井出草平の研究ノート

エリアス『諸個人の社会』 第1部

第1節

「社会」とは何かについて、多くの人が漠然と理解しているが、その実態は複雑である。社会は個々の人間の集まりであるが、その形成や変化は個人の意図や計画によるものではない。例えば、インドや中国の社会はアメリカやイギリスの社会とは異なり、12世紀のヨーロッパの社会も16世紀や20世紀のものとは異なる。これらの社会は全て多くの個人から成り立っているが、その変遷は計画されたものではない。

現代の社会形成に関する考え方は大きく二つに分かれる。一つは、社会的・歴史的な形成物を計画的に創り出されたものとみなす立場である。この立場では、議会、警察、銀行、税金などの社会制度を説明するために、それを初めて作り出した人々を探す。しかし、言語や国家のように説明が難しい形成物に対しては、まるでこれらも他の制度と同様に個人によって計画的に作られたかのように扱う。

もう一つは、個人の役割を否定し、社会を超個人的な有機体として捉える立場である。この立場では、社会を自然科学や特に生物学の概念モデルに基づいて説明しようとする。例えば、社会を若さ、成熟、老いを経て死に至る超個人的な有機体として捉える。この立場では、個人の行動よりも様式や文化形態、経済形態や制度に注目する。

心理学の分野でも、個人を他者との関係から独立した存在として扱う立場と、社会心理学の中で個人の心理的機能に適切な位置を与えない立場がある。どちらの立場も、個人と社会の関係を完全に理解することはできない。

個人と社会の関係を理解するためには、新しい概念モデルと全体像が必要である。例えば、ゲシュタルト理論は全体が部分の総和とは異なる特別な法則を持つことを教えている。メロディーは個々の音符の総和とは異なり、家は個々の石の総和とは異なる。同様に、社会も多くの個人の総和以上のものであり、その変化は個人の意図とは無関係に起こる。

このような視点から、個人と社会の関係を再構築することで、社会の歴史的変遷やその内部構造をより深く理解することができるだろう。

第2節

個人と社会の関係について考察する際、個人が社会の一部であるという単純な事実を認識することから始めるべきである。しかし、多くの人々はこの単純な事実を見逃しがちであり、「社会」という概念を否定し、個人のみが実在すると主張する。このような見方は、家が個々の石だけで成り立つのではなく、それらの石が集まって家という全体を構成するのと同様に、誤りである。

社会は、個人同士の関係や相互作用によって形成され、その中で生じる緊張や対立、変化が不可欠な要素となっている。例えば、社会生活は矛盾や緊張、爆発的な変化に満ちており、戦争と平和、危機と繁栄が交互に訪れる。このような現象は、社会が完全に調和した存在ではないことを示している。

個人と社会の関係を理解するためには、個々の要素を孤立して考えるのではなく、それらの関係性や機能を重視する必要がある。個人は他者との関係において初めて「私」として認識され、同時に「私たち」という集団の一部として存在する。これは、個人の自己意識や行動が他者との関係に依存していることを意味する。

社会の構造や規則性は個人の意識や意図とは独立して存在し、歴史的な変遷も個々の個人の計画によるものではない。むしろ、多くの個人の行動や目的が絡み合い、予期せぬ結果として社会の変化や進展が生じる。このようにして、社会は計画されずに進化し、個人の意図を超えた力によって動かされる。

結論として、個人と社会の関係を理解するためには、個人を独立した存在として捉えるのではなく、社会という全体の中での役割や機能を重視する視点が必要である。これにより、社会の歴史的変遷や内部構造をより深く理解することが可能となる。

第3節

人間は自然の秩序と社会の秩序の一部であるが、これらは全く異なる性質を持つ。社会的秩序は人間の特異な可塑性と行動制御の柔軟性に基づいており、動物社会とは異なり、歴史的な変化を経験する。特に、社会の分業と階層化が進むにつれて、特定の人々やグループが財や社会的価値を独占することがあり、これが社会的緊張を生み出す。経済的独占はしばしば暴力の独占と結びついており、この二つの独占が社会の構造と変遷を左右する。

人間のネットワークには独自の規則性と秩序があり、これは個々の人間の意図や計画とは無関係に形成される。社会の秩序は、個人の行動や計画が相互に絡み合い、長期的には予測できない結果を生む。これはヘーゲルが「理性の狡知」(ruse of reason, List der Vernunft)と呼んだ現象であり、個々の行動が意図しない形で社会全体に影響を与えることを指す。

個人は常に他者との関係の中で存在し、その自己意識や行動は社会の構造に依存している。例えば、ダンスを踊るグループのように、各人の動きは他の人々との関係によって決まる。同様に、個人の行動や心理的機能は、社会の中での関係性によって形成される。従って、個人を独立した存在として理解するのではなく、社会という全体の中での役割や機能を考慮することが重要である。

社会の進展と個人の自己実現との調和を図るためには、社会構造の緊張や対立を解消し、個々の人間がより満足できる生活を送れるようにする必要がある。しかし、現在の社会では、個人が社会の期待に応えるために自己の本質を抑圧しなければならないことが多く、これが内的な緊張や葛藤を生んでいる。

https://de.wikipedia.org/wiki/List_der_Vernunft 「理性の狡知」とはヘーゲルが提唱した概念で、歴史の過程で人々が意識せずに達成する特定の目的を指す。これは人間の行動や情熱が相互に作用し、意図しない形で合理的な結果を生み出す過程を説明する。ヘーゲルは、世界の歴史は「理性の狡知」によって動かされ、個人の情熱や利益が社会全体の合理的な進展に貢献する方法を示した。社会の発展と個人の自由の関係を探る中で、この概念が重要な役割を果たす。

第4節

個人と社会の関係は独特なものであり、他のどの存在領域にも類似するものがない。個々の人間を理解するためには、彼らが他者とどのように関わるかを考える必要がある。社会は個人の意図や計画とは無関係に進化し、特有の構造と規則性を持つ。

人間は他の動物よりも柔軟で、行動の制御が容易であるため、社会的な秩序が生まれる。この秩序は自然のものではなく、歴史的な変遷を経て形成される。例えば、社会の分業と階層化が進むと、一部の人々が財や権力を独占し、これが社会的な緊張を生む。このような独占はしばしば暴力と結びつき、社会の構造に影響を与える。

個人は常に他者との関係の中で存在し、その行動や自己意識は社会の構造に依存する。例えば、ダンスを踊るグループのように、各人の動きは他の人々との関係によって決まる。同様に、個人の行動や心理的機能も社会の中での関係性によって形成される。従って、個人を独立した存在として理解するのではなく、社会という全体の中での役割や機能を考慮することが重要である。

社会の進展と個人の自己実現との調和を図るためには、社会構造の緊張や対立を解消し、個々の人間がより満足できる生活を送れるようにする必要がある。しかし、現在の社会では、個人が社会の期待に応えるために自己の本質を抑圧しなければならないことが多く、これが内的な緊張や葛藤を生んでいる。

第5節

人間は自然の秩序と社会の秩序の両方に属している。社会的秩序は自然の秩序とは異なり、人間の特異な可塑性と行動制御の柔軟性に基づいている。この特性のおかげで、人間の行動制御は動物のそれとは異なり、遺伝的に固定されていない。人間社会は、他者との関係を通じて個々の人間の中で生成される。

社会の変化は特定の人間関係や緊張に基づいており、これが社会的な独占や階層化を生み出す。経済的な独占は暴力の独占と結びついており、社会の進展にはこれらの要素が重要である。社会の秩序は個人の意識や意図とは無関係に存在し、個人の行動や計画が絡み合って予測不可能な結果を生む。これはヘーゲルが「理性の狡知」と呼んだ現象であり、個人の行動が意図しない形で社会全体に影響を与えることを意味する。

人間社会は、自然界の一部として存在しつつも独自の歴史的連続体を形成する。個々の人間はこの連続体の中で生まれ育ち、その人生は他者との関係に依存している。個人の欲望や行動は常に他者との関係に基づいており、社会的な緊張が一定の強度と構造に達すると、社会構造の変化を引き起こす。

例えば、西洋史における機能分化の進展や文明化の過程は、個々の人間によって計画されたものではなく、社会の構造とその中の人間関係の特定のパターンに基づいて自然発生的に進展したものである。これにより、社会は外部の自然変化や内部の精神的変化によらず、自らの構造と規則に基づいて変化することが可能となる。

このようにして、社会の連続体は物理的エネルギーを外界から引き出しながらも、独自の運動と変化の規則性を持つ。社会の変化は個々の意志や計画を超えたものであり、歴史は常に個人の社会であるが、同時に個人の社会の歴史でもある。

第6節

歴史の流れを上から広範に見ると、社会生活の特定の側面が鮮明に浮かび上がるが、この視点は一面的な見方を助長する恐れがある。長期的な視点は、歴史の変化の順序や人間ネットワークが緊張の高まりによって自己を超えて進む必要性を理解するのに役立つが、現実の中での短期的な決定を迫られる人々の視点も必要である。歴史は、一定の方向に流れながらも、その具体的な道筋は様々であり、個々の状況や決定に大きく依存する。

競争メカニズムの影響を例に取ると、自由に競争する人々やグループが激しい対立に直面すると、競争の範囲を縮小し、最終的には独占状態に至る。しかし、どの競争者が勝利するかは、個々の能力やエネルギーに大きく依存する。同様に、社会構造の変化を引き起こす緊張の解決は、個々の決定や行動に依存することが多い。

大規模で複雑な社会は非常に堅固でありながらも柔軟である。個々の決定の余地が常に存在し、その決定が社会全体に影響を与えるが、その範囲や影響力は社会の構造や歴史的背景に依存する。個人の行動や決定は他者との相互依存関係の中で形成され、その結果がさらに他者に影響を与える。

歴史が偉大な個人によって作られるのか、それともすべての人々が歴史の流れに対して同等に重要なのかという議論は、現実の経験と乖離している。実際には、個々の人々の重要性は状況や社会的地位によって異なり、特定の状況では個々の決定が大きな影響を与えることがある。

