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子どものための宗教、守護天使、模範的な子ども
今回読んだ箇所でフィリップ・アリエスが論じているのは、16~17世紀になると、キリスト教の内部に子どもを特別な対象とする信心、図像、教育が形成されたということである。本文に出てくる「子どものための宗教」とは、子ども専用の別の宗教が成立したという意味ではない。従来のカトリック信仰の内部で、子どもの無垢、素直さ、従順さを宗教的に高く評価し、それを保護し育成するための体系が作られたという意味である。
その中心に置かれたのが、守護天使への信心であった。
守護天使と子どもの無垢
キリスト教では、すべての人間に守護天使が付き添い、その人を救いへ導くという考えがある。しかし、アリエスが引用する17世紀の『品行方正な少年』では、守護天使はとりわけ子どもの特権であるかのように説明されている。
成人にも守護天使は付いているが、成人がその恩恵を受けられるのは、幼年期からそれを受け継いでいるからだとされる。ここでは、守護天使と人間との関係の原型が子ども時代に置かれている。
天使が子どもを特に好む理由は、子どもの「柔軟さ」や「素直さ」にある。これに対し、大人は神や天使の導きに反抗する存在として描かれる。子どもはまだ自分の意志を強く押し通さず、天使に導かれやすい。したがって、幼年期は神に属し、成人期は悪魔の誘惑にさらされやすい時期と考えられた。
ただし、これは「子どもには罪がなく、大人になると自動的に悪人になる」という単純な主張ではない。重要なのは、子どもの従順さと大人の自律性が対照化され、大人の自律性が「反抗」という否定的な語で理解されている点である。
ここには、子どもを大人から区別し、子ども独自の性質を見いだそうとする近世的な子ども観が現れている。
パウロの「完成された年齢」
本文には、「神は最初の年齢を所有するが、悪魔は老年期の最良の部分だけでなく、使徒が『完成された』と呼ぶ年齢の最良の部分をも所有する」という趣旨の文章が引用されている。
ここでいう「使徒」は聖パウロを指す。パウロは書簡の中で、幼児的な状態を脱し、信仰において成熟した人間になることを肯定的に語っている。「完成された年齢」または「完成された人」とは、本来はキリスト教的成熟を表す言葉である。
しかし、『品行方正な少年』では、この言葉が逆説的に使われている。人間的・宗教的に完成したはずの成人期であっても、その最良の部分を悪魔に奪われることがある。それに対して、まだ未完成に見える子どもの時期は、神によって所有されているとされる。
したがって、本文におけるパウロの役割は、パウロ自身の生涯や回心を紹介することではない。「完成された年齢」というキリスト教的な成熟概念を提供する権威として引用され、それが幼年期の無垢との対比に用いられている。
なお、これは「パウロが大人は悪魔のものだと述べた」という意味ではない。『品行方正な少年』の著者が、パウロの用語を別の文脈に取り入れているのである。
守護天使は実際に見えるのか
守護天使の図像では、天使が子どもの手を引いたり、盾で悪魔から守ったりする姿が描かれる。しかし、これは子どもが日常的に天使を目撃しているという意味ではない。
守護天使は通常、目に見えない霊的存在と考えられる。絵画では、目に見えない保護や導きを観客に理解させるため、天使を翼のある少年や青年として可視化している。
したがって、絵画の中には次の二つの視点が重なっている。
- 登場人物の世界では、天使の本当の姿が見えていない場合がある。
- 絵を見る人には、翼などによって、その人物が天使だと分かる。
この二重構造をよく示すのが、トビアと大天使ラファエルの物語である。
トビアと大天使ラファエル
トビアは『旧約聖書』の「トビト記」に登場する青年である。日本語ではトビア、トビアス、トビヤなどの表記がある。父トビトは信仰深い人物だったが、失明してしまう。トビアは父の依頼を受けて旅に出ることになり、アザリアと名乗る旅の同行者に導かれる。
