斎藤環「ひきこもり」救出マニュアル


「ひきこもり」救出マニュアル

「ひきこもり」救出マニュアル


わけあって、斎藤環マニュアルの読み直し。

 最近の傾向として、ひきこもり状態にアルコール依存、ギャンブル依存などの症状が合併するケースが増えてきているように思います。ですからもちろん、まったくの別物ということはできません。
 親御さんの対応面でも、ひきこもりケースと共通する点が多いと思います。(194頁)


「ひきこもり」が「依存症」を引き起こすことがあるという記述。

 第一が「治療」です。第二コースは、ご本人が成人している場合、一切の援助をやめて家から放り出す。第三コースは、現状肯定です。つまり「あなたはもう、このまま一生ひきこもっていてくれていい。ただ生きていてくれるだけでいい」という態度です。


3つのコースがあるとのこと。

 単刀直入に言いますが、ご家族の対応の目標とは「ご本人が安心してひきこもれる環境づくり」、これに尽きます。
 ご本人が家の中で居心地の悪い思いをするのではなく、むしろリラックスしてくつろげるような家庭療境を目指していただきたいのです。


まずすべきこと。
「親」という役割の上では、「子育て」しなければならない。従って、社会参加をしない息子の尻を叩いてしまう。しかし、「ひきこもり」は社会に馴染めず、引き籠もってしまっているので、恐れている先へと尻を叩くことになる。「ひきこもり」からの脱出は、脱出する準備をしてからでないと、不可能である。そのためにも、まずは安心してひきこもれる環境作りが先決である。

 現在のご家庭のありようを見直し、それを変化させることはたしかに大変なことですし、危険も伴います。しかし、ひきこもりシステム(七二ページ)のコラムでも説明しているとおり、あくまでも「家族関係の徹底した再構築に基づいて本人を動かしていく」というのが、私の方法論です。
 「できれば家族はこのままで、なんとか本人だけ治してほしい」という要望には、残念ながら私の力量ではお応えできません。


「家族」を変えなければ解決はない。
ここにおそらく逆説的な構造がある。


「家族一丸」で「ひきこもり」に取り組むのはある意味では必須であるが、ある意味では不必要どころか逆効果である。
「ひきこもり」であるためには第一にひきこんでいられる環境が必要である。つまり、多くの場合は引き込む「自室」、そして、経済的には親の扶養を受ける。親は子どもを扶養するという枠組みがあって初めて起こることである。


とするなら、この条件を解約することが「ひきこもり」解決への一歩であるのは間違いがない。
親は、本人に対して、「働け」「学校に行け」という言動を繰り返す。この言動は、子どもの行動は親が決めるものという枠組みを強化する。つまり、親と子の役割は固定化され、「ひきこもり」を成り立たせている親が子どもの面倒を見るという条件を強化してしまう。


親は親で、子どもに正論を示すことで、自身を肯定し、自身の行動の正しさを確認する。そして、その正しさが親自身の「ガス抜き」にもなる。子どもは子どもで、その正論の正しさを重々承知しているため、親に反抗しつつも、親が正しく子どもが間違っていることを思い知らされる。


この事によって「ひきこもり」はさらに強化されることになるのだ。


斎藤環の言葉でいうと「家族」、社会学的には「親役割」「子ども役割」ということになろうが、そのような「役割」に固定された行動は避けるべきである。その役割に固定された行動は、「親としては正しい」けれども、親として正しいことが逆に、子どもを「ひきこもり」に留めておくことに機能する。


従って「家族」を変えること、そして、親役割を出来る限り放棄することが必要である。つまり、「親」であるがゆえに「親」をやめることが必要なのだ。

 このことと関連して、日本の家庭全体に一般化できるかどうかはわかりませんが、思春期以降の子どもとのつきあい方が極端に不得手な親御さんが多いことは事実であろうかと思います。これはうがった見方をすれば、親の側が、子どもが「性的存在」であることに耐えられないのではないでしょうか。
 多くの家庭では、子どもが思春期を過ぎて扱いにくくなるにつれ、親は親を演ずるようになっていきます。前思春期の、比較的自然な親子関係から、思春期以降のぎこちない親子関係へ。
 このとき、親は親の立場を維持しようとして懸命に親を演ずるようになります。過度に厳格にふるまったり、過度に理解を示したり、過度に放任気味になったりなど、その表現のかたちはさまざまですが、演技という点では共通しています。
 そのなかには子どもの成長を否認する親、つまり、子どもが思春期にさしかかっていることをけっして認めたがらない親も存在します。成人した息子をいつまでも「○○ちゃん」といった少年期の愛称で呼び続けたり、他人に紹介するとき「うちの子は」「この子は」といった表現をついしてしまう母親は珍しくありません。
 こうした態度が成熟の否認につながり、ときには過度な母子密着や退行をうながす土壌を作ります。少なくとも「ひきこもり」に関しては、こうした態度は社会参加を妨げる可能性がありますので、あまりお勧めできません。