個人の特性や行動は、社会的な影響と相互作用によって形成され、その過程で他者に影響を与え、影響を受ける。したがって、「個人」と「社会」の関係は、独立した存在ではなく、相互に依存し合う関係として理解する必要がある。

第7節

人間は、動物と比べて行動制御が非常に柔軟であるため、独自の歴史的連続体(社会)を形成し、個々に独自の個性を持つ。動物社会には人間のような歴史がなく、個体間の行動の違いも人間ほど顕著ではない。しかし、人間は相互に適応し合う能力を持ち、それが必要でもあるため、個人は社会生活と密接に関わっている。個人の行動制御の構造は、他者との関係の構造に依存している。

個人は、他者との共同生活を前提とすることで初めて「私」と言える。つまり、「私」という存在は、「私たち」という集団や社会の存在を前提としている。社会の規則性は個々の人々の外に存在するわけではなく、個人が「私たち」と言うときに意味するものである。この「私たち」は、個々の人々が後から集まって形成するものではなく、相互の関係性によって初めて成り立つ。

ヘーゲルが「理性の狡知」と呼んだ現象は、個々の行動や目的が絡み合い、計画されずに社会全体に影響を与えることを指す。人間社会の行動や目的の相互作用は、計画されたものではなく、結果として計画外のものを生み出す。個々の人々の行動が社会の中で織り交ぜられ、その結果として予期しない形で社会の変化が生じる。

例えば、二人の異なる人々が同じ社会的機会を求めるとき、それは競争関係を生み出し、特定の法則性を持つ。また、競争の結果として独占メカニズムが広がり、社会の秩序が変化する。このようにして、人間社会は計画されずに進化し、歴史の流れが形成される。全体として、人間社会は個々の行動や計画を超えた力によって動かされている。

Lindstromによるレビュー: ケネス・ガーゲン『飽和する自己:現代生活におけるアイデンティティのジレンマ』

philpapers.org

Kenneth J. Gergen の著書「The Saturated Self: Dilemmas of Identity in Contemporary Life」についてのJeffrey P. Lindstromの評論。

1. 重要な貢献 Gergenの本は、心理学における自己の概念に関する重要な貢献をしている。彼の視点は広く、議論は説得力があり、影響は革命的である。この本は学術界だけでなく、広く一般にも影響を与える可能性がある。

2. ポストモダンの自己 Gergenは、技術の進歩により自己が多様な社会的および文化的な声にさらされ、伝統的な「本物の自己」が「飽和した自己」に置き換わりつつあると主張している。彼は、自己の歴史的進化を辿り、ロマン主義からモダニズムへの移行を説明している。

3. 社会的飽和 技術革新により、関係が急速に増加し、「社会的飽和」が進んでいる。これにより、自己が多くの声に分割され、ポストモダンアイデンティティの瀬戸際に立たされる。この現象をGergenは「多重自己」と呼んでいる。

4. 客観的真実の崩壊 Gergenは、ポストモダンアイデンティティの出現が自己を超えた影響を持つとし、「客観的真実の完全な放棄」を提唱する。社会的飽和の技術により、自己は多様な視点にさらされ、客観的真実は崩壊し、それに伴い権力と特権の制度化も崩れる。

5. ポストモダン文化の出現 Gergenは、客観的真実の崩壊が全ての真実の失敗を意味するとし、どの声も他の声に対して優位を主張できない状況を生み出すと述べる。彼は、真実は社会的構築物であり、異なる時代や文化における様々な人々のニーズに応じて変わると主張する。

6. 関連性への移行 Gergenは、自己が実際には社会的構築物であるとし、自己の責任はまず第一に社会性と関連性にあると述べる。ポストモダンな視点では、自己は様々なアイデンティティを状況や多様な声に応じて滑り込む「社会的カメレオン」となる。

7. ポストモダンライフのコラージュ Gergenは、ポストモダンの世界では、自己は様々な関係に自由に出入りし、特定の声に縛られることなく、知識と真実が「カーニバル」のようになると述べる。しかし、全ての真剣なプロジェクトが単なる風刺や遊びに還元されると、共同生活は損なわれる可能性があると警告する。

8. 自己更新と誠実さ Gergenは、モダニズムの限界を認識しつつも、多くの人々がポストモダン相対主義に抵抗することを理解していると述べる。彼は、自己更新と誠実さの重要性を強調し、ポストモダンな視点からの理解が現代社会においていかに有益であるかを示す。

9. 評価と相対性 Gergenは、進歩の約束がモダニズムの持続力の基盤であったが、それには常にコストが伴うと指摘する。彼は、「存在の自由な遊び」を提唱し、自己、人生、世界を理解するアプローチはより開かれた多元的なものであるべきだと主張する。

これらの点を通じて、Gergenの著書は心理学における自己理解に対する深い洞察を提供し、ポストモダンの文脈での自己の再評価を促しているとLindstromは評価している。

リースマンを社会構築主義的に説明したという印象。

ケネス・ガーゲン『飽和する自己:現代生活におけるアイデンティティのジレンマ』

第1章 自己概念の変化

私たちが他者に自己をどのように理解させるかが重要であり、その変化は社会生活に大きな影響を与える。自己表現の語彙が増えると、新しい関係性が可能になる。例えば、英語には「定期的な情熱の関係」(relationship of periodic passion)を表現する語がなく、新しい自己表現の語彙が関係の幅を広げる。

「定期的な情熱の関係」という表現がある場合とない場合の違いは、関係の性質や展開に大きな影響を与える。まず、この関係性を表現する言葉があれば、人々はその関係を明確に表現でき、相手にも理解されやすくなる。これにより、新しい形の関係性が社会的に認知され、受け入れられる可能性が高まる。また、定期的な情熱の関係を持つことで、双方が互いの期待や限界を理解し、必要に応じて離れて過ごすことができるため、個人の時間や空間を大切にしつつ、感情的な絆を維持できる。さらに、この新しい関係モデルは従来のロマンチックな関係や友人関係とは異なり、定期的な感情的な高まりと休息を繰り返すため、関係の持続性や満足度が向上する可能性がある。

一方、「定期的な情熱の関係」という表現がない場合、人々はそのような関係性をうまく表現できず、誤解や不満が生じる可能性がある。その結果、関係の性質が曖昧になり、双方の期待が一致しないことが増える。また、新しい関係モデルがない場合、人々は従来のロマンチックな関係や友人関係に依存することになり、関係の形式が固定化され、柔軟性が失われることがある。さらに、定期的な情熱の関係を持つことで得られる感情的な調和や理解が欠けると、関係において感情的な摩擦や衝突が増える可能性があり、双方が異なる期待を持つことで関係の持続が難しくなることもある。

このように、「定期的な情熱の関係」という表現があるかないかで、関係の構築や維持の仕方に大きな違いが生じる。

自己の歴史と文化的場所

文化人類学歴史学の研究により、自己概念が文化や時代によって大きく異なることが示されている。例えば、西洋では個人の自立性が強調されるが、バリ島では個人は社会的カテゴリーの代表者として認識される。また、感情の表現や自己の特徴も文化によって大きく異なる。

具体的には、バリ島では個人の名前もその社会的カテゴリーを示すために使われる。例えば、バリ島の人々は生まれた順番によって名前が決まることが多い。第一子は「ワヤン」、第二子は「ニョマン」などと呼ばれ、これによりその人の位置が社会的に認識される。また、成人した後も、親になると「〜の父」「〜の母」といった呼び方がされ、さらに孫ができると「〜の祖父」「〜の祖母」と呼ばれる。

このように、個人の名前や呼び方がその人の社会的な役割や位置を示すために使われることで、個人は社会の中でどのような位置にいるのかが明確になる。バリ島の文化では、個人の行動や関係もまた、社会的カテゴリーや儀礼的な役割に基づいて行われる。友人関係や親族関係も、特定の社会的儀礼や形式に従って維持されるため、関係が予測可能であり、安定している。

ポストモダンの自己

社会的飽和の進行により、ロマン主義近代主義の自己概念が失われつつある。ポストモダンの時代に入り、自己の本質は疑問視され、個人の特徴は相対化される。ポストモダンの自己は、継続的な構築と再構築の状態にあり、真の自己の概念が後退する。

ロマン主義は19世紀に興った思想で、個人の感情、創造性、情熱、内面の深さを強調するものである。ロマン主義の自己概念は、個人が独自の内面的な世界を持ち、それが芸術や文学、哲学などで表現されることが重要とされている。この自己概念では、深く結びついた友情や恋愛、個人の精神的な探求が重視される。
近代主義は20世紀初頭から広まり、理性、科学、進歩を重視する思想である。近代主義の自己概念は、個人が合理的で論理的な存在であり、教育や道徳訓練、家庭生活の安定が重要とされる。この概念では、個人は自律的で自己決定権を持ち、社会的に有用であることが求められる。

  1. ロマン主義の自己概念 ロマン主義は19世紀に興った思想で、個人の感情、創造性、情熱、内面の深さを強調するものである。ロマン主義の自己概念は、個人が独自の内面的な世界を持ち、それが芸術や文学、哲学などで表現されることが重要とされている。この自己概念では、深く結びついた友情や恋愛、個人の精神的な探求が重視される。

  2. 近代主義の自己概念 近代主義は20世紀初頭から広まり、理性、科学、進歩を重視する思想である。近代主義の自己概念は、個人が合理的で論理的な存在であり、教育や道徳訓練、家庭生活の安定が重要とされる。この概念では、個人は自律的で自己決定権を持ち、社会的に有用であることが求められる。

社会的飽和の進行により、ロマン主義近代主義の自己概念が失われつつあるというのは、現代社会において個人の自己認識が多様化し、従来の固定的な自己概念が通用しなくなっていることを指す。