この同行者の正体が大天使ラファエルである。しかし、トビアや家族は当初、彼が天使であることを知らない。ラファエルは人間の青年の姿で同行し、旅の途中でトビアを危険から守り、結婚を助け、最後には父トビトの失明を治す方法を教える。物語の終盤になって初めて、自分が神から遣わされた天使ラファエルであることを明かす。
したがって、トビアにはラファエルが「人間の案内人」として見えている。一方、絵画の観客には翼が描かれているため、最初から天使だと分かる。
この物語は、本来は旧約聖書に由来する旅と救済の物語だった。しかし16~17世紀には、天使に導かれるトビアが、守護天使に導かれる子どもの魂を象徴するものとして読み替えられた。
トビアの物語に関する参考資料として、読書会では以下が共有された。
ニコラ・トゥルニエの《トビアと天使》
アリエスは、天使に導かれるトビアの図像の例として、ニコラ・トゥルニエの油彩画を挙げている。原文では「1958年にロンドンとパリで展示されたトゥルニエの美しい画布」と説明されている。
この作品として有力なのは、現在ショール・コレクションが紹介している、ニコラ・トゥルニエの《トビアと天使》または《若きトビアの出発》と呼ばれる作品である。
参考資料:
- Schorr Collection, Tobias and the Angel https://www.schorr-collection.com/main-collection/tobias-and-the-angel-1620-oil-on-canvas
この絵は、単純にトビアと天使が二人で歩いている場面ではない。旅立つトビアと、その家族、同行するラファエルが描かれている。暗い背景の中から人物の顔や手が強い光で浮かび上がり、家族の別れが現実的な人間ドラマとして表現されている。
トゥルニエには、同じ「トビアと天使」という画題の別作品もある。フランス文化省のデータベースに登録されたナルボンヌの作品がそれである。
ただし、アリエスが「1958年にロンドンとパリで展示された」と記している作品は、ナルボンヌの教会に伝わった作品ではなく、旧バーロウ・コレクションにあったとされる作品である可能性が高い。したがって、同じ画題だからといって二つの作品を混同しないよう注意が必要である。
トゥルニエがカラヴァッジョ風である理由
ニコラ・トゥルニエの作品がカラヴァッジョに似ているのは偶然ではない。トゥルニエは、17世紀前半にローマで活動したフランス人のカラヴァッジョ派画家の一人である。
カラヴァッジョ本人の直接の弟子だったわけではないが、カラヴァッジョの影響を受けた画家たちが活躍していたローマで、その様式を吸収した。
特徴としては、次のような点がある。
- 背景を暗くし、横からの強い光で人物を浮かび上がらせる。
- 聖書の登場人物を、理想化された聖人ではなく、現実の人間のように描く。
- 顔、手、視線によって物語を進める。
- 神聖な出来事を、身近な家族や庶民の生活のように表現する。
《トビアと天使》でも、聖書の場面が遠い神話として描かれているのではなく、息子の旅立ちを悲しむ現実の家族のように描かれている。この身近さによって、旧約聖書の物語が、子どもを守り導く守護天使という同時代の信心と結びつきやすくなったと考えられる。
魂を子どもの姿で表すこと
アリエスは、天使に導かれる子どもの図像には、二つの意味が重なっていると指摘する。
第一に、子どもはトビアのような実在の物語上の人物を表している。第二に、子どもは人間の「魂」そのものを象徴している。
魂を小さな子どもの姿で表す伝統は、中世以来の図像に見られる。人の死を描く場面で、口から小さな子どもの姿をした魂が出てくることもある。子どもの姿は、身体を離れた魂の純粋さ、裸形、無力さを表すのに適していた。
16~17世紀には、この古い「魂=子ども」という表現に、守護天使への新しい信心が結びついた。その結果、天使が子どもの手を引く姿が、単なる聖書物語ではなく、人間の魂を救いへ導く守護天使の象徴として理解されるようになった。
洗礼盤と守護天使
アリエスは、南ドイツのドナウヴェルトにある聖十字架教会の洗礼盤を例に挙げる。洗礼盤の蓋には球体があり、その周囲に蛇が巻き付いている。球体の上では、若い男性の姿をした天使が子どもの姿の魂を導いている。
