2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧
厚生労働科学研究費補助金(こころの健康件学研究事業) 広汎性発遺障害に対する早期治療法の開発 平成20年 分担研究報告 分担研究者 杉山登志郎 II 強度行動障害の再検肘 研究1 強度行動障害の再検討 研究協力者 川村昌代・橋詰由加里・大隅香奈苗 73-80…
中野 育男 近世職業教育訓練の系譜 専修商学論集 (89), 127-141, 2009-07-00 この論文はレビューに近い形式。興味があるところだけをピックアップしてみた。18世紀末ころからの江戸の人口を支えた、年季奉公について。 江戸の人口は100 万人を越えていたが,…
浜野 潔 幕末期京都の人口構造とライフコース 關西大學經済論集 56(4), 383-402, 2007-03-00 この論文では幕末京都(1959年まで)の出生率を推定するという趣旨のものである。その際に使用されているのはchild-womanratioという指標である。 京都のように移動…
梅村 佳代 近世後期〜明治初期、但馬地域の教育の歴史的考察--出石藩の藩校から「学制」期の小学校創設までを対象として 奈良教育大学紀要 人文・社会科学 56(1), 1-12, 2007-10-00 まずは、民衆の手習による社会的な変化から。 民衆が文字を獲得し、そのこ…
近世民衆の手習いと往来物作者: 梅村佳代出版社/メーカー: 梓出版社発売日: 2002/10メディア: 単行本この商品を含むブログを見る この本のテーマはまったく違うところにあるのだけども、よくまとまっていたので、引用。 近年の研究の進展は、近世民衆の読み…
享保期の寺子屋の話。寺子屋の師匠は特別扱いをされていたこと、奨励賞のようなものが出されていたようだ。民衆の力で手習が広まったのは事実だが、それを奨励する政策もささやかながら行われていた。寺子屋師匠には帯刀が許されていたという。 享保六年(一…
梅村 佳代「寛政期寺子屋の一事例的研究 伊勢国「寿硯堂」を中心として」 日本教育学会大會研究発表要項 44, 6, 1985-09-05 松坂周辺農村飯高群本村「寺硯堂」の研究。この寺子屋は寛政4年(1792年)と文政5年(1822年)まで存在し、643名の寺子を輩出している…
石山 秀和 江戸近郊農村にみる手習塾の門人と教育内容(平成 12 年度定例会発表要旨) 立正大学人文科学研究所年報 38, 95, 2001 旧下総国葛鋳郡藤原新田(現千葉県船橋市藤原)に開設された安川舎と称する手習塾について。文久4年(1863年)の宗門帳の調査から。…
今回は江戸中期から末期にかけての教育のマス化について。 利根 啓三郎 近世における民衆の教育的欲求とその影響 東京家政学院大学紀要 30, 245-257, 1990-07-31 近世の教育は上層から始まる。農村であれば、裕福な農民が手習をしていたが、江戸の末期にかけ…
近世の関東畑作農村における雇傭労働の変質過程 : 武州平山村・斎藤家の年季・日雇奉公人を中心に 青木 美智子 社會經濟史學 51(4), 455-489, 584-585, 1986 武州平山村・斎藤家の年季・日雇奉公人の給金について年代別にその特徴をあげた論文。 もちろん、…
倉橋 めぐみ 近世信濃国における庶民教育 高円史学 (23), 23-59, 2007 http://ci.nii.ac.jp/naid/40015667435 現在の学校が生活教育・生徒指導をするのもこの流れなのだろうか。江戸では6歳から手習を始めるのが通例だったが、地方に行くと1歳から通ってい…
近世、江戸時代には移動の自由がなかったということはしばしば聞く(そのように書いている教科書もある)が、実際には移動の自由があった。本音と建て前の文化が移動の際にも使われ、奉公という形(一時期土地を離れる)をとる。そのまま生まれた場所に戻ってこ…