社会的飽和とは

社会的飽和とは、現代のテクノロジーやグローバリゼーションの進展により、個人が非常に多くの情報、コミュニケーション、関係性に同時にさらされる状態を指す。この状態では、個人の社会的関与や接触が過剰に増え、その結果として自己のアイデンティティや生活に影響を及ぼすことがある。

  1. 情報の洪水: インターネット、スマートフォンソーシャルメディアの普及により、個人は日々膨大な量の情報に触れる。ニュース、SNSの投稿、電子メール、メッセージアプリなど、常に新しい情報が流れ込み、個人の注意を引く。

  2. 多様なコミュニケーションチャネル: テクノロジーの進化により、コミュニケーション手段も多様化している。電話、メール、SNS、ビデオ通話など、さまざまなチャネルを通じて人々とつながることができる。これにより、同時に多くの人々と関わることが求められる。

  3. 関係性の複雑化: グローバル化により、物理的な距離を超えて多くの人々と関係を持つことができる。仕事、友人、家族、趣味のコミュニティなど、多岐にわたる関係性が増え、それぞれに対応する時間やエネルギーが求められる。

  4. 自己の断片化: 多様な情報や関係性にさらされることで、個人の自己認識やアイデンティティが断片化することがある。異なる状況や文脈に応じて異なる自己を演じることが求められ、一貫した自己像を保つことが難しくなる。

  5. 感情的・精神的な疲弊: 多くの情報や関係に対処することで、個人は感情的・精神的に疲弊することがある。過度の情報や関係性の圧力により、ストレスや不安が増加する可能性がある。

結論

ポストモダンの状況では、自己と関係性に対する従来の信念が脅かされ、新しい文化が形成されつつある。この変化が社会生活や個人の理解に与える影響について探求することが重要である。

第2章 ロマン主義から近代主義への自己概念の変遷

文化的形態は一旦形成されると、様々な生活の力によって侵食される。ジンメルはこれを「現代文化の葛藤」と呼び、文化的形態が完成するや否や、新たな形態が形成され始めると述べた。言語が私たちの間を流れるように、生活パターンも固定されたり解放されたりする。ここで重要なのは、これらの言語が自己の共通の概念から力を得ていることであり、これがなければ文化生活は無意味に陥るであろう。

人間の性格に関する対立する概念

  • ジェームズ: 工場の閉鎖について「ボトムライン」を強調し、成熟した人々が健全な理由に基づいて行動することを前提としている。
  • マージ: サムに対してもっと子供の世話をするように現実的な視点から助言している。
  • スーザン: キャロルに対して家の購入に関する論理的な判断を求める。
  • フレッド: 労働者とその家族の福祉を優先し、道徳的な感情に基づいて行動する。
  • サム: 妻のキャリアよりも子供を優先するべきだと感じている。
  • キャロル: 家の物理的な状態よりも内面的な響きを重視して行動する。

ジェームズ、マージ、スーザンは合理的な判断に基づいて行動する人々として描かれている。彼らは事実を精査し、合理的な決定を下すことを信じている。ジェームズの「ボトムライン」は、成熟した人々が健全な理由に基づいて行動することを前提としており、マージも同様に行動の結果を考慮することを期待している。スーザンの主張も、普通の人々が論理的かつ実際的であるという信念に基づいている。

一方、フレッド、サム、キャロルは、実用的な理性よりも道徳的な感情や忠誠心、自然な喜びに導かれる人間を理想としている。フレッドは労働者の福祉を優先し、サムは妻のキャリアを子供の上に置くことに反対している。キャロルは家の物理的な状態よりも、自分の内なる響きに従うことを選んでいる。

ロマン主義近代主義の自己

この章では、これらの対立する人間の性格の概念を探求する。私は、道徳的感情、忠誠心、内なる喜びの語彙が主にロマン主義的な自己概念から派生していると提案する。この概念は19世紀に頂点に達したが、現代でも非常に生き生きとしている。これは、人間の内なる深層に宿る見えない、さらには神聖な力を重視する視点であり、これが人生と関係性に意味を与える。

しかし、この自己概念は現代では廃れつつあり、理性と観察を中心とした近代主義的なパーソナリティに取って代わられている。近代主義は科学、政府、ビジネスに浸透し、日常の関係にも多大な影響を与えている。ロマン主義近代主義の両方の伝統は、私たちの生活における最も重要な語彙の一部であり、ポストモダニズムを評価する際の重要な背景となる。ポストモダニズムは、ロマン主義近代主義の現実の両方の妥当性を消し去る傾向がある。

ロマン主義の深層内面の現実

ロマン主義の時代、感情や内なる情熱は、人間の深層内面の表現と見なされていた。これは、理性や観察が優位であった啓蒙時代とは対照的である。ロマン主義者にとって、愛や友情は魂の深い結びつきであり、その喪失は深い悲しみを生むものであった。日記や文学には、死者との対話や死後の再会への期待が記録されている。これらの内面的な力が人生において重要な意味を持つと信じられていた。

近代主義の台頭

20世紀に入ると、ロマン主義のエネルギーは衰え始めた。これには、拡大する市場、マスプロダクション、戦争の影響がある。近代主義は、科学や技術の進歩に基づき、合理性と観察を重視する新たな意識形態を生み出した。これにより、民主主義や教育の発展が促進され、伝統的な価値観は問い直されることとなった。

結論

ロマン主義から近代主義への自己概念の変遷は、文化や時代によって異なる自己の理解を示している。ロマン主義の深層内面の現実は、個人の感情や魂の重要性を強調していたが、近代主義は合理性と観察に基づく自己認識を重視するようになった。この変遷は、現代社会における自己と関係性の理解に深い影響を与えている。

第3章 社会的飽和と自己の多様化

現代生活のランダムな瞬間を考える。例えば、郵便受けが広告やカタログ、政治的な発表、請求書、そして手紙でいっぱいになることがある。留守電には返答すべき電話が溢れていることがある。ビジネス同僚とのミーティングをニューヨークで設定しようとするが、彼女はカラカスで会議中。帰国すると自分はメンフィスにいる。会えない場合は長距離電話でミーティングを行う。友人が出張中に連絡してきて、飲み会や夕食を誘われる。新年のパーティーを計画しようと思うが、友人はみなコロラドやメキシコなどに出かけている。外出中にはお気に入りの番組を見逃さないようにVCRをプログラムする。モントリオールに数日滞在している間、アトランタからの友人に驚く。

これらの出来事は現代生活では一般的であり、特に珍しいことではないが、二十年前には一般的ではなかった。これらは社会的飽和の現れであり、私たちをより深く社会の中に浸し、他人の意見、価値観、ライフスタイルにさらすものである。この飽和は新しい自己意識、すなわちポストモダンへと私たちを導いている。この章では、社会的飽和がどのように日常生活を支配しているかを探る。また、自己が社会環境と一体化し、部分的なアイデンティティが社会的飽和を通じて自己に浸透し、多重人格の状態に陥る様子も考察する。

社会的飽和の技術

コミュニケーションは社会的現実を定義し、仕事の組織、教育システムのカリキュラム、フォーマル・インフォーマルな関係、余暇の過ごし方、基本的な社会生活の配置に影響を与える。

社会的飽和の過程では、関係の数、種類、強度が日々増加している。この変化の大きさを理解するためには、技術的な背景に焦点を当てることが重要である。ここでは、ロー・テクとハイ・テクの二つの主要な技術開発の段階を概観する。

ロー・テクの生活

ロー・テク段階の最も劇的な側面は、その多くの発展が同時に進行することである。鉄道は社会的飽和への最初の重要な一歩であり、19世紀中頃に始まり、1869年にはアメリカ大陸横断が可能になった。都市の公共交通機関も発展し、多くの国で新しい鉄道路線が敷設されている。

郵便サービスは鉄道や航空便の発展とともに拡大し、米国では1960年までに200万マイル以上の郵便ルートが整備された。自動車は20世紀初頭に普及し、道路の整備も進んだ。電話は20世紀初頭に日常生活に入り込み、世界中で使用されるようになった。ラジオ放送は1919年に始まり、社会生活のあらゆる側面に影響を与えた。映画も20世紀初頭に普及し、テレビとビデオカセットの登場により商業映画はさらに広がった。印刷された本も数百年にわたって思想や価値観、生活様式を広めてきた。

ハイ・テクの生活

過去二十年間で、航空輸送、テレビ、電子通信の発展により社会的飽和がさらに進行した。航空輸送の普及により、ビジネスやレジャーのための国際的な移動が日常的になった。テレビは商業放送が始まり、家庭での情報摂取が増加した。電子通信技術の進展により、コンピュータや電子メール、ファックスが普及し、グローバルなコミュニケーションが可能になった。

社会的飽和と多重化する自己

技術の進展により、人々は多くの異なる人物、関係、新しい状況、特別な感情の強さにさらされる。これにより、自己は他者の多様なパターンを取り入れ、自己の一貫性が失われることがある。社会的飽和が進むにつれて、自己は他者の特徴を取り込み、多重人格の状態に陥ることがある。この状態は、個々のアイデンティティの確立を難しくし、内面的な葛藤を引き起こすことがある。

結論

社会的飽和は、現代社会における自己と関係性の理解に深い影響を与えている。技術の進展により、自己は多様化し、自己認識が複雑化する一方で、伝統的な価値観やアイデンティティの確立が難しくなっている。この変化は、現代社会における新しい自己意識の形成に寄与している。

第4章 真実の危機

小さなアメリカの大学での学問生活は通常穏やかであるが、数年前に驚くべき出来事があった。言語理解の問題についてドイツの社会学者とフランスの文学分析家が招かれたことから始まった。一般的には注目されない話題であり、外国からの講演者ということもあって多くの聴衆を引きつけるかどうか心配された。しかし、日が近づくにつれ、講演に関する問い合わせが増え、学問界全体で大きな話題となった。講演は最終的に地域最大の講堂で行われたが、それでも聴衆を収容しきれなかった。

