アクセス200万「ひきこもり村。」

ネット君臨:第1部・失われていくもの/7 アクセス200万「ひきこもり村。」(2007.01.08毎日新聞http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/news/20070108ddm002040055000c.html


「ひきこもり村。」(http://www.hikky-mura.net/)の記事。管理人の侑摩佳彌は月1くらいでネットラジオをやってらっしゃる。

 DJを務める山形市のハンドルネーム・侑摩佳彌(ありまよしや)さん(25)は村の管理人だ。2年前、同じ引きこもりの人たちとのつながりを求め、ネット上の仮想社会を作った。約2000人が住民登録した。「友達がほしい」「親子問題」……。掲示板には2000近いスレッドが立ち、アクセス総数は200万を超えた。

 雇ってくれるところがあれば、すぐにでも働きたい。しかし外に出るハードルは、むしろ上がったように思う。「冷たい部屋から温かいこたつにやっと入れた感覚でしょうか」


「ひきこもり村。」ができる以前より、今の方がコミュニケーションが増えたが、逆に社会参加への意欲が削がれてしまったという声。


「ひきこもり」に重要なのは、安心してひきこもれる環境作り。親に出来ることはそのような環境を作ることくらいだと言われている。
ただ、ひきこもり続けることに疑問を持たなくていいかというと、そういうことではないと思う。ひきこもり状態において、一番焦っているのは当事者自身であることが多いし、ひきこもり続けることに一番疑問を持っているのも当事者自身であることが多い。また、個人的にもひきこもり続けることは決して良い状態ではないと思う。


とはいえ、40歳、50歳とこの先ひきこもりの高齢化が起こってきた時に、高齢化した人たちに、社会に出ることを目標にした方がいいんじゃないかと言ったところで、それは現実的ではない。一元的な価値の押しつけをしても無駄であろうし、ひきこもり続ける人生があっても、それはそれでアリなのだという態度が必要だと思う。


ひきこもり問題では「これが正しい」という絶対的なものはない。ひきこもりなんてダメだから、早く出ろという立場*1からすると、「ひきこもり村。」というひきこもりを助長するかのような場所は批判の対象になる。ただ、それは「一つの立場」からの批判であって、絶対的に正しい意見と言うわけではない。あくまでも「一つの立場」からの批判に過ぎない。


少なくとも「ひきこもり村。」に常時アクセスする人たちがいるということは、「ひきこもり村。」というものが必要とされているわけだし、「ひきこもり村。」を経由して社会参加を果たす場合もあるかもしれない。そして、結果として、ひきこもり続ける生き方になったとしても、それは否定されるものでもない。そういう意味で、「ひきこもり村。」というものは必要だろうし、それはそれでアリなのだと思う。

*1:道徳的説教や経験者が良く言う意見