蛇は罪や悪魔を連想させ、球体は世界を表す。そこを天使に導かれて歩く子どもは、洗礼によって罪から救われ、守護天使に導かれる魂を示している。
この図像が洗礼盤に置かれていることが重要である。守護天使への信心は、単に子どもはかわいらしいという感情から生まれたのではない。洗礼によって原罪を清められた子どもの魂を、その無垢な状態のまま守るという宗教的課題と結びついていた。
模範的な子どもという発想
16~17世紀には、「模範的な子ども」の物語も盛んに語られるようになった。子どもは単に未熟で教育を必要とする存在ではなく、無垢と敬虔さによって、大人よりも神に近い存在になり得ると考えられた。
その例としてアリエスが紹介するのが、ギヨーム・リュファンである。
リュファンは1657年に生まれ、ラ・フレーシュのイエズス会学校で学んだ。14歳の時には「第三学級」に在籍しており、聖母マリアを守護者とする信心会に属していた。この信心会は、品行がよく、信仰に熱心な優秀な生徒の団体だった。
リュファンは病人を見舞い、貧しい人に施しをしたと伝えられる。哲学課程の一年目を終えようとしていた1674年に病気になり、聖母マリアが二度現れたという。そして、自分が「善き母の祝日」、すなわち聖母被昇天祭の日に死ぬことを知らされたとされる。
聖母被昇天祭
聖母被昇天とは、聖母マリアが地上での生涯を終えた後、身体と魂を伴って天上の栄光へ上げられたとするカトリックの教えである。祝日は8月15日である。
キリストの「昇天」は、キリストが自らの力で天に昇ったことを指す。それに対して、マリアの「被昇天」は、マリアが神によって天に上げられたという受け身の意味をもつ。
リュファンが「善き母の祝日」に死ぬと知らされたという場合、「母」は実母ではなく、信仰上の母である聖母マリアを指している。
リュファンの話の性格
リュファンの話は、現代的な意味で検証された伝記ではない。出来事から約50年後の1722年に作られたラ・フレーシュ信心会の年代記をもとにしている。したがって、聖母の出現や死の予告を歴史的事実としてそのまま受け取る必要はない。
重要なのは、このような話がどのような子ども像を提示したかである。
リュファンは、奇跡を起こしたわけでも、異常な早熟さを示したわけでもない。病人を見舞い、貧しい人を助け、信仰を守り、無垢なまま若くして死んだ。このような平凡な学校生活の中でも、子どもの徳を忠実に守ることで聖性に到達できると考えられた。
アリエス自身も、イエズス会学校で過ごした少年時代、若くして亡くなった生徒を列聖しようとする運動があったことを回想している。つまり、リュファンのような「学校生活の中の小さな聖人」という理想像は、17世紀だけで終わったのではなく、近代のイエズス会教育にも残っていた。
聖アロイジオ・ゴンザーガ
子どもや少年が無垢を保つことによって聖人になり得るという理想の代表が、聖アロイジオ・ゴンザーガである。
彼は16世紀後半のイタリア貴族の出身で、宮廷生活を捨ててイエズス会に入り、疫病患者の看護中に感染して23歳で亡くなった。17世紀の教育書では、若者が清らかさと従順さを保った模範として頻繁に取り上げられた。
ここで大切なのは、子どもに早く大人らしくなることを求めるのではなく、子ども時代の無垢をできるだけ長く保存することが徳とされた点である。
聖人の青年時代を教育に使う
イエズス会学校では、幼い聖人の生涯だけでなく、著名な聖人が若い頃に示した英雄的行為も、生徒の教育に使われた。また、若い頃に放縦な生活を送った聖人については、その後悔が教訓とされた。
1634年、エクスのイエズス会学校では、四旬節中に週二回、生徒向けの説教が行われ、「聖人たちが青年時代に行った英雄的行為」が主題となった。前年の1633年には、「聖アウグスティヌスが自らの青年時代を悔いたこと」が扱われた。
ここでは二種類のモデルが提示されている。
一つは、若い頃から正しく生き、無垢を保った聖人である。もう一つは、若い頃に過ちを犯したが、後に回心し、その過去を悔いた聖人である。
どちらも、生徒に自分の現在の生き方を考えさせるための教育材料だった。
四旬節
四旬節は、復活祭を迎えるための準備期間である。西方教会では灰の水曜日から始まり、復活祭直前まで続く。日曜日を除いて40日となるため、「四旬節」と呼ばれる。