なぜこのような議論がこれほどの興奮を引き起こしたのか。その主な理由は、人間の理解に関する共通の概念に危機が迫っているからである。かつては、言語がアイデアや感情を表現し、それを理解することが話者の心を理解することだと考えられていた。しかし、知的生活の様々な変化により、これらの前提を維持することが困難になった。人々が互いの心を理解し、外の世界を客観的に説明する方法が不明確になりつつある。この章では、学問界におけるこの危機について探求する。

社会的飽和の進行

学問界における客観的知識への信頼が揺らぐことは、自己に関する信念にも深い影響を与える。ロマン主義的な自己概念は、人々が情熱、道徳的信念、創造的なインスピレーションを持つと信じるが、これらの信念は客観的な真実とされる前提に基づいている。しかし、学問界における現在の危機は、この前提を根本的に覆すものである。客観的な自己理解の試み自体が無意味であるとするならば、自己の本質を探求する必要もないことになる。

モダニズムと多重性の到来

経済学は非常に複雑になり、専門家同士が同じ言葉を話さないことが多くなっている。この多様性は、自己が多くの声を持つ存在として現れることを意味する。それぞれの自己は、異なるメロディーやリズムを持つ多くの他者を含んでおり、それらが必ずしも調和するわけではない。時には協力し、時には互いに聞かず、時には不協和音を生じる。この多重化する自己の結果、近代主義の客観的で知覚可能な世界への強い信念は揺らいでいる。

客観的真実の崩壊

ロバートという12歳の少年が万引きで捕まり、道徳的に欠如していると親が結論づけたシナリオを考える。しかし、異なる視点から見ると、彼の行動は親の無関心や家庭の緊張、友人との比較から来るものと解釈されるかもしれない。これにより、客観的な真実が単なる意見に過ぎないことが明らかになる。科学的客観性も同様に、複数の視点が増えることでその信頼性が揺らぐ。

結論

社会的飽和は、私たちの自己認識や社会生活に深い影響を与えている。多様な視点や価値観にさらされることで、自己の一貫性が失われ、客観的な真実への信頼が崩壊しつつある。この変化は、現代社会における新しい自己意識の形成に寄与している。

第5章 ポストモダン文化の出現

ポストモダン文化の出現は、現代文化の基盤を揺るがすものである。ハーバーマスは、モダニズムが支配的でありながらも既に死んでいると述べた。この章では、ポストモダン意識が芸術、科学、余暇活動、ニュースメディア、エンターテインメント、政治生活にどのように浸透しているかを探求する。

ポストモダニズムの特徴

ポストモダニズムは、モダニズムのプロジェクトを根底から覆すものである。客観的知識の基盤が崩壊し、複数の視点が増えることで、真実や誠実さ、信頼性といった概念が変質する。人間の特性に関する概念もまた、根本的に変わりつつある。

同一性の喪失

モダニズムの中心的な仮定は、世界が物理的な原子、化学元素、心理的状態、社会的制度といった「本質的なもの」で構成されているというものであった。しかし、視点の多様性が認識されるにつれ、物そのものは消失し、存在するものは視点によって定義されることが明らかになった。この結果、物そのものの仮定は無意味となる。

学問と文化の境界の曖昧化

学問分野においても、伝統的な境界が曖昧になっている。例えば、文学と歴史の境界はますます薄れており、フィクションとノンフィクションの区別も曖昧になっている。この現象は、音楽や建築、料理などの文化的領域にも及んでいる。

自己の多重性

自己の概念も変容し、多面的で多重化したものとなっている。ポストモダニズムは、個々の自己が多様な声を持ち、異なる視点や文脈の中で絶えず再構築されることを強調する。このため、自己の一貫性や固定的なアイデンティティは失われつつある。

知識の社会的構築

知識は社会的に構築されたものであり、客観的な真実という概念は疑問視されるようになった。言葉は現実を鏡のように反映するものではなく、集団の規範や価値観を表現するものである。この視点は、ニュース報道や政治的な出来事の捉え方にも影響を与えている。

ハイパーリアリティの概念

ジャン・ボードリヤールは、現代社会におけるハイパーリアリティの概念を提唱した。これは、現実が連続的に再現され、再解釈される過程で、現実そのものが消失し、代わりに現実のようなものが積み重なっていく状態を指す。この概念は、歴史的な出来事や個々の経験の理解に大きな影響を与えている。

結論

ポストモダニズムは、モダニズムロマン主義の自己概念を覆し、多様な視点と社会的構築の中で自己を再定義するプロセスを促進している。この結果、自己の一貫性や固定的なアイデンティティは失われ、文化的なアイデンティティや知識の構築に対する新たな理解が求められるようになっている。

第6章 ポストモダン社会における自己の変容

自己から関係へ

自己という概念が普遍的で永続的なものとして認識され続けるかはわからない。自己というカテゴリーは、我々の間でのみ、我々のために形成されたものである。自己の概念が消える可能性があることを念頭に置いて、ポストモダン社会における自己の変容について考察する。

文化の違いと自己の捉え方

自己という概念が異なる文化や時代によってどのように変わるかについて、多くの議論がある。

ある土曜日、母親がティーンエイジャーの娘と一緒にショッピングに出かけた。来週のパーティーのためにドレスを探していた母親は、黒くてシルバーのスパンコールがついた魅力的なドレスを見つけた。その大胆なデザインに母親は興奮し、すぐに試着室に向かった。

しかし、試着してみると、そのドレスが自分には合わないと感じた母親は、がっかりして娘に「これは私に合わない」と伝えた。母親の落胆した様子を見た娘は、優しい皮肉を込めてこう答えた。「でも、ママ、それがポイントじゃないよ。このドレスを着れば、本当に誰かになれるんだよ」。

このやり取りは、母親と娘がそれぞれ異なる価値観を持っていることを象徴している。母親は、自分に本当に合うものを探すというモダニズム的なアプローチを取っている。彼女にとって重要なのは、外見が内面の真実を反映しているかどうかである。一方で、娘はポストモダン的な視点を持ち、自己の本質や一貫性よりも、見た目や印象によって新しい自己を創り出すことに重きを置いている。娘にとって、ドレスを着ることは新しい自己表現の一形態であり、それによって「誰か」になることが可能だと考えている。このように、母親と娘の価値観の違いは、世代間の文化的変化を反映している。

このエピソードは、母親がモダニズムの価値観を持ち、娘がポストモダンの価値観に移行しつつあることを示している。ポストモダンの世界では、個々の本質に忠実であることよりも、絶えず変化する関係の中で自己が形成されることが重要である。

自己の変化のプロセス

社会的飽和が進むにつれ、伝統的な自己の指標は失われつつある。合理性、意図性、自己認識、持続的な一貫性などの指標は、次第に曖昧になっている。自己に関する伝統的な文化の声が力を失い、客観性が失われ、視点主義が台頭してきている。このような状況の中で、自己はもはや独立した存在ではなく、関係の中で形成される存在となる。

自己の多重性とポストモダン

モダニズムの下では、個人は孤立した機械のような存在であり、信頼性、予測可能性、真正性を持つと考えられていた。しかし、今日の多様な声の中で、個人の定義が揺らいでいる。個人は「生物学的な存在」「原子の束」「学習した習慣の集まり」など様々な観点から描かれ、その結果として自己の実体が失われている。自己はもはや独立した実在ではなく、複数の視点の中で形成される存在となっている。

文化的な事例

現代文化には自己の境界を曖昧にする事例が数多く存在する。例えば、映画「ロジャー・ラビット」では、人間とアニメキャラクターの間に愛と死の関係が描かれ、自己の定義が挑戦されている。また、性別の境界も崩れつつあり、トランスジェンダーや同性愛の増加、性のアイデンティティの多様化が進んでいる。これにより、自己の一貫性や固定的なアイデンティティはさらに曖昧になっている。

関係としての自己

ポストモダンの時代において、自己はもはや独立した存在ではなく、関係の中で形成される存在として再定義されつつある。自己の本質を持たず、関係性が自己を構築するという新しい時代に入っている。これにより、自己は他者との関係の中で絶えず再構築される存在となり、個人の自律性は関係性の中で相対化される。

結論

ポストモダン社会では、伝統的な自己概念が揺らぎ、関係性の中で自己が形成される新しい時代に突入している。この変化は、自己の一貫性や固定的なアイデンティティの失われ、新しい自己認識の形成を促している。ポストモダンの自己は、多様な視点と関係の中で絶えず変化し続ける存在である。

第7章 ポストモダンライフのコラージュ

20世紀の生活において確実性は例外であり、不連続性への適応が我々の時代の浮上する問題である。以下は最近の事例である。

  • ビジネスマン: デトロイトからニューヨークへの飛行機で隣の女性と親しくなろうとし、フロリダにいる妻に電話をかける。妻はデモインにいる妹が事故に遭い危篤であることを告げる。彼はロンドンへの夜行便で隣のイギリス人酪農家に同情を求める。翌日の同僚との昼食は陽気で賑やかだった。
  • コニー: ニュージャージーで幼少期を過ごし、親の離婚後は母親とサンディエゴへ移住。ティーン時代は両親の間を行き来し、コロラド大学卒業後はアラスカで漁船に乗り、ワイオミングでスキーインストラクターとして働いた。現在は南極の地質調査船で働き、ポートランドに住む男性と婚約している。
  • フレッド: 神経科医で、余暇をエルサルバドルの家族支援に費やす。既婚者だが、火曜と木曜の夜はアジア人の友人と過ごし、週末はアトランティックシティでギャンブルをする。
  • 哲学教授: サバティカルノルウェーに滞在中、スイスのヴェンゲンでスキーを楽しむ。リフトで隣になったイギリス人建設業者と7分間の会話で友情を深め、後で飲みに行く約束をする。
  • ルイーズ: ボストンの弁護士で、サンフランシスコで法を実践するカンザス出身のトムと結婚。トムの趣味はオークランドで黒人の友人とブルースクラブを経営すること。結婚式にはかつての恋人たちが招かれ、その多くは女性だった。

