速水融「歴史人口学を通じてみた江戸時代」

速水融,2002,「歴史人口学を通じてみた江戸時代」,
大日方純夫編『日本家族史論集2 家族史の展望』吉川弘文館


近世における人口論の試論。感動した。論文を読んで感動したのはほんとに久しぶり。
社会学者は脱常識は社会学の特権だと考えがちだが、近世史における脱常識のポテンシャルは社会学のそれを大きく上回っているのではないだろか。社会学の脱常識についてよく知っていて慣れてしまっているだけなのかもしれないが、そう思ってしまう。


この論文の初所収は1976年の『徳川林政史研究所研究紀要』。内容は、飛騨高山での宗門帳が扱われている。


農村生活者のうち男4割、女5割は1年以上都会で生活しており、その多くは10年以上都会で生活しているということである。また、季間的な都会滞在だとその数は6〜7割に達するという。江戸時代というと、村で生まれた者は一生農業をして村で死んでいくというイメージだが、このイメージがまったく間違っていることがわかる。若い頃は(奉公などで)都会に出ていき、そこで生活をし、仕事をするが、そのうちに田舎に戻ってくる。このような人生は現代人と同じである。

 こういった個人追跡調査法の観察結果については、過去四回に亘って本紀要にも連載----とくに昭和四七年度の、「近世農民の行動追跡調査----浪州西条村の奉公人----」(内田宣子と共著)上しているので重複して述べる必要はないだろう。しかし、一つだけ敢えて云うなら、この観察結果は、農民に対する法的規制がどうあれ、江戸時代に生きた農民の具体的な姿なのである。たとえば、いかに多くの農民が(少なくともこの村出身の)都市生活を知っていたことか----、男子では、11歳まで生きた者の内、約四〇%が、女子では約五〇%がそれを知っているのである。しかもこれは、一年以上の長期滞在者のみでこうなのであって、大体は10年以上の都市生活の経験を持つものである.短期の、季節的滞在、或いは旅行による都市滞在ということになれば、この比率はさらに高く、六〇〜七〇%にも達するのではないか、つまり、過半の農民は都市生活を経験していたのだ、ということになる。このことの意味は非常に大きいのではないのだろうか。当時の、そして現在でも云えることだが、都市生活と農村生活との間には人間の生活形態に明らかに差があり、その差は、農村で自給部分の多かった江戸時代の方がもっと大きかったに相違ないのである。


近世と現代では人口パターンは想像以上に近いという。ただ、都市人口は都市のみで維持していけたわけではなく、一定数農村からの流入によって成り立っていた点が異なる点であるという。

 近年、明らかにされつつある江戸時代の大都市の住民の生活のパターンは、原理的に云って現在と想像以上に近いものである。ただ、狭義の人口学的指標をとれば、現在とは異なり、農村とは逆に都市の死亡率は出生率を上廻り、その人口の維持は都市内部ではできなかったことは現在との間にある重要な違いであると同時に、江戸時代において、農村→都市という方向での大量の人口移動を惹きおこす原因ともなったのである。この問題についてはすでに検証した。


都会への移動だが、現代よりも移動範囲は狭かったようである。現代では、新幹線や飛行機という移動手段があるため、九州の人が東京に出てくるというのは珍しくないが、江戸時代は近くの都会に出て行ったようである。


遠方への移動が行われなかったのは、藩や幕府によって移動が規制されていたからではない。単に遠いという理由からである。

江戸時代後半において、人口変動に顕著な地域的相違があることで、概ね、東北・関東において減少、中央は停滞、西南日本は増大という趨勢が見出される。そして、どちらかといえば、太平洋側よりも日本海側の方が増大して居り、たとえば同じ奥羽地方をとっても、陸奥国は著しい減少をしているのに、出羽国はむしろ微増している。北陸地方は、最も高い増加率を示す地域の一つであり、山陰のいくつかの国も増加率はかなり高かった。
 最も減少の甚しかったのは北関東の三カ国(上野・下野・常陸)で、享保六年から、弘化三年に至る一二五年間に、一八四万人から一三三万人へと二七・七%の減少をみせ、享保六年にはほぼ同規模の人口を擁していた山陽(美作を除く)の六カ国における、二四%の増大と好対照を示している。通例これは「関東農村の荒廃」と云われている現象である。
 ここで指摘しておきたいことは、今の北関東と山陽の場合がまさに好例なのであるが、人口において全国の合計値は、この間に殆んど変化していない、すなわち"停滞"しているということである。しかし、これは、あくまで全国合計値をとった場合で、地域間の変動の違いは意外に大きいのである。筆者は、むしろ、全国人口が一見〝停滞″にみえるのは、たまたまそうなったのであって、何らかの積極的な理由が働いた結果、〝停滞"しているのではないと考える。"停滞"には積極的な理由づけは不要なのである。というのは、当時の人口が、現在とは異なり、〝移動の自由"を持たない性質のものであったからに他ならない。ただし、この場合も、〝移動の自由"がなかったということは、法制的な、中世ヨーロッパの農奴の土地緊縛を意味するものでは断じてない。それは、江戸時代の公共旅客輸送----とくに陸上交通における-----の欠如もしくは不完全さに基づく移動の制約であった。九州の農民が江戸へ出稼ぎに来るとか、東北の農民が京都や大坂で働くということはまず考えられない。つまりある一定の拡がりを持った移動圏というものがあった。だから、人口変動は、この時期には地域的には、一定の領域内で完結していたとみることができる。勿論これは大掴みにみた場合であって、こういった領域の限界地帯相互での移動や、領域をこえての移動が全くなかったということを意味するものではない。
 前記美濃国西条村の事例でも、移動の殆んどは、東は尾張知多半島、西は大坂・堺、北は濃尾平野の北端部、南は伊勢国の津という範囲に限られ、それ以外の移動は、人年で計った総移動量の一%が、江戸へ奉公に行っているにすぎない。


