井出草平の研究ノート

準ひきこもり

樋口康彦,2006,「大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―」,『大学国際教養学部紀要』VOL.2.


樋口康彦,2006,「かぐや姫症候群に関する考察 ―準ひきこもり行動との関連から―」,『大学国際教養学部紀要』VOL.2.


不登校の有無という点については反論の余地があるが、基本的にここで言われていることは正しい。一教員の印象で根拠がないと片づける反応もあるが、あまりにも大学の現状に鈍感すぎるのではないか。


この論文の扱い(批判)について少し気になることはある。
この論文のように個人の体験から述べられる言葉に対しては、内容吟味をせず、個人の体験だからという理由で批判をする。一方で、統計の表やデータには批判を加えない(むしろ加えるスキルがない)。数字をちらつかされると納得してしまうというのは一体なんなんだろうかと思う。


ともかく、樋口康彦氏の指摘は非常に重要だと思う。


追記:
かぐや姫症候群に関する考察」については引っかかる所がある。現状認識としては、いいのだが、因果遡及になると保守的な価値観を反復している。

また準ひきこもりの親には特有の甘さがあり、世間がどう言おうと子どもの命こそが一番大事であるとして、強く社会への参加を促さないことが多い。働かないなら家から出て行け、という方針の親の元からは、ひきこもりは生まれにくい。

準ひきこもりは、他の同年代の若者と同じように、覚悟を決めて驚異の大人の世界に入って行くことがなかなかできない。

最後に、かぐや姫は女性であるがかぐや姫症候群に陥るのはどちらかというと男性に多いように思われる。しかし彼らは男性役割を身につけることができず従来の女性のようにか弱い。

いろいろツッコミどころはある。


追記(2006.04.29)


上山和樹氏のエントリ。

また、社会的不適応の状態が本人や家族にとって苦痛となっているならば、それは「適応すべきである」という社会規範とは別枠で、具体的な課題である。 その意味において、樋口氏の鳴らした警鐘自体はまったく正当と言える(老婆心としてのパターナリズム)。
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20060429#p1


その通り。
樋口氏の論文は、状況認識は正確だが、処方箋が大きく間違ってしまっていて保守的価値観の反復に終わっている。状況を正確に判断した上で、その現象に対する原因理解をした上での処方箋が必要であろう。


樋口氏の言う「準ひきこもり」は全国の大学におり、彼ら/彼女らに対して大学は具体的な対策を提示する事になるのであろう(少なからずの大学では既に始まっているようにも感じる)。樋口氏が論文で示しているような価値観で処方箋が組まれると、事態を解決することは出来ないことは目に見えているので、状態の改善以前に、処方箋を出す側の人間の改善が必要であろう。