ロマンティックな伝統に染まった人々にとって、これらの場面は不安を呼び起こす。彼らは深い情熱や成熟した個性の欠如を嘆く。モダニストもまた、人格の一貫性と個人的安定感の喪失に戸惑う。しかし、ポストモダンの世界では、目的は寄せ集めに取って代わられ、個人の自己消失が文化的生活の一貫性の喪失と結びついている。

セルフの消失と文化生活の断片化

ポストモダン社会においては、自己の喪失が文化生活の一貫性の喪失と密接に関連している。個々の自己が消滅し、関係意識が浸透することで、文化的生活の特定のパターンが失われ、新たなパターンが賞賛されるようになる。伝統的なコミュニティでは、一貫した人格が支持されていたが、ポストモダン時代には自己が断片化し、場所や文化に左右される存在となる。

関係の断片化と技術の役割

技術の進歩により、人々は多様な関係を持つことが容易になった。バンクーバーの税理士はセントルイスの知人と電話で再会し、ニュージャージーの役員は飛行機でトルトラに飛び、瞬時に新しい関係を築くことができる。このように、技術は一貫した自己を持たない「キャラクターのない個人」を作り出し、断片化を助長する。

伝統的な関係の維持とポストモダンの影響

ポストモダンの時代には、伝統的な関係もまた維持される。テレビや映画、出版物を通じて、さまざまな伝統的な関係が文化に浸透している。視聴者は一夜にして複数の関係形態を経験し、その認識力を高めている。結果として、ポストモダンの世界では、どの瞬間でも様々な関係を模倣し、即座に演じることが可能である。

この章では、ポストモダン時代における自己の断片化と文化生活の一貫性の喪失を探求し、これが現代社会に与える影響について考察した。次章では、これらの現象がどのように未来に影響を与えるかについてさらに掘り下げていく。

第8章 自己更新と誠実さの追求

現代社会における自己更新と誠実さの問題について考察する。本章では、以下の点について述べる。

  1. 誠実さの重要性: 誠実であることの重要性は、現代社会においてますます増している。「自己に忠実であれ」という言葉が象徴するように、人々は自己の真実を見つけ出し、それに従って生きることを求める。

  2. 現代の文化的な兆候: 家族が夕食の前に祈りを捧げる光景、若いカップルが永遠の愛を誓う場面、学生が自分を見つけるために大学を中退することなど、これらのシーンは現代生活において珍しいものではない。これらの行動は、精神的な幸福、道徳的な価値、感情的な能力への関心の高まりを示している。

  3. ポストモダンの影響: ポストモダンの世界では、自己の一貫性が失われ、文化的な生活も断片化している。これにより、人々は新たな価値観や生き方を模索し始めている。

  4. 技術の役割: 新しいコミュニケーション技術の台頭により、他者の声がますます自分の中に取り込まれるようになった。これにより、自己の誠実さが疑われることが増え、文化的な価値観の維持が困難になっている。

  5. リーダーシップへのノスタルジー: 多くの人々は強力なリーダーシップを求めるが、現代の技術がその実現を妨げている。メディアの影響により、リーダーは真の自己を表現することが難しくなっている。

  6. コミュニティの役割: 伝統的なコミュニティが崩壊しつつある一方で、新しい形態のコミュニティが登場している。しかし、これらの新しいコミュニティは、伝統的な価値観を維持する力を持たないことが多い。

  7. 誠実さの半減期: 技術の進歩により、誠実さの感覚が薄れている。行動が他者の視線にさらされることで、その行動の誠実さが損なわれることがある。

伝統的なコミュニティの崩壊と新しい形態のコミュニティの比較

伝統的なコミュニティは、地理的に近接した人々が顔を合わせて生活する場であり、共通の価値観や文化を共有していた。これらのコミュニティは以下の要素によって成り立っていた。

  • 顔を合わせた交流: 近所付き合いや地域の行事を通じて、住民同士が直接的に交流し、絆を深めていた。
  • 一貫した価値観: 共有された信仰、伝統、道徳規範などがコミュニティの一体感を支えていた。
  • 地域社会の安定: 長期間同じ場所に住み続けることで、コミュニティの安定と一貫性が保たれていた。

しかし、現代の技術進歩や社会変動により、これらの伝統的なコミュニティは次第に崩壊している。具体的な要因としては、以下が挙げられる。

  • 移動の自由化: 交通手段の発達により、人々は容易に移動できるようになり、頻繁に引越しや転職を繰り返すことが一般的になった。その結果、長期間同じ場所に住むことが少なくなり、地域社会の安定が揺らいでいる。
  • デジタルコミュニケーションの普及: ソーシャルメディアやオンラインコミュニケーションの普及により、物理的な距離を越えて人々が繋がることができるようになった。これにより、地理的なコミュニティの重要性が低下している。

一方で、技術の進歩に伴い、新しい形態のコミュニティが登場している。これらの新しいコミュニティは以下の特徴を持つ。

  • バーチャルコミュニティ: オンラインプラットフォームを通じて形成されるコミュニティで、共通の興味や趣味を持つ人々が地理的な制約を受けずに交流することができる。
  • 移動型コミュニティ: 物理的な場所に縛られないコミュニティで、仕事や趣味など特定の活動を通じて一時的に形成されることが多い。例えば、リモートワークを行う人々が共通の場所に集まり、期間限定でコミュニティを形成するケースがある。

しかし、これらの新しい形態のコミュニティは、伝統的な価値観を維持する力を持たないことが多い。理由は以下の通りである。

  • 一貫性の欠如: 新しいコミュニティは、参加者が頻繁に変わるため、一貫した価値観や文化を共有しづらい。特にバーチャルコミュニティでは、顔を合わせることが少なく、深い絆を築くことが難しい。
  • 短期間の関係: 移動型コミュニティでは、関係が一時的であるため、伝統や文化を長期間にわたって維持することが難しい。これにより、深い信頼関係や共有された価値観の形成が困難になる。

伝統的なコミュニティは、一貫した価値観と長期間の安定した関係によって成り立っていたが、現代の技術進歩や社会変動により崩壊しつつある。一方で、新しい形態のコミュニティが登場しているが、これらは伝統的な価値観を維持する力が弱く、短期間の関係や一貫性の欠如が課題となっている。

第9章 評価と相対性

ロマンティシズムやモダニズムから離れるにあたり、冷静で反省的な方法ではなく、切迫した状況の中での移行が進んでいる。ロバート・ジェイ・リフトンは、「私たちの新しい状態についてどう評価すべきか?文化生活における得失はどうか?」と問うている。ポストモダンの影響については、本書全体で述べてきた。伝統的な理解や行動が侵食される一方で、ポストモダンの影響にはまだ多くの議論がある。

百年の損害報告書

自己を他者の目で見ることは目を開かせる経験であり、他者を自分と同じ人間として見ることは最低限の礼儀である。だが、自分自身を他者の中に見ることははるかに難しい。クリフォード・ギアーツは、「ローカル・ナレッジ」の中で、人間の生活が取る形式の一例として、自分自身を見ることが重要であると述べている。

本書の冒頭で述べたように、私たちは自己や他者を理解するために心理学的な言葉に大いに依存している。この言語は私たちの多くの関係パターンに組み込まれており、例えば、愛情関係や刑事裁判、宗教的機関などにおいて不可欠である。

ロマンティシズムの衰退

ロマンティシズムの時代には、個人の最も重要な要素はその内面にあるとされていた。情熱や永遠の愛、魂の交感、創造性などの言葉は、コミットメントや人生の目的への献身、他者への内在的価値の付与、道徳的洞察やリーダーシップへの信頼など、さまざまな社会的パターンを奨励した。しかし、これらのロマンティシズム的な概念は20世紀において大きく減少し、多くの場面で懐疑的または敵対的に見られるようになった。

モダニズムの台頭

モダニズムは啓蒙時代の言葉を復活させ、理性と観察が人間の心理の主要な要素であるとした。機械の比喩が支配的となり、社会科学がモダニズムの視点を強化した。完全に機能する個人は観察によって知ることができ、予測可能であり、文化によって訓練可能であるとされた。

ポストモダニズムの影響

20世紀の技術進歩と多様な視点への没入により、新たな意識、すなわちポストモダン意識が生まれた。この意識は、言語が現実を反映するものではなく、イデオロギーや社会的慣習、文学的スタイルによって支配されると疑うものである。ポストモダニズムは、個人の定義、理性、権威、コミットメント、信頼、真実性、リーダーシップ、感情の深さ、進歩への信仰などを失わせるものである。

結論

ポストモダニズムは、多様な可能性を認め、関係の現実を増大させるものである。ロマンティシズムやモダニズムの美徳を失うことなく、それぞれの視点が持つ問題点を認識し、相対的な評価を行うことが重要である。本書では、ロマンティシズム、モダニズムポストモダニズムの三つの視点が交錯する中で、それぞれの視点の美徳と問題点を探求した。

MOOCの古典的社会学理論

エリアスのことを調べていたらMOOCで取り上げられているのほ見つけた。 だいたいの受講生が15分で寝落ちするといわれるMOOCである。

www.coursera.org

www.youtube.com

わかりやすい解説。
こういうコンテンツがあるのは非常にありがたい。

そういえば、阪大の先輩の内海さんがエリアスの本を出しているので、時間があれば読んでみたい。

エリアス『文明化の過程』 第4部

The Social Constraint towards Self-Constraint

社会の組織が「国家」という形で成立し、税金や物理的な力の独占と中央集権化が進む過程が「文明化」とどのように関連するか。文明化の過程は、個々の人々の行動や感情の変化を伴い、これが計画的に意図されたものではなく、無意識的に進行したものである。この変化は理性的な計画によるものではなく、歴史的な出来事や社会の構造的な力学によって引き起こされたものである。