江戸時代後半では都会化されてる地域(関東と近畿)で人口が減少し、都会化されてない地域で人口が増加したという。近代化に向かって江戸時代後期には都会への人口流動があったのではないかと常識的には考えられる。しかし実態はまったく逆のようである。なぜなのかという説明はこの論文には載っていないが『数量経済史入門』には載っているいるようだ。

 具体的に云うならば、都市人口比率が最も高い領域として、関東地方と近畿地方の二つが挙げられる。明治初年の数値で、この二つの領域は一五%以上である。この数値は、大略、江戸時代後半の状態を示すものと考えられるが、二つの領域とも、享保六年から弘化三年に至る間の人口は、マイナスであり、これは他の一地域を除く九つの地域がプラスであるのと好対照を示している。そして、山陰・山陽・四国・南九州といったこの期間の人口増加率がほぼ二〇%を上廻った地域は、例外なく、都市人口比率は六〜七%と低いのである。

江戸時代後半の日本では、近著に示したように、平常年・災害年を分けずに、全期間を通じての人口の変化率と、求めうる限り最も江戸時代に近い都市人口比率との問の相関をみればよいのかもしれない。そして、観察結果は、一地域を除いた場合、両者の間には有意な逆相関(相関係数、マイナス〇・七七五)が見出された。
 従って、この事実はこの時期の各地域の人口変動を説明する場合、地域の幕藩制的な経済活動を、人口を停滞させる要因(ネガティブなフィードバック作用)として考えてみることを可能性として我々に与えてくれる。勿論、相関係数の高さは、直ちに因果関係を意味するものではない。両者を動かす共通の、第三の変数が要因として作用しているかもしれないからである。


宗門帳についての資料的価値について。

 historical demographyは、歴史民勢学と称すべきであるという,大阪大学名著教授丸山博氏の所説には賛成である。しかし、人口学という言葉はもう日本に定着してしまっていて、今さらどうすることもできないので、己むを得ず、これを歴史人口学と称しているわけだが、内容は前記の如くであることを理解していただきたい。
 本紀要のいくつかの論文で用いて来たように、江戸時代の主たる歴史人口学史料は、宗門改帳である。とくにこの史料が、一定地点において長期に亘って利用可能である場合、その史料価値は極めて高いものとなる。実際、近代以前の社会に生きた庶民生活について、これ以上豊富で信板性に富む情報を提供してくれる史料は、世界中どこを探してもないはどである。


享保6年から幕府が行った全国規模の人口調査についての資料的価値について。

 この幕府による全国人口調査は、大部分の場合、各藩・各代官に義務づけられていた宗門改の合計数字であると考えられるが、それには欠陥が多く確かにこの数値を人口の絶対数とすることはできない。統計処理を行うにはあまりにも信頼度の低いものなのである。しかし、これをそれぞれの地域における人口変動の指数として考えることはできるのではないか。勿論、いくつかの留保条件を附ける必要はあるとしても、相対値としてなら使っても構わないと云えるだろう。国なり一定地域なりの人口総数は、分ればそれにこしたことはないが、分らないからと云って歴史人口学が成り立たないものではない。むしろ歴史人口学は、近代以前の一定地域の人口が判るような資料が存在しないか、あるとしても稀にしかない西ヨーロッパで誕生したほどである。

この論文の文献データ

速水融,1976,
「歴史人口学を通じてみた江戸時代」
『徳川林政史研究所研究紀要』 (通号 昭和50年度):265-280.


参考文献

数量経済史入門―日本の前工業化社会 (叢書・現代経済学入門 15)

数量経済史入門―日本の前工業化社会 (叢書・現代経済学入門 15)



自分の研究には関係ないけども、こういうものも書かれているらしい。


経済社会の成立 17‐18世紀 (日本経済史 1)

経済社会の成立 17‐18世紀 (日本経済史 1)