40という数字は、イエスが荒野で40日間断食したことなどに由来する。四旬節には、祈り、断食、節制、施し、悔い改めが重視される。
イエズス会学校で四旬節中に週二回の説教が行われたのは、この期間が通常以上に自己反省と宗教教育に適した時期とされたためである。
第一聖体拝領の成立と、子どもという宗教的主体
前半で扱った守護天使や模範的な少年の物語は、子どもの無垢を保護し、宗教的に価値づける動きだった。後半で扱われる第一聖体拝領は、その子どもが、単に守られる存在であるだけでなく、信仰の意味を理解し、自覚的に宗教儀礼へ参加できる存在とみなされるようになったことを示している。
アリエスは、第一聖体拝領が17世紀から19世紀にかけて、「子ども時代の最大の宗教的祭り」へと発展していったと論じている。
中世には子ども固有の宗教的祭りがなかった
アリエスによれば、中世には、後世の第一聖体拝領のように、個々の子どもを主役とする宗教的な祝祭はほとんど存在しなかった。
季節ごとの祭りには子どもも参加していたが、その多くは地域共同体全体の祭りであり、キリスト教以前の民俗的要素も強かった。子ども一人ひとりの成長や信仰を祝うものではなかった。
15世紀以降、聖母マリアの神殿奉献やキリストの割礼など、幼年期に関係する聖書場面の絵に、多くの子どもが描かれるようになった。しかし、こうした旧約・新約の物語画は、図像上は「子どもの祭り」のようになっても、17世紀フランスの実際の信仰生活において、子ども固有の行事として機能するものではなかった。
その位置を徐々に占めたのが第一聖体拝領だった。
聖体拝領とは何か
聖体拝領とは、ミサの中で、聖別されたパンとぶどう酒を、キリストの身体と血として受けることである。
その起源は、イエスが十字架にかかる前夜、弟子たちと行った最後の晩餐にある。イエスはパンを自分の身体、ぶどう酒を自分の血として弟子たちに与え、これを自分の記念として行うよう命じたとされる。
カトリック教会では、司祭が聖別したパンとぶどう酒は、外見上はパンとぶどう酒のままでも、その本質においてキリストの身体と血になると教える。
日本のカトリック教会で一般に「御聖体」と呼ばれる薄い円形のパンは、ホスチアという。ラテン典礼のカトリックでは、小麦から作った無発酵パンを用いることが定められている。
- 世界のパン「ホスチア」 https://e-food.jp/recipe/europe/bread/
プロテスタントの聖餐と市販のパン
プロテスタントにも、パンとぶどう酒を分かち合う儀式があり、「聖餐式」または「主の晩餐」と呼ばれる。
ただし、聖餐の意味やパンの扱いは教派によって異なる。ルター派や聖公会は聖餐におけるキリストの現存を強く認めるが、改革派では霊的な交わりが重視され、バプテスト派などでは最後の晩餐を記念する象徴的行為と理解する傾向がある。
そのため、プロテスタント教会では、カトリックのホスチアと同じものを必ず用いるわけではない。市販の食パン、フランスパン、クラッカー、聖餐用ウェハーなどを小さく分けて用いる教会がある。日本では、ヤマザキなどの市販の食パンを切り分けて配る教会があっても不思議ではない。
これは「正式なホスチアの代用品を雑に使っている」ということではなく、普通のパンでも、礼拝の中で祈りをもって分かち合えば聖餐になるという、その教派の理解に基づいている。
また、アルコールを避けるため、ぶどう酒ではなくぶどうジュースを使用する教会も多い。
第一聖体拝領
第一聖体拝領とは、洗礼を受けた子どもが初めて聖体を受けることである。
現代のラテン典礼のカトリック教会では、一般に7~8歳前後、小学校2年生頃に行われることが多い。これは、子どもが善悪をある程度判断でき、聖体が普通の食物とは異なることを年齢相応に理解できる時期と考えられているためである。
ただし、本文が扱っている17~18世紀には、第一聖体拝領の年齢は現在ほど統一されていなかった。精神的・道徳的な成熟を慎重に判断し、十代まで延期する場合もあった。
第一聖体拝領は子ども時代の終わりか
第一聖体拝領は、成人式のように、その日をもって子どもではなくなる儀式ではない。