具体的には、他者からの圧力や制約が自己制約に変わる過程が描かれており、人間の本能的な行動が次第に公の場から排除され、恥の感情と結びつけられるようになったことが説明されている。これにより、人々は自己制御を通じて社会的な規範に従うようになり、これが安定した社会秩序の基盤となっている。

また、社会の分業が進むにつれて、個々人が他者に依存する度合いが増し、行動の調整がより厳密に要求されるようになったことが指摘されている。この過程で、個人の行動や感情の制御が幼少期から自動的に身につくようになり、社会の期待に応じた自己制約が内面化されている。これにより、社会の複雑化と安定化が進み、個人の心理的な習慣や行動パターンもより一貫性のあるものとなっている。

要するに、文明化の過程は、社会の構造的変化と個人の心理的変化が相互に影響し合いながら進行するものであり、これは計画されたものではなく、歴史的な力学によって自然発生的に進んだものである。人間の本能的な行動が次第に公の場から排除され、恥の感情と結びつけられるようになった過程について、エリアスの文明化理論に基づいて詳しく説明する。

文明化の過程において、人々の本能的な行動、特に性的な欲求や暴力的な衝動が次第に社会的に受け入れられないものとして排除されていく。この変化は、以下のような要素によって進行した。

1. 社会的な規範の発展

中世から近代にかけて、ヨーロッパでは社会的な規範が発展し、公共の場での行動が厳しく規制されるようになった。例えば、食事のマナーやトイレの使い方、性的な振る舞いなどが具体的に規定され、これらの規範に従わない行動は次第に不適切とされるようになった。

2. 恥の感情の内面化

これらの社会的な規範が広まる中で、人々は自己の行動を他者の視点から評価するようになり、規範に反する行動を恥ずかしいと感じるようになった。エリアスは、この恥の感情が内面化されることで、人々は自発的に自己の行動を制御し、社会の期待に応えるようになると指摘している。

3. 中央集権化と社会の安定化

国家の中央集権化が進むことで、法と秩序が確立され、物理的な暴力が制限されるようになった。これにより、人々は暴力的な衝動を抑制し、より穏やかな方法で問題を解決することが求められるようになった。これもまた、自己制御の必要性を高め、恥の感情を強化する要因となった。

4. 社会的な相互依存の増加

分業の進展により、人々は他者との協力や調整が不可欠となった。これにより、社会的な規範に従うことが個々の成功や生存に直結するようになり、規範に従わない行動が恥ずかしいだけでなく、実際的な不利益をもたらすようになった。

これらの要素が相互に作用し合うことで、人間の本能的な行動は次第に公の場から排除され、恥の感情と結びつけられるようになった。この過程は、文明化の一環として人々の行動や感情が規範化され、自己制御が強化されることを示している。

Spread of the Pressure for Foresight and Self-Constraint

文明化の過程において、将来を見通す力と自己制約の圧力がどのように広がっていくかについて述べられている。

主要なポイント

  1. 機能の分化と相互依存の拡大: 西洋社会において、機能の分化が進み、物理的な力や課税の独占が強固になるとともに、競争と相互依存が広範囲に広がった。これにより、人々は広い地域にわたって行動を調整し、長期的な視点を持つことが求められるようになった。

  2. 時間意識と自己制御の発展: 高度に発達した相互依存のネットワークでは、個々の行動が他者に与える影響が大きくなるため、自己制御の必要性が増す。時間を正確に管理し、短期的な欲求を抑えることが社会的に求められるようになり、これが個人の内面化された自己制約、つまり強固な「スーパーエゴ」の形成に繋がった。

  3. 社会階層間の影響の伝播: この自己制約と長期的視点の必要性は、まずは上層階級から広がり、次第に中層、下層階級にも浸透していった。特に西洋社会では、上層階級が最初にこの変化を受け入れ、その後、競争と相互依存の圧力により、下層階級も同様の行動規範を受け入れるようになった。

  4. 全体としての文明化の進展: 西洋社会全体が高度に分化し、複雑化するにつれ、個人の行動もますます規範に沿ったものとなり、即時的な満足よりも長期的な結果を重視するようになった。この過程で、上層階級と下層階級の行動の違いは次第に縮まり、全体としての社会的統合が進んだ。

  5. 外部への影響: 西洋の文明化過程は、他の地域にも波及し、植民地化などを通じて、同様の自己制約と長期的視点の必要性が広がった。これにより、他の地域でも西洋の影響を受けた文明化のプロセスが進行した。

これらの点を通じて、エリアスは文明化の過程が単なる文化の変遷ではなく、社会構造と個人の行動が相互に影響し合いながら進行する複雑なプロセスであることを示している。

スーパーエゴ

スーパーエゴ(超自我)は、精神分析創始者ジークムント・フロイトによって提唱された概念であり、人間の精神構造を理解する上で重要な要素である。フロイトは、精神をイド(本能的欲求)、エゴ(現実的調整)、スーパーエゴ(道徳的規範)の三つに分けた。このうち、スーパーエゴは道徳や倫理、社会的規範を内面化したものであり、個人の行動を監視し、制御する役割を果たす。

スーパーエゴの構成と役割

  1. 内面化された規範と価値観: スーパーエゴは、幼少期からの社会的な教育や親のしつけ、文化的な影響を通じて形成される。これにより、個人は社会的に受け入れられる行動や価値観を学び、これを内面化する。スーパーエゴはこれらの内面化された規範や価値観に基づいて行動を評価し、逸脱しないように個人を監視する。

  2. 良心と理想自我: スーパーエゴは二つの側面から構成される。良心(コンシエンス)は、間違った行動に対して罪悪感を引き起こす役割を果たす。一方、理想自我(アイディアル・セルフ)は、個人が達成しようとする理想や目標を示し、それに向かって努力するように促す。この二つの側面が、個人の行動を道徳的に正しいものに導く。

  3. エゴとの関係: スーパーエゴはエゴと密接に関連している。エゴは現実的な調整を行う役割を持ち、本能的欲求(イド)とスーパーエゴの道徳的要求の間でバランスを取る。スーパーエゴが過度に強いと、個人は自己批判的になり、過剰な罪悪感や不安を感じることがある。一方、スーパーエゴが弱いと、個人は道徳的な制約を欠いた行動を取りやすくなる。

文明化とスーパーエゴ

ノルベルト・エリアスの文明化理論においても、スーパーエゴの概念は重要である。文明化の過程では、社会的な規範が強化され、個人が自己制御を学ぶ。この過程で、スーパーエゴが発達し、社会的に受け入れられる行動を内面化することが求められる。

エリアスは、中央集権化や社会の分化が進む中で、個人が社会的な規範をより厳格に守るようになり、これがスーパーエゴの発達に寄与すると指摘している。人々は幼少期から社会的な規範を学び、これを内面化することで、自発的に自己制御を行うようになる。この結果、社会全体が安定し、個々人が互いに協力し合いながら生活することが可能になる。

スーパーエゴは、社会的な規範や価値観を内面化し、個人が道徳的に行動するための基盤となるものであり、文明化の過程において重要な役割を果たす。

Diminishing Contrasts, Increasing Varieties

文明化の過程において、社会的な行動パターンのコントラストが減少し、多様性が増大する。具体的には、次のような点が挙げられる。

  1. 社会階層間の違いの減少: 文明化が進むにつれて、上層階級と下層階級の行動パターンの違いが次第に小さくなっていく。かつては上層階級のみが持っていた特定の行動規範や自己制御の方法が、次第に下層階級にも広まっていった。この過程により、社会全体で均質化が進み、行動のコントラストが減少した。

  2. 多様性の増加: 同時に、文明化の過程では、多様な行動パターンや文化的表現が生まれ、多様性が増加している。これは、異なる社会階層や地域、文化が相互に影響を与え合い、新たな融合が生まれることによるものである。

  3. 外部との接触と影響: 西洋の文明化は、他の地域や文化にも影響を与えた。植民地化や貿易を通じて、西洋の行動規範や文化が他地域に広まり、これが各地で独自の文化と融合し、新たな多様性が生まれた。これにより、グローバルな視点で見た場合、行動パターンや文化的表現のバリエーションが増加している。

  4. 支配と競争の連鎖: 文明化の過程において、支配的な階層や国は常に新たな挑戦者や下層階級からの圧力にさらされている。これにより、支配階層も変化を余儀なくされ、新たな行動パターンを採用することとなる。この連鎖的な変化が、社会全体の多様性を増す一因となっている。

  5. 文化的融合と新しい規範の形成: 文明化の波が広がる過程で、異なる文化や行動規範が融合し、新たな文化的表現や社会的規範が形成される。この過程は、社会全体の行動パターンを豊かにし、多様性を増大させる。

エリアスは、これらの要素が相互に作用し合いながら、文明化の過程が進行していると論じている。社会の均質化と多様性の増加は、文明化の動的なプロセスの一環であり、これにより社会全体がより複雑で多様なものとなっている。

The Courtization of the Warriors

戦士階級が宮廷社会に組み込まれ、その行動や態度がどのように変化したかについて。エリアスは、文明化の過程において、戦士が宮廷人に変わることで、社会全体の行動規範が変容する様子を描いている。

  1. 戦士から宮廷人への変遷: 西洋文明化の過程では、戦士階級が次第に宮廷社会に取り込まれ、宮廷人としての行動規範を身につけるようになった。この変化は、11世紀から12世紀にかけて始まり、17世紀から18世紀にかけて完成した。

  2. 社会的な相互依存の拡大: 戦士が宮廷に集まり、日常的な依存関係が拡大することで、個々の行動がより慎重で予測可能なものとなった。これにより、社会全体の秩序が安定し、戦士たちの暴力的な衝動が抑制されるようになった。

  3. 宮廷での行動規範の確立: 宮廷社会では、厳格なエチケットや礼儀が求められ、戦士たちはこれに従うことで、より洗練された態度を身につけるようになった。宮廷での生活は、絶えず他者との関わりを伴うため、自己制御や感情の抑制が重要となった。