斎藤による「役割」の記述。
これも「親をやめる」原則に適う。

 通院に限らず、外出にしても趣味を持つことにしても、まず親御さんが率先して行動してみせること以外に、ひきこもっているご本人を動機づけることは不可能ではないでしょうか。ご本人の向上心を信じつつ、ひとまずは親御さんが行勤してみせ、ねばり強く行動しっづけること。これ以外にご本人を通院に導く道はないと、私は考えています。


親が変わらなければ変わらない。よく言われることだが、ただ単に変わればいいと言うわけではない。
いつまで続くかわからない「ひきこもり」との戦いで、親が疲れてしまっては、状況が悪くなるばかりである。従って、親に趣味を作って「遊ぶ」ことが推奨される。これによって、親ははけ口を見つけ、その分子どもに正論を振りかざすことを低減できる。さらに、親は自身の中に「親役割」ではないものを作ることによって、四六時中「親であること」をやめることが出来る。このことが、「ひきこもり」に対して良い影響を与えると考えられる。

 このさい親御さんの側の姿勢としては----ある患者さんから教わった言葉ですが----「期待はせず、希望は捨てない」というニュアンスで向きあうのがよいのではないかと思います。


良い言葉だ。

 初診段階で、ほとんどすべてのご家庭が「欲しいときに欲しいだけ渡している」という方針で臨んでいるようですが、これはあきらかに間違った対応です。
 ひきこもり問題に限らず、思春期事例の治療において、お金の扱い方には原則があります。それはまとめると、次の三つほどの原則になります。

・お小遣いは、十分に与える
・金額は必ず、一定にする
・その額については、本人と相談して決める

 ひきこもっていても、お小遣いは必要です。むしろお小遣いがなければ、社会参加の糸口すらつかめないでしょう。ですから、お小遣いは必ず渡していただきたいと思います。それも十分に渡していただきたいと思います。


小遣いは子どもを子どもとして押しとどめるシステムである。
とはいえ、家族以外の社会的関係を作るには、「お金」は不可欠である。従って、小遣いを渡したり、不十分に渡すと社会性を得るチャンスを逸する危険性がある。


例えば、ツタヤのレンタルを十分に借りることも、音楽や映画の知識が豊富になり、そこから社会参加の糸口を掴む可能性もある。


ただ、親が手で直接渡すと、親子関係を強化してしまうので、斎藤環は銀行振り込みを勧めている。

留守中に部屋を掃除したら怒られた


 ご本人との信頼関係を築くためには、ご本人のプライヴァシーを確実に尊重する姿勢を示していく必要があると思います。そのための第一歩は、まず「本人の部屋」というテリトリーをみだりに侵さないことです。


子どものプライバシーを守るのは必須である。子どもでなければ、親は部屋を掃除しない。逆に言えば、子どもだから、親は部屋へ自由に出入りが出来、掃除もできる。これを繰り返すことは、親と子の役割を強化することにつながる。従って、子どもの部屋の掃除をすべきではない。

 とくにお父さんがたに多いのは、上から見下ろすような権威的な話し方や、断定的な口調です。たとえば会社などで高い地位にある人ほど、息子さんに対しても部下に向かって話すような口調になっていることが多いのです。そうでなくても父親は、家庭内にあって社会を代表するような、たいへんに煙たい存在です。そんな立場の人から「それは○○に決まっている」「世間では○○が当たり前なんだ」「そんなことで社会でやっていけると思うのか」などと言われても、およそ会話は成立しないでしょう。


ひきこもり状態が社会的に見て非常に良くない状態であることは、本人もよく分かっていることである。
説教として「正論」を振りかざすことは前述したようにマイナスである。親のガス抜きと親と子の役割固定にしか働かない。