むしろ第一聖体拝領は、まだ子どもでありながら、宗教上の秘義をある程度理解し、自覚的に信仰へ参加できるようになったことを祝う儀式である。
その意味では、「子ども時代全体の終わり」ではなく、「善悪や信仰について何も判断できない幼年期の終わり」とみることができる。
第一聖体拝領を受ける子どもには、相反する二つの性質が同時に認められる。
一方では、子どもは洗礼以来の無垢を保つ存在とされる。他方では、聖体の意味を理性的に理解し、自分の行動に責任を持ち始める存在とされる。
アリエスが本文末尾で述べる「子どもの無垢」と「聖なる秘義を理性的に理解する能力」という二重性が、第一聖体拝領の中心にある。
ポール=ロワイヤルと慎重な準備
第一聖体拝領が荘厳な行事になった背景には、聖体を受けるための準備を重視する宗教運動があった。特にアリエスが注目するのが、17世紀フランスのポール=ロワイヤルである。
ポール=ロワイヤルでは、聖体拝領の回数を単純に減らそうとしたのではない。十分な準備を行い、意味を自覚し、霊的に実りのある聖体拝領にしようとした。
ジャクリーヌ・パスカルは、子どもが幼すぎる場合、ふざけやすい場合、軽率な場合、重大な欠点を改められない場合には、第一聖体拝領を延期するよう求めている。
半年から一年ほど観察し、よい態度が一時的なものではなく、継続しているかを確認する。延期しても、準備のできた子どもはさらに徳を伸ばし、準備のできていない子どもについては、その不足が明らかになると考えられた。
なぜ最初の聖体拝領が、その後を左右するのか
ジャクリーヌ・パスカルは、「第一聖体拝領については、どれほど慎重になっても慎重すぎることはない。なぜなら、その後のすべての聖体拝領が、しばしば最初の聖体拝領にかかっているからである」と述べている。
これは、最初の一回が神学的に後の聖体の効力を決定するという意味ではない。
第一聖体拝領によって、子どもが聖体に対する基本的な態度を身につけると考えられていたのである。準備不足のまま受ければ、聖体拝領を単なる習慣や学校行事として理解し、その後も形式的に受け続ける可能性がある。
反対に、長い準備の中で、
- 聖体が何を意味するかを学ぶ。
- 自分の行動を振り返る。
- 欠点を改める。
- 敬意をもって儀式に参加する。
という習慣を身につければ、その後の聖体拝領にも同じ姿勢で臨むことが期待できる。
つまり、第一聖体拝領は、その後の信仰生活の型を作る教育的・心理的な出発点と理解されていた。
知的障害と第一聖体拝領
第一聖体拝領に一定の理解力が求められるからといって、知的障害のある人が一律に排除されるわけではない。
「子どもの無垢」と「理性的理解」を結びつけた歴史的表現だけを見ると、十分な理解力のない人は聖体拝領できないようにも読める。しかし、現代のカトリック教会では、本人の能力に応じた理解と信仰の表現が重視される。
たとえば、言語による詳しい説明ができなくても、
- 聖体を普通の食べ物とは異なる大切なものとして認識する。
- 敬意をもって受ける。
- 表情、行動、習慣などによって信仰を示す。
ことができれば、第一聖体拝領を受けられるよう配慮される。
したがって、知的障害があることや、「無垢」であるとみなされること自体は、聖体拝領を拒否する理由にはならない。無垢であることと、聖体拝領に参加できるかどうかは別の問題である。
堅信
本文では、ポール=ロワイヤルが第一聖体拝領を堅信の後まで延期したことが述べられている。
堅信とは、洗礼を受けた人が、聖霊によって信仰を強められる秘跡である。司教または司祭が本人の額に聖香油を塗り、按手して祈る。
「堅信」という日本語は、洗礼によって始まった信仰を「堅くする」という意味を表している。英語やフランス語では Confirmation と呼ばれる。
読書会で共有された参考資料:
- Wikipedia「堅信」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%85%E4%BF%A1
ポール=ロワイヤルでは、次の順序が想定されていた。
洗礼 → 堅信 → 第一聖体拝領
堅信によって「イエスの霊に満たされ」、その後にキリストの身体である聖体を受ける方が適切だと考えたのである。
現在のラテン典礼のカトリック教会では、多くの地域で、
洗礼 → 第一聖体拝領 → 堅信
という順序になっている。ただし成人入信者の場合には、洗礼、堅信、聖体拝領を続けて受けるのが基本である。
七つの秘跡
カトリック教会では、神の恵みを目に見える儀式を通して受けるものを「秘跡」と呼び、七つに整理している。
洗礼
水を用い、キリスト教徒として新しく生まれる秘跡。原罪を清められ、教会共同体の一員になるとされる。
堅信
聖霊の恵みによって、洗礼によって始まった信仰を強める秘跡。
聖体
キリストの身体と血を受け、キリストと教会共同体に結ばれる秘跡。第一聖体拝領は、これを初めて受けることである。
ゆるしの秘跡
自分の罪を告白し、司祭を通して神の赦しを受ける秘跡。「告解」や「和解の秘跡」とも呼ばれる。
病者の塗油
病人に聖油を塗り、癒やし、慰め、罪の赦し、苦しみに耐える力を祈る秘跡。
叙階
助祭、司祭、司教として教会に奉仕するための職務と権能を授ける秘跡。
読書会で共有された参考資料:
- Wikipedia「叙階」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%99%E9%9A%8E
叙階を受けるのは、聖職者になる一部の人だけである。すべての信徒が七つの秘跡を全部受けるわけではない。
婚姻
男女が神と教会の前で結婚の誓いを交わし、夫婦として生きる恵みを受ける秘跡。
叙階と婚姻は、それぞれ異なる召命や生き方に関係する。そのため、通常、叙階を受けて司祭になる人は婚姻の秘跡を受けず、結婚する一般信徒は叙階を受けない。
ジラール大佐の第一聖体拝領
18世紀に第一聖体拝領が学校や修道院で組織的に行われるようになった例として、アリエスはジラール大佐の回想録を引用している。
原文の人物名は Gérard ではなく Girard であり、日本語では「ジェラール大佐」よりも「ジラール大佐」とするのが正確である。
人物はエティエンヌ=フランソワ・ジラールである。
Étienne François Girard, 1766–1846
1766年に貧しい家庭に生まれ、幼くして孤児となった。10歳頃から使用人として働いていたが、彼に関心をもった教区の助任司祭によってサン=タヴィ修道院へ送られた。その後軍人となり、革命戦争やナポレオン戦争を経験し、大佐に昇進した。退役後にはトゥーロン市長も務めた。
彼の自筆手稿は、ポール・デザシーによって編集され、1951年に次の題名で刊行された。
Étienne François Girard, Les Cahiers du colonel Girard, 1766–1846, publiés d’après le manuscrit original par Paul Desachy, Paris, Plon, 1951.
これはジラールが1951年に執筆した本ではない。本人が残した手稿を、死後100年以上を経て編集・出版したものである。
「第一聖体拝領を許された」という表現
ジラールは15歳頃、修道院の寄宿生たちと一緒に第一聖体拝領をすることになった。
アリエスの原文では、
il fut admis à la première communion
という表現が用いられている。直訳すると、「彼は第一聖体拝領に認め入れられた」「第一聖体拝領を許可された」となる。
アリエスはこれに続けて、
l’expression est bien usuelle
と記している。
これは「その表現は日常的である」というより、
「『第一聖体拝領を許される』という言い方は、当時ごく一般的だった」
という意味である。
この言い方には、第一聖体拝領が、一定の年齢になれば自動的に参加できる行事ではなかったことが示されている。本人の理解、態度、品行、準備状況を、司祭や教育者が審査し、参加を許可するものだった。
犬と遊んだために延期された第一聖体拝領
第一聖体拝領の前日、ジラールは修道院の中庭で犬と遊んでいた。その場を通りかかったイエズス会士は、翌日にキリストの身体と血を受ける人間としてふさわしくない軽率な行動だと判断した。