  4. 文化的な影響と統合: 宮廷社会での行動規範や価値観は、都市部のブルジョワ階級にも広がり、全社会的な文化的統合が進んだ。これにより、異なる社会階層間の文化的な隔たりが縮まり、全体としての社会の洗練度が向上した。

  5. 宮廷社会の中心性: 宮廷は、税と武力の独占を行う中央権力の象徴であり、その機能が社会全体の行動規範に大きな影響を与えた。宮廷での生活様式や価値観が広がることで、社会全体がより安定し、秩序立ったものとなった。

エリアスは、戦士が宮廷人に変わる過程を通じて、文明化が進展し、社会全体がより規律正しく洗練されたものになったと論じている。この過程は、個々の行動や態度が社会全体に広がり、最終的に社会全体の文化的なレベルが向上することを示している。

The Muring of Drives: Psychologization and Rationalization

人間の衝動の成熟化過程において、心理的および合理的な変化がどのように進行したかについて。エリアスは、文明化の過程で衝動がどのように内面化され、理性的に制御されるようになったかを分析している。

  1. 衝動の心理化: 文明化の過程で、個人の衝動は次第に内面化され、心理的に制御されるようになった。これは、社会的な規範や価値観が内面化され、個々の行動が社会の期待に応えるようになった結果である。人々は幼少期から社会的な規範を学び、これを基に自己制御を行うようになる。

  2. 衝動の合理化: 衝動の合理化とは、衝動が理性的に制御され、計画的かつ合理的な行動に変わる過程を指す。人々は衝動に基づく即時的な欲求を抑え、長期的な目標や社会的な期待に応じて行動するようになる。これにより、社会全体の秩序と安定が保たれる。

  3. 自己制御の発展: 文明化が進むにつれて、個人の自己制御能力は強化され、衝動や感情の爆発が減少する。これにより、社会的な相互依存が強化され、個々の行動が他者に与える影響を考慮するようになる。エリアスは、この過程が社会の分化と相互依存の増加に密接に関連していると指摘している。

  4. 社会的な影響: 衝動の心理化と合理化は、社会的な相互作用の質を向上させ、個人間の関係をより秩序立ったものにする。人々は他者との関係において、より慎重で予測可能な行動を取るようになり、これが社会全体の安定に寄与する。

  5. 長期的な影響: 衝動の成熟化過程は、個々の行動パターンや社会的な規範の進化を促進する。人々は自分の行動が将来的にどのような影響を及ぼすかを考慮し、より持続可能で協力的な社会を構築することができるようになる。

エリアスは、文明化の過程における衝動の心理化と合理化が、社会の安定と秩序にどれだけ重要であるかを強調している。これにより、個人と社会全体がより成熟し、調和のとれた関係を築くことができるのである。

Shame and Repugnance

恥と嫌悪感が文明化の過程においてどのように形成され、社会的な行動に影響を与えるかについて。エリアスは、これらの感情が個人の行動を制御し、社会的な秩序を維持するために重要な役割を果たすと述べている。

  1. 恥の内面化: 文明化の過程で、人々は他者の視線を意識し、自分の行動を評価するようになる。この評価が内面化されることで、社会的な規範から逸脱した行動に対して恥を感じるようになる。恥は、個人が社会の期待に沿った行動を取るための重要な内的制約である。

  2. 嫌悪感の形成: 嫌悪感は、社会的に受け入れられない行動や状況に対する反応として生じる。これは、個人が自己制御を行い、望ましくない行動を避けるための感情的なバリアとなる。嫌悪感は、特定の行動や状況に対する強い否定的な感情であり、これにより社会的な規範が強化される。

  3. 社会的な規範の強化: 恥と嫌悪感は、社会的な規範を強化するための重要な手段である。これらの感情が強く働くことで、個々の行動が社会全体の期待に沿ったものとなり、社会的な秩序が維持される。エリアスは、この過程が文明化の一環として重要であると強調している。

  4. 行動の内面的制御: 恥と嫌悪感は、個人の行動を内面的に制御するメカニズムとして機能する。これにより、人々は外部からの強制なしに自発的に社会的な規範に従うようになる。これは、社会の安定と秩序に寄与する重要な要素である。

  5. 文明化の進展: 文明化が進むにつれて、恥と嫌悪感の感情はますます強化され、個人の行動をより厳密に制御するようになる。これにより、社会全体がより洗練され、秩序立ったものとなる。エリアスは、この過程が個々の内面的な変化と社会的な構造の変化と密接に関連していると指摘している。

エリアスは、恥と嫌悪感が文明化の過程において果たす重要な役割を強調しており、これらの感情が社会的な規範と秩序を維持するための基本的なメカニズムであると論じている。

Increasing Constraints on the Upper Class: Increasing Pressure from Below

上流階級が下層階級からの圧力にどのように対処し、その結果として社会的制約がどのように増加したか。エリアスは、これらの変化が文明化の過程において重要な役割を果たしたと論じている。

主要なポイント

  1. 上流階級への圧力の増大: 文明化の過程で、下層階級からの社会的および経済的な圧力が増加し、上流階級はその立場を維持するためにさらなる努力を強いられるようになった。この圧力により、上流階級は自己の行動や態度をより慎重に管理する必要が生じた。

  2. 行動規範の厳格化: 上流階級は、社会的な地位を守るためにより厳格な行動規範を採用し、これを遵守するようになった。これにより、上流階級内部での相互監視と規律が強化され、行動や態度の一貫性が求められるようになった。

  3. 下層階級との相互依存: 下層階級の台頭に伴い、上流階級は彼らとの相互依存を深めざるを得なくなった。これにより、上流階級は下層階級の要求や期待に応える形で、行動を調整し、社会的な調和を保つ必要があった。

  4. 自己制御の強化: 上流階級は、外部からの圧力に対応するために自己制御を強化した。これは、感情の抑制や合理的な判断を伴い、個々の行動が社会全体の期待に沿ったものとなるようにするものであった。

  5. 社会的秩序の維持: これらの変化により、上流階級は社会的な秩序を維持する役割を果たすことができた。下層階級からの圧力に適応しながらも、社会全体の安定と調和を保つために必要な行動規範を守ることが求められた。

エリアスは、上流階級が下層階級からの圧力にどのように対処し、その結果として社会的制約が増加したかを詳述している。これにより、文明化の過程において、上流階級の行動や態度がどのように進化し、社会全体の秩序と安定に寄与したかを明らかにしている。

Conclusion

エリアスがこれまでの議論を総括し、文明化の過程における社会的変化と個人の行動変容の関係性を強調している。文明化のプロセスは、社会構造の変化と個人の心理的適応が相互に作用し合う複雑な現象であると論じている。

  1. 文明化の全体像: 文明化は、一貫して進行する単一のプロセスではなく、断続的な変化と調整の連続である。これには、社会的な相互依存の拡大と、個々の行動や感情の制御が含まれる。

  2. 社会的な相互依存の強化: 文明化が進むにつれて、社会の分業と相互依存が増し、個々の行動が他者に与える影響が大きくなった。このため、人々は自己制御を強化し、社会的な期待に応える形で行動を調整するようになった。

  3. 感情と行動の内面化: 社会的な規範や価値観が個人に内面化されることで、行動や感情の制御がより自発的かつ一貫したものとなった。これにより、個々の行動が社会全体の秩序と調和に寄与するようになった。

  4. 社会的階層の相互作用: 上層階級と下層階級の相互作用が進む中で、行動規範や価値観の統合が進み、社会全体の均質化が促進された。これにより、異なる階層間の摩擦が減少し、社会全体の安定性が向上した。

  5. 心理的適応の進化: 文明化の過程で、人々は心理的に適応し、感情の抑制や合理的な判断を行う能力を高めた。これにより、個々の行動がより計画的かつ社会的に適応的なものとなり、社会全体の進歩と安定に貢献した。

エリアスは、これらの要素が相互に作用し合うことで、文明化が進行し、社会全体の秩序と調和が保たれると結論付けている。文明化は、単なる社会的変化ではなく、個々の心理的適応と行動変容を伴う複雑なプロセスであり、これが社会の安定と発展に不可欠であると述べている。

エリオット・ソーバー『科学と証拠』第1章第7節

ベイジアン主義の限界

  1. 事前確率の設定:

    • ベイジアン主義では、事前確率(prior probability)を設定する必要がある。事前確率とは、データを観測する前に仮説がどれだけ確からしいかを示す確率である。しかし、事前確率の設定には客観的な基準がないため、主観的な判断に依存することが多くなる。
  2. 包括仮説の尤度:

    • ベイジアン主義は、包括仮説(catchall hypotheses)に対する尤度(likelihood)を設定する必要もある。包括仮説とは、すべての可能な仮説を包含する仮説である。しかし、これらの尤度を客観的に評価する基準も存在しないため、同様に主観的な判断に依存することになる。
    • 包括仮説とは、考慮すべきすべての可能な仮説を含む広範な仮説である。具体的には、ある現象を説明するために設定されるすべての仮説を網羅した仮説を指す。例えば、コインを投げた時に表が出る確率を考える際、包括仮説には「表が出る確率が50%ではない」すべての可能性が含まれる。
    • ベイジアン主義では、あるデータが観測されたときに、そのデータが特定の仮説のもとでどれだけもっともらしいかを示す値である尤度を設定する必要がある。この尤度は、データが観測されたときに、仮説がどれだけ支持されるかを定量的に示すものである。

モデル選択理論への移行

このようなベイジアン主義の限界を指摘した後、著者は話題を頻度主義のモデル選択理論に移している。ここでは、尤度主義(likelihoodism)に焦点を当て、証拠の解釈方法について議論している。尤度主義は、どの仮説が真実であるかを決定するのではなく、どの仮説が観測されたデータに最も適しているかを評価することを目的としている。
包括仮説に対する尤度の設定には客観的な基準がないため、主観的な判断に依存することが多い。具体的には、どの仮説をどの程度の確信を持って包括仮説として採用するか、またその仮説の尤度をどのように設定するかについては、統一された客観的な方法がない。このため、異なる人々が異なる判断を下す可能性が高く、結果として得られる結論も異なる可能性がある。

