っている。三宮にも15分程度、梅田にも15分程度で行ける好立地の上、阪神淡路大震災で甚大な被害を受けて再開発をされた土地であるため、新しいマンションや新しい商業施設など、最近の生活にフィットした街づくりがしやすかったという事情もある。

nishinomiya-gardens.com

コロナ禍で都会にそれほど近いところに住まなくてもいい、ということで時代もやや変わってきたのだろうか。武蔵小杉の浸水に続き、先日の地震でエレベーターの動かなくなったタワマンの不便さが報道されていたが、タワマンの流行にも陰りが見え始めるのだろうか。

タワマンの話をしているとバラードの『ハイ・ライズ』を思い出してしまう。
映画化されていたことを今知った。面白いのだろうか。

eiga.com