岡本かの子『鮨』

子供は、平気を装って家のものと同じ食事をした。すぐ吐いた。口中や咽喉を極力無感覚に制御したつもりだが嚥(の)み下した喰べものが、母親以外の女の手が触れたものと思う途端に、胃嚢が不意に逆に絞り上げられた

「あんまり、はたから騒ぎ立てないで下さい、これさえ気まり悪がって喰べなくなりますから」
 その子供には、実際、食事が苦痛だった。体内へ、色、香、味のある塊団を入れると、何か身が穢れるような気がした。空気のような喰べものは無いかと思う。腹が減ると餓えは充分感じるのだが、うっかり喰べる気はしなかった。


食べる事は象徴的行為である。


レヴィ=ストロースは『今日のトーテミズム』において「≪食べるに適している≫からではなく、≪考えるのに適している≫」(邦訳145頁)という言葉を書いている。これはトーテムについて語った言葉であり、ラドクリフ=ブラウンの理解を改訂した箇所。


岡本かの子レヴィ=ストロースの記述はそのまま摂食障害の理解に使えるわけではない。論理的にもアナロジーではないし、摂食障害特異点は「食べること/食べないこと」にあるんだろうけども、理論的に注目する所はそこではないだろうし。ともあれ、興味深かったのでメモ。


追記:
検索かけたら、こんなの引っかかった
http://ameblo.jp/gahko13/entry-10002093646.html

昨今、ご飯がまったく食べれない摂食障害に悩んでいます。
彼といっしょに岡本かの子の「鮨」を読みました。
ゆっくりおかゆからがんばろうと思っています。


えっと、これは適切なんだろうか・・・(・_・;


注:『鮨』で描かれてるのは摂食障害ではない。鮨で拒食状態が治ってしまうのだ。