例え話

文書中では、鍵を探している人物の例え話が用いられている。この人物は街灯の下で鍵を探しているが、その理由は「そこに光があるから」であり、実際に鍵がそこにあるかどうかは問題にしていない。この例えは、ベイジアン主義がしばしば客観的な基準を欠いたまま仮説を設定し、それを評価するための光(データ)がある場所にだけ焦点を当てる傾向があることを示している。

ベイジアン主義の限界を指摘し、より客観的な証拠の評価方法として頻度主義のモデル選択理論を紹介する。

モデル選択理論の目的

モデル選択理論の主要な目的は、複数の統計モデルの中からどのモデルがデータに最も適しているかを比較することである。ここで重要なのは、どのモデルを「最も適している」と判断するかは、真理を決定するためではなく、予測精度やデータへの適合度に基づいて行う点である。

他の頻度主義手法との違い

他の頻度主義手法、特に仮説検定では、仮説を受け入れるか拒否するかの基準としてα値を選ぶ必要がある。α値とは、帰無仮説が真である場合に帰無仮説を棄却する確率(有意水準)である。これに対し、モデル選択理論では、以下の点で異なる。

  1. 帰無仮説の設定が不要: モデル選択理論では、特定の仮説を帰無仮説として設定する必要がない。つまり、どの仮説が初期の基準点として選ばれるべきかを決める必要がない。

  2. 仮説の受け入れや拒否が目的ではない: モデル選択理論の目的は、仮説を受け入れるか拒否するかを決定することではない。むしろ、複数のモデルを比較し、どのモデルが最もデータに適しているかを判断することに重点を置いている。

  3. α値の選択が不要: モデル選択理論では、仮説検定におけるα値のような任意の閾値を設定する必要がない。これにより、主観的な判断に依存せず、より客観的なモデル比較が可能になる。

モデル選択理論の利点

モデル選択理論は、仮説の受け入れや拒否にとどまらず、モデルの適合度や予測精度を評価するための基準を提供する。例えば、赤池情報量基準(AIC)やベイズ情報量基準(BIC)などがあり、これらはモデルの複雑さと適合度を考慮に入れた評価を行う。

科学におけるモデルの役割

科学の多くの分野では、モデルの構築と評価に多大な努力が費やされる。モデルとは、現象を説明または予測するために用いられる簡略化された仮説である。これらのモデルは、全ての関連要素を完全に表現することを目指していない。むしろ、重要な要素を抽出し、簡略化することで理解を深めようとする。

モデルの理想化

モデルには理想化が含まれており、これは現実の複雑さを単純化するための手法である。例えば、物理学では以下のような理想化が行われる。

  • 完全な弾性衝突: 実際の物体は衝突時にエネルギーを失うが、モデルではエネルギーを完全に保存する弾性衝突が仮定される。

  • 摩擦のない斜面: 現実にはどんな斜面にも摩擦が存在するが、モデルでは摩擦が全くないと仮定することがある。

これらの理想化は、現実の複雑さを無視することで計算を簡単にし、基本的な物理法則の理解を助ける。

理想化モデルの有用性

これらの理想化されたモデルは、真実ではないと分かっていても有用である。なぜなら、これらのモデルが現象の予測において高い精度を示すことが多いからである。例えば、摩擦のない斜面を仮定したモデルは、実際の摩擦が小さい場合には非常に正確な予測を提供する。

科学的推論の目的

科学的推論の目的は、完全に正確なモデルを作ることではなく、現象を理解し予測するために役立つモデルを作ることである。理想化されたモデルは、その単純さゆえに、予測の正確さを評価するための強力なツールとなる。これにより、科学者は現実のシステムの複雑さを少しずつ解明し、より精緻な理解を得ることができる。
以上のように、科学におけるモデルは理想化を含む簡略化された仮説であり、全ての関連要素を表現しようとするものではないが、予測の正確さを評価するために非常に有用である。

モデルの複雑さと適合

統計モデルの中には、多くのパラメータを持つ複雑なものがある。これらの複雑なモデルは、過去のデータに対して非常に高い適合度を示すことが多い。つまり、過去の観測データに基づいてモデルを調整すると、そのデータに対しては非常に正確な予測が可能になる。しかし、これはしばしば「過適合(オーバーフィッティング)」と呼ばれる現象を引き起こす。過適合とは、モデルが過去のデータのノイズや偶然の変動にまで適合してしまい、一般的な傾向を捉えることができなくなることを意味する。

予測精度の低下

過適合したモデルは、新しいデータに対して予測精度が低い場合がある。これは、モデルが過去のデータの特異な特徴に過度に依存しているため、新しいデータの一般的なパターンを正しく予測できないからである。したがって、複雑すぎるモデルは、新しいデータに対する予測において信頼性を欠くことがある。

モデル選択基準の役割

このような問題を防ぐために、赤池情報量規準AIC)や他のモデル選択基準が開発された。AICは、モデルの適合度と複雑さのバランスを取るための基準である。具体的には、AICは以下のように計算される。

 AIC = 2k - 2ln(L)

ここで、 kはモデルのパラメータの数、Lはモデルの対数尤度である。AICは、モデルの複雑さ(パラメータの数)に対するペナルティを課すことで、過適合を防ぎ、より一般化された予測精度の高いモデルを選択する助けとなる。

他のモデル選択基準としては、ベイズ情報量規準(BIC)や交差検証(クロスバリデーション)などがある。これらの基準も同様に、モデルの適合度と複雑さを評価し、過適合を避けるための手段として利用される。 複雑なモデルは過去のデータに対しては高い適合度を示すが、新しいデータに対しては予測精度が低下することがある。これを防ぐために、赤池情報量規準AIC)や他のモデル選択基準が開発され、モデルの適合度と複雑さのバランスを取ることで、より信頼性の高い予測を可能にしている。

真実と予測精度のバランス

科学的推論の目標としては、仮説やモデルが「真実であること」と「正確な予測を行えること」の二つの側面がある。これら二つの目標は必ずしも一致しない。真実を追求することは科学の理想主義的な側面であり、一方で予測精度の向上は実用主義的な側面である。理想主義的な科学者は、理論が現実を正確に反映することを重視するのに対し、実用主義的な科学者は、理論が実際のデータに基づいて有用な予測を行えることを重視する。

モデル選択理論の新たな視点

モデル選択理論は、この理想主義と実用主義の対立を新たな視点で捉え直す手法である。具体的には、モデル選択基準(例えばAICBICなど)は、モデルの適合度と複雑さを評価し、真実の追求と予測精度のバランスを取ることを可能にする。これにより、完全に真実でなくとも予測精度が高いモデルを選択することができる。

理想主義と実用主義の融合

モデル選択理論の観点からは、科学的モデルが完全に真実である必要はない。むしろ、モデルがどれだけ予測精度を持つかが重要である。例えば、あるモデルが理想化を含んでいても、そのモデルが新しいデータに対して高い予測精度を持つならば、そのモデルは科学的に有用であると判断される。このように、モデル選択理論は、科学における理想主義と実用主義の融合を目指すものである。

結論

モデル選択理論は、科学的推論において真実と予測精度のバランスを取る新たな視点を提供する。これにより、理想主義と実用主義の対立を解消し、科学的モデルが持つ実際の有用性を評価するための基準を提供することができる。これによって、科学の進歩がより現実的かつ有効な方向に向かうことが期待される。

Ryffの心理的ウェルビーイングについてのメモ

https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/016502548901200102

  • Ryff, C. D. (1989). Beyond Ponce de Leon and life satisfaction: New directions in quest of successful ageing. International journal of behavioral development, 12(1), 35-55.

https://psycnet.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2F0022-3514.57.6.1069

  • Ryff, C. D. (1989). Happiness is everything, or is it? Explorations on the meaning of psychological well-being. J Pers Soc Psychol, 57(6), 1069.

日本語

mhpn.m.u-tokyo.ac.jp

  • Sasaki, N., Watanabe, K., Imamura, K., Nishi, D., Karasawa, M., Kan, C.,Ryff, C. D., Kawakami, N. (2020). Japanese version of the 42-item psychological well-being scale (PWBS-42): a validation study. BMC Psychol, 8(1), 75. doi:10.1186/s40359-020-00441-1

研究であれば無料で使用ができるらしい。こちらからダウンロードが可能。

短縮版

pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

  • Ryff, C. D., & Keyes, C. L. M. (1995). The structure of psychological well-being revisited. Journal of Personality and Social Psychology, 69(4), 719–727.

こちらにまとめがある。
https://sparqtools.org/mobility-measure/psychological-wellbeing-scale/

フル項目版 https://docs.google.com/document/d/1pn2oZi3NiSuEJjtxl0hfaFpEa4Ea0v6YtrlWTAkVUlY/edit

18項目版 https://docs.google.com/document/d/10wj6zmPlGNZMvZXVrXDbMoG1ybkuezapJLXwy2xVAHY/edit?usp=sharing

短縮版について日本語でのバリデーションはされていないようだ。

自律性下位尺度項目はQ15,Q17,Q18である。環境制御力下位尺度項目はQ4,Q8,Q9。人格的成長下位尺度項目はQ11、Q12、Q14である。積極的な他者関係下位尺度項目は、Q6, Q13, Q16である。人生における目的下位尺度項目はQ3、Q7、Q10。自己受容の下位尺度項目はQ1、Q2、Q5である。
Q1、Q2、Q3、Q8、Q9、Q11、Q12、Q13、Q17、Q18は逆得点とする。逆スコアの項目は、尺度が測定している方向とは逆の言葉で書かれている。逆得点項目の計算式は次のとおり:
((尺度点数) + 1) - (回答者の回答)
例えば、Q1は7点満点。Q1 で回答者が 3 と答えた場合、その回答を (7 + 1) - 3 = 5 と再コード化。