井出草平の研究ノート

寺子屋で手習い以外にも「しつけ」や「社会通念」を教えていた

倉橋 めぐみ
近世信濃国における庶民教育
高円史学 (23), 23-59, 2007
http://ci.nii.ac.jp/naid/40015667435

現在の学校が生活教育・生徒指導をするのもこの流れなのだろうか。江戸では6歳から手習を始めるのが通例だったが、地方に行くと1歳から通っているケースもある。保育園的な位置づけを持っていた手習塾もあった(この論文にはこの話は載っていない)。


この論文では、寺子屋規則にしつけや道徳についての指針を求めている。

まず、一点目として、文字に対する要求が、農民層にも広く行き渡ってきたということである。近世、とりわけ、近世後期になると、村に住んでいる人々が、文字などの習得が、自分たちにとっても、子どもたちにとっても、生きていくうえで、必要なものとして、認識されてきたのだろう。

次いで、二点目は、文字などを習得したいと思っている人々の要求に応えることのできる教養、知識、文筆力をもった人々の層が厚かったということである。

三点目として、寺子屋を開いていた手習師匠は、子どもたちに書、読、算などの学習を身につけさせるだけでなく、しつけや家族、村の成員になるための社会通念をも身につけさせようとしていたことである。


四点目として、近世の村にとって、寺子屋は必要不可欠な存在となったことである。そのために、もし、その村に手習師匠がいなかった場合などに、手習師匠を他地域から招愕してきている。

寺子屋・手習塾における道徳教育については、下記の文献が詳しい。

江戸の教育力 (ちくま新書)

江戸の教育力 (ちくま新書)

ざっくりいうと、解題された『論語』が使用されていたという話。

関係ないがデータがあったので、ついでに引用。

日本教育史資料』調査の全国平均では、農民・町人が四〇%、武士が二六%である。手習師匠の過半数を農民が占め、武士の割合が低いことは長野県の手習師匠の特色といえるだろう。