ジラールは修道院長に呼び出され、翌日の儀式への参加を取り消された。その後、償いを行い、三か月後に第一聖体拝領を受けた。
現代の感覚では、犬と遊んだだけで参加を延期するのは過剰に厳しく見える。しかし、この逸話は、第一聖体拝領がどれほど荘厳で、慎重な精神的準備を必要とする儀式として扱われていたかを示している。
また、第一聖体拝領後は、毎週日曜日と祝祭日に聖体拝領をするよう命じられた。第一聖体拝領が一度きりの記念行事ではなく、規則的な信仰生活への入口だったことが分かる。
第一聖体拝領の記念画像
18世紀半ばには、第一聖体拝領の記念を、聖人を描いた小型の信心用画像に書き残す習慣が生まれていた。
アリエスは、1931年にヴェルサイユで展示された、アッシジの聖フランチェスコを表した版画を紹介している。版画の裏には、フランソワ・ベルトランが1767年4月26日に、マルリーのサン=セバスティアン教区で第一聖体拝領を行ったことが、主任司祭の名とともに記録されていた。
現時点では、この版画の作者、正式な作品名、現在の所蔵先までは特定できていない。
ただし、アリエスが注目しているのは、美術作品としての版画の価値ではない。聖人の画像が、第一聖体拝領の記念品であると同時に、教会による証明書の役割を果たしていたことである。
したがって、「聖フランチェスコを表した版画」と訳すよりも、
「アッシジの聖フランチェスコを描いた信心用の御絵」
と理解する方が実態に近い。
裏面の文章は、単なる家族の記念書きではなく、司祭が署名した宗教上の証明だった。これは洗礼、婚姻、埋葬などを記録する公的な教会文書にならったものと考えられる。
「復活祭後第1日曜日」
裏書きにある jour de Quasimodo は、復活祭後最初の日曜日を指す。
この名称は、当日のミサの入祭唱が、ラテン語で Quasi modo geniti infantes、「生まれたばかりの乳飲み子のように」という言葉から始まることに由来する。
この日が第一聖体拝領の日として選ばれたことは興味深い。「新しく生まれた子ども」という言葉が、洗礼と信仰による新生、そして第一聖体拝領を受ける子どもの姿と重なるからである。
家庭の祭りとしての第一聖体拝領
第一聖体拝領が脱キリスト教化の進んだ社会でも比較的長く残った理由について、アリエスは、それが教会だけの集団的な祭りではなく、個々の子どもと家族の祭りになったからではないかと考えている。
教会では、同じ年代の子どもたちが集団で儀式を行う。しかし、その後は家庭で祝い、親族が集まり、食事をし、記念品や写真を残す。つまり、宗教行事であると同時に、家族が子どもの成長を祝う行事となった。
共同体全体が参加する民俗的祭りは、社会構造の変化とともに消えやすい。それに対し、個々の家族と子どもを中心とする儀式は、宗教的意味が弱まっても、家族行事として残りやすい。
19世紀には、男子や女子が特別な衣装を身につける習慣が加わり、第一聖体拝領はさらに目に見える子どもの通過儀礼となった。
この箇所全体の論点
今回の箇所では、子どもに対する二つの見方が同時に形成されている。
第一は、子どもは無垢で、素直で、天使に守られる存在だという見方である。これは守護天使、洗礼、子どもの魂の図像、リュファンや聖アロイジオのような模範的少年の物語に現れている。
第二は、子どもは教育と訓練によって、信仰を理解し、自分の行動に責任を持てる存在になるという見方である。これは第一聖体拝領の準備、許可、延期、告解、堅信などに現れている。
子どもは、無垢であるため大切に保護される。しかし同時に、その無垢を失わず、正しい大人へ成長するよう厳格に監督される。
第一聖体拝領は、この二つの見方が最も明確に交差する儀式である。
第一聖体拝領を受ける子どもは、まだ清らかな子どもである一方、聖体の意味を理解し、自己を省察し、規律に従うだけの理性を持つと認められている。無垢でありながら理性的であるという、一見矛盾した子ども像が、儀式によって可視化される。
この点で、第一聖体拝領は単なる宗教行事ではない。近世から近代にかけて成立した「子どもとは何か」という社会的感情を最もよく表す儀式だった、というのがアリエスの主張である。
