鍛冶屋の息子は鍛冶屋


 社会学的フィールドワークのこうした特異性は何に由来するのか。答えは「偶発性」にある。近代以前の社会的流動性の低い時代には、鍛冶屋は代々鍛冶屋、百姓は代々百姓。そんな社会では、鍛冶屋を調べることで百姓が見えてくることはない。


ここで考えるべき問題は2つ。


1つは近代と前近代(近世)の共通点と相違点の再考である。つまり、「近代になってどの部分が流動化したのか?」ということである。全般的に流動的になったのではなく、流動化した部分とあまり変化が無い部分があるのである。


ここでエントリしたように、江戸時代の農村では、5割から6割の人間が農村から流出していていた。そのうち、戻ってくる人間は2割程度。要するに、生まれたところ目で死ぬ人は55%ほどで、45%ほどは別の土地に移動していることになる。江戸時代は移動の自由がなかったと言われているが、実際には、半分弱の人間が移動していた。


そして、職業も一人の人生の間にいろいろと変化していたことが推測される。農村では多くのものは農業に従事していただろうが、都市部へ奉公に行くとなると、そこでは農業はできない。商業をするか工業をするかサービス業をしていたことになる。村落地域でも「寺子屋」が創設されて識字率が高かったのは、日本人が勉強熱心だったわけではなく、奉公に出たりする時に、文字の使用や計算が必要であったからである。江戸時代の識字率の高さを日本人の優秀性などに結びつける論調が存在するが、実際には、人口移動と職業の変化に必要だったからである。


これらのことから言えることは、近世(江戸時代)は人口流動が少ないというのが誤りであるということ、職業選択の自由という表現は取るかは別にして、一人の人が職業を変えることは珍しいことではなく極めて一般的なことであったということである。社会学は近代以前の江戸時代には人口流動がなく、職業も変化がないという想定をしているが、事実としてこれは誤りである。


社会学は「近代」を盛んに研究しているが、前近代に関心を払うことはあまり無い。ほとんどの社会学者の歴史知識は教科書レベルにとどまっているのである。社会学者は自らの分析対象である「近代」を構成している近代の固有性の幾つかの部分が、前近代にも大規模に存在していたことに無頓着である。


このことを「程度の問題」だと考えることも出来る。確かに、人口流動は現代の方が大きいし、職業変化も多い。しかし、社会学の存在理由でもある「近代」が「程度の差」であるのは非常に問題である。なぜならば「程度の問題」が学問の足場では、社会学は程度の問題を問題化しているに過ぎなくなり、社会学は学問の固有性を持たないものになるからだ。「近代」に質的変化を見出すことが社会学にとって必要である。


人口流動をとって考えてみると、近世は近畿ならば近畿で人口流動は完結していた。近畿から江戸へ奉公に出ることは希であったのだ。しかし、現代では九州から東京に出るということは珍しくない。近代において、移動の範囲が拡大していったことは、「日本」という共同体をイメージするのには不可欠であったろうし、ネイションの成立に必須の条件であったのではないかと考えられる。ここに質的な差違を見出すことは可能である。社会学が行わなければならないのは、(1)前近代と近代を比較して共通点と相違点を洗い出すこと(2)そこから近代の固有性